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アフリカ篇(4)ウケる! リンガラ語学習

 なんと、怪獣探しの隊員のために、リンガラ語のテキストまで作成した高野さん。現地では物真似リンガラ語でウケを取りつつ、コンゴとザイールの違いなどを学んでいきました。 

 私と向井は結局、ザイールとコンゴに2カ月ほど滞在した。コンゴ政府と交渉したり、ムベンベが棲むと言われる湖の周辺の村々を調査して歩きながら、リンガラ語をせっせと覚えていった。帰国してから、私は他のコンゴ隊メンバーのために、リンガラ語の入門テキストを作成した。

「突撃リンガラ語入門」
 「突撃リンガラ語入門」と題したそれを、最近部屋を片付けているとき偶然発見した。
 ワープロ打ちの原稿をコピーしてホチキスで閉じた、全部で14ページの簡易なものだが、なかなか気が利いている。
 表紙には「ソキ・オザリ・ナ・ミノ、リヤ・マサンゴ(歯があるときにトウモロコシを食べなさい)」というコンゴの諺(ことわざ)が記されている。「できるときにやれ」という意味だが、特に子どもや若者に「若いうちに勉強しろ」と尻を叩くときに使う諺らしい。年取って歯がなくなってからではトウモロコシはかじれないのだ。

リンガラ語_表紙

▲「突撃リンガラ語入門」の表紙

 中身はⅠ.動詞、Ⅱ.人称代名詞(私、あなた、彼など)、Ⅲ.疑問代名詞(「何?」「どこ?」「いつ?」など)、Ⅳ.前置詞(「〜で」「〜に」「〜と一緒に」など)、Ⅴ.形容詞という構成で、さらに「重要動詞50」と「重要名詞60」が掲載されている。実にシンプルかつ行き届いたテキストで、今でも入門用としては十分役に立つだろう。

リンガラ語_動詞

▲動詞のページ

 私の30年以上に及ぶ言語人生で、テキストを作ったのはこれが唯一だ。残念ながら、他のときはすでにテキストがある言語か、なくても私以外の誰も学ばない言語かのどちらかなので、わざわざ作る必要がなかった。
 でも、テキストを作るというのはすごく勉強になる。なにしろ、自分がちゃんと把握していなければ文法書は作れないし、重要単語も必要不可欠にして最小限のものを選ばなければいけない。50の単語リストを作るためには100ぐらいの予備リストを先に作り、そこから吟味して選ぶ必要がある。そんな作業をやっているうちに単語はしっかり頭に入ってしまうのだ。これを書いている今、思うのだが、これからは私以外の誰も学ばない言語でもちゃんとテキストを作ろう。勉強になるだけでなく、その言語を使わなくなり、単語や表現を忘れてしまったときも、テキストを見れば思い出したり勉強し直したりできるからだ。「突撃リンガラ語入門」を見ていると、30年前の記憶が蘇ってくる。
 とりわけ、苦笑とともに〈コンゴ〉の風景が浮かんでくるのは特別付録の「実践リンガラ語会話」だ。「挨拶」「自己紹介」「バスで」など実際によく遭遇する会話のみならず、ヘンにウケを狙った会話がいくつも載っていた。
 例えば「ピローグ(丸木舟)で」という会話はこんな感じだ。

A:おい、どこへ行くんだ?
B:知らないのか? 前へ進むんだ。
A:アッ、そいつは難しいな。
B:なんでぇ?
A:前にはムベンベがいて、俺たちを食おうとしてるんだ。

 ……妙にぎこちない。というか、寒いギャグである。もう少しセンスある会話が作れなかったのかと残念な気持ちになる。しかしよく見ると、著者(当時の私)は「〜しようとしている(したがっている)」という意味の構文を最後に入れたかったんだなと気づく。「コリンガ(〜したい)+動詞の原形」という構文練習の中に頑張って笑いを盛り込もうとしているから不自然になるのだ。このテキストからも、20歳の私はすでに言語学習において「笑い」を強く意識していることがわかる。

リンガラ語_会話

▲会話のページには控えめな(?)下ネタも

物真似学習法
 リンガラ語に出会うことによって私の言語学習法は変わってきた。
 英語やフランス語を学ぶときはいつも「正しさ」を気にしていた。正しい文法や正しい発音、正しい綴りなどが中心軸にあった。
 ところが、「受けるかどうか」に集中すると「正しさ」はわりとどうでもよくなる。問題は「いかに現地の人っぽく話すか」ということに尽きるからだ。
 例えば、「とてもおいしい」は“キトコ・ミンギ”である。これは100%正しい。教科書的である。でも“キットコ・キトコ!”と言えば「すんごいおいしい!」という感じになり、リンガラっぽい雰囲気が出て、現地の人にウケる。
 では、どうすれば現地の人っぽく話すことができるのか。それは現地の人の真似をするしかない。それも漠然とではなく、ホテルやバーや市場などで実際に会った人たち一人一人が、どういうときにどういうことをどんな調子で言うのかをよく観察する。そして、それをその人そっくりに、しかももっと大げさに喋るようにすることだった。つまり「物真似」である。これがいちばん「ウケる」という結論に達したのだ。
 TPOも大事である。バーの怪しげなお兄ちゃんの喋る言葉を昼間、店でまじめに働く年配の女性に使うのは要注意だ。バーのお兄ちゃんの真似はバーでやり、店で働く年配の女性の真似は昼間に使う。言語は正しい一つの構築物ではなく、大勢の個人が話す言葉(表情や仕草も含めて)の集成である──なんてことまで当時は考えていなかったが、ひたすらウケを狙っていたら、だんだんそういう方向になっていったのだ。

微調整が秘訣
 こんな芸人じみたことをして、何度も〈コンゴ〉を行き来していたら、やがて細かいところにも気づくようになった。リンガラ語は全体的に方言差が少なく、都市部でも田舎でも同じように喋るのだが、ザイールとコンゴではリンガラ語の話し方が微妙にちがう。言葉そのものも若干異なるし、言語に対する意識の持ち方も同じでない。
 その典型は英語のbe動詞(ある・いる/〜である)にあたる“コザラ”という動詞だ。これは“ナ”(〜と一緒に)と組み合わせて、“コザラ・ナ”(〜と一緒にある=持っている)という動詞句も形成するため、会話で使われる頻度が最も高い。ところが、コンゴでは“コザラ”は“コヤラ”になる。ここを聞くだけで、その人がザイール人かコンゴ人か判別できる。
 私たちはザイール人のウィリー先生に手ほどきを受け、まずはキンシャサで実践を開始したので、“コザラ”を使っていた。「私は日本人です」と言うとき、“コザラ”が一人称単数現在形の“ナザリ”に変化し、“ナザリ・ジャポネ”となる。
 コンゴでこのように話しても当然通じるが、あまりウケない。場合によっては白けられてしまう。“コザラ”はザイール方言だからだ。外国人が京都に来て大阪弁を話すようなもので、ストレートには喜ばれない。
 コンゴでbe動詞は“コヤラ”であり、それが一人称単数現在形に変化したら“ナヤリ”となる。だから“ナヤリ・ジャポネ”と言うべきなのだ。そういう「微調整」がウケる秘訣である(とはいっても、私は“コザラ”に慣れてしまっていたので、わかっていてもついコンゴで“コザラ”と言ってしまうことが多かったのだが)。

脱ヨーロッパ化の象徴
 ザイールとコンゴにおいてもっとちがったのは、リンガラ語に対するスタンスだ。ザイールでは(特にキンシャサでは)「リンガラ語万歳!」であり、フランス語を話せる人でもこちらがリンガラ語で話すとリンガラ語で応じるのが普通だった。
 テレビやラジオもそうだ。私の記憶は定かでないのだが、同じ80年代後半にキンシャサにいた友人・知人によれば、大統領の演説や全国ニュースのような公のものは別として、一般的にはアナウンサーも出演者もリンガラ語で話をしていたという。
 ところが川を挟んで対岸のコンゴでは事情は一変する。知識層はフランス語を好み、リンガラ語をあまり話したがらない。省庁の役人や大学生などと話すとき、私がリンガラ語で自己紹介したりすると、「あー、君はリンガラ語を話すのか」と驚かれつつもフランス語で返されるのが普通だった。テレビやラジオも基本的にフランス語だ。
 このちがいは歴史と政治に関係している。コンゴは旧フランス領である。独立後はソ連に与(くみ)して社会主義国になったが、フランスとの関係は良好と言われていた。独立してから30年近く経った当時でさえ、コンゴ人の目指すところは「フランス人になること」のように見えた。だから、極力フランス語を使いたがるのだ。
 いっぽう、ザイールはかつてベルギー領だった。しかもベルギー国家ではなく、ベルギー王であったレオポルド2世の私的な植民地で、統治はひじょうに杜撰(ずさん)かつ残酷なものだった。税を納められない人の手を切り取って集めたという信じがたいほど残虐な逸話が有名だ。ちなみにこのベルギー王領コンゴを舞台にして書かれた小説がジョゼフ・コンラッドの『闇の奥』(1902年)であり、さらに同書を翻案して(舞台をベトナムに変えて)作られたのがフランシス・コッポラの映画『地獄の黙示録』(1979年)だ。
 そのうえベルギーはヨーロッパにおいても小国で影響力に乏しい。よって、ザイール人には旧宗主国へのリスペクトが皆無に等しい。
 もう一つ、ザイールに甚大な影響を及ぼしたのは1965年から1997年まで30年以上にわたって続いた、独裁大統領モブツによる支配だ。彼は政権を獲ると「ヨーロッパからの脱却」を訴え、国名をコンゴからザイールに変更した。「ザイール」という言葉がどの言語に由来するのかよくわからないのだが、どうやら、コンゴ川沿いに住む人々の間でこの大河は「ンザレ」と呼ばれていたようで、それが訛ってザイールになったらしい。
 モブツはそれを新しい国の名称にすると同時にさまざまなものを脱ヨーロッパ化=ザイール化していった。かつての主人の名を頂いていた首都もレオポルドヴィルからキンシャサへ変更したり、西洋風のネクタイとスーツの着用を禁止したりした。モブツ自身はマオスーツ(人民服)のような独特のスーツを着け、ネクタイではなくスカーフを首に巻いて正装としていた。
 そんな彼が奨励したのがリンガラ語の使用だった。

図4_2

ザイールのモブツ大統領(1983年8月、米ペンタゴンにて)
人民服のような上着、胸元にはスカーフのような布を身につけ、頭にはヒョウの毛皮の帽子をかぶっていることが多かった。

 コンゴを中心にアフリカの言語を研究している梶茂樹・京都大学名誉教授によれば、ザイールにはモブツ以前から4つの「国語」があるという。ザイールはアフリカ大陸で3番目に広い国土を誇り、言語(=民族)が200以上
もあると言われており、各地に共通語がある。北西部のリンガラ語、西部のコンゴ語、東部のスワヒリ語、南部のルバ語の4言語で、それらがザイールの「国語」ともなっている。前述したようにリンガラ語は軍の公用語として台頭していたが、さらにモブツは自分の出身地の共通語であるリンガラ語を独裁政党の公用語とした。文字化はされず、もっぱら話し言葉としてだったようだが(『アフリカのことばと社会』三元社)。
 やがて、リンガラ語はリンガラ音楽の隆盛とともにザイールの国威を示す言語となる。
 モブツの死後、政権が変わると、国名は「コンゴ民主共和国」に変更された。「ザイール=モブツ」というイメージを払拭したかったのだろう。これも政治である。
 ザイール人が(特にキンシャサで)リンガラ語を得意げに話すのも無理はない。

方言差を利用したジョーク
 コンゴではフランスに対するリスペクトが強いだけでなく、ザイールに対する複雑な感情があった。当時の人口はザイールの10分の1以下、経済的にも文化的にもザイールの強い影響下にあった。
 それだけではない。アフリカ大陸全体でも「ザイール人」と言えば、エネルギッシュでハチャメチャという印象が広がっていたし実際にそうであったが、似たような民族で構成されているはずのコンゴ人はかなり大人しかった。要するに、コンゴ人はいつもザイール人に圧倒されているのだ。その劣等感があるゆえに、コンゴではザイール人を揶揄(やゆ)するようなジョークが受けた。
 コンゴの友人に教えてもらったのだが、ザイールのリンガラ語では「(木などから)下りる」ことを“コキタ”という。でもコンゴで“コキタ”と言えば「落ちる」という意味になる。だから「ザイロワ・ムコロニョンソ・バキティ・ナ・ンゼテ(ザイール人はいつも木から落ちる/バキティ=彼らは落ちる)」なんて他愛のない悪口を言う。マイノリティ(弱者)はこういうふうに鬱憤晴らしをする。私もコンゴではこのジョークで安定的に受けていた。
 言語は現地の社会状況や歴史を映す鏡なのだ。私はリンガラ語で受けたり受けなかったりしながら、それを学んでいった。

高野秀行(たかのひでゆき)
ノンフィクション作家。1966年東京都生まれ。
『幻獣ムベンベを追え』(集英社文庫)でデビュー。『ワセダ三畳青春記』(集英社文庫)で酒飲み書店員大賞を、『謎の独立国家ソマリランド』(集英社文庫)で講談社ノンフィクション賞と、梅棹忠夫・山と探検文学賞を受賞。
著書に『アヘン王国潜入記』(集英社文庫)、『移民の宴』(講談社文庫)、 『幻のアフリカ納豆を追え!』(新潮社)など多数。
歴史家・清水克行との共著に『世界の辺境とハードボイルド室町時代』、『辺境の怪書、歴史の驚書、ハードボイルド読書合戦』(ともに集英社文庫)がある。

第2・第4金曜日 更新予定

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