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コロナブルーを乗り越える本 井手英策

井手英策さん(財政学者)が紹介する本は、人間が直面する苦しみについて考える契機を与えてくれます。苦しみとは、自分のため?  誰かのため?  それを考えることには、どのような意味があるのでしょうか。

※この記事は、集英社インターナショナル公式サイトで2020年4月20日に公開された記事の再掲載です。

『苦悩する人間』

ヴィクトール・E・フランクル、山田邦男、松田美佳訳/春秋社

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その苦しみは誰のためか、自分のためか、それとも他者のためか──精神科医であり哲学者でもあるヴィクトール・フランクルはこう僕たちに問いかける。

もし自分のためだとすれば、「私は私だから」という永遠の同義反復にたどりつく。苦しいのも、辛いのも、悲しいのも、それは私が私だから、私がかわいそうだから、というふうに。

反対に、他者のための苦しみであれば、その苦しみにはかならず「意味」がある。意味を発見したとき、人びとはその苦しみを受け止め(=「受苦」)、乗りこえることができる。

この本のなかに印象的なくだりがある。妻をなくして生きる希望を失った患者がいた。彼へのフランクルの処方箋は明快極まるものだった。

「仮に彼が妻よりも先に死に、妻の方が長生きしていたらどうなっていたかを考えてもらいさえすればよいのです……そうすれば、妻が苦しまず悲しまずにすんだこと、ただその代わりに自分自身が悲しみ苦しむことで代償を支払わなければならないことがすぐに彼にわかります」

患者は薬ではなく、生きることのうちに、「妻の苦悩を代わりに引き受けた」という「意味」を取り戻すことによって、自我を回復した。けっして苦悩がなくなったわけではない。だが、患者は、「苦悩の無意味さ」から解放され、生きていることの価値を再び見いだしたのだ。

フランクルは、第二次世界大戦中に強制収容所に送りこまれ、所内で両親と妻を亡くすという悲劇的な体験をした。そんな彼だから、愛する家族すべてを失った彼だからこそ、苦しみに意味を見いださなければ、人間は生きていけないことを知っていたのだろう。

「受苦」のうちに人間の本質を見出したフランクルは、人間を「ホモ・パティエンス(苦悩する人)」と定義する。「ホモサピエンス(知性ある人)」でも、「ホモ・エコノミカス(合理的人)」でもない。強く、自立した存在とはことなる、苦悩する存在としての人間像だ。

こんなことがあった。僕は、ある経済学者にたいして、「医療費をタダにしたらどうだろう」と問いかけた。するとその人はこう答えた。「そんなことをすれば、蚊に刺されただけでも子どもを病院に連れてくるような、ムダ遣いのかたまりのような社会になりますよ」。

たしかに、合理的な個人である「ホモ・エコノミカス」は、タダで医療が受けられるのだから、ためらうことなく医療サービスを使いたおすだろう。しかし、苦悩する人間である「ホモ・パティエンス」は、自分の行為が浪費かもしれないと悩みながら、子どもの健康への心配におびえ、葛藤したはてに病院に向かうことだろう。

現実の人間はこの両者の中間である。だが、「ホモ・エコノミカス」のムダ遣いを理由に医療サービスを削減し、「ホモ・パティエンス」が医療費から排除される社会よりも、ムダ遣いが仮に起きるとしても、苦悩する人間すべてが幸福になれる社会を僕は迷わずにえらぶ。

いま僕たちは新型コロナウィルスの恐怖のなかで生きている。だが、だれもが、自分の健康ではなく、か弱き人びとに感染させることを恐れ、他者の健康と幸福を祈りながら、さまざまな私的活動を控えている。

この自粛は無条件の正義ではない。なぜなら、自粛の結果、経済は停滞し、多くの中小企業ではたらく人たち、非正規ではたらく人たちを絶望の淵においやりつつあるからだ。

しかし、そのことでもまた、多くの人たちが心を痛めている。政府のなかで、メディアをつうじて、ネット上で、あるいは日々の人びとの思考や会話のあちこちで、絶望の淵に立つ人びとへの支援のありかたが語られ、模索されている。

危機の時代にこそ、人間の本質があらわれる。

生活の品々を買いためた「ホモ・エコノミカス」がいた。その人たちは「自分の苦しみ」に呻吟している人たちだった。これは「受苦」とは言えないし、率直にいって悲しくなるできごとだったが、これもまた、たしかな人間の一面だった。

しかしながら、同じ社会を生きる仲間の痛みに思いをはせ、苦悩を引き取ろうとする「ホモ・パティエンス」も大勢いる。たとえば布マスクのように、スーパーに並んだ人たちよりもはるかに多くの人たちが、そうせずにすむための工夫を考えた。そして、品物を買いためた人たちもまた、自分たちの行動に、他者と争い、傷つけたことに、苦悩したにちがいない。

フランクルはこう締めくくっている。

「死せる人々のことを偲ぶだけでなく、生きている人々を赦しましょう。あらゆる死を乗り越えて、死せる人々に手を差し伸べるのと同じように、あらゆる憎しみを乗り越えて、生きている人々にも手を差し伸べたいと思います。そして、死者に名誉あれ、という言葉に、さらにこう付け加えたいと思います──善意あるすべての生者に平和あれ」

医療や福祉の最前線で闘う人、病と闘う人、彼らへの称賛とともに、まずしさと闘う人、従業員のために闘う人、そして、苦悩し、日々を生きる善意あるふつうの人たち、すべての人びとに平和を。苦悩し、意味を見いだし、痛みを乗り越えていくすべての人間たちに祝福を。

いでえいさく 財政学者。慶應義塾大学経済学部教授。
1972年、福岡県生まれ。東京大学卒業。東京大学大学院博士課程単位取得退学。専門は財政社会学、財政金融史。日本銀行金融研究所勤務などを経て現職。『経済の時代の終焉』(大佛次郎論壇賞)『幸福の増税論』『いまこそ税と社会保障の話をしよう』『ソーシャルワーカー』(共著)など著書多数。

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