混沌のゴールデントライアングル言語群篇 (1)理想の語学学校
見出し画像

混沌のゴールデントライアングル言語群篇 (1)理想の語学学校

アフリカ、ヨーロッパ・南米に続き、今回からいよいよアジアに突入!
タイのチェンマイ赴任前に、いつものようにまずは言語の準備から始めた高野さん。珍しく学校に通うことに──。

 タイ語の学習を始めたのはフランス文学専修の卒業論文が受理され卒業が決まった直後の1992年3月のことだった。超がつくほど自己中心的である私はあれほど7年間の学生時代を好き放題に過ごしていたにもかかわらず、卒業が決まると「学校という牢獄からようやく放たれた」という、先生方や親が聞いたら怒りを通り越して呆れるような解放感に浸っていた。
 なのに、卒業決定後真っ先にやったのが別の学校に通い出したことなのだから、私の身勝手さは底知れない。ただ、それは普通の学校ではなかった。

タイ語集中講座
 アジア・アフリカ語学院。公益財団法人アジア・アフリカ文化財団が1961年に「日本とアジア・アフリカとの団結と世界平和への貢献」を建学理念として創立したアジア・アフリカ語の専門学校だと現在のホームページには書かれている。
 専門学校なので2年制の専門課程があるのだが、それとは別に一般向けのコースも用意されている。1990年代には韓国語、ヒンディー語、ベトナム語といったアジアの7、8の言語とアフリカのスワヒリ語の集中講座が毎年の春(3月)と夏(7月)に行われていた。どのようにしてこの講座を知ったのか憶えていないのだが、そのタイ語講座に申し込んだ。もしかすると、いつものようにネイティヴのタイ語の先生を探していたら、この講座に行き当たったのかもしれない。当時、タイ語の個人レッスンを引き受けてくれる人など簡単に見つからなかっただろう。タイ赴任まで3ヵ月もなかったから、他の選択肢を当たる暇もなく、この講座に飛びついたのだと思う。
 ここは私にとって理想の語学学校(講座)だった。よく人に訊かれる「語学のコツ」もこの学校に詰まっていた(ちなみに、私の言う「語学」とは「言語学習」の省略形である)。
 授業は文字通り「集中講座」。月曜日から金曜日まで毎日午後7時から8時半まで1時間半みっちりあり、それが4週間続く。全部で20回のコースである。
 各学科とも日本人の先生とネイティヴの先生が交互に授業を担当していた。日本人の先生は文法や読み書きを、ネイティヴの先生は発音と会話を教える。この組み合わせは最強であった。
   日本人の先生だけだと日本の一般的な学校教育のように会話がまるっきり習得できなかったり、私がポルトガル語を習ったときのように先生の発音と実際のネイティヴの発音がちがっていたりする。いっぽう、ネイティヴの先生だけだと文法や読み書きの説明がどうしても不十分になる。その両方のデメリットが見事に解消されていた。
 テキストはここの先生方の自作プリントで、毎週月曜日に1週間分が配布された。これを同じく配布されたバインダーに綴じていくと次第に厚みを増して教科書となっていく。学習者にとってとても使いやすいテキストであった。
 受講生は各講座10〜20人程度。タイ語は15人ぐらいだったと思う。大学生もいれば社会人や今でいうニートやバイトの若者もいたが、おしなべてひじょうに勉強熱心だった。休む人はほとんどいない。仮に1回でも休むとすぐについていけなくなるという理由もあった。集中講座の厳しさだ。いずれにしても私にとっては初めて見る光景だった。なにしろ、小学校から大学まで、学校の授業というのはみんな、「しかたないからやる」ものだと思っていた。ところがここはそうでなかった。最初の自己紹介で聞くかぎり、みなさん、タイに旅行に行ったことがあるか、これから行く予定があるという人で、しかも会社から命じられて勉強に来たなんてタイプはいなかった。タイは今ほどポピュラーな旅行先・赴任先でなかったし、英語で用を足す人がほとんどである。わざわざタイ語を自ら勉強したいと思う人は少ない。友だちと連れだって来ている人も皆無。一人一人が強い意志でタイ語学習に参加していたから、授業中は静かながらも心地よい緊張感がクラスに漲(みなぎ)っていた。

3-1 タイ語辞書

『タイ日大辞典』冨田竹二郎編 
日本ペンクラブ(発行)/めこん(発売) 1997年
タイ語を学ぶ、あるいはタイで何かを研究・取材する全ての人にとって必須の辞典。動植物の種(しゅ)まで細かく記載され、定価28,000円でも格安に思える内容の充実度である。

語学における予習・復習とは 
 アジア・アフリカ語学院は不便な場所にあった。中央線の三鷹駅か吉祥寺駅からバスで約20分。京王線の仙川駅からはバスで約10分と少し近かったが、仙川駅は特急も急行も止まらず、行きにくさは同じだ。しかもバスは本数が少なく待ち時間が長い。当時、比較的交通の便のよい早稲田に住んでいた私でさえ往復2時間は優にかかった。 
 これもよかった。行きの電車とバスで前日までの復習が、帰りにはその日習ったことが復習できる。前日の復習から切れ目なく授業に移行すると、新しい知識や技術もスムーズに頭や体に入ってくる。同様に、授業の直後に別の環境で復習すると、頭の中が整理され、記憶にしっかりと定着されやすくなる。もし学校が自宅のそばなら、わざわざ前後に1時間ずつ復習時間を設ける必要があっただろうが、とてもそんな面倒くさいことはできない。通う時間があればこそ確保できた復習タイムなのだ。
 余談だが、語学に予習は必要ないと私は思っている。もし必要があるとすれば、それは日本式の「先生が原文を読んで生徒に当てて日本語に訳させる」という講読授業が存在するからだ。そうでないかぎり予習などいらない。毎回新鮮な驚きと興味をもって新しいことを習い、あとはいかにそれを心身に定着させるかである。「心身」とわざわざ言うのは、言語は脳だけでなく目、耳、口、手を駆使する身体的な技術体系だからだ。スポーツや料理、楽器の演奏などに近いものである。

3-1 タイ語練習ノート-2

タイ語学習ノート 
これはチェンマイへ行ってからのもの

「遠い」「高い」「融通がきかない」 
  さて、この学校へ通ううちに、私は世間での語学の学校や個人レッスンについての常識は間違っているんじゃないかと思うようになった。一般には「近い場所」「安い授業料」「フレキシブルな授業時間」がよいとされているようだが、逆ではないか。「近くない場所」「安くない授業料」「固定されて融通がきかない授業時間」こそがよいのではないか。
 場所についてはすでに述べたように、往復の交通時間が最良の復習タイムをもたらす。
 次に授業料。アジア・アフリカ語学院は営利目的の団体ではないので良心的な価格設定だったが、20回分まとめて払うのでそれなりの額になる。3〜4万円だったと思う。当然ながら途中で受講をやめても授業料を返してはもらえない。プラスして交通費がけっこうかかる。1日千円ぐらいだから、合計では1カ月で2万円ぐらいしたかもしれない。私は当時、家賃が1万2千円で、外食は一切せず自炊で、飲み会もめったに行かなかったから、1カ月の生活費が3万円程度だった。集中講座授業料は下手したら2カ月分の生活費に近かったかもしれない。
 語学レッスンはある程度の出費があった方がいい。授業料が高いと「頑張って元をとらないともったいない!」という気持ちになる。
 安いと「ま、いいか」となりがちで、最悪なのは無料や交換授業(こちらが日本語を教えて、相手からは外国語を教えてもらう)だ。タダなので緊張感ゼロであり、教える方も教わる方もマッハの速さでやる気を失う。タイに行ってからの話だが、私の月給は5千バーツ(約2万5千円)だったのに、そのうち3千バーツ(1万5千円)をタイ語のプライベートレッスンに使っていた。
 時間が固定で動かせないのも重要だ。先ほど書いたように言語の学習はスポーツトレーニングとほぼ同じなので、できるかぎり練習のリズムを作ることが大切だ。同じ日の同じ時間にレッスンを受け、一日の中でも同じ時間帯に復習した方が技術・知識の定着率が高くなる。フレキシブルというのはリズムを乱す原因になるし、仕事や家庭の事情で時間を変えることができて便利なように思えるが、多くの場合、語学の優先順位を下げているだけである。
 本気でその言語を勉強したいなら、それを最優先にすべきなのだ。家庭や仕事や彼氏・彼女より語学が大事。アジア・アフリカ語学院の集中講座の場合、毎日午後7時から授業が始まるから、そのためには6時には他の用事を切り上げねばならない。残業など仕事の延長は避け、子供の世話は誰か他の家族に頼むか何か方策を講じるかして、夜の付き合いも一切断らねばならない。本業や家庭生活に差し障りが出たり、家族や同僚などに「申し訳ないけどタイ語の勉強があるので」と謝りながらお願いしたりして肩身の狭い思いもするだろう。でもそれがまたいいのである。他の大事なことを犠牲にして言語に時間を費やしているのだから、なおのこと、真剣に取り組まざるをえなくなる。
 こんなことを言うと、「仕事やプライベートを犠牲になんかできないよ!」と言う人がいるだろう。もちろん、何年もこの状態を維持するのは不可能だ。でも短期間ならできるだろう。

語学はロケットスタート
 これも私の持論なのだが、語学はスタートダッシュがとても大切だ。自動車のエンジンもエアコンも運転開始にいちばんエネルギーを食うと聞く。語学も同様だ。まるっきり未知の言語体系を自分の心身に刷り込むには、初期の授業(レッスン)の頻度は多ければ多いほどいい。私自身はそれまで週一のレッスンしか受けたことがなかったが、それがレッスン代を支払える限界だったからだ。もし可能なら最低週に2回は受けた方がいいと、前からずっと思っていた。せっかく燃料に火がつきかけても、1週間も間が空いたら火が消えてしまう。消えないまでも勢いがつかず、とてももったいない。初期の段階ではどんどん燃料を投入してエンジンをフル回転させるべきだ。できれば3カ月ぐらい。難しければ最初の1カ月でいい。そうすれば、「ロケットスタート」が見込める。
 そう、アジア・アフリカ語学院の集中講座は、私が熱望していたロケットスタート講座なのだ。1カ月が終わる頃には基礎がかなりできてくる。多くの受講生はその後、現地に旅行へ行ったり、独学でその言語を学び続けたりする。現地に行けば、毎日が実践の場となるし、基礎がある程度できていれば独学でも上達が見込める。
 私はあまりにこの集中講座が気に入ってしまい、その後、中国語とアラビア語もここで習ったほどである。残念ながらアジア・アフリカ語学院にこの講座はもうない。もし今でもあれば、そして世界中の言語が習えるようなら、私は毎年のように通っていただろう。
 私はこの「理想の学校」を1カ月で終えたあと、2カ月近くは家で市販のタイ語テキストを使い、テープを聴いて発音練習をしたりタイ文字をくり返し書いて覚えたりしながら過ごした。これだけでは片言がほんの少し話せる程度だったが、助走としては十分である。いつも以上に完璧な準備ができたと大変満足していた。
 ところが出発の2、3日前になり、ハタと気づいた。
「俺、日本語を教える準備を何もしてないじゃん!」
 私には日本語教育の知識や技術はゼロだった。大学側からもそれは求められていなかったとはいえ、多少なりとも本や資料を読むとか経験者に話を聞くとかするべきではなかったか。タイ語に費やした労力の10分の1でもつぎ込むべきではなかったか。
「みんなの日本語」というテキストを使うと聞き、購入もしていたのにページを開いたことすらなかった。慌ててパラパラめくると「てフォーム」とか聞いたこともない文法用語がいくつもあって目が点になった。どうやら国語文法と外国人向けの日本語文法はまるでちがうらしい……。
 タイ語に夢中になっていて、本来の目的が頭からすっぽり抜け落ちていた。
 しかし、時すでにおそし。新天地タイへ向けて出発するしかなかったのである。

3-1 タイ語ことわざ

タイ語のことわざ
チェンマイ行きを控えた当時の私の気持ちを表すようなことわざを3つほど書いてみた。
1. ヌー・トック・タン・カーオサン(米びつに落ちたネズミ)→貧乏な男性が裕福な女性と運良く結婚できること。
2. カーオ・マイ・プラー・マン(新米と脂ののった魚)→新婚生活はいいものだ、という意味らしい(ちなみにタイでは新米を好む地域と古米を好む地域の両方がある)。
3. キー・チャーン・ジャップ・タックテーン(ゾウに乗ってバッタを捕まえる)→無理な野望を抱くこと。


高野秀行(たかのひでゆき)
ノンフィクション作家。1966年東京都生まれ。『幻獣ムベンベを追え』(集英社文庫)でデビュー。『ワセダ三畳青春記』(集英社文庫)で酒飲み書店員大賞を、『謎の独立国家ソマリランド』(集英社文庫)で講談社ノンフィクション賞と、梅棹忠夫・山と探検文学賞を受賞。
著書に『アヘン王国潜入記』(集英社文庫)、『移民の宴』(講談社文庫)、 『幻のアフリカ納豆を追え!』(新潮社)など多数。歴史家・清水克行との共著に『世界の辺境とハードボイルド室町時代』、『辺境の怪書、歴史の驚書、ハードボイルド読書合戦』(ともに集英社文庫)がある。

第2・第4金曜日 更新! 次回は6月11日(金)です。

前の話へ | 連載TOPへ 

更新のお知らせや弊社書籍に関する情報など、公式Twitterで発信しています✨️ よかったらフォローしてください(^^)

ありがとうございます\(^O^)/
集英社インターナショナルの公式noteです。硬軟とりまぜたオリジナル連載、新刊案内など更新予定です! https://www.shueisha-int.co.jp/