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高野秀行 | 第1章 コンゴ怪獣探査と言語ビッグバン【第2回】

第2回 新たな敵とリンガラ語

私の言語人生(なんてものがあればだが)を振り返ると、初期の段階で、節目節目に不思議な力が働いていたと思わざるをえない。コンゴへ行くためにはフランス語ができれば十分だったのに、途中から並行してリンガラ語を学習することになってしまったのだ。
 理由は、RPG的にいえば、「新たな敵の出現」だった。

ゴジラ現る
 私が探検部の仲間と一緒に、コンゴに棲むといわれる謎の怪獣モケーレ・ムベンベ探索の計画を立て、部内で「コンゴ隊」と呼ばれるようになっていた頃、全く偶然ながらテレビ番組制作のプランナーを名乗る人が独自にムベンベ探索の番組化をもくろんでいることを知った。その人の名は長井健司という。後年彼は紛争地帯を歩く映像ジャーナリストになり、2007年、ミャンマーで民主化運動を取材中に政府軍の兵士に撃たれて死亡した。
 だが、私が出会った頃の長井さんはそんな硬派な仕事をするような人には見えなかった。当時、30歳ぐらいだったが、「音楽が好きでアメリカの大学に留学してフォークソングを研究してたんですよ。帰国したら音楽業界に就職しようとしたんだけど全く仕事の口がなかった。だからしかたなくテレビ業界に入ったんです」と屈託なく笑っていた。
 見るからにいい人そうであったし、互いに「相手に先に行かれたくない」と強く思っていたから、共同で遠征隊を組むことで意見が一致した。若くて世間知らずの私はテレビクルーが同行することで「俺たちはヒーローになれるかも」などとちょっと浮かれていたほどだ。
 ところがその後、長井さんはわれわれの度肝を抜くような行動に出た。「ちょっと下見に行く」と言って、フランスへ飛び、パリのコンゴ大使館で観光ビザを取得すると、コンゴまで行ってしまった。それどころかコンゴ国内を素早く移動し、怪獣がいると言われる湖から最も近い村までたどり着いてしまったのだ。
 彼はフランス語こそできなかったが、アメリカの大学へ通っていたから英語は堪能だったし、テレビ番組のリサーチで世界中を飛び回っていた。その程度はお手の物だったのだ。
 それだけではない。帰国した長井さんにフランス語の対応策を訊ねたら、「コンゴ政府への許可の申請はフランス語のできるコーディネーターに頼むし、本番では現地へフランス語の通訳も連れて行くから何も問題ないですね」とにこやかに言われた。
 コンゴの現地へ容易(たやす)く到達してしまう資金力と能力、さらにコーディネーターに通訳…… 衝撃だった。ゴジラの襲来を見る思いとでもいおうか。私たちがコツコツ積み上げてきたものを一瞬で破壊してしまうのだ。プロのテレビ制作者というのは私たち学生とは全くレベルがちがうことを思い知らされた。
 もしこれが登山やロッククライミング、ケイビング(洞窟潜り)あるいはラフティング(激流下り)などの技術を必要とするような場所なら私たちにも多少のアドバンテージがあっただろうが、残念ながら現地は平坦な熱帯ジャングルである。そして熱帯ジャングルの経験など私たちにもない。だいたい、長井さんたちはジャングルの経験豊富なディレクターやカメラマンをちゃんと用意するだろう……。
 「俺たちは引き立て役か雑用係に転落してしまうんじゃないか」と本気で心配になった。
 この強大な敵に対抗するにはどうしたらいいか、私が考えた末に思いついたのが「リンガラ語学習」なのだった。


幻のコンゴ人を探せ!
 リンガラ語は流域面積がアマゾン川に次いで世界第2位の大河コンゴ川(1980年代当時は「ザイール川」と呼ばれることが多かった)流域の共通語である。14世紀から19世紀までは河口周辺を中心にコンゴ王国やロアンゴ王国といった古王国が栄えたが、ヨーロッパ人による植民地化の過程で2つの国に分割されてしまった。1つは旧フランス領のコンゴ人民共和国(現コンゴ共和国)。もう1つは旧ベルギー領のザイール共和国(現コンゴ民主共和国)。本連載では当時の国名を使って前者を「コンゴ」、後者を「ザイール」と呼ぶことにする。
 ムベンベが棲むという湖があるのはコンゴの方でコンゴ川本流の西岸に位置し、ザイールは川の東岸にある。当時のコンゴは人口約200万の小国で社会主義国だったが、ザイールは人口約3000万の地域大国であり資本主義世界に属していた。
 国家としては対照的ながら、コンゴとザイールは自然環境・民族はひじょうに似通っており、言語状況もそっくりだった。旧フランス領のコンゴの公用語はもちろんフランス語であり、ベルギーの公用語がフランス語だったからザイールもそうである。コンゴは50以上、ザイールにいたっては200以上もの小さな民族からなっている。この「民族」はイコール「言語グループ」である。例えば「テケ」という民族が話すのは「テケ語」といった具合だ。それぞれの言語はフランス語とイタリア語、スペイン語のように微妙に隔たっておりコミュニケーションをとるのが難しいから、いつの時代かよくわからないがコンゴ川中流域の人たちが交易のために意思疎通ができる共通語を編み出した。この言語はやがてコンゴ・ザイール全土に広まった。それがリンガラ語である。アフリカでもベスト5に入るメジャー言語と聞いていた。
 このリンガラ語を少しでも話せれば、地元の人たちと仲良くできるんではないかと私は単純に考えた。強大な敵への対抗策にしてはずいぶんささやかである。手軽に行ける国内の西表島でジャングル生活術を訓練した方がよさそうにも思える。なぜ当時の私はこれを選んだのか。
 フランス語で言語の面白さに目覚めていたこともあるし、探検部の先輩たちが「民族調査」と称して海外の辺境地へ行くとき、その民族の母語を学んでいたということもある。
 例えばチベットへ行く先輩は事前に中国語だけでなくチベット語を、タイの少数民族であるラフ族を調査に行く先輩は現地でタイ語とラフ語を習っていた。先輩曰く「現地の人の信頼を得るにはその人たちの母語を話すべきだ」とのことだった。コンゴの人たちにとってリンガラ語は母語ではないにしても「現地の言葉」である。
 だが、それ以上に私をリンガラ語学習に向かわせたものは「先生も教材も何もない」という状況だった。日本においては「未知の言語」に近い。「探検=未知の探索」と考える私にとって、この状況がすでに「探検的」であり、ワクワクしてしまったのだ。私はときどき主目的を外れて「探検的」なものに飛びつく傾向がある。
 コンゴは小国だから当時日本に大使館はなく問い合わせ先もない。フィールドワークを行っている研究者もいない。「幻の怪獣ムベンベを探す前に幻のコンゴ人を探せ!」と、私と仲間たちは東京を走り回った。「(世田谷区の)池尻の定食屋でコンゴ人がバイトしているというのをテレビで見た」という未確認情報を入手し、夜の池尻を手分けして片っ端から探したこともあった。このときケニヤ人の学生が見つかったのだが、「(東アフリカの共通語である)スワヒリ語はわかるけどリンガラ語はわからない」とのことで断念した。
 その後、コンゴ隊のあるメンバーがチベット文化研究所の講座か何かに顔を出したとき、ウィリーというザイール人の若者と知り合いになったと報告してきた。「彼もリンガラ語ができるらしいよ」とのことだ。ちなみにウィリーはチベットには1ミリも興味がなく、ただ当時付き合っていた日本人の彼女がチベット好きなだけだったという。
 ザイール人! これには驚いた。というか参った。リンガラ語はコンゴとザイールの共通語だって他の部員にもさんざん説明していたのに「ザイール人」は完全に私の頭から抜け落ちていた。大国ザイールは日本にもちゃんと大使館があるのだからそこに問い合わせればよかった。何しろウィリーは大使館員の息子だった……。
 自分の不手際に衝撃を受けたものの、リンガラ語話者が見つかったのは嬉しい。すぐにウィリーに連絡し、探検部の部室で会った。

リンガラ語には文字がない
 ウィリーは明るく気さくな若者だった。
「日本は大好きだ」とウィリーは言った。「みんな、マイケルに似てるって言ってくれる」  
 当時は東京でも黒人などめったに見かけなかったし、マイケル・ジャクソンがブームを起こしているときだった。おしゃれでハンサムなウィリーはどこへ行っても大人気だったらしい。
 彼は今、日本で英会話学校へ通っているとのことで、私と似たり寄ったりの簡単な英語を話してくれるのもよかった。「早く英語が上手になりたい。将来は“アメリカの黒人(ブラック)”として日本で歌手デビューするんだ」と謎の夢を語っていたが、将来はともかく今は仕事もしていないので時間に余裕もある。
「リンガラ語を教えるのはオーケーだよ。でも問題なのはリンガラ語には文字がないことだ」と彼は言った。一般には知られていないことだが、世界で6000ぐらいあると言われる言語のうち文字をもつのは少数派だ。当時の私もそんなことは知らなかったので、「文字がない言語」に正直驚いてしまった。
「じゃあ、手紙を書くときはどうするの?」と訊くと「フランス語で書く」と言う。「フランス語がわからない人が家で家族に何かメッセージを残すときは?」と重ねて訊いたら、「そんな習慣はない」と言われてしまった。
 しばし、私たちは考え込んだが、ウィリーが「いいアイデアがある! アルファベット(ローマ字)で書けるかもしれない」と言い出した。彼によれば、スワヒリ語も今アルファベットで表記されており、ケニヤやタンザニアでスワヒリ語の新聞や本が出版されているという。
「スワヒリ語と発音が近いからリンガラ語も同じようにできるんじゃないか」と言うのである。
 ためしにホワイトボードにウィリーがアルファベットを書いた。MBOTE/OYO NINI?/NA LINGI YO……」
 ムボテ、オヨ・ニニ、ナ・リンギ・ヨ……と意味もわからずローマ字読みをしたら、「オーケー! グレイト!」とウィリーが叫んだ。「だいたいわかるよ!」
 おお、やった!! と私たちはみんなでコンゴへ行ってムベンベを発見したかのように喜んだ。ちなみに上の3つのリンガラ語の文はそれぞれ「こんにちは」「これ、何?」「アイ・ラブ・ユー」である。
 誠にラッキーなことにリンガラ語は子音も母音も日本語によく似ており、ローマ字で見事に書き表せてしまうのだ。母音も日本語のアイウエオと同じだとウィリーが言うのでそのまま信じていた。何年も経ってから、「リンガラ語ーフランス語/フランス語ーリンガラ語」の辞書を初めて入手したとき、日本語の「エ」と「オ」に近い音が2種類ずつあり、母音が実際には7つあると知ったのだった。実際にはその2種類ずつのエとオの区別をつけなくても相手には通じたし、私たちが行う程度の簡単な会話の支障にはならなかったので長らく気づかなかった。

リンガラ語辞書

▲写真はコンゴ遠征の後で発見し購入した「リンガラ語ーフランス語/フランス語ーリンガラ語」の辞書。どこで見つけたのか全く憶えていない。ザイールのキンシャサかコンゴのブラザヴィルだと思うのだが(私は学生時代、通算で4回コンゴ・ザイールを訪れている)。

ともかくリンガラ語の文字化に成功したので、これでレッスンができるようになった。週に1回ぐらい、1時間3000円とフランス語のシルヴィ先生と同じ授業料でウィリーに部室へ来てもらい、コンゴ隊のメンバーが集まって授業を受けた。初めて出合うアフリカの言語とはどんなものか興味津々である。
 ウィリーは日本人的に言えば「言語の天才」だった。もともとザイール東部の出身で母語はスワヒリ語だが、リンガラ語とフランス語をパーフェクトに話すことができた。英語も急速に上達していたし、日本語も片言ぐらいは知っていた(言語を3つ4つ話すという人はアフリカでは珍しくないと後になって知るが)。
 だからフランス語と英語しか知らないシルヴィ先生よりはるかに言語に対して鋭敏だったし、フランス語は学校の授業で、英語は日本の英会話学校で習っていたので、言語の教え方もよく心得ていた。
「名前は何ですか」「私の名前は××です」とか「どこから来ましたか?」「日本から来ました」というような基本的な会話文をつくり、それについて文法的に手際よく説明してくれるのだ。

「リンガラ語は簡単だよ」
 密林の彼方から昇る朝日のように、次第にリンガラ語の全貌が明らかになっていった。
 語順は主語+動詞+目的語と英語やフランス語と同じ。人称(私・あなた・彼など)で動詞が変化することや、動詞には不定形(原形)・過去形・現在形・未来形・命令形などがあることもフランス語に似ており、しかもはるかにシンプルであるから(動詞の不規則活用がほとんどなく、名詞に男性・女性の区別もない)、特に私にとっては理解しやすかった。
「リンガラ語は簡単だよ」とウィリー先生は何度もくり返した。実際に発音(母音と子音)や文法からは“未知の言語”という気がしなかった。
 後に知ったことだが、リンガラ語はバントゥー諸語と呼ばれる巨大な言語グループに属している。アフリカの赤道付近から南はバントゥー諸語の話者が人口のマジョリティを占める。正確な統計はないようだが、2010年代ではバントゥー諸語は3億人以上の人が話しているというデータもある。
 バントゥー諸語の特徴は名詞に「クラス」というものがあり、そのクラスによって形容詞や動詞が変化していくことだろう。これはなかなか難しい。ところがリンガラ語のクラスはひじょうに簡略化されており、大して気にする必要がなかった。
 コンゴ川流域には多くのバントゥー諸語の言語が分布している。前にも述べたが、お互いそれでは意思が通じないので、川沿いに共通語がつくられていった。なぜ川沿いかというと、熱帯雨林のコンゴ盆地では昔から川が街道であり、商売や移動は川を通して行われていたからだ。
 もともと共通語としてつくられたものだから、難しくなりようがない。でも東アフリカの共通語であるスワヒリ語と比べても文法が著しくシンプルだ。学習者にとってこれ以上ありがたいことはない。
 いっぽう、リンガラ語を学ぶことによって「これがアフリカなんだ!」と感激した。
 この言語でいちばん面白かったのはリズムだ。「ン」や「ム」で始まる単語がひじょうに多い。「私」は“ンガイ”だし、「家」は“ンダコ”だ。こういう単語が連なって文をつくるわけだ。
 例えば「僕のうちにおいでよ」と言うには“ヤーカ・ナ・ンダコ・ナ・ンガイ”となり、ふつうにしゃべるだけで歌を歌っているようである。
 このンやムで始まる単語の多用はバントゥー諸語の特徴だ。そして、この言語グループの民族はリズミカルな音楽をことのほか得意とする。普通に会話をしているだけで、ンタタ・ンタタ・ンタタ……と音楽で言うところの裏打ち(裏拍)のリズムを刻んでしまうのだから、彼らの並外れた音楽センスは言語に由来していると思えてならない。
 最近イギリスのBBCニュースが報じたところでは、アメリカの遺伝子調査会社がアメリカとアフリカで大規模な遺伝子調査を行った結果、アフリカ系アメリカ人の大半がコンゴ民主共和国(旧ザイール)とその隣のアンゴラに由来するということがわかったという(https://www.bbc.com/news/world-africa-53527405)。もしそうだとすれば、リンガラ語のもとになった〈コンゴ〉のバントゥー諸語のリズムが奴隷交易を通してアメリカに渡り、ジャズやロック、ヒップホップなど現在世界を席巻しているポップ・ミュージックを生み出す土壌となったのかもしれない。
 私はリンガラ語を学習することでアフリカを「体感」していた。それまで本で読み、写真や映像でも見ていたアフリカだが、いつもはるか彼方の存在でしかなかった。それがリンガラ語で会話の練習をしたりしているとアフリカが自分の体のなかに入ってくるような感じがした。フランス語でいくらアフリカの話をしても、絶対にこんな感覚は得られない。
 言語は体で感じるものだと初めて知ったのだった。

敵が残してくれたもの
 ウィリーによる授業は全部で10回もなかったと思う。半年もしないうちに自然消滅していた。彼はいい先生だったが、モデルの仕事やイベントのゲストに引っ張りだこだった。お金にも困っていないし、1回3000円のためにわざわざ早稲田に来るのも面倒くさかったことだろう。
 私たちの方もメンバーが全部で10人もおり、予定を合わせるのが難しかった。
 だが、われわれのモチベーションが下がった最大の原因は別にある。
「最終的に番組の企画が通りませんでした」と長井さんから連絡があったのだ。プロデューサーは乗り気だったが、「どんな絵(映像)が撮れるかわからないし、リスキーだ」とテレビ局の上の人たちがGOサインを出さなかったという。
「探検部のみなさんは頑張ってくださいね」と長井さんは言い、私たちの前から姿を消した。
 なんと、「強大な敵」は自ら去って行ってしまったのだ。突然東京湾に現れたゴジラが人々を緊迫させるだけさせておいて手近のビルを2つ3つ壊したら大人しく海に帰ってしまったようなもので、私はホッとすると同時に拍子抜けした。
「いったい何だったんだよ……」という感じである。
 全く奇妙な成り行きだった。長井さんたちが出現しなかったら私はリンガラ語を学ぼうとしなかっただろうし、もしかしたらこんな言語好きにならなかったかもしれない。彼らは私にリンガラ語を学習させるために言語の神が遣わした使徒だったのかも……なんてことは全然思わないが、結果的に私の「言語人生」に与えた影響は大きい。
 リンガラ語を事前にある程度学習していたことで、現地に行ったとき、私に「言語ビッグバン」が起きたからである。

高野秀行(たかのひでゆき)
ノンフィクション作家。1966年東京都生まれ。
『幻獣ムベンベを追え』(集英社文庫)でデビュー。『ワセダ三畳青春記』(集英社文庫)で酒飲み書店員大賞を、『謎の独立国家ソマリランド』(集英社文庫)で講談社ノンフィクション賞と、梅棹忠夫・山と探検文学賞を受賞。
著書に『アヘン王国潜入記』(集英社文庫)、『移民の宴』(講談社文庫)、 『幻のアフリカ納豆を追え!』(新潮社)など多数。
歴史家・清水克行との共著に『世界の辺境とハードボイルド室町時代』、『辺境の怪書、歴史の驚書、ハードボイルド読書合戦』(ともに集英社文庫)がある。

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「誰も行かないところに行き、誰もやらないことをやり、それをおもしろおかしく書く」をモットーにしているノンフィクション作家、高野秀行さん。辺境の地では、テキストはもちろん辞書もないような言語が話されている。アフリカのリンガラ語、ボミタバ語、ミャンマーのワ語……。 それらの言語を高野さんは習い、現地で操り、人々の懐に入り込む。なぜそんなことができるのか。 その謎に答えるのが本連載。学んだ言語は20以上、言語オタクを自認する高野さんが、自らの言語体験をたどる。フランス語やスペイン語、中国語など、メジャーな言語の独特すぎる学習方法も登場します。 なお、高野さんの言語人生を振り返りますので、一部が既刊の本の内容と重なる場合がありますが、ご了承ください。

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