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アフリカ篇(7) 初体験の民族語はボミタバ語

  今回はいよいよムベンベ探索へ出発。英語、フランス語、リンガラ語を駆使し、大活躍の高野さんが味わった絶頂と失望とは。

 前にも述べたように、〈コンゴ〉を含め、多くのアフリカ諸国の人たちの言語観は3階建ての建物のような階層をなしている。すなわち最上階には高級デパートのような英語、フランス語、ポルトガル語などヨーロッパの言語の世界が君臨し、2階には中央市場のような地域の共通語の世界が広がり、そして1階には小さな屋台みたいな民族(部族)の言語がひしめいている。
 コンゴの場合は、最上階がフランス語。これは役所や学校、テレビのニュースなど公的な場面で主に使われている。市場やコンゴ川を行き来する船、長距離バスの中ではもっぱらリンガラ語である。だが、村ではふつう、民族の言語(以下、民族語)が話されている。
 私が最初に出会った民族語は、ムベンベが棲むとされるテレ湖があるエペナ地区で話されているボミタバ語だった。くり返しになるが、「民族=言語集団」なので、ボミタバ語の話者はボミタバ族の人たちである。

言語三層構造02

      コンゴ人の言語観(言語世界)のイメージ図
 コンゴ南部ではコンゴ語もしくはその別バージョンであるムヌクトゥバ語が共通語になっており、その場合は2階部分でコンゴ語(ムヌクトゥバ語)がリンガラ語にとって替わったり、あるいはリンガラ語と同居したりする。
 また、地方によってはリンガラ語の下に別の小さな共通語が話されていることも多く、その場合はこの構造は4階建てや5階建てになる。

言語学者による調査の謎 
 今回この原稿を書くにあたり、ボミタバ語の研究論文を検索したがヒットしたのはたった1本だった。ウィリアム・L・ガードナー著「コンゴ北部のエペナ地区における言語使用」というタイトルで、発表は2006年だが、実際に調査を行ったのは1987〜88年。なんとちょうど私たちがコンゴにいた頃だ。だからこの論文の概要を引用すれば、当時のコンゴ及びボミタバ語の状況がかなり説明できるはずである。この論文はSILインターナショナルというキリスト教系の少数言語の研究団体から発表されている。
 それによれば、コンゴは人口約190万人(1984年調べ)。言語の数は57とされている。人口に比していかに言語が多いかわかる。ボミタバ語はそのうちの一つで、話者の数は「6895人」。実にマイナーなローカル言語である。
 ガードナー氏はどうやらキリスト教系団体から派遣された言語学者らしい。調査の目的は「ボミタバの人々に識字教育を行うにはどの言語がいいのか」というもので、キリスト教の普及・啓蒙活動の一環だったようだ。そして、調査の結果、「ボミタバの人々はフランス語もリンガラ語もさほど理解しないのでボミタバ語で識字教育を行うべき」と結論づけている。
 ガードナー氏は一体どういう調査を行ったのだろうか? 当時の言語状況を説明できるはずと言ったが、この見解には大いに首をひねってしまう。というのは私が出会ったボミタバの人たちは前回述べた通り、ごく一部のお年寄りを除いて、みんな、リンガラ語が達者だったからだ。 
 最初、後輩の向井と二人でエペナ地区、特にテレ湖に最も近いボア村に行ったとき、私はボア村の人たちがどんな言葉を話しているのかよくわからなかった。まだそのときはコンゴにそれほど多くのローカル言語があることを今一つ認識していなかったし、ボア村の人たちが私たちの前ではもっぱらリンガラ語を喋っていたからだ。また、当時の私はリンガラ語力が低すぎて、村の人たちの会話を聞いてもどれがリンガラ語でどれがボミタバ語か区別がつかなかったこともある。

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巨大丸木舟でボア村へ

 ボミタバ語を初めてはっきり認識したのは、大規模な遠征隊を組んで2回目に訪れたときだった。テレ湖へ行く許可を求めるため、村の伝統的首長の前で会議が行われた。
 首長は腰に布を巻いただけで上半身は裸、額と胸にも朱のペインティングを施していた。彼は一種の「王様」であり、この場では他の者と直接言葉を交わしてはいけないという。首長は一人だけボミタバ語を話し、それを長老の一人が槍を振り回しながらリンガラ語に「通訳」した。会議全体はリンガラ語で行われていたのだ。出席した男たち(参加できるのは成人男子のみ)は全員、リンガラ語で代わる代わる演説をぶっていた。女性は会議に出ていなかったけれど、なにしろ狭い村の中である。会議の合間に私たちは村をぶらぶらしては、キャッサバを磨り潰したり魚を煮込んだりしている女性たちとも簡単なリンガラ語で会話を交わしていた。
 会議は多分に儀礼的なもので、実際の交渉はとある家の軒下でリンガラ語とフランス語のまじったひそひそ話で行われた。すなわち「カネはいくら出すのか」ということである。

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首長(左)と槍を振り回す通訳

極めて複雑な言語状況
 すったもんだの末、首長及び村の許可が下りると、私たちは大量の食料と物資をポーターに運んでもらい、3日間ジャングルを歩いてテレ湖に到着した。
 私たちは「日本コンゴ合同探検隊」の体裁をとっていた。日本人メンバー11名に加え、コンゴの森林省に所属する役人が3名参加していた。さらに、数名の村人がガイドとして私たちと一緒に湖に残った(彼らは途中で何度か入れ替わった)。
 湖には1カ月ほど滞在した。私たちの探索活動の内容はお世辞にもレベルが高いとは言えなかったが、言語状況は極めて高度──というより複雑だった。
 まず、私たち日本人メンバーは当然、日本語で話をする。
 コンゴの役人メンバーは自分たち同士ではフランス語しか使わないが、ボアの村人と話すときはリンガラ語である。
 私たち日本人が役人メンバーとコミュニケーションをとるときは、多くの場合、私がフランス語で通訳した。
 ただし、役人メンバーのうち、リーダーである動物学者の博士だけは英語も話せた。また、日本人メンバーの中にも英語がわりと得意な者が2、3名いたので、博士は彼らがいるときは英語を使っていた。もちろん私もそのときは英語に切り替える。
 そして、ボアの人たちは自分たちだけで話をするときはボミタバ語である。博士ともう1人の役人はこの地域から1000キロも離れた首都ブラザヴィル周辺の出身なので「全くわからない」と言うのも無理ないのだが、すぐ近くの町から参加している若い役人も「よくわからない」と苦笑していた。
 だから、村の人たちがボミタバ語に切り替えると、とたんに他の誰も話の内容が理解できなくなる。村人たちがボミタバ語で何か笑っているとき、私たちや役人メンバーの悪口を言っているのかもしれないが、それすらわからない。つまり、たやすく“内輪グループ”が形成されるのだ。この内輪グループこそ民族であり、そこへ入るためのパスワードは言語である。これを見て「あー、民族と言語集団はほぼ同じだと言われるのはこういうことか」と思ったものだ。

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村での出発準備

非母国語を3種類話す権力者兼雑用係
 さて、この複雑極まりない言語生活で誰がいちばん活躍するかといえば、当然私である。
 博士とはフランス語と英語、役人メンバー2人とはフランス語、村人とはリンガラ語(たまにフランス語を理解する人がいたらフランス語)である。私以外の日本人メンバーも頑張ってリンガラ語を話して村人と仲良くなっていたが、少しでも込み入った用事があるときはやはり私が通訳する必要があった。コンゴ人は役人・村人を問わず、日本人側に何か言いたいことがあれば私に話しかけるし、日本人側も同様だから、まさに私が隊の要(かなめ)にしてハブである。
 もともと隊のリーダーは私であるうえ、私がいないとコミュニケーション自体が成立しないのだ。自分がこれほど必要とされていると感じたことは今までの人生になかった。わざわざ他の日本人メンバーと相談すると時間がかかってしかたないから(なにしろ10人もいるのだ)、私の一存でコンゴ人グループと今後の予定や問題の解決法を決めてしまうこともしばしばだ。なんでも自分の思い通りに動くように錯覚し、「これが権力の蜜の味か!」なんて思ったりした。
 毎日現場で使っているのでフランス語もリンガラ語もどんどん上達する感触があった。
 しかし、これがまた罠だった。私にエネルギーが十分あればいいのだが、いかんせん、トラブルが多すぎる。日本人学生、コンゴの役人、ガイドの村人という、まるっきり興味も目的も文化も異なるグループが3つ、文明から隔絶されたジャングルで生活しているわけだから、問題が次から次へと起きるのだ。
 例えば……。
・日本人メンバーがゴミ捨て場やトイレを作ればコンゴ人たちが「汚い!」と言って怒る(彼らの文化では「汚いものを一カ所に集めたらもっと汚くなる」という考えなのだった)。
・コンゴの役人メンバーの誰かが食器洗い場に指定した水辺で勝手に体長50センチくらいのワニを飼っていて、日本人メンバーが手を嚙まれそうになった。
・村人が日本人メンバーの煙草を勝手に吸っている。
・食事の分配が不公平だという不満が出た。
 など。
 加えて、やれサソリが出た、やれ毒ヘビが出た、ツェツェバエが多すぎる、マラリアになった、キャンプ自体が水没しはじめた……。
 その度に「おい、タカノ!」と声がかかるのだ。忙しいったらない。同時に非母語を3種類話すのはひじょうに骨が折れる。しかも一生懸命問題解決のために尽くしているのに、各方面から「冗談じゃない」とか「俺たちは認めない」とか「勝手に決めるな」などと言われる。
 こうなると権力者どころか天下の雑用係である。

言語の数だけ落ち込んで
 疲れてくると集中力が落ち、話す力もリスニングの力もガクンと低下する。3言語を使っているというのは、コンピューターでいえばメモリをやたら食う翻訳アプリを3種類同時に起動しっぱなしにしているみたいなものだ。どのアプリも動きが鈍く、しかもバッテリーの減りは早い。すると、アプリの動きはますます鈍化する。
 脳内バッテリーがへたってくると、リンガラ語とフランス語が頭の中でもつれて、どちらも出てこなくなる。そのうち、英語までおかしくなる。
 湖滞在が3週間目に入ると、明らかに私の言語能力はどんどん下がっていった。
 この状態に陥ると精神的にひじょうにきつい。
 普通の人は「あー、英語がわからない」とか「フランス語が全然上達しない」などと悩み、落ち込むが、複数言語を使う人間は複数分悩み、落ち込むのだ。すなわち、「俺はフランス語がダメだな」とか「リンガラ語はもっとダメだな」とか「1つでも難しいのに2つも3つもやろうとするから中途半端になるんだよ……」などと思ってしまう。
 自分が思うだけでなく人から直接言われることもあった。
 ボロボロのシャツを着て、いつも槍を手放さないのだが、なぜかフランス語がかなりできる村人に「タカノ、おまえはいい奴だが、フランス語が下手だよな……」と笑われたのはショックだった。「あんたに言われたくないよ!」と思ったが、事実なのでしかたない。
 村の人が話すリンガラ語がよくわからず何度も聞きかえしていたら、他の村人が遮って「こいつ(私のこと)はリンガラ語がわからないから何を言っても無駄だ」と言っていたこともあった。なぜか、そういう言葉はよく聞き取れてしまい、心底悲しくなったものだ。
 なめられるし、苦労の多いわりには得るものが少ない。複数言語の学習・使用はいいことがあまりないと落ち込んでいたのに、テレ湖滞在後半に入ると、私はボミタバ語学習を始めてしまった。
 理由は“極度の飢えとアイデンティティ・クライシス”にあった。

高野秀行(たかのひでゆき)
ノンフィクション作家。1966年東京都生まれ。
『幻獣ムベンベを追え』(集英社文庫)でデビュー。『ワセダ三畳青春記』(集英社文庫)で酒飲み書店員大賞を、『謎の独立国家ソマリランド』(集英社文庫)で講談社ノンフィクション賞と、梅棹忠夫・山と探検文学賞を受賞。
著書に『アヘン王国潜入記』(集英社文庫)、『移民の宴』(講談社文庫)、 『幻のアフリカ納豆を追え!』(新潮社)など多数。
歴史家・清水克行との共著に『世界の辺境とハードボイルド室町時代』、『辺境の怪書、歴史の驚書、ハードボイルド読書合戦』(ともに集英社文庫)がある。

第2・第4金曜日 更新! 次回は1月22日(金)です。

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