ヨーロッパ・南米篇(3)コロンビア、魔術的リアリズムの旅
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ヨーロッパ・南米篇(3)コロンビア、魔術的リアリズムの旅

 パロマ先生に習ったスペイン語を携えて高野さんが向かったのは、治安の悪い、南米コロンビア。未来が見えるという幻覚剤を求める道中、高野さんが身をもって経験したのは、ラテンアメリカ文学の世界でした。

 私はスペイン語圏を旅したことが5回ある。最初は南米のコロンビア、次が同じくペルーとボリビア、そしてスペインにも2回行き、最後は2017年で、ペルーを再び訪れた。
 中でも圧倒的に印象深いのは、スペイン語を習い始めて半年ほど経った1990年に訪れたコロンビアだ。今振り返っても、35年近い辺境旅人生の中で──あくまで単発の旅としては──最高に楽しく面白かった。

MAP2-3コロンビア

           コロンビアの地図と旅のルート
 コロンビアの首都ボゴタまではアメリカ経由のフライト。ボゴタからはバスでアマゾン川支流のカケタ川まで出てから乗り合いの船で川を下り、さらに乗り合いトラックで同じくアマゾン川支流のプトゥマヨ川沿いの町に出た。そこで地元の漁師を雇い、ボートで往復1週間かけて先住民であるセコヤ族の村を訪れた。

スペイン語話者はスペイン語にこだわりがない
 その理由の一つは「解放感」。スペイン語が上達すればするほど「彼女」との距離が離れていくような日本の生活が辛かったし(このときはまだ一応、ロマンス諸語的な関係にあった)、探検部の活動とも仕事とも関係なく海外を旅するのは言語ビッグバンが起きてからは初めてだった。自由気ままなのである。
 もう一つはスペイン語だった。「スペインのスペイン語と南米のスペイン語はちょっとちがう」とパロマ先生に聞いていたから警戒していたのだが、実際にはコロンビアのスペイン語は先生のスペイン語と大差なかった。後の経験を加えてみても、どうやらスペイン語は世界中で話されているわりに方言差が少ないようだ。
 南米のスペイン語はむしろ「平安京言語」の度合いが上がっていた。本国のスペインでは英語のthのように上下の歯で舌を挟む音(θ)がある。例えば、私にとって最重要単語の一つcerbeza(ビール)は最初のcと最後のzが舌を挟む音のため口の中が慌ただしい。でも南米ではこの音を普通のsの音で済ませてしまう。だから喉が渇いたら食堂かバルに入って、「ウナ・セルベッサ・ポルファヴォール(ビール一本ください)」とこのカタカナの通りに言えば、かなり正確な発音となり、冷えたビールにありつける。ちなみに、スペインでもこの発音で十分通じる。スペイン人も南米を含むラテンアメリカ風の発音に慣れているからだ。
 しかしなんと言っても、コロンビアでよかったのは「言語内序列」がないことだった。コロンビア人は私がスペイン語を話すことをごく当たり前に受け止めていた。だから「あ、スペイン語が話せるんだね!」と驚いたり喜んだりしない。その代わり、私との会話がスムーズにいかなくても「こいつ、何言ってるんだ?」とか「スペイン語が話せないのか」といった顔をしない。話が通じないときは困った顔をするが、それは純粋に困惑しているだけで、こちらを見下しているわけではない。
 面白いことに、これはペルーでもボリビアでも、そして本場スペインでさえそうである。スペイン語話者は自分たちの言語について驚くほどこだわりがない。これは私の独断ではないらしく、うちの妻もそう言っている。彼女は旅好きで、一人でインドや東南アジアや北アフリカをよく旅行しているが、ペルーに行ったときだけ2カ月ほどスペイン語を独習して現地で使っていた。語学に無関心な彼女が旅先の言語を勉強したのはこれが唯一で、しかも現地では十分に用が足りたという。それだけでも平安京言語の素晴らしさがわかるが、やはりペルー人が彼女のスペイン語会話に何の反応もしなかったことにびっくりしていた。
 英語ネイティヴは相手が英語を話して喜ぶことはないが、理解しないときには苛つく人が多い。英語は世界普遍の言語だと思っているからだ。フランス語ネイティヴはフランス語に強い誇りをもっていて、外国人がフランス語を話すこと(話せないこと)に多少なりとも喜んだり苛ついたりする。
 リンガラ語、タイ語、ビルマ語、ソマリ語、アラビア語、日本語など、非メジャー言語の話者は外国人がそれを話すと喜び、話せるのかと思っていたら意外と話せなかったとわかると「なんだ」という顔をする。また、前にもしつこく書いたように、言語が下手な外国人を子供扱いしがちだ。
 私の経験ではほとんど唯一の例外がこのスペイン語(とたぶんポルトガル語)だろう。

コロンビア人の言語観は巨大スーパーマーケット
 コロンビアへ行ったとき思ったのは「この人たちには母国語とか外国語なんて概念がないんじゃないか」ということだった。
 私が旅した当時のコロンビアの人種構成は『ラテン・アメリカを知る事典』(1987年)によれば、白人20%、黒人4%、混血75%、先住民1%である。そのうち先住民以外の99%は母語がスペイン語だと推測される。つまり圧倒的多数がスペイン語のみで生活していることになる。
〈コンゴ〉の言語観が3階建てだと前に書いたが、その比喩に合わせれば、コロンビア人の言語観はコストコやカルフールみたいな平屋の巨大スーパーマーケットだ。どこまで行ってもスペイン語しかない世界である。実は鮮魚コーナーや果物売り場などには民族語を話す先住民の小さいブースが出ているが、大半の人はそれを意識していない。そういうブースでもスペイン語がふつうに通じるからだ。コロンビア人の大半は一生を通じてスペイン語しか見聞きする機会がなく、大富豪からその日暮らしの人々に至るまで国内のどこでも誰とでもスペイン語で話をする。

イラスト2-3コロンビア

              コロンビア人の言語観
 コロンビア人にとっては「言語=スペイン語」。コストコやカルフールみたいな超大型スーパーのように、2階も地下もなく、どこまで行ってもスペイン語。実は先住民が話す民族語の小さな売り場もあるのだが、ほとんどの人からは無視されている。「英語」という言語の存在は知られているが、話す人が極端に少ないため、どこか遠い場所にあるという感じ(以上は1990年当時。今はもっと英語を話す人が増えていて、彼らの言語観も多少変化しているかもしれない)。

 いっぽう、コロンビアには「外国人」も大勢暮らしているが、その多くはベネズエラ人やペルー人といった南米人で、彼らも当然スペイン語を話す。そしてコロンビアにビジネスで来ている外国人もたいていはスペイン語ができるし、私たち夫婦のような外国人ツーリストですらスペイン語を片言なりとも話せる人が多い。
 コロンビア人にとって「世界=スペイン語」となるのも無理はない。しかし、コロンビア人はアメリカ人の話す英語というものがあり、そちらが世界の特権階級言語だということもなんとなく知っている。決してスペイン語は優等言語でないとわかっている。だから、できない人を見下したりしないのではないか。
 さらに興味深いことにコロンビア人は(他の南米人、それにスペイン人もそうだが)、言語だけでなく人間に対しても極めてフラットだ。私のような明らかによそ者とわかる相手に対しても距離をとるでもなく、上から目線や憧れの目線になるわけでもなく、まるっきり同じ国の人間であるかのように接する。あくまで私の経験だが、スペイン語圏以外でこういう人の集団に会ったことがない。
 南米人は母国語/外国語の区別がないばかりか、それに伴う母国人/外国人の区別をも、もたないらしいのだ。
 コンゴで多言語が渦巻く環境に興奮し、「現地語を話してウケる喜び」を知った私だったが、コロンビアでは「現地語を話してスベらない安心感」に浸った。私が覚束ないスペイン語を話しても、明らかに外国人とわかっても、彼らはまるで同じ国の人間のように接してくれるから、私はするっと溶け込んでしまった。

ラテンアメリカ文学の魅力
 旅自体もとびきり面白かった。「まるでガルシア=マルケスの世界だ」と私は毎日、目を丸くしていた。
 コロンビアへ行く前の私は、「日本から遠い辺境」という意味で南米をアフリカみたいなもののように想像していたが、実際にはまるで別の世界だった。アフリカに住んでいるのは95%以上が先祖代々からのアフリカ人だ。いっぽう、南米ではスペイン人の到来で旧大陸の伝染病がもたらされ、免疫をもたない先住民が恐ろしい勢いで死んでしまい、人口が激減した。その空白を埋めるように、ヨーロッパ各地から移民がやってきた。アフリカからは奴隷が連れてこられた。前者は各地にヨーロッパと同じような都市をつくり、富裕層や中流層を形成した。その結果、南米にはヨーロッパ的な文化が根付いており、立派な文学の伝統もある。南米は中米とセットにされラテンアメリカ(ロマンス語圏のアメリカ)と呼ばれるが、文学もラテンアメリカ文学と称される。  
 とくに南米は私がコロンビアやペルーのアマゾンに行っていた1990年頃、G・ガルシア=マルケス(コロンビア)、M・バルガス=リョサ(ペルー)、イサベル・アジェンデ(チリ)といった世界最強クラスの作家が各国にそろっていた。
 私は南米に行く準備としてこれらの文学作品を読み、虜になった。空から翼の生えた老人が落ちてきて古代ノルウェー語を話したとか、二百歳生きた独裁者が死んだとき彼の宮殿は牛だらけだったとか、予知能力をもつ少女が愛のない結婚をするために小作人に虐待を続ける男を呼び寄せたとか、突拍子のないエピソードが山脈のように連なっているのだが、それらはファンタジーではなく、あくまでも「現実の出来事」としてフラットな文体で語られる。
 中でもお気に入りはガルシア=マルケスとイサベル・アジェンデだった。とはいえ、アジェンデはまだデビュー作の『精霊たちの家』しか邦訳されていなかった。我慢できなくなった私はコロンビアの首都ボゴタの書店で見つけた彼女の第3作”Eva Luna”(後に『エバ・ルーナ』として国書刊行会から刊行)を日本に帰ってから読み始め、辞書を引きながら2、3カ月かけて読了した。これはとてもよいスペイン語の勉強になったが、やがて続々と南米文学の邦訳が出て原書を読む必要がなくなってしまった。私は必要性があれば何でもやるのだが、必要がなくなればやる気ゼロになる。スペイン語の本を読んだのもこれが最初で最後だ。日本では話題になった海外文学がすぐ翻訳されてしまうので、原書を読むモチベーションが保ちにくい。

「気に入った子とデートしなさい」
 話をコロンビアの旅に戻そう。そこはまるでラテンアメリカ文学のようなめくるめく世界だった。当時のコロンビアは政府と麻薬(コカイン)マフィアと反政府ゲリラが三つ巴の戦争を行っており、治安は極端に悪かった。アメリカは麻薬退治のためパナマに侵攻しており、そのままコロンビアにも攻め入るのではないかという憶測も流れていた。コロンビアにいた数少ない外国人が国外に脱出しているさなか、幻覚剤を探しにこの国にやってきたのだから、私の行動自体がマジックリアリズムだ。
 しかしコロンビアの人たちはこのトンチンカンな日本人を熱く迎え入れてくれた。コロンビアには日本人は大使館員と商社マンぐらいしかおらず、一般の人たちにはすごく珍しい存在だったからだ。

Cボゴタの中心部

ボゴダの中心部
アメリカやヨーロッパと同じような町並みである。

 ゲストハウスのスタッフの人たちは私の部屋におしかけて「ハポン(日本)は雨がたくさん降るのか」とか「バナナを食べるのか」など頭に浮かんだことを端から訊いてきて、いっこうに帰らなかったし(またか!)、スーパーへ買い物へ行くとレジの女性が「どこから来たの? 結婚してるの? 彼女は?」とやはり質問攻め。私の後ろに長い列ができてしまい、すごく気になったが、よく見れば、後ろで待たされている人たちもじっと私の回答に耳を傾けており、空いている列からこっちにわざわざ寄ってくる人までいた。
 宿の近くに台湾人の経営する安くて美味しい食堂があり、豆の煮込み、牛の骨のスープ、野菜サラダにキャッサバやバナナや米などの主食がつくコロンビア風の定食が200円くらいで食べられた。当時の私は中国語を話さなかったので主人とスペイン語で話をしていたが、3日目に行ったときは帰りがけに突然、「うちで働いている子、誰でも気に入った子とデートしなさい」と言われた。
 何それ? と思ったが、主人が真面目な顔で促すので、4、5人いたウェイトレスの中からパッと見でかわいい子を指さしたところ、主人はその子を呼び寄せ、「この日本人のセニョールが君のことを好きだと言っている」と言う。
「おいおい!」と慌てたが、まだ18歳のその娘はポッと頰を赤く染めて「私も」と言うのである。主人は「今日、仕事はもういいから君たちは行きなさい」とまるで仲人のように私たちを外へ送り出した。
 どう考えてもおかしいと思うのだが、この話をコロンビア人にしても「ムイ・ビエン(とてもいい)!」と言うだけで、誰ひとり疑問をもたないようだった。家に呼ばれて会った彼女のおじさん(彼女は地方出身でボゴタではおじさん宅で暮らしていた)にいたっては「なんだ、まだ一緒にホテルに行ってないのか?」とからかい、彼女が「いやだ、おじさんったら」と恥じらった。

C「彼女」のおじさん宅

            「彼女」のおじさん宅
 コロンビアに着いて4、5日たったとき「彼女」のおじさん宅を訪ねた。私の左が「彼女」で、他はすべておじさんの子供たち(「彼女」のイトコ)。みんな、人なつこくてすぐ手をつないだり肩に手をのせたりした。ちなみに「おばさん」はとてもシャイな人で、写真を撮るとき恥ずかしがってテーブルの下に隠れてしまった(写真の左端)。いたって木訥な庶民の家庭だった。

 これがスペイン語を実地に使い始めて3、4日目の状況である。私の語彙は乏しく、動詞の活用だって半分も覚えてないのに地元民の中に溶け込んでしまっていた。スペイン語の通じやすさとコロンビア人のよそ者に対する敷居の低さ(あるいは新奇な事物への好奇心の強さ)には驚くべきものがあった。

ファンタジーではなく、現実
 私はしかし、女の子と遊びにはるばるコロンビアまで来たわけじゃない。アマゾンへ行って幻覚剤を探さなければいけない。1週間ほどでボゴタを去り、アマゾンを目指した。
 その旅はやはりガルシア=マルケスの小説みたいだった。開拓民の町では上半身裸の若者が馬に乗り、車に交じって闊歩していた。アマゾン川の支流を乗り合いボートで下っていったら、銃撃戦の音が聞こえ、乗客はみなそこで降りた。政府軍とゲリラが交戦しているという。しかし毎日のことなので緊張感はなく、客も慣れたものだった。中には、ピストルをジーンズの腹にねじ込み、ポケットボトルのサトウキビ焼酎をラッパ飲みしている男たちがいたりして、西部劇の一場面に入り込んでしまったかのようだった。
 アマゾンの小さな町に着くと、ちょうど年越しのお祝いでにぎわっていた。その地域の主な産業はコカインの生産と売買であった。周辺のジャングルの中にあるコカイン工場で働いている男たちが町に戻ってきて、麻薬マフィアたちと戦うために駐屯している軍の兵士たちと一緒に酒を飲んだり安物のコカインを吸ったりしてどんちゃん騒ぎに明け暮れており、私も仲間に加わった。

C治安当局の兵士たち

               治安当局の兵士たち
 コロンビアはマフィアや反政府ゲリラとの戦いがエンドレスで続いていたので、どこへ行っても警察や軍の駐屯地があった。警官や兵士はみな若者で、よく一緒に記念写真を撮った(これはどこで撮影したのか、軍なのか警察なのかも覚えていない)

Cアマゾン川支流を行く

              アマゾン川支流を行く
 アマゾン川支流のプトゥマヨ川を雇った漁師のボートで進む。支流とはいえ、川幅は広い。

 その後、知り合った地元の漁師を雇って先住民の村までボートで行った。先住民はセコヤ族といい、男性は頭からすっぽりかぶるワンピースみたいな服を着ていた。それは古代の日本人が着ていたという貫頭衣を思い出させたし、住居は高床式であるし、まるで邪馬台国に来たような気がした。彼らはセコヤ語を話していたが、このときの私はスペイン語と幻覚剤のことで手一杯で、セコヤ語を習うという発想をもたなかった。もしかすると、コロンビア人化してしまったのかもしれない。そこで幻覚剤を村の呪術師に作ってもらって飲み、ハンモックに揺られながら「千年間旅をする」という夢を見た。

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                セコヤ族の村
 私たちが到着すると村の人たちが集まってきた。男性は長髪でカラフルなマタニティドレスのような服を着ていた。高床式の家が見え、邪馬台国に来てしまったかのような錯覚に陥った。


C_カヌーに乗るセコヤの人たち

           カヌーに乗るセコヤ族の人たち
 セコヤ族は男性がおしゃれ。顔に紅をさしたり唇に「黒い口紅」をぬったりする。カヌーはひじょうに底の浅い丸木舟で、スペード型をした独特の櫂で漕ぐ。この櫂は太陽が眩しいときに日よけにしたり(この写真がそう)魚を調理するときまな板代わりに使ったりもする。

C_幻覚剤の植物を持ってくる呪術師

           幻覚剤の植物を持ってくる呪術師
 幻覚剤に使う植物を採集してきた呪術師。メインになるのはアマゾンに自生するバニステリオプシス属のつる植物で、コロンビアではヤヘイ、ペルーではアヤワスカなどと呼ばれる。その他、やはり精神に作用する植物の根や樹皮を混ぜて煎じると幻覚剤が出来上がる。

C「千年の夢」を見ている私

          「千年間旅をする夢」を見ている私
 ヤヘイは快楽のためのドラッグではなく、病気の治療や宗教的な目的のために用いられる。使い方を熟知した呪術師の指導下で行うのが必須。ときには未来が予知できたり、何百キロも離れたところにいる人とテレパシーで交信できたりすると聞くが、私にはそんなことは起きず、ただ世界の果てから果てをめぐる長い旅をする夢を見た。現実の時間では1時間程度だったが、自分の実感では千年ぐらい経過したように思えた。

 以上の話は別のところ(『怪しいシンドバッド』[集英社文庫]、『辺境メシ』[文春文庫])で書いたので詳しくはそちらをご参照いただきたい。
 私がこの旅で(そしてその後の南米旅行でも)実感したのは、マジックリアリズムは(中)南米の現実だということだ。ファンタジーを現実みたいに書いているわけではないのだ。
 例えばガルシア=マルケスの代表作『百年の孤独』の舞台となるマコンドなる村は、あまりの奥地にあって首都に出る道さえなかったというのに、ときどきヨーロッパからジプシーが見世物興行をしに訪ねてきていた、とある。読んだときは「矛盾しているだろう」と突っ込んだが、コロンビアに行ったらそんな気持ちはなくなった。コロンビアのアマゾンにはトランキランディアと呼ばれるコカインの秘密工場がたくさんあり、誰もその場所を知らないのだが、何人もの人が私に「うっかりトランキランディアに出くわさないように気をつけろ」と言ったものである。国家警察が行こうとしても行けないのに、一介の旅行者が偶然行けてしまう場所があるのだ。
 また、これは私の直接の体験ではなく、アフリカで知り合った日本人旅行者の話だが、コロンビアの小さな町に滞在していたとき、宿に現地の若い女性が小さな子供を連れてやってきたという。女性曰く「この子は前に私が付き合っていた日本人ツーリストの恋人との間に生まれた子です。彼はそのまま旅を続けてもう連絡がない。あとでこの子が生まれたのだけど、3歳になっても口をきかない。たぶん日本人の子供だからスペイン語がわからないんだと思う。日本語ならわかるかもしれない。何か話しかけてやって下さい」。
 その日本人旅行者は啞然としたが、しかたなく日本語で「名前は何?」「どこに住んでるの?」などと聞いた。もちろん子供に反応はなかったものの、若いお母さんは「きっとこれで少しは言葉が話せるようになるでしょう」と丁重に御礼を述べて去って行ったという。
 ほとんどファンタジーにしか聞こえないかもしれないが、南米ではありえるのだ。外国人の旅行者が観光地でもない小さな町に来て、地元の女性と恋に落ち、しかもまたどこかに立ち去ってしまい、その後で子供が生まれる。これは山奥の村の話でもないし、女性は身なりや立ち振る舞いからして堅気の家の娘のようだったという。中南米以外の国ではこういう接触はたやすく起きないが、私がボゴタの食堂の主から従業員とのデートを勧められたように、ここでは簡単につながってしまう。

マジックリアリズムの媒介者
 南米は貧富の差が激しく、先住民・ヨーロッパ系・アフリカ系、さらにはアジアからの移民と実に多様な人々が住んでいる。自然環境も高山、密林、海、砂漠となんでもある。しかも密接している。普通は出会わない異物同士がすっと出会ってしまう。
 高層ビルの立ち並ぶ大都市から馬と車が同じ道を走っている田舎町、さらには邪馬台国みたいな村まで、文明史のあらゆる発達段階が不規則に同居しているため、時間軸ですら歪んでいるように見える。私はセコヤ族の村にいたとき、泊めてもらった家の若者に請われてTシャツとハーフパンツをあげたのだが、彼がそれを身につけた瞬間、私の弟そっくりになったので呆気にとられた。先住民は日本人と同じモンゴロイドなのでそういうことも起きうる。そして彼は当然スペイン語を話すから今すぐボゴタのカフェで仕事をしてもちゃんと務まるにちがいなかった。
 こういった「南米の現実」がマジックリアリズムの源泉だと、私だけでなく、多くのスペイン語の専門家やラテンアメリカ文学者が指摘している。
 だが、私はさらにもう一歩踏み込んで、その最大の媒介者がスペイン語ではないかと思うのだ。どんなヨーロッパ系の大富豪だろうと麻薬マフィアの下っ端だろうと先住民の村人だろうと一介の旅人だろうと、みんな(うまい下手はあっても)スペイン語を話す。アフリカのように言語で分断されていない。スペイン語を話すかぎり、どこでも入っていける。
 アジアともちがう。後にタイやミャンマーで私は麻薬関係の人たちと深く関わることになるが、一般の旅行者が彼らと知り合う機会はそうそうない(ツーリスト相手の麻薬の売人は別だ)。まず、旅行者側がタイ語やビルマ語をかなり上手に話せないといけない。そして、言葉が通じないという前提があるため、地元の麻薬業者は外国人旅行者とは別の生活圏をもっているし、外国人に話しかけたりしない。でも、コロンビアでは簡単に知り合うことができる。コロンビア人には言語の壁がなく、外国人と距離をとる習慣がないからだ。むしろ好奇心から近づいてくる。
 スペイン語はどんなものでも飲み込む。どんなものでも飲み込まれる。

ザイールの田舎町のスペイン語
 だが、もっと不思議だったのはコロンビアを去ってからだ。私は日本へ帰ったが、その4日後には今度はまた〈コンゴ〉へ行く予定が入っていた。NHKスペシャルでザイール(現コンゴ民主共和国)の狩猟採集民の番組を作るためのリサーチを頼まれていたのだ。なぜ、一介の大学生がこんなことを一人でやっているのか不思議だったが、私にとっては貴重な「バイト」だった。
 東京トランジット状態で、ほぼ同じ服装とザックのまま、パリ経由でキンシャサへ飛び、さらに国内線を乗り継いでキサンガニというザイール東部の町の空港に降り立った。たまたま私の飛行機の席はいちばん後ろの方で、降りたのも最後だった。田舎の空港なので、出迎えの人たちがタラップを直接取り囲んでいる。私がタラップを降りると、カトリックのシスターのかっこうをした白人女性がいきなり話しかけてきた。「このあとに神父さんが乗ってないですか?」
「いえ、誰もいません。私が最後です」と返事をしてから驚いた。シスターは私にスペイン語でその質問をしていたからだ。 私も反射的にスペイン語で答えていた。
〈コンゴ〉はフランス語圏であり、スペイン語を話す人など今まで一度も見たことがなかった。この土地でスペイン語なんて発想もわかない。
「どうして僕がスペイン語を話すって思ったんですか?」とシスターに訊いたら、彼女はきょとんとして「ああ、……そうね……どうしてかしら。私にもわからない。ふつう、ここでスペイン語なんか使わないのに……」と答えた。
 私は別にコロンビア人の服装をしていたわけじゃないし(“コロンビア人の服装”なんてない)、どう見てもアジア人旅行者である。でも、どうやら私から「スペイン語のオーラ」みたいなものが漂っていたらしい。そうとしか思えない。
 南米でマジックリアリズムが発達したわけ。それは南米の土地や人間の極端な多様性と言語バリアの不在だけではないんじゃないか。スペイン語という言語そのものに何かマジカルな要素があるんじゃないか。
 そんな妄想に今でもときどきとらわれるのである。

高野秀行(たかのひでゆき)
ノンフィクション作家。1966年東京都生まれ。『幻獣ムベンベを追え』(集英社文庫)でデビュー。『ワセダ三畳青春記』(集英社文庫)で酒飲み書店員大賞を、『謎の独立国家ソマリランド』(集英社文庫)で講談社ノンフィクション賞と、梅棹忠夫・山と探検文学賞を受賞。
著書に『アヘン王国潜入記』(集英社文庫)、『移民の宴』(講談社文庫)、 『幻のアフリカ納豆を追え!』(新潮社)など多数。歴史家・清水克行との共著に『世界の辺境とハードボイルド室町時代』、『辺境の怪書、歴史の驚書、ハードボイルド読書合戦』(ともに集英社文庫)がある。

第2・第4金曜日 更新! 次回は4月9日(金)です。

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