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ヨーロッパ・南米編(1)イタリア語との初対決デスマッチ

今回からヨーロッパ・南米篇がスタートします!
1回目のテーマはイタリア語。ほとんどの場合、現地探索や調査のための手段として言語を学んできた高野さんでしたが、イタリア語は事情が違っていました。

 私は7年間、大学の学部に在籍し、その間、日本語と英語以外に6つの言語を学んだり喋ったりしていた。フランス語、リンガラ語、ボミタバ語、スペイン語、スワヒリ語、ポルトガル語である。
 ずいぶん多岐にわたるように思えるが、言語学的にみれば、半分はインド・ヨーロッパ語族イタリック語派ロマンス諸語、残りの3つはニジェール・コンゴ語族バントゥー諸語である。驚くほどヴァリエーションに乏しい。
 これはある意味では偶然だが、別の意味では必然であった。
 しかし、ここで読者のみなさんの多くは「その語族とか語派とか諸語って何!?」と思っているにちがいない。なので、かいつまんでご説明したい。

ライオンのIDと英語のID
 学生時代の私は言語学の知識などゼロだった。以下に書くことはずっと後になって(いくつかはごく最近)知ったことである。
 現在の言語学界では、世界には言語が7〜8千あると言われている(※1)。誤差が巨大なのは数え方によって言語の数は変わるからだ。例えば、沖縄の言語は一般の日本人には「沖縄弁」「沖縄方言」と思われているが、言語学の世界では「沖縄語(琉球語)」という別言語と捉える人もいる(方言と言語の関係は後にもう少し詳しく説明したい)。
 それはさておき、7〜8千とは莫大な数である。
 それらがどんな関係にあるのかは誰もが気になるところだ。言語の関係を系統で探る学問を「比較言語学」(歴史言語学)という。
 比較言語学は、18世紀にヨーロッパの言語学者たちが「インドの言語はヨーロッパの言語に似ている」と気づいたことに端を発する。彼らは調査研究を重ねた結果、「インドの言語とヨーロッパの言語は同じ先祖から分かれたもので、同じファミリーに属している」という結論を得た。このファミリーの日本語訳が「語族」だ。
 比較言語学は進化論と相互に影響しあって発達したこともあり、進化論(生物学)の考え方とかなり似ている。
 例えば、ライオンは生物学上の分類では「哺乳綱(類)食肉目ネコ科ヒョウ属」の動物とされている。
 原初の哺乳類、いわば「哺乳類の祖先」は爬虫類から分かれたもので、樹上生活を送っていた小動物だったらしい。その小動物から霊長目(サルやヒトの仲間)、偶蹄目(ウシの仲間)、食肉目(イヌやネコの仲間)などのグループに分岐した。さらに食肉目の中でも大きくネコ科とイヌ科に分かれ、その後ネコ科はネコ属、ヒョウ属、チーター属などに分かれ、最後にヒョウの仲間からライオンが誕生した。「哺乳綱(類)食肉目ネコ科ヒョウ属」はその進化の流れを物語っている。言ってみれば、これは動物のID(身分証明)である。人間の「住所」あるいは「戸籍」に喩えてもいい。
 これらのIDは誰かが一時期に決めたのではなく、膨大な数の学者が長い長い年月をかけて、動物の体の形態を調べ、共通点を探り、絶滅した類似の動物の化石も参照し、「これらの祖先はいったいどういう形態の動物だったのだろう」と緻密に研究していった結果である。

イラスト2-1ライオンのID

                ライオンのID
 あくまで単純化したイメージ図。哺乳類の祖先が20〜30の「目」に分かれた。そのうち食肉目(ネコ目)がイヌ科とネコ科、クマ科、イタチ科などに分かれ、さらにネコ科がネコ属、チーター属、ヒョウ属に分岐した。そしてヒョウ属がヒョウ、トラ、ジャガーそしてライオンに分かれた。実際には分岐ははるかに複雑であり、いろいろな説がある。

数千の言語が30〜40くらいのファミリーに 
 比較言語学もほぼ同じように考える。
 まず各語族には共通の祖先(「共通祖語」という)があると推定し、そこからいくつかのサブグループが派生し、さらにこのサブグループがもっと小さいサブサブグループに分かれたと考えるわけだ。この「語族」より下のサブグループやサブサブグループのことを「語派」とか「語群」などと呼ぶ。生物学では「目」「科」「亜科」「属」などと細かい区分の名称がかなり確立されているが、言語学はそこまではっきりしておらず、学者によってサブグループ以下はすべて「語派」と呼ぶ人もいるし、まちまちである(※2)。
 解剖や遺伝子解析などを行い、科学的に調べることができる動物と比べた場合、音を基本とする言語は客観的に比較研究をすることが難しい。例えば同じ日本語といっても、時代や地域、個人によって差異が大きいうえ、古代の言葉については限られた断片しか残されていない。だいたい、世界的には文字のある言語より文字のない言語の方が圧倒的に多いのである。しかしやはり緻密な研究を通して、各言語の祖語を「復元(再建)」し各言語のIDを確定していくのは生物学の手法と同じだ。
 語族の分類自体、研究者や辞典によって相当に解釈のちがいがある。ただ、インド・ヨーロッパ語族やニジェール・コンゴ語族などは比較的研究が進み、評価も定まっているようだ。
 例えば、言語学者でエッセイストでもある黒田龍之助さんの『はじめての言語学』(講談社現代新書)によれば、英語のIDは「インド・ヨーロッパ語族ゲルマン語派西ゲルマン語群」である。同じ語群の仲間にはドイツ語やオランダ語などがある。
 世界にはいったいいくつの語族があるのかというと、『明解言語学辞典』(三省堂)によれば「約30」、 “The World Atlas of Language Structures(『世界言語構成地図』オックスフォード大学出版)では「約40」とされている。世界数千の言語がとりあえず30〜40ぐらいのファミリーにまとめられてしまうのだ。
 先ほど哺乳類を喩えに出したが、哺乳類の種の総数は(これまた研究者によって数え方がちがうが)だいたい5〜6千だとされているらしい。そして「目」はざっと20〜30。つまり、言語の総数と種類は哺乳類のそれにわりと近いと思えばイメージしやすいだろう(※3)。
 唯一異なる点は、哺乳類の各ファミリーは一つの祖先から分岐したことが明確になっているが、言語のファミリーはその先が不明である。例えばインド・ヨーロッパ語族とアフロ・アジア語族(アラビア語やソマリ語の仲間)はもしかしたら同じ祖先をもつかもしれないし、もしかしたら別々に生まれたのかもしれない。その辺りはまだわかっていない。

イラスト2-1ロマンス諸語

         語族と英語およびロマンス諸語のID
 これもあくまで単純化したイメージ図。黒田龍之助氏の『はじめての言語学』を参照しつつ、多少アレンジを加えている。
 各語族(正確にはその祖先(=祖語))が分岐を重ねて個別の言語が生まれているのは哺乳類と同じ。インド・ヨーロッパ語族の祖先(印欧祖語)がいくつにも分岐しており、ゲルマン語派の系統から英語が、イタリック語派からロマンス諸語のフランス語、イタリア語などが生まれている。

大家族の内輪揉め
 哺乳類同様、言語の各ファミリーには巨大なものもあれば、小さいものもある。世界の語族で最も大きなもの(所属する言語の数が多いもの)はリンガラ語などが所属するニジェール・コンゴ語族だ。論文のデータ引用によく使われる世界の言語総カタログ「エスノローグ」によれば、全世界の7,099の言語のうち1,538の言語がここに含まれる。サハラ砂漠以南のアフリカの大部分の人がこの語族の言語を話していることになっている。
 かたや極小のファミリーもいて、その代表が日本語族である。これはメンバーが日本語のみだ。前にも書いたが研究者によっては沖縄の方言も別言語と見なす。「エスノローグ」では「沖縄中部語」「宮古語」などなんと10 の琉球諸島の方言が「日本語とは別の言語」とされている。とはいうものの、それらもすべて一般の日本人が考える「日本語」の範疇にある言語だけである(※4)。
 さて、言語の数からいえばニジェール・コンゴ語族が世界最多なのだが、話者の数で見ればインド・ヨーロッパ語族の方が多い。なにしろ、現在南北アメリカ大陸、ヨーロッパ、インド・パキスタン・バングラデシュ・イラン・アフガニスタンに暮らす人々の大部分がメンバーなのだ。インド・ヨーロッパ語族を公用語もしくは国語とする国の数は国連加盟国の過半数に及ぶはずで、「世界を牛耳る語族」といっても過言ではない。
 私なんぞはアメリカとイランが敵対していると聞いても、「しょせん同じ語族なのにな」と冷ややかな視線を送ってしまうことがある。比較言語学的にみれば内輪揉めなのである。

MAP2-1印欧語族

       インド・ヨーロッパ語族を公用語・国語とする諸国
 サハラ砂漠以南のアフリカではコンゴ・ニジェール語族やアジア・アフロ語族、ナイル・サハラ語族などが話され、南北アメリカ大陸やオセアニアでは先住民が自分たちの言語を話しているが、そこでも公用語は英語やスペイン語などインド・ヨーロッパ語族である。

ロマンス諸語は肉食的
 だから、私が20代前半までに習った言語がインド・ヨーロッパ語族とニジェール・コンゴ語族ばかりなのはある意味では当然なのだ。その2つが世界の二大言語グループなのだから。そして、インド・ヨーロッパ語族の中でもイタリック語派ロマンス諸語、ニジェール・コンゴ語族の中でもバントゥー諸語に偏っているのも理由がある。
 後者から先に言えば、バントゥー諸語はその語族の中で過半数を占める巨大言語グループであるから、アフリカの言語を何か学べばそれがバントゥー諸語である確率は高い。
 いっぽう、インド・ヨーロッパ語族におけるイタリック語派ロマンス諸語も強大だ。「ロマンス」とは「俗なラテン語」の意味で、要するにラテン語の口語(話し言葉)から派生した言語グループだ。余談だが、文学や芸術の「ロマンス」も同じ語源である。もともとは「(高貴な文学芸術ではなく)恋バナとか夢物語といった庶民が好む俗っぽい文芸」というような意味だったらしい。

MAP2-1ロマンス諸語(修正版)_2

           ヨーロッパにおけるロマンス諸語
 もともと古代ローマ帝国の公用語であるラテン語の話し言葉に由来するため、ヨーロッパの西南部で話されている。フランス、イタリア、スペイン、ポルトガルのほか、スイスではフランス語とイタリア語が、ベルギーでもフランス語が使用されている。面白いのは東欧ルーマニアの公用語であるルーマニア語がロマンス諸語の一員であることだ。孤立して進化したため、他のロマンス諸語とは文法、語彙、発音ともかなりちがうと言われている。

 ちなみに「諸語」とは「系統関係が今一つはっきりしないグループ」のことだ。関係性がもっと明確に認識されると「語派」と呼ばれることが多い。
 このロマンス諸語は名称の甘い響きとは対照的に実はひじょうに肉食的で、かつて世界中の土地と先住民言語を食い荒らした。すなわちスペイン語、ポルトガル語、フランス語である。これに英語をプラスすれば大航海時代から帝国主義時代にかけての“肉食言語四天王”ということになる。
 よって、現在においても、ロマンス諸語は英語と並び、世界中で幅をきかせている。
 私は学生時代の後半をロマンス諸語とともに過ごした。ロマンス諸語の方はどう思っているか知らないが、私としては彼らに翻弄されたと思わずにいられないことが多々あり、いまだに愛憎半ばする言語群である。

英語、フランス語の翻訳者デビュー
 さて、ここからいつもの調子に戻そう。私がフランス語の次に出会ったロマンス諸語はイタリア語だった。しかし、これはあまりにイレギュラーな出会いであり、ほとんど「交通事故」のようなものだった。
 コンゴに通い始めたころである。大学の近くにある小さな翻訳会社が英語とフランス語の翻訳者を募集しているのを見つけ、試しに応募してみた。ワンルームマンションの一室で、30代半ばとおぼしき女性社長が一人でやっている会社だった。
 仕事ができるかどうか、まず「試験」を受けさせられた。A4の紙2枚程度の英語とフランス語の原文を手渡され、「3日以内に翻訳してください」と言われた。
 私はいたく感銘を受けた。これまで「試験」といえば、定められた空間(教室)で30分とか60分とか決められた時間内に、試験官の監視のもと、辞書やメモなどを使わずに行うものだった。なのに、今回の試験には制約が一切ない。辞書は引き放題だし、わからないところは他の人に相談してもよく、極端なことを言えば誰かもっとできる人に外注してもいいのだ。
 要は結果が出れば過程は問わないということで、「これこそプロだ」と若い私は感激したのである。当時の私にとって「プロ」は「大人」と分かちがたく結ばれているように思えた。コンゴのムベンベ探査を体験記として書き、一般読者には意外と評判がよかったが、とあるアフリカ専門誌の書評では「しょせん学生の探検ごっこにすぎない」と一蹴され、気が滅入っていたこともあった。早く一人前の大人になりたかったのである。
 いっぽう、試験問題には面食らった。英語にしてもフランス語にしても、これまで学校で読んできた原文はなにかしら文化的なものだった。ところが与えられた試験問題は英語の方が工場設備のマニュアルみたいなもので、フランス語の方は「パリの下水道の仕組み」だった。
 両方とも難題だった。いずれもそれほど専門的な内容ではなく、特殊な用語が出てくるわけでもなかったのだが、情景が浮かんでこない。非母語(外国語)の文章を読んで理解するということは「情景が浮かぶ」ことである。単語一つ一つの意味がわかってもそれが像を結ばなければ理解したとは言えない。
 辞書を引きまくり、暗闇の中を手探りするような思いで、なんとか日本語に訳した。「これは受からないだろう」と観念したが、結果は意外なことに「両方とも合格」だった。かくして、私は翻訳者としてその会社に登録されることになった。
 翻訳料は面白いことに「自己申告制」だった。よく覚えていないが、ある一定の分量(100ワードとかA4用紙の標準文字数とか)で1000円とか1500円などと申告する。社長はクライアントから依頼が来ると、料金の安い翻訳者から順番に仕事を振っていく。つまり翻訳料を高く設定すると仕事が来にくく、安く設定すると仕事は多いが報酬は割安になる。
 相場を知らないため、私はどうやら高めに設定してしまったらしく、英語の仕事はいくらも来なかった。英語は翻訳者の数が桁違いに多く、安い料金で引き受ける人もそれだけ多かったのだろう。いっぽうでフランス語の方は月に1、2回の頻度でポツポツ来た。

ボルドーを知らないフランス語翻訳家
 翻訳の仕事は毎回が冷や汗ものだった。そもそもプロのフランス語翻訳者としての力量がなかったのだが、それに輪をかけて致命的なのは私がフランスについてほぼ無知であることだった。
 私はフランス文学専修だったが、前に書いたように、好きで入ったのではなく、成績が芳しくなく他に行き場がなかったからである。コンゴ遠征のためだと思って授業はきちんと受けて予習も必ずしていったが──フランス文学の先生方には本当に申し訳ないのだけど──フランス語自体には興味がなかった。というよりフランスに興味がなかった。なぜならフランスには探検する場所がなかったからだ。未知の動物もいなければ謎の民族もないのだからしかたない。原因はフランス側にある。
 私のフランス語の師匠がまたよくなかった。シルヴィ先生は母国であるフランスに無関心だった。アフリカやアジアを放浪して日本にたどり着いたヒッピー崩れだから、授業中に私と話すことといえば、私のコンゴ関係の話と彼女が熱心に打ち込んでいる暗黒舞踏の話以外は、サハラ砂漠の遊牧民トゥアレグ族としばらく一緒に生活していたとかインドをバイクで縦断したとかという、ほとんど探検部の部室で聞くのと変わりないトピックばかりだった。パリの暮らしやフランスの文化などについて喋ったことは一度もなかったのではなかろうか。
 だから私はフランス語がある程度話せ、読み書きができるようになっても、笑ってしまうほどフランスに無知だった。コンゴに通うときパリ経由だったので、通算で1カ月半ほど滞在したが、そのうち1カ月はコンゴで罹患しパリで発病したマラリヤで倒れていた。しかもカネを節約するため外食はせずバゲットとチーズと水で生活しており、レストランはシルヴィ先生の友だちに連れて行ってもらったことが一度あるだけだ。同じ理由で、街を徒歩や地下鉄で回ったことはあるが、美術館などは一歩も足を踏み入れなかった。

2-1 パリのアパルトマン入口

        著者がパリで滞在していたアパルトマン
 コンゴに通っていたとき、パリでは2区にあるシルヴィ先生の友だちのアパルトマンに泊めてもらっていた。正確にはその人の屋根裏部屋である。マラリアにかかったときもそこでずっと寝ていた。
 2015年、約25年ぶりにパリを訪れたとき、そのアパルトマンに行ってみたら、何一つ変わらぬ状態で存在しているのに驚いた。

 名前を知っている俳優はアラン・ドロンぐらい、知っている都市はパリ、マルセイユ、リヨンがせいぜい。ボルドーがワインの名産地であることすら知らず、フランス料理にいたってはムベンベと同じくらい謎だった(このように考えてみると、私がガボンでフランス人のフランス語がわからなかったのも当然だろう。ボルドーも知らない人間がフランス人と会話が成立するとは思えない)。
 私はコンゴのことはすごく詳しい。できればコンゴ関係の翻訳がしたい。しかるに、翻訳の仕事でまわってくるのは当然のことながらフランスやパリを舞台にした原稿ばかりなのである。

2-1 アフリカの仮面_2

            パリで買ったアフリカの仮面
 せっかく25年ぶりにパリへ行ったのに、自分用のお土産に唯一買ったのはピカソ博物館の前の路上で売られていたアフリカの仮面。私はあらゆるアートの中でもアフリカの仮面がいちばんグッとくる。この仮面、男性の頭の上に犬がのっているデザインが気に入ってしまった。おそらくコンゴの隣国であるカメルーン辺りの民族のものではないかと推測するが確信はない。目には銀紙みたいなものが貼られているためピカピカ光り、夜見るとけっこう無気味。

 一体どんな内容の原稿を翻訳していたのか、今では全く思い出せない。自分で記憶から消してしまったのかもしれない。ただ、いつも片っ端から辞書を引き、長い時間をかけて翻訳していたことは覚えている。
 社長は私が訪ねても雑談の類いは一切せず、玄関に私を立たせたまま、その場で素早く原文と訳文に目を走らせるのが常だった。たった5分ほどで翻訳原稿の出来をチェックしてしまうのだ。この時間が恐ろしかった。なにしろ出来がよくないことは自分でわかりきっている。「これじゃ使い物にならない」と言われても全然不思議ではない。
 だが、なぜか毎回、社長は表情を変えずに「はい、いいでしょう。お疲れさま」と言った。「次回まで命がつながった」とホッと吐息をついたものだ。そして、「翻訳のプロとして稿料をもらっている」というささやかな満足感に浸った。おそらく時給換算したら100円に満たなかったんじゃないかと思うが。
 イタリア語との交通事故に遭遇したのはこの事務所で仕事をするようになって4、5カ月ほどしたときだった。

習ったことのないイタリア語の医学論文を訳す
 ある日、事務所に呼び出された私は、いつものようにニコリともしない社長に原稿を手渡された。「イタリア語なんだけど、明後日までにできる?」
「えーっ、ぼくはイタリア語なんか習ったこともないですよ!」と思わず叫んだが、彼女は動じない。「フランス語と文法は同じだから、大丈夫よ。あとで、私がチェックするし」。
 啞然としながら内容を聞き、再び驚愕した。医学論文だというのだ。日本語で読んでも理解できないと思われる文章を、それも全く知らない言語のやつを訳せというのか? 
 普通の人ならまず断るはずだが、残念なことに私は若い頃からこういう非常識な展開が大好きな性分。「面白い」と思って受けてしまった。その足で私は本屋へ急いだ。小さなイタリア語の辞書に3千円くらい払って、急いで家に帰り、辞書の巻末についている文法説明を読んだ。それまで、「どうして、辞書の巻末に文法の説明が形ばかり載っているのだろう」と疑問に思っていたが、なるほど文法書を読む暇もないこんなときには役に立つ。
 さあーっと眺めてみると、たしかに文法は時制も動詞の語尾変化もフランス語によく似ている。単語も似たものが多い。もしかしたら、翻訳できるかもしれないと思ったが、頭の中で素早く訂正した。
「できるかもしれないじゃなくて、翻訳しなきゃいけないんだ」
 まず、タイトルからだ。ところが、タイトルに現れる単語が一つも辞書に出ていない。ここで愕然。おそらく専門用語なのだろう。普通の辞書には載っていないのだ。しかたないのでいきなり本文を訳すことにした。単語が何一つわからないので、全部辞書で引くしかない。最初のilという単語を引いてまた愕然。「定冠詞の男性単数」と出ているのだ。英語でいえばtheである。定冠詞を辞書で引いているプロの翻訳家など世界中で私くらいだ。
 このときの絶望的な気分は今でも忘れられない。どうしてあのときちゃんと断らなかったのだろうという後悔が渦を巻いたが、もう後の祭り。イタリア語のできる人も周りに一人もいないので、自力でやるしかない。やけくそになって、辞書に載っている限りの単語を引きまくった。それでも辞書に載っていない専門用語だらけで、全体像はさっぱりつかめない。何の話かも見当がつかない。

英和医学辞典、大活躍
 翌日は、朝一番に早稲田大学の図書館へ直行した。目当ては英語の医学辞典だった。イタリア語やフランス語の医学辞典など医学部のない早稲田の図書館にありそうになかったが、英語ならあるだろう。ヨーロッパの大多数の言語は同じ語族に属しているだけでなく、古代ギリシア・ローマの文明を共有している。だからヨーロッパの学術用語には古代ギリシア語とラテン語の語彙がひじょうに多く含まれている。特にローマ帝国の公用語で長らく聖書の言語だったラテン語はそうだ。
 ラテン語の直系の子孫であるイタリア語とフランス語はもちろんのこと、英語もラテン語を学術用語として大量に取り込んでいる。例えば「犬」はフランス語でchien(シアン)、イタリア語でcane(カーネ)でともにラテン語の犬canis(カニス)に由来することは明らかだ。
 それに対し、英語ではdogあるいはhound(ハウンド)。dogは語源が不明らしいがhoundはゲルマン系の単語である。ちなみにドイツ語で犬はhund(フント)。ダックスフントのフントだ。ところが、英語でも「イヌ科」はcanid(キャニッド)と呼ぶ。ちなみに「犬歯」はcanine tooth(ケイナイン・トゥース)。学術用語は見事にラテン語なのだ。
 このように、英語とフランス語では学術用語が似通っているということは私も知っていた。ムベンベ探査のときに読んだ英語・フランス語文献には生物学用語が頻繁に出てきたからだ。
 きっとイタリア語も同じだろう。英語の辞書を引けば、多少単語の形はちがっても似たような単語が出てくるはずで、そこで謎が解けるはずと踏んだのだ。期待通り英和の医学辞典が見つかったので、まずタイトルを調べた。すると、私の勘は正しく、論文のタイトルが判明した。判明して、またまた愕然とした。
 「膵臓(すいぞう)炎と大腸カタルの併発時における免疫低下について」とかいうのだ。ちょうどエイズが本格的に騒がれ出していた時期である。「免疫低下」というなら、エイズ研究に関係があるのかもしれない。でもそれならそんな大事な論文をあんないい加減な翻訳会社に依頼するなよ、いったい日本の医学界はどうなっているのだ! と怒りと心配がないまぜになった。しかし、医学界を憂える暇はない。
 それから、丸一日、私は飯も食わずに、図書館にこもり、英和の医学辞典とイタリア語の辞書に首っ引きとなった。単語やフレーズの意味を原稿の余白に赤いボールペンで書き込んだ。余白はすぐに鮮血のような色に染まった。
 不思議なことに、書き込みでぐちゃぐちゃになった原稿を何度も何度も読んでいるうちに、だんだん話の筋が通るようになってきた。あるいは、脳が麻痺(まひ)して、自己防衛本能から話の筋を勝手に見つけていたのかもしれない。ともあれ、夜遅く家に帰り、自分の部屋の机に向かったときには、訥々(とつとつ)とながらイタリア語は日本語に変換されていった。
 翌日の昼。ようやく日本語の文面上では辻褄が合う(と思われる)翻訳原稿をもって事務所に赴き、社長に手渡した。私は3日分のアドレナリンで上気していたが、彼女は「あ、できた? お疲れさま」と素っ気なく言っただけだった。抜群の語学力をもつ彼女もさすがにイタリア語の医学論文はその場でチェックできないらしく、「後で見る」とのことだった。
 私は拍子抜けしたが、あまりに疲れていたので、すぐ家に帰り、ぱったりと倒れて寝入った。次の日、どうしても気になったので、おそるおそる事務所に電話すると、社長が出て、「チェックしたけど何も問題はなかった」と淡々と答えた。信じられないことだが、定冠詞を辞書で引いた人間の翻訳したものが通ってしまったのだ。ほんとうにチェックしたのだろうかと思ったが、プロは結果である。依頼人が満足すればそれでいいのだ。私も満足することにした。

二度と開かれなかった辞書
 その後も、2、3回、フランス語と英語を訳したが、しばらくして一通の手紙が届いた。社長からである。封を切ると次のようなことが綺麗な文字で記されていた。
「あなたは英語・フランス語ともプロの翻訳家としての実力が足りません。まだ若いのでこれにくじけず、もっと勉強して経験を積んでください」
 あの冷たそうな人にしては丁寧で情のある文面だったが、ようするにクビの通知である。プロの翻訳家になったとなまじ思っていただけにショックだったが、「しかし……」と思った。
 「英語とフランス語はダメだと言うなら、イタリア語はよかったのかな?」
 それは永遠の謎である。せっかく買ったイタリア語の辞書も二度と開かれることなく、そのうちどこかへいってしまった。
 イタリアは19世紀にようやく統一国家となった「遅れてやってきた国」である。植民地をいくらも持たなかったし、数少ない植民地も第二次世界大戦の敗戦により早々と手放すハメになった。要するにイタリア語はロマンス諸語にしては弱小言語なのである。ゆえにアジア・アフリカ・南米では使われていない。私もついぞ学ぶ機会を持たなかったのである。

(※1)世界の言語の総数は以前は「約6千」と書く本が多かったが、最近は「約7〜8千」とする意見が主流らしい。
(※2)語族(family)のサブグループを「語派」「語群」「諸語」などと呼ぶのは日本式であり、諸外国では特に名称をつけていない。 
(※3)生物学におけるfamilyは「科」であり、「目」はorderなのだが、図鑑などでも「サル目=サルの仲間」といった具合に「目」でグループ分けをしていることが多く、ここでは便宜上、「目」をファミリーとみなしている。
(※4)「日本語族」という語族を作らず、「日本語は系統不明な言語」とだけ考える研究者もいる。

高野秀行(たかのひでゆき)
ノンフィクション作家。1966年東京都生まれ。『幻獣ムベンベを追え』(集英社文庫)でデビュー。『ワセダ三畳青春記』(集英社文庫)で酒飲み書店員大賞を、『謎の独立国家ソマリランド』(集英社文庫)で講談社ノンフィクション賞と、梅棹忠夫・山と探検文学賞を受賞。
著書に『アヘン王国潜入記』(集英社文庫)、『移民の宴』(講談社文庫)、 『幻のアフリカ納豆を追え!』(新潮社)など多数。歴史家・清水克行との共著に『世界の辺境とハードボイルド室町時代』、『辺境の怪書、歴史の驚書、ハードボイルド読書合戦』(ともに集英社文庫)がある。

第2・第4金曜日 更新! 次回は3月12日(金)です。

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