コロナブルーを乗り越える本 布施英利
美術批評家、布施英利さんは、尾崎放哉晩年の句、「咳をしてもひとり」から、今われわれが置かれているコロナ禍という現状を考えます。
※この記事は、集英社インターナショナル公式サイトで2020年4月10日に公開された記事の再掲載です。
『尾崎放哉句集』
池内紀編/岩波文庫
コロナ禍が我々を見舞ったことといえば、経済的苦境(=貧乏)、外出の自粛(=孤独)、そしてもちろん病(=身体的苦痛)などだ。
このたび、「コロナ、ウイルスに負けない本を挙げる」というアンケートを編集部からご連絡いただき、まず頭に浮かんだのが、「咳をしても一人」の作品などで知られる尾崎放哉の句集だった。尾崎放哉は、東京帝大法科を卒業し銀行につとめ出世したエリートだった。しかし、それは彼の前半生のことで、後半生には仕事を失くし、妻と別居して、最後は瀬戸内海の島の寺の番をしながら生涯を終えた。ある意味、悲惨な生涯だった。その尾崎は、若い頃から俳句に取り組み、とくに五・七・五の俳句の定型にとらわれない「自由律俳句」の作品を多く残した。その最晩年の句の一つが「咳をしても一人」だった。コロナに苦しんでいる我々の姿を象徴しているような作品でもある。
このたび、アンケートに答えるために、改めて『尾崎放哉句集』(池内紀編、岩波文庫)を読んでみた。制作年順に並んでいて、若い頃の自由律以前の定型句の作品から始まる。「山茶花や犬ころ死んで庭淋し」など、晩年の「咳をしても一人」に通じるような詩境の句もある。以下、自由律の作品で心に残ったものを挙げてみる。
障子しめきつて淋しさをみたす
心をまとめる鉛筆とがらす
なんにもない机の引き出しをあけて見る
爪切ったゆびが十本ある
など、部屋のなかに閉じ込められ、やることもなく、お金の余裕もない現代の気分が、昔の詩であるが、そこに言葉として結晶している。文学や芸術というものの力は、いま自分が置かれている苦境が、実は今の自分だけのものではなく、かつても、どこにでもあったものだという「普遍」に気づかせてくれるのも、その一つの効能だ。そこから「生きよう」という力も湧いてくる。さらにいくつか挙げよう。
ひょいと呑んだ茶碗の茶が冷たかった
すぐ死ぬくせにうるさい蠅だ
生卵子こつくり呑んだ
どれも、どうということない出来事を言葉にしたものである。しかしこういう作品に身を浸していると、こちらの中の、それまで鈍っていた感性が、繊細に今の自分の周りの光景に眼差しを送り、些細な小さなことが、美しさや輝きをもって見えてくる、そんな自身の変容を感じる。芸術によって変わったのは、ただ世界への小さな「見方」だけなのかもしれない。しかし、見方が変わるだけで、世界が、自身が変わるのも事実である。そんなふうにして「ウイルスに負けない」自分を、静かに育てるのも悪くない。
ふせ ひでと 美術批評家、解剖学者、文筆家。
1960年、群馬県生まれ。東京藝術大学美術学部卒業。同大学院美術研究科博士課程修了。学術博士。東京大学医学部助手(解剖学)などを経て、本格的に批評活動に入る。『死体を探せ! バーチャル・リアリティ時代の死体』『構図がわかれば絵画がわかる』『ヌードがわかれば美術がわかる』『洞窟壁画を旅して ヒトの絵画の四万年』など著書多数。