【世界は「プランB」で出来ている 第2回】東芝「経営迷走」の原点はどこにあったのか?
2022年6月28日に開催された東芝の定時株主総会は昨年同様、大荒れだった。
取締役13人全員が選任可決されたところまでは良いが、「物言う株主」(アクティビスト)から2人の取締役を受け入れることに反対していた綿引万里子社外取締役が自ら辞任した。東芝の株主総会は、2年続けて選任された取締役がその直後に辞任するという「異常事態」で開かれることになった。
前回記事はこちら。
日本を代表する「元」名門企業
近年の東芝はスキャンダルとドタバタのイメージが強い。しかし、言うまでもなく、元は日本を代表する名門企業だ。
「電球から原子力まで、電気の総合メーカー」というキャッチコピーが有名で、家電、重電機、電子部品、軍事機器、鉄道車両、医療機器など守備範囲は広く、「技術大国日本」の象徴だった。半導体メモリーや原子力発電(原発)では、世界トップクラスになった時期があり、「カーボンニュートラル」(CO₂の排出量と吸収量を均衡させること)や量子の先端技術も持っている。
ところが、
「原発の不振」
「相次ぐ粉飾決算」
「経営陣の引責辞任」
「巨額の赤字」
「上場廃止の危機」
そして、特定株主を排除する「裏取引」など、近年は「週刊誌ネタ」のオンパレードである。ことに「会社分割」という経営の重要事項の決定が二転三転していることは、呆れるしかない。
「名門企業」がなぜこんな凋落をしたのか。
凋落の発端は、メディアで指摘されているように同社で長年続いた「チャレンジ」である。これは東芝の社内用語で、経営陣が現場におよそ「不可能な」数値目標を厳命することを意味する。決算直前は数日で百億円超の利益を捻り出|《だ》すなど、無茶な強要もあったようだ。
「ぬるま湯体質」では企業は強くなれないが、「鞭を振るう」以外に方法はなかったのだろうか?
あるいは、チャレンジによって、当初描いていた「プランA」を続けるのも一計だが、プラン自体の寿命が尽きているのではないかという検討はなされていたのであろうか。
チャレンジが発端になった迷走の歴史
ここでチャレンジによる無理が発端になって、東芝が凋落した経緯を振り返る。
2009年 東芝と子会社の東芝メディカルシステムズによる11億円の所得隠し
2011年 東芝コンシューマ・マーケティングによる9億円の所得隠し
2015年 1,518億円の利益水増しが発覚し、田中久雄社長(当時)含め7人の取締役が辞任
2016年 7,191億円の連結営業赤字、約1万4千人の人員削減と不採算部門からの撤退
2017年 上場廃止の危機。海外アクティビスト(物言う株主)などから約6,000億円を調達する羽目になる
2020年 経済産業省と相談して海外アクティビストを排除したことが定時株主総会で発覚
2021年 車谷暢昭社長(当時)による英投資ファンドへの身売り画策が表面化し、計画は頓挫
2022年 前年に発表したグループを三つに分割する案が二分割に修正される。経営の混乱を露呈
グループの赤字を止めるために、家電は中国企業などに切り売りされ、パソコンはシャープに、携帯電話は富士通に、医療機器はキャノンに、経営の柱だった半導体も各々売却された。また企業業績の足を引っ張った原発子会社の米「ウェスティングハウス・エレクトリック」(以下WH)は2017年に結局経営破綻し、結局カナダ企業に売り払われた。なかなか大変な歴史である。
「プランB」を発動できたタイミング
上記の経緯を見ると、東芝には「プランB」を発動するタイミングが少なくとも三回あった。それは次のものだ。
(1) チャレンジをやめて身の丈に合う計画に戻すこと(リーマンショック後)
(2) 不振の原発を損切りすること(2013年頃)
(3) 上場維持を諦めること(2017年)
これら3つのタイミングで「プランB」の検討が東芝社内でされたのかもしれないが、少なくとも発動はされていない。3回の転機を邪魔した要因は次のようなものだ。
(1)チャレンジをやめて身の丈に合う計画に戻す
リーマンショックは多くの日本企業の業績を直撃した。もちろん東芝も例外ではない。こういう状況では企業は早めにリストラして贅肉を削ぎ落とすか、昭和風の「ド根性」で踏みとどまるかの選択肢があるが、東芝は「チャレンジ」をキーワードに後者を選択した。
諸報道によるとチャレンジを強行したのは当時の東芝経営陣であり、従業員は被害者ということになっているが、それはいささか疑問である。何故かというと、チャレンジが東芝の「企業文化」になっていた可能性があるからだ。企業文化はその企業にとっての「常識」に他ならない。
長年同じ組織にいると、自分たちの「常識」を疑わず、自分たちが世間と異なっていることに気付かなくなる。周囲と違うことを試みても、集団内で確立されたパターンに縛られてしまう状況を「集団的保守主義」と呼ぶ。これゆえに経営者(頭)を変えても現場(胴体)が変わらない組織は珍しくない。
(2)不振の原発を損切りする
東芝が業績不振に陥った大きな要因は原発事業である。しかし、かつての原発事業は東芝の屋台骨を支えていた。2006年に同社は有力原発企業の米WHを約6,370億円(高過ぎるという評価も当時あった)で買収して、原子炉の世界3大メーカーのひとつになった。ライバルの日立が不振だったこの頃が東芝の絶頂期だったと言える。ところが、買収後にWHの米国事業が不振となり、つまずきが始まった。
WHの損失が表に出た2017年は、もはや手遅れになっていた。経営陣はその前にWHを見切る「プランB」があったはずだ。しかしながら、こういった損切りは実は難しい。
事業に多額の研究開発費が投入されると、「損失を回避しなければならない」という思いが強くなる。そして、赤字を垂れ流しても、中々やめることができない。お金だけでなく、「仲間の苦労」や、長年「関係者を待たせたプレッシャー」も、やめられない理由になる。
うまく行かない事業は中断するべきなのに、現状にしがみついて逃れられない状態を「コンコルドの誤謬」と呼ぶ。コンコルドとは1970年代に英仏共同で開発された超音速旅客機を指す。同機は製造コストが高いのに収容できる旅客数が少なく、商業ベースの失敗は早くから明らかだった。ところが、関係者は中々撤退を決断できず、傷口を広げてしまった。事業から撤退しても回収できないコストを「サンクコスト」と呼ぶが、コンコルドの誤謬は「サンクコストの誤謬」の一種である。
(3)上場維持を諦める
東芝は上場維持のために「アクティビスト」から資金調達した。ここで問われるのは、東芝は上場維持を「プランA」として絶対的なゴールにする必要があったのかどうかである。
アクティビストは「無茶な要求」をする厄介な株主なので、経営陣はできれば彼らを巻き込みたくない。ただ、2017年当時、上場維持のためには巨額の追加出資を受けることが東芝にとって絶対に必要な状況だった。
上場は会社の知名度や信用につながり、経営者が目標にすることだが、竹中工務店やYKKのように非上場ながら知名度が高い企業もある。上場を続けると莫大なコストがかかり制度的な縛りも多いので、あえて上場をやめる企業も珍しくない。東芝くらいの知名度があれば、上場維持による「面子|《メンツ》」にこだわらず、上場廃止の「プランB」があったはずだ。
合理的に考えると「プランB」の上場廃止の方が良い。いったん非上場企業となり、経営改革のスピードを上げ、再び上場を目指すこともできる。
しかし、経営陣がそれをしなかったのは、「できれば現状を変えたくない」という「現状維持バイアス」が強く働いたためと思われる。現状を「変える」には、現状を「維持する」より、はるかに大きなエネルギーが必要とされ、合理的な「プランB」発動の機会を奪ってしまう。
以上東芝の例で見てきたように、合理的な「プランB」の発動を邪魔する要因が数多くあり、関係者の心理プロセスが説明できてしまう。それをどうやって克服するかが課題である。拙書『「プランB」の教科書』はその解決策について論じている。
(以下に続きます)
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著者プロフィール
尾崎 弘之(おざき ひろゆき)
1960年、福岡市生まれ。1984年東京大学法学部卒業後、野村證券入社。ニューヨーク法人などに勤務。モルガン・スタンレー、ゴールドマン・サックス勤務を経て、2001年にベンチャー業界へ転身。ベンチャー・キャピタル、複数スタートアップ企業の立ち上げ、エグジットに関わる。2005年より東京工科大学教授。2015年より神戸大学科学技術イノベーション研究科教授、同大経営学研究科教授(兼任)。
政府で核融合エネルギー委員会委員などを務める。博士(学術)。著書多数。