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辺境ノンフィクション作家・高野秀行の超ド級 語学青春記が9月5日に発売。 noteで本書の一部を先行公開!(後編)

ノンフィクション作家・高野秀行さんの好評連載【言語の天才まで1億光年】が大幅に加筆・修正、改題され、書籍『語学の天才まで1億光年』として、9月5日に発売予定!
発売に先駆け、加筆部分の第1章の一部を掲載します。(※文章は最終版ではないため、表記などが書籍と異なる場合があることをご了承ください)

インド一人旅でみるみる上達した英語。その秘訣とは。

前編はこちら

第1章 語学ビッグバン前夜(インド篇)/後編

2. 「正しさ」にこだわる人はいない  

 インド各地を旅し、1カ月後、私はカルカッタの中央駅に帰ってきた。  旅を始めたときとは別人のように精悍な面構えになっていた。やせてすっかり日焼けし、髪も髭も伸び放題、目は鋭く辺りをうかがっていた。日本を発つ前の、世間知らずのお坊ちゃんめいた面影はない。
 だが、それはあくまで外見上である。なぜそういう顔になったのかは聞くも涙、語るも涙だ。インド旅行は試練の連続だった。

インド旅行ルート

香辛料、生水、ぼったくり

 まず食事の問題。1980年代半ば、日本では香辛料を使った料理は一般的でなかった。私の実家では唐辛子を一切使わなかったから、私もインドに行くまで「辛い料理」を食べたことが一度もなかった。ところがインド料理には多少なりとも香辛料が含まれている。一口食べると口から火が出そうになった。水をがぶがぶ飲むとその水がよくない。香辛料と生水のおかげで、毎日ひどい下痢に襲われた。町にはトイレがないので、外出するのも恐怖だった。対処法は「極力食事をしない」。朝から夕方まで何も食べない日はざらだった。日が暮れる頃になって、しかたなくサモサやビスケットなどのスナックや菓子を食べる程度だ。結果として、もともと体脂肪がろくになかったのに五キロ以上やせた。
 もう一つは、人によく騙されたこと。例えば、市場に行くと、親切そうな人が声をかけてくる。
 「ハイ、フレンド、日本人? インドは初めて? じゃあ、私が案内してあげるよ」
 喜んであとを付いていくと、インドの伝統的な男性用シャツ「クルタ」やインドの革製サンダル「チャッパル」の売り場を紹介してくれた。いろいろな柄や色の商品を見せてもらい、チャイ(お茶)までいただく。そのうえで「特別に安くしてあげる」と言われ、例えば100ルピーで一着買う。喜んで礼を言い、宿に帰って、他の旅行者や宿のスタッフかオーナーにその話をすると、「そんなの10ルピーだ」と笑われるといった具合だ。
 日本では人を騙すとか騙されるといった行為が日常生活にないので、免疫がなくインドの物の相場を知らない19歳はいいように騙され続けた。途中から「俺はカモネギになってる」と気づいたものの、向こうも外国人ツーリスト相手の商売人だから、あの手この手を駆使してくる。私が泊まっているゲストハウスのオーナーの親戚だと称したり、「ビジネスでよく日本へ行くよ、シンジュクとかアキハバラとかニッポリとか」などと言って安心させたり、偶然を装って話しかけてきたり……。
 いったい何度騙されたことか。騙されるといっても、大金を取られたわけではなく、たいていは日本円にして数百円程度を余計に支払わされただけなのだが、騙されるという状況自体が耐えがたくて、私はすっかりインド人不信になってしまった。

英会話がみるみる上達した理由

 要するに、ワイルドな外見のうち、やせているのは地元料理が食べられないから、目が鋭いのは騙されすぎたからである。その他、日焼けは単にインドの3月が暑いせい、髪や髭がぼうぼうなのは身なりにかまわないせいで、我ながら情けないかぎりだ。
 ただ、意外なことに英語の会話力は1カ月で見違えるほど上がった。もとがゼロなのだから上がるに決まっているが、それでも現地に着いてしばらくするとインド人の客引きや両替商に取り囲まれながら英語であーだこーだと言い合いをするようになっており、日本を発つ前の私自身が想像できなかったことをやっているのは確かだった。
 理由はいくつもある。まず一人でバックパック旅行をしていたのがよかった。日本人二人以上だとどうしても日本語を話してしまうし、仲間うちで閉じてしまいがちだが、一人旅だと他の人と話す余地が出てくる。当時インドを旅するバックパッカーは、ドミトリー(大部屋)に泊まるのが普通だった。他の外国人旅行者と相部屋になる。宿の食堂でも相席になることが多く、自然に会話の機会が生まれる。私はインドまで来て日本人と一緒に過ごしても意味がないと思い、なるべく日本人旅行者とつるまないようにしていたので、なおさらだった。
 旅で使う英語は難しくないということもある。ゲストハウスに泊まる、出発する、列車かバスで移動して、次の目的地に到着する、また泊まる……のくり返しだ。使う言葉もパターン化する。しかも、私の他に大勢の旅行者がいる。彼らが言うのと同じことを言えばいい。チェックアウトのとき、私は最初「チェックアウト、プリーズ」などと言っていたが(それでも普通に通じるが)、他の人たちがʻʻI’m leaving.ʼʼと言うので、それを真似するようになった。「朝食付きですか?」という表現も他の外国人がʻʻIncluding breakfast?ʼʼとよく訊いているので、そのフレーズを拝借した。その言い方が欧米のきちんとしたホテルで適切かどうかはわからないが、少なくともインドの安宿ではオーケーなのである。
 あとは食堂や市場、列車、観光地での会話だが、やっぱりどこへ行ってもやりとりは似たりよったりだ。相手は商売人か役人で、外国人旅行者への対応にも慣れている。
 相手が英語ネイティヴでないことが多いのもよかった。「インド人の英語には訛りがあって聞き取りづらい」などと言う人がいるが、そんなことはない。英語はインドの公用語みたいなものだから、インド人にとって外国語では全然ないが、学校かテレビか道端で習う第二言語(もしくは第三言語)なのに変わりない。だからネイティヴみたいに音がくっついて聞き取れないということはないし、表現もシンプルである。rの音が巻き舌になり、master(マスター)が「マスタル」に近い音になるとかthがtに近い音になりʻʻThank you.ʼʼが「タンキュー」のように聞こえたりすることなどに慣れれば、ローマ字読みの日本人英語に近くて、とてもわかりやすい。
 外国人旅行者の話す英語も同様だ。なかにはイギリス人やオーストラリア人などの英語ネイティヴもいたが、多くは英語圏以外のヨーロッパから来た旅行者で、彼らにとっても英語は外国語(第二言語)だから、私より流暢なのは当然としても、聞き取りやすかった。もってまわった表現や小難しい単語を使うこともない。私と同じようにブロークンな英語を話す人も珍しくなかった。

コミュニケーションは協働作業

 学校の英語とちがい、本番の英会話に初めて挑んで、なによりもありがたくて、意外だったのは、会話の際、相手が助けてくれることだった。例えば、自分の部屋の扇風機が動かなくなったとフロントのスタッフに言いに行く。でも扇風機を英語で何と言うかわからない。そこで、フロントで回っている扇風機を指さし、これ(this one)などと言うと、スタッフの人はʻʻfan?ʼʼと言う。あ、そうそう、ファンって聞いたことがある! と思い出す。次に「動かない」がわからない。直訳的には「動く=move」だが、さすがにそれはちがうなと思う。そこで次善の策で「使えない」と言うことにする。ʻʻI can’t use the fan in my room.(僕の部屋の扇風機が使えない)ʼʼ
 すると、スタッフの人はこう聞き返す。ʻʻDoesn’t work?ʼʼ  おお、そういう言い方があるのか! と知る。それでʻʻYes,doesn’t work.ʼʼとオウム返しに答えると、「わかった。これから見に行く」と部屋に来てくれる。よくよく考えれば、このとき、私は一言も「扇風機が動かない」を英語で言っていない。全部相手が言った言葉である。
 学校の英語では何と言えばいいかわからなければ失格である。授業では恥をかき、テストでは点を落とす。でも肝心の本番では相手が答えを教えてくれるのだ。そして次回からはそれと同じシチュエーションで同じ表現を使えばいい。
 やがて、扇風機だけでなく、テレビでも水道でも電気でも、あるいは交通や行政みたいなシステムにもʻʻdoesn’t workʼʼが使えると知った。日本語でいえば「機能しない」である。当時のインドはあらゆることがʻʻdoesn’t workʼʼだったので、頻繁に使う表現だった。その他、腹を下して共同トイレに何度も行っていると、向こうからʻʻDiarrhea(下痢)?ʼʼと訊いてきたり、こちらが何かを訊いたらʻʻOK,let me check it.(わかった、今チェックしてみる)ʼʼと言われたりなど、会話の流れの中で習った表現は枚挙にいとまがない。
 コミュニケーションは協働作業なのである。自分一人で会話するということはない。必ず相手がおり、その相手はたいていの場合、コミュニケーションを成立させるためにこちらに協力してくれる。
 私は旅の半年ほど前、車の免許を取りに教習所へ通っていたのだが、ある教官が授業でこう言っていたのを思い出した。「みなさん、免許を取っていざ道路に出たら、他の車にぶつけちゃうんじゃないかと心配になるでしょ? でも大丈夫です。他の車(運転手)はみんな、みなさんより上手です。ちゃんとよけてくれます」。当時、これほど教習中の私を安心させてくれた言葉はなかった。
 同じようなことが語学にも言えるのである。「言葉が通じないと心配するかもしれないけれど、他の人たちはみんなもっと上手です。ちゃんと助けてくれます」
 助けないと会話が成立せず相手も困るのである。下手な車をよけないと他の車が困るように。
 ちなみに、先ほどスタッフの人の質問に答えて、私がʻʻYes,doesn’t work.ʼʼと答えたことについて、主語のitが抜けているとか、否定疑問文だから答えはyesでなくてnoだろうとか、英語を知る人はツッコミたくなるだろうが、そんなことは些細な問題で、この言い方でまず普通に通じる。このあと、世界中を旅してわかったことだが、アメリカやイギリスなど英語ネイティヴの国(それも地方)ならいざ知らず、それ以外の場所では英語を第二言語としている人が圧倒的多数であり、英語の「正しさ」にこだわる人は少ない。これはその後、私が三十数年にわたって実感していることでもある。
 とはいうものの。このインドの旅では語学の助け合いコミュニケーションは必ずしも吉と出ていなかった。前述したように、いろいろな人たちに騙されていたからだ。彼らは語学的には私に最大限の協力をしてくれていた。それはそうである。私と会話が成立しないとカネをせしめることができないからだ。初めて会った外国の人とこんなにスムーズに英語で話ができる! と私はつい感激してしまい、どんどん脇が甘くなっていったことは否めない。協働作業でどんどんカネを配給してしまっていたのである。
 もうインド人に対しては絶対に気を許すまいと心に決めていた。特に「向こうから話しかけてくる人間は絶対に悪人」と肝に銘じていた。

「インド人の英語じゃない!」

 ずいぶん長くなってしまったが、ここでインド各地の旅を終えてカルカッタ中央駅に降り立った場面に戻る。私の風貌はワイルドであり、警戒心に満ちていた。旅慣れたムードを醸し出していたはずだが、そんな外面に惑わされず正確に私の内面を見抜いている男が一人いた。そいつはふっと私に近づいて声をかけてきた。
 「ハロー! 君ひとりかい?」
 話しかけてきた男はジョンと名乗った。
 あろうことか、私はこの日の晩、このジョンにパスポートと帰りのチケットと有り金残らず騙し取られてしまったのだ。あれだけ「向こうから話しかけてくる人間は悪人」と自分に言い聞かせていたにもかかわらず。
 なぜ、このような失敗をしたのか。皮肉なことに最大の原因は「英語」だった。男は若いアジア系の顔立ちをしており、「マレーシア人で、クアラルンプールから旅行に来ている」と自己紹介した。彼の英語は流暢だがたいへん聞き取りやすく、なによりもrが巻き舌ではなく、この1カ月間インド旅行で聞き続けた英語とまるでちがった。
 「ああ、インド人の英語じゃない!」と私は瞬時に安心してしまった。  つまり、彼はインド人じゃないから信用しても大丈夫と思い込んでしまったのだ。
 ジョンは「部屋をシェアしないか」ともちかけてきて、私は「いいよ」と答えた。ツーリスト同士で部屋をシェアするというのは珍しくないからだ。あとで考えれば彼の言動は明らかにおかしかったのだが、残念ながら私はそれに気づかなかった。
 彼との打てば響くような英語の会話を楽しみながら、自ら奈落の底に落ちていったのだった。

この続きは、9月5日(月)発売予定『語学の天才まで1億光年』(集英社インターナショナル)でお楽しみください。

高野秀行『語学の天才まで1億光年』
2022年9月5日(月)発売
定価:1,870円(税込)
発行:集英社インターナショナル(発売:集英社)
体裁:四六判ソフトカバー/本文:336P(カラー口絵4P)
ISBN:978-4-7976-7414-9
※表紙画像は仮データです。発売時に変更になる場合があります。

高野秀行(たかのひでゆき)
ノンフィクション作家。1966年東京都生まれ。
ポリシーは「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをし、誰も書かない本を書く」。
『幻獣ムベンベを追え』(集英社文庫)でデビュー。『ワセダ三畳青春記』(集英社文庫)で酒飲み書店員大賞を、『謎の独立国家ソマリランド』(集英社文庫)で講談社ノンフィクション賞等を受賞。著書に『幻のアフリカ納豆を追え!』(新潮社)など多数。
歴史家・清水克行との共著に『世界の辺境とハードボイルド室町時代』(集英社文庫)などがある。


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