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コロナブルーを乗り越える本 高野秀行

世界の辺境を旅してきたノンフィクション作家、高野秀行さんは、しみじみと美しい、旅にまつわる本を紹介。「Go To トラベル」もいろいろありましたが、コロナ禍で旅という文化はどうなってしまうのでしょう!? 高野さんは言語の世界をどこまでも旅する「言語の天才まで1億光年」を連載中。あわせてどうぞ!!

※この記事は、集英社インターナショナル公式サイトで2020年4月11日に公開された記事の再掲載です。

『わたしのマトカ』

片桐はいり/幻冬舎文庫

マトカ.bk

本来なら今頃(2020年3月末〜4月末)は中東で取材していたはずだが、コロナ禍のため、中止を余儀なくされてしまった。そのために入念な準備をしていたわけだし、取材に行けなければ原稿も書けない。いや、中東どころか、今後、いつ海外取材に行けるか見当もつかない。もしかしたら、何年もどこへも行けないかもしれない。私の辺境作家人生はお先真っ暗……なのだが、意外にこの状況は悪くない。
この7、8年くらい、本当に忙しかった。海外に取材に行っては原稿を書き、マスコミの取材を受け、トークイベントや講演会、対談を行い、知人友人と飲み会に明け暮れていた。いつも手帳には予定がぎっしり書かれていた。どれも好きでやっていたことなので何も不満はないのだけれど、何か歯車に巻き込まれたようなせわしなさだったのも事実だ。
それが今、手帳の予定欄は真っ白である。依然として原稿の仕事はあるものの、ようやく歯車が止まり、一息つけた気分だ。自分をリセットするのにこの空白期間はちょうどいい。家でゆっくり好きな本を読む時間も増えた。
意外かもしれないが、私は旅の本をめったに読まない。自分がしょっちゅう旅をしているので、他人の旅に興味がもてないのかもしれない。「人の話を読むより自分が行った方が早い」なんて、バカなことを考えてしまったりもする。
その点、旅に行けない今、旅の本が読みたくなる。それも現在の私が求めているのは、エキサイティングな冒険譚ではなく、空白期間にふさわしい、ゆるやかな「旅情」である。
最近読んだのは片桐はいりさんの『わたしのマトカ』と『グアテマラの弟』。いずれも数年前に読んだのだが今まさに本棚でキラキラ光っているのに気づいたのだ。
『わたしのマトカ』は著者が映画のロケでフィンランドに1ヶ月滞在した話である。「マトカ」とはフィンランド語で「旅」を意味するという。片桐さんは感性も文章も愉快だ。
フィンランド人が大好きなサルミアッキという飴を「タイヤとゴムのホースに塩と砂糖をまぶしてかじったら、もしかしたらこんな味がするのかもしれない。未だかつて味わったことのないまずさだ」とケチョンケチョンにけなしたと思いきや、「あまりに得体の知れないものに出会うと、喜びすら湧きあがる。狭く思えた地球が果てしなく広く感じられる」と反転させる。
フィンランドにはサルミアッキ味のウォッカもある。片桐さんはその「黒く濃く激しいお酒」にも挑戦、「まずいうえにアルコールが強い。ブスなうえに乱暴だ、と言っているみたいだ」と嘆きつつ、「だけどもし、ブスだけと乱暴な女と懇ろになったら、逆に深みにはまるのかもしれない」とここでも見事な切り返し。いいねえ、この感じ。
片桐さんは旺盛な好奇心で、映画撮影の合間を縫って、フィンランドの町を歩き回る。夏の北欧の太陽、青い空、爽やかな風を背景に、彼女は路面電車の車掌さんと緊迫した対決(?)を行い、青空市場では片言のフィンランド語を駆使して新鮮な野菜を買う。週末のディスコに乗り込んだら木訥なフィンランドの若者たちから謎のアタック(フィンランドの産業について耳元で延々と語ってきかされるなど)を受けたりもする。
そういうフィンランドの旅のエピソードの中に、これまで彼女が旅してきた香港、カンボジア、日本各地などの思い出がミルフィーユのように織り込まれ、エキゾチスムの合間にノスタルジーの甘い香りが漂う。「愉快七割、しみじみ三割」程度の絶妙なさじ加減。私の理想とする旅情だ。

『グアテマラの弟』

片桐はいり/幻冬舎文庫

グアテマラ.bk

『グアテマラの弟』は、文字通り、中米グアテマラに移住した弟さん一家を訪ねて、現地の町を訪れる旅の話だが、こちらは亡くなった食い道楽のお父さん、年を取った働き者のお母さん、そして長年没交渉だった弟との一家4人の在りし日のエピソードを織り交ぜた、家族味の旅ミルフィーユ。こちらも愉快としみじみが心地よく交錯する。決して豊かではないが、食事と昼寝に情熱を燃やすグアテマラ人の生き方にも心が和む。
精神の健康を取り戻すためにもお勧めの片桐はいり旅物語二作である。

たかの ひでゆき ノンフィクション作家。
1966年、東京都生まれ。『幻獣ムベンベを追え』でデビュー。『ワセダ三畳青春記』で酒飲み書店員大賞を、『謎の独立国家ソマリランド』で講談社ノンフィクション賞、梅棹忠夫・山と探検文学賞を受賞。著書に『謎のアジア納豆』『辺境メシ』など多数。清水克行との共著に『世界の辺境とハードボイルド室町時代』『辺境の怪書、歴史の驚書、ハードボイルド読書合戦』など。

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