「ヒットに繫がると思えることは、とことん分析したい」
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「ヒットに繫がると思えることは、とことん分析したい」

『プロデュースの基本』第4章では、長きにわたりヒット曲をつくり続けた木﨑賢治さんが曲づくりの法則を明かしています。時代と楽曲の関係、状況設定が生み出す歌詞。音楽制作だけでなく、すべてのものづくりに応用できる秘訣が満載です。

[4 今あるといいアーティスト像を考える]

 僕らの仕事は、他にない音楽をつくること。今すでにいるアーティストや音楽を真似してもしょうがない。何でもいいから一味違う音楽をつくったり、バージョンアップしたアーティストを育てたりしたいです。

90年代に尾崎豊のようなラッパーがいたら
 槇原敬之くんがデビューしたときは、世の中は空前のバンドブームでした。ちょうど「いか天」(TBS系「三宅裕司のいかすバンド天国」)が流行っていたころで、僕らの周りでもデビューさせるためにバンドを探している人がたくさんいました。でも、だからこそ逆に、ピアノを弾きながら歌うソロシンガーというのはいいなと思ったんです。
 僕はその時代に流行っている音楽やアーティストじゃなくて「こういう人が今、世の中に現れたらおもしろいな」ということをよく考えます。
 たとえば、80年代に尾崎豊くんが出てきたわけですが、その10年後の90年代、尾崎くんみたいな感じの人がシリアスな顔つきでヒップホップをやっていたら、おもしろかったんじゃないかなとか。そう思っていると、そういう人に巡り会えることも多いから、いつもそんなことを考えていたいですね。
 最近でいうと、世の中にないものをやられたなと思うのは King Gnu。ここしばらく健康的でいい人っぽいイメージのバンドが多かったなかで、ちょっと不良で退廃的でロックなアプローチをしてきたのはすごいなと思います。それに、彼らはパフォーマンスができるアーティストでもありますよね。動きがあるから、見ていて飽きないんです。
 もちろん、音楽にはいろんな楽しみ方がありますから、動きが大きければいいというわけでもないんですが、一時期に比べると今はやっぱり目で楽しめる、パフォーマンスができるアーティストが求められているのかなと思います。

時代によって変化するグルーヴ
 僕が最近特に楽しいなと思ったのは、エド・シーランのライブ。何より、ペットボトルの捨て方がよかった。ステージで飲んだあと、無造作にポーンと放り投げるんです。それが気になって気になってしょうがなかった。ペットボトルが気になるなんて僕だけかなと思っていたら、ライブに行った知り合いに聞くと、みんなけっこう気になっていたみたいなんですよね。
 やっぱり、イメージと違うから気になるんです。エド・シーランなら丁寧に置くだろうなって、そういうイメージなんですよ。豪快にポーンと投げ捨てる感じが、アコースティックギターを弾いている人じゃないなっていう、要するにギャップを感じたから気になったんでしょうね。
 本書でたびたび言っていますが、ギャップは人を感動させる要素です。ビッグになるアーティストや音楽には必ずあります。
 音楽だから、本来は耳から入ってくる音が大事なはずなんですが、実は目から入ってくる情報のほうが影響力が大きいんだと思います。
 もちろん歌はよかったし、ひとりでやるっていう意外性も含めておもしろかったです。曲はフォークソングっぽいんだけど、ヒップホップも知っていて、それをループペダル(ギターのカッティングやフレーズ、コーラスなどを録音し、それをバックトラックとして再生できる機器)を使ってたったひとりで表現するんです。キックドラムの替わりにアコースティックギターの胴をたたいてオーディエンスを踊らせるほどのすごい低音をつくる。昔のアコースティックギターを持って歌う人とはぜんぜんスタイルが違います。
 フォークソング+ラップというふたつの要素を組み合わせて新しい音楽をつくっているんです。それにタトゥーだらけなのにアコースティックギターというのも新しいですね。
 そう、時代によって音楽のグルーヴは変化するんです。それに合わせてメロディの譜割りなども、どんどん変わっていると思いますね。本質的なメロディ自体のキュンとする感じとか、そういうものはむしろ変わっていないように思います。譜割りやリズムが、やっぱりどんどん新しくなっていく。これにはなんというか、生活のスピード感とか、そういういろいろなものが関係しているのかもしれません。

[ 8 その曲がヒットするかどうかなんてわからない]

 ヒットするかどうかということなんて、つくっているときには考えられないけど、毎回ヒットするために考えうる最善を尽くして作品をつくっています。こうすればヒットするはずだと考えられる知識、技術を駆使して僕は音楽を制作しています。
 かつてイチロー選手も言っていました。「ヒットを打てるかどうかなんてわからないけど、毎回ヒットを打つと思って打席に立っている」と。それは「あそこでヒットを打てると思っていましたか?」という記者の質問に答えてのことでしたけど、そういう質問はものをつくったことのない人の発想なんでしょうね。

その時代のメインストリームを捉える
 僕も「『勝手にしやがれ』は売れると思っていましたか」と聞かれたことがあります。思っていなかったとも言えるし、思っていたとも言えます。つくる前提としては、全部の曲をヒットさせるつもりでいるからです。
 でも、売れるかどうかなんて、本当にわからないですよね。ヒット曲の法則を見つけたいと思って、今日まで研究しながら制作してきましたけど、ヒットする確率をより高くしようと努力を続けるしかないと思っています。
 ただ、その時代時代のヒットゾーンというのは確かにあるんです。ポップミュージックのメインストリームはヒットチャート上に必ず見えていて、まずはそのど真ん中にいるアーティストを把握することが大事。そこと比較して、自分がプロデュースするアーティストの今の立ち位置がどこなのかを確認してから、やっぱりメインストリームの先を行くつもりで制作に入ります。
 ヒットに繫がると思えることは、とことん分析したいんですよね、歌い方ひとつにしても。それでうまくいかなければ、また分析してやり直すだけです。その繰り返しですね。

[ 12 聴いてよかったら法則はあっさり破る] 

 同じメロディは2回繰り返したら次は展開させるのがいい、という法則を自分でつくりました。でも3回以上繰り返してもいい、と思う場合も出てくるんですね。同じメロディでも言葉が変わっていくとしつこく感じなかったり、歌い方がすごくグルーヴィーだと3回4回繰り返していても、飽きないときもあるんです。
 耳で聴いてよかったら、たとえ法則から外れていても、聴いた印象のほうを優先させることが大事ですね。自分でつくった法則に縛られてはなりません。いちばん信頼すべきなのは、自分の感性なんです。

既存の法則が当てはまらないビリー・アイリッシュ
 ここのところ僕が気に入って聴いているビリー・アイリッシュは、既存の法則が当てはまりません。同じくよく聴いていたケイティ・ペリーやマルーン5、テイラー・スウィフト、ブルーノ・マーズともいろんな意味で違って、プロフェッショナルに仕事をしてきたプロデューサーたちにはなかなかできない方法論で音楽をつくっているように感じます。
 たとえば、近ごろの洋楽はAメロとサビでコード進行を変えることがあまりなかったんですが、ビリー・アイリッシュはけっこう違う進行にしていたり、昔っぽいコードの流れもあば、極端に音が少ない構成もあります。
 バラードっぽい曲であれば、僕ならリズムのあるメロディがいいなと思うところですが、サウンドにもメロディにもはっきりしたリズムがなかったりするんですね。彼女の前では、僕の法則はけっこう崩されてしまいました。
 それは言語における文法みたいなものです。いつも若い人によって壊されて、新しい文法に書き換えられてきたのとよく似ていますね。音楽の文法もいつも新しく書き換えられているんです。
 最近では、大きな声で歌う人が少なくなっていて、僕もビリー・アイリッシュの小さな声で歌う歌い方は好きなんですけど、正直こんなに受け入れられるとは思っていませんでした。

時代を追い越していく音楽
 ビリー・アイリッシュの真似はなかなかできないと思います。曲がそこまでいいかと言われれば、ちょっと疑問が残るところもあります。でも彼女は、今は曲よりも、世界観の表現がいちばん重要になってきているということを教えてくれています。彼女の世界観のつくり方が、他の全部をOKにしてしまっている気がしますね。
「バッド・ガイ」という曲は誰が聴いてもリズムがはっきりしていて、メロディも立っているので、ここを入り口にするともう全部好きになってしまうような、そんな魅力があるんだと思います。
 だから、これはちょっと「参りました」という感じですよ。彼女の音楽は、僕のなかになかった法則でできているようです。ただ、時代を追い越していくのは、いつもこういうものなんでしょうね。
 ポップミュージックはメロディの時代からサウンドの時代へ、そしてサウンドの時代から世界観の時代へと変わってきた気がします。

[17 状況設定がしっかりしていれば、言葉は自然に出てくる]

 僕が40代のころ、日本語を習っているドイツ人の女の子がこう言ったんです。「若い子たちが喋っている日本語と、学校で習っている日本語は違うような感じがする」って。それは本当のことなので、僕は「そうだね、ちょっと違うんだよ」と言いました。そうしたら彼女が「じゃあ、若い子が喋っているみたいに話してくれない?」と。その瞬間、僕は何も言えなくなったんです。頭ではわかっていても、とっさには何も出てこなかった。

シチュエーションと言葉
 それで、シチュエーションを設定してみたんです。授業に出るつもりで大学に行ったら入口に休講の知らせが貼ってあった。そのとき、観たかった映画のことを思い出して、友達に電話をして映画観にいこうよって誘ったそこまで想像して、やっと言葉が出てきたんです。
「今日学校に来たらさ、休講になっててさ、ムッとしたんだけど、そういや前から観たかった映画があったじゃん、だから電話したんだ」って、若い子たちのように。
 そのとき、状況設定があれば、言葉というのは出てくるものなんだと思いました。言葉は絞り出すものじゃなくて自然に出てくるものなんだ、と。
 たとえば、ミュージカル。僕はミュージカルの楽曲にはいい作品が多いと思っているんですけど、それはきっと状況設定が明確になったうえで作詞作曲をしているからだと思うんです。要するに、脚本とリンクしているから伝わるんですね。
 脚本はト書きとセリフで構成されています。ト書きは詩における状況設定なんです。
 たとえば、午後4時、渋谷のカフェ。主人公のA子は映画の上映まで時間があったので、近くのカフェにひとりで立ち寄ります。お店のBGMは洋楽の曲。
 カフェオレを注文して、スマホを見ていると、突然、1年くらい前に別れた元彼がかわいい女の子と笑いながら入って来た。自分にはまだ新しい彼はいない。次の瞬間元彼と一瞬目があった。
 ここまでが状況設定で、ここでその曲のイントロが始まります。
 この状況で元彼に言うこととか、実際には口に出さなくても頭のなかで言うセリフが歌詞になります。
「相変わらずあなたは楽しそうに毎日を生きてるんだね。でも私はそこが嫌だったの。辛いことや悲しいことも、あったはずなのにぜんぜん話してくれなくて、距離を感じたから……」みたいにです。
 状況設定が具体的であればあるほど、その主人公が思ったこと、言いたいことが自然と言葉になって出てくるものです。そして、ト書きのように説明しなくても、聴き手にちゃんと状況が見える歌詞ができると僕は思います。

[ 19 感情的になると、人はセンテンスで語れない]

 歌詞というのは、すごく感情的なところと理知的なところが織り交ざっているものだと思います。理知的な部分が先行すると、理路整然となってしまうことがあるんですが、歌詞はそうじゃないほうがおもしろいですね。

歌詞は文章でなくていい
 たとえば、ヤカンが置いてあって、それをひっくり返してしまって、お湯を浴びて熱かったという場面があるとします。歌詞では、それをそのまま理路整然と言葉にすることはないですよね。
 まず「熱いな」とくる。そのあとで「誰なんだよ」「こんなところにヤカン置いてんのは」と続けば、あえて言葉にしなくてもヤカンにお湯が入っていたことがわかりますよね。歌詞はつまり、文章になっていなくてもぜんぜんいいんです。
 気持ちって、単語を並べるだけでも伝わるんですよ。それを感じたのが、うちの子供が「パパ、あんこ」って言ったときのことです。まだ小さくて、それこそ限られた単語しか話せなかったころだったけど、単語ひとつで、あんこのお菓子が食べたいんだなってわかったんです。
 歌詞もそのぐらいで十分。足りないところがあっても、メロディがちゃんとそこを埋めてくれますから。

メロディが感情を担う
 昔、阿久悠さんの詩を見たとき、電文みたいだなと思ったことがあったんです。簡潔明瞭でなんだかサバサバしていて情緒がないように感じました。一つひとつの単語がはっきりして強かったからでしょうね。
 でも、それにメロディが乗ると、サバサバしていたところに潤いが出てくるんですね。詩にはどこか理屈っぽいところがあるんですけど、メロディがつくと情緒や感情を担って、気持ちにすうっと入ってくるものになりますね。バランスも取れていて、なるほど音楽とはこういうものかと思いました。
 電報にメロディをつけるとわかりやすいんです。電報は単語の連続ですよね。「ハラヘッタ カネ オクレ」だけだとドライな印象だけど、これに「♪かあさんが〜夜なべをして〜」(「かあさんの歌*」)みたいな悲しいメロディをつけたら、「♪腹減った〜金送れ〜」というメッセージがもう死にそうな感じで伝わります。軽やかで明るいメロディで「♪ハラヘッタ! カネオクレ〜!」なんて歌えば、ちょっとコメディタッチでかわいいでしょう。
 同じ「ハラヘッタ カネ オクレ」でも、メロディによって情感が変わってくるんです。まさにそれが言葉とメロディの関係性なんですね。歌詞は伝えたい気持ち、考え方で、文章である必要がなく、メロディはその詩に情感を与えます。
(*引用歌詞 「かあさんの歌」作詞・窪田聡)

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木﨑賢治『プロデュースの基本』 

木﨑賢治(きさき・けんじ)
音楽プロデューサー。1946年、東京都生まれ。東京外国語大学フランス語学科卒業。渡辺音楽出版(株)で、アグネス・チャン、沢田研二、山下久美子、大澤誉志幸、吉川晃司などの制作を手がけ、独立。その後、槇原敬之、トライセラトップス、BUMP OF CHICKENなどのプロデュースをし、数多くのヒット曲を生み出す。(株)ブリッジ代表取締役。銀色夏生との共著に『ものを作るということ』(角川文庫)がある。

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