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【第1章】コンゴ怪獣探査と言語ビッグバン 第1回 | 高野秀行

第1回 初めて「魔法」を手に入れた日──フランス語


 私は無類の言語好きで、これまで20を超える言語を習い、実際に現地で使っている。
 ・・・・・・などと言うと、「やっぱり言語の天才なんですね!」などと感嘆されてしまうのだが、残念ながら現実はまるでちがう。
 私が使える言語のなかで、最も得意なのは(日本語を除くと)圧倒的に英語であり、その英語ですらネイティブの言うことはさっぱりわからず、自分で話す方もぐずぐずのブロークンである。

言語の天才、かくあるべし?!
 だいたい言語の天才というのは、スマートな人であるべきだ。私のイメージでは、「涼しい顔でウィスキーのグラスを傾けながら初対面の外国人を相手に4つか5つの言語を駆使してジョークを飛ばすような人」ということになっている。ここでなぜウィスキーなのかはわからない。日本酒でもワインでもいいはずだが、やはりウィスキーである。おそらく私は「国際人」と「言語の天才」を混同しているのであろう。しかも現実にはどっちも見たことがないうえ、国際人については、前世紀のビジネスエリートみたいなものが念頭にあるので、こんなステレオタイプな幻想をもっているのかもしれない。
 ともあれ、自分がそうであってほしいと思うのだが、現実の私は日本語でない言語を話す人を目の前にすると、必ずあたふたする。壊れかけのコンピューターのように脳内でせわしなく過去のデータをひっくり返し、単語や音声を探し文法を組み立て、汗びっしょりかいたあげくようやく「こんにちは」と一言発するだけという有様で、ひどいときには絶句してフリーズする。
 よく「英語を話そうとすると頭が真っ白になる」と言う人がいる。自慢ではないが、私の人生では十いくつもの言語でしょっちゅう、そういうことが起きている。アフリカ東部の言語であるソマリ語が話せるという触れ込みでソマリ人に引き合わされたものの、相手の言うことがまるでわからないどころか、「これ、ほんとうにソマリ語か?」と疑念を抱いたこともある。相手のソマリ人こそ「こいつがソマリ語の話せる人間? 噓だろ?」と首をひねったことだろう。
 こんな言語の天才がいるだろうか。いないに決まっている。それどころか私ほど言語において連戦連敗をくり返し、苦しんでいる人間はそうそういないはずだ。
 でも、というか、だからこそ、私は言語に対して並外れた深い想いを抱いている。言語に関しては言いたいことが山ほどある。正直言って、世の中で言語ほど理解されていないものも珍しいように思う。言語学者の言うことは難しすぎ、かといってちょっと言語ができる素人の言うことは浅すぎる。
 また、これまで数え切れないほど多くの人から「何カ国語話せます?」とか「外国語を習得するコツは何ですか?」などと訊かれてきたが、ちゃんと答えられた試しがない。いったいどこから話せばいいのかわからないのだ。本連載ではいずれそういった難問にも正面から答えていきたいが、とりあえず難しいことは避けるのが私の性分なので、もっとやさしい話から始めたい。すなわち、なぜ私がここまで言語好きになったのか、である。

ムベンベ探索というRPG
 高校を卒業するまでは言語に何の関心もなかった。大学入学後、たまたま探検部というサークルに入ったが初期の頃はさして熱心に活動していなかった。初めて行った外国はインドである。そこで旅行に必要な程度の、いたってブロークンな英語を使うことを覚えた。
 現地の人たちはヒンディー語などを話していることは知っていたが、それを学ぶという発想はゼロだった。ヒンディー語を学ぶなんて宇宙人の言葉を学ぶみたいな気がした。だから旅の途中でたまたま出会った東京外国語大学ヒンディー語学科の学生を畏敬の念で眺めていたものだ。当時の私にとって「外国語=英語」だった。
 状況が一変したのは、アフリカのコンゴ人民共和国(現コンゴ共和国)へモケーレ・ムベンベ(略称ムベンベ)という謎の怪獣を探しにいこうと考えるようになってからだ。 
 コンゴへ遠征するためにはコンゴ政府の許可を得る必要があるらしい。しかしコンゴは旧フランスの植民地であり、公用語がフランス語だという。フランス語ができないとムベンベ探検ができないのである。
 この状況にはなかなかワクワクさせられた。「今の時代、外国語を話せるようにならないといけない」などという一般論では私は全くモチベーションが上がらないのだが、「それをやらないと目的が達せられない」という具体的なミッションとなると、急に前のめりになるのだ。
 海外における私の活動というのは当時から今に至るまで、RPG(ロールプレイングゲーム)のようだと思う。「思う」というのは自分ではRPGを一度もやったことがなく、噂で聞くだけだからだ。それによれば、RPGでは「宝をゲットする」とか「姫を救い出す」といった究極目標のために困難な場所へ自ら乗り込んでいく。そして強大な敵を倒すために仲間を集めたり武器や魔法を得たりするらしい(ちがっていたらすみません)。
 私のやっていることも同じだ。目的のためにありとあらゆる手段を駆使して困難を乗り越える。そこにカタルシスがある。そして、RPGにおける「魔法」に当たるのが言語だろう。
 実際に私たちの前に駒澤大学探検部の人たちが先にコンゴへ行っていたが、フランス語がわからず、撤退していた。魔法を持ち合わせていなかったのだ。持ち合わせていなければ獲得すればいい、というのが私の考えだった。

フランス文学専修はブラックホール
 実を言うとフランス語は私にとって未知の言語ではなかった。私の行っていた高校には第2外国語の授業があり、私はフランス語をとっていた。しかも大学では文学部のフランス文学専修へ進んだ。まさにフランス語エリート! 第2の故郷はパリ?!と思われてもしかたはないが、実情は全く異なる。
 高校は大学の付属で生徒は自動的に大学へ進学できた。だから先生も生徒も勉強に対する意欲がおそろしく低かった。フランス語は3年間習ったが、英語で言えば中学1年生ぐらいのレベルにしか達していなかったはずだ。
 大学の文学部に入学してからは勉学の熱意がさらに落ちた。早稲田大学の文学部は風変わりで、入学した時点で専修は決まっていない。1年間は誰もが同じように外国語(英語と第2外国語)と一般教養科目を履修する。私は第2外国語は当然フランス語を選択した。当たり前のことながら授業は楽勝でありこれっぽっちも勉強せずに済ますことができた。その代わり、1年後には真面目に一から勉強した他の学生に完全に追いつかれてしまった。
 私は当時の学生の常識に従い、「大学は勉強するところではない」と思っていたので、他の科目についてもおよそ勉強しなかった。ところが早大の文学部ではそれが通らなかった。前述のようにここでは2年生に進級するときに専修が決まる。だが人気のある専修とそうでない専修があるため、誰もが希望通り進級できるわけではない。判断基準は成績だった。そう、この独特のシステムのため、早大文学部の1年生の多くは(勉強してないふりをしつつ)受験生の勢いを保持したまま勉学に励んでいたのだ。
 私が希望していたのは考古学専修だった。高校時代に映画「インディ・ジョーンズ」シリーズや月刊『ムー』の「ピラミッドは宇宙人がつくった!」みたいな記事にいたく影響を受けて、考古学をやりたいと思っていた。私は「現在の考古学の常識をひっくり返したい。そのためには現在の考古学を学ばなければいけない」という真っ当なのかバカなのかよくわからない信念をもっていたのだ。
 ところが考古学専修は定員がたった15名。文学部の1年生は総勢ざっと1300名。考古学専修への希望者はさほど多くなかったらしいが、後で聞くと20名ぐらいが希望したらしい。ルール通り、成績順で決められた。たぶん成績が学年でも下から何番目という私は当然のように弾かれ、第2希望(どこだったのか覚えていない)も弾かれ、大幅定員割れしているフランス文学専修にまわされた。考古学の常識をひっくり返す暇がなかったのは遺憾の一言であった。
 早稲田の仏文はかつては花形専修であったため教授の数が多く、したがって定員も90名と他専修と比べて著しく包容力があった。言い換えれば希望が叶わない学生が大量に吸い込まれるブラックホールのような状態にあった。
 その結果、第1希望でフランス文学に入った人間は30名にも満たず、それ以外の60名以上は私を含め、全く希望していないのに来てしまった連中だった。しかも各文学専修には「1年生のときその言語を履修している者しか入れない」という規則もあった。第2外国語でフランス語をとっていたらドイツ文学やロシア文学には進めず、他に行き場がないなら自動的にフランス文学送りとなるのだ。中には第2外国語のフランス語の成績が悪すぎてフランス文学専修送りになったやつもたくさんおり、専修そのものが彼らにとっても教授陣にとっても悪夢のような暗黒宇宙と化していた。授業中はいつも無気力と虚無感がとぐろを巻いていたものだ。
 私も日々虚ろな表情で大学に通っていた。ムベンベ探索を志してからは「コンゴ遠征の準備の一環」として授業の予習を行うよう努めたものの、いかんせん授業内容はフローベルとバルザックといった19世紀の古典文学が中心である。しかも日本人の先生が読んで訳して解説するという伝統的な日本の大学講座スタイルだ。現代のフランスやパリについての話題は皆無、会話の練習もほとんどなかった。フランス人と話をする機会も当然ない。正直言ってぜんぜん興味が湧かない。だから勉強が体のなかに入ってこない。私のフランス語力は中学1年生に毛が生えた程度にとどまっていた。
 これがフランス語エリートもどきの実態である。こんな状態ではフランス語圏へ行って何かするのは不可能だ。フランス語会話を一から習う必要があった。

暗黒舞踏ダンサー、シルヴィ先生
 今でもよく憶えているが、八王子市にある実家に帰る途中、京王線でやせた金髪の西欧人女性と隣り合わせた。1986年のことで、当時外国人はひじょうに珍しかった。それゆえ私は緊張したが、彼女が読んでいるのがフランス語の本であることに気づくと思わず、「フランス人ですか?」とフランス語で訊いてしまった。内気な私にしてはものすごく珍しいことだ。よほどコンゴの怪獣探しに行きたかったのだろう。
 彼女は「ウィ(そうです)」と返事をしてくれたが、それ以外は全く理解できなかった。そのあとは、英語で話したのだが、彼女は私同様、八王子に住んでいることがわかった。その場で私はその金髪の女性にフランス語の個人レッスンをしてほしいと頼んだ。シルヴィという名前の彼女は快諾してくれた。
 シルヴィについては前に別の本(『異国トーキョー漂流記』集英社文庫)で書いたことがあるので、詳細は省くが、日本の暗黒舞踏のグループに所属しているダンサーだった。といってもそれでは生活ができないので、バーのホステスなど他のバイトをしているようだった。
 フランス語を教えた経験はなかったらしい。もともとヒッピーのように何年も世界を放浪したあげく日本に流れ着き、日本でもヒッピーのような仲間たちと古びた長屋で共同生活をしていた。彼らはみな、会社や学校といった現代社会的なものを毛嫌いしており彼女も例外ではなかった。だから語学の個人レッスンといっても、何のメソッドもない。やる気もない。
 初日の授業で、彼女が(英語で)まず言ったのは「フランス語で何か自分のことを話してみて」だった。何かと言われても、フランス語は一言も思い浮かばなかった。そもそもフランス語で何か言えるようになるためにここに来たのだ。
 すると、シルヴィ先生は「わからないときは英語でいい」と言う。それで私は自分が大学の探検部に所属していること、コンゴへ怪獣を探しに行きたいこと、それにはコンゴ政府の許可がいるらしいのでそれを取得したいことなど、まるで彼女がコンゴ大使館の職員であるかのように訥々(とつとつ)と訴えた。
 万事に浮世離れしていたシルヴィ先生は自分の初の生徒が語る突飛な希望にもさほど驚いた様子はなく、「へえ」とちょっと面白そうな顔をしただけで、淡々とフランス語にそれを直していった。私はそれをノートにメモした。
 例文を一つ二つ覚えたからといって語学全体においては大した影響はない。でも、それらは確実にコンゴ行きへの血肉になっていく。それがすごく嬉しかった。
 自動車製造にたとえるなら、今までの英語やフランス語の授業では自動車が動く原理や仕組みを教わるだけだったのだが、ここでは部品を一つずつ手渡され、その場で少しずつ1台の車を組み立てているような気分だった。

二重録音学習法
 当時はそこまで気づいてなかったが、ここで初めて私は「主体的に言語を勉強する」という経験をしたのだ。なんでもそうだけれど、言語は特に、やらされてやっていると面白くもなんともないし、ぜんぜん身にもつかないが、主体的にやると体へ激しく染み込んでくる。
 自分で身銭(1時間3000円)を切っているのも大きかった。「3000円の元をとらなきゃ!」と切実に思うからだ。主体性は増す一方である。
 こうして主体的な言語学習を始めたのはいいが、問題は先生が主体的でないことだった。
 とにかくやる気がない。すぐ授業に飽きて、日本の生活の愚痴だとか昔の旅の話だとか、現代文明が病んでいるとかいった話を始める。それらはとりとめがないお喋りなのでノートに書きとめることもできないし、なんとなくわかる程度で細かいところはさっぱりだし、彼女の話に熱が入れば入るほど、次第に私の方がぼんやりしてしまう。主体から非主体に転落してしまうのだ。
 これではいかん。カネと時間を浪費しているだけだと思った私は、悩んだ末に、画期的な解決策を思いついた。授業を丸ごとテープレコーダーで録音することにしたのだ。60分を録音し、家に帰ってから彼女のおしゃべりを全部文字起こしした。わからないところは辞書や文法書と首っ引きになって類推する。
 そしてそれを次のレッスンでシルヴィ先生にチェックしてもらう。
このテープ起こし学習法はびっくりするほど効果的だった。何よりよかったのは「フランス人の話す本当のフランス語」が学べるところだ。一般的な学校の授業は、“建前”から成り立っている。教科書には「こういうフランス語が望ましい」というものが載っているが、現実のフランス人はそんな話し方をしていない。だが、シルヴィ先生は教える気がゼロであるゆえにすべてが「素」であり自然体だった。だから彼女の話す言葉はみなリアルなフランス語なのだ。
 テープのなかには「あら、私ってバカね……」とか「ちきしょう。むかつく!」「あいつ、性格が悪いのよ」なんて言葉もちゃんと録音されていた。そういう表現は後にコンゴへ行ったときに「即戦力」となった。
 テープ起こしはその後さらに進化した。前回のテープ起こしをチェックしてもらうのに次のレッスン60分が全部費やされてしまう。それがもったいないと思い、私は2台目のレコーダーを用意して、「前回のテープ起こしをチェックしているシルヴィ先生のしゃべり」を録音した。
 二重録音が含まれるシュールな学習法だったが、これも役に立った。「あ、これはね、××の女性形なのよ」とか「私はこう言ったけど、本当はこう言った方が丁寧だ」とか「いやだ、私こんなこと言ってたの?! ちょっと他の人に言わないでよ!」なんて表現が録音されたからだ。私はこれをまたテープ起こしして、シルヴィ先生を苦笑させた。
 同時に、コンゴ政府へムベンベ探索の許可を申請する書類をシルヴィと一緒に作成した。コンゴ政府から来た返事を解読し、さらにこちらの希望を具体的に盛り込んだ返事を書いた。
 それも授業だったし、またその様子を録音してテープ起こしした。1年後にはコンゴへ行く手はずが整ってしまった。コンゴ政府の許可も、最低限現地で必要なフランス語の会話能力も得られてしまったのだった。
 人生において「魔法」を獲得した初めての体験であり、言語という魔法を獲得することがどれほど面白いか初めて実感したときでもあった。

高野秀行(たかのひでゆき)
ノンフィクション作家。1966年東京都生まれ。
『幻獣ムベンベを追え』(集英社文庫)でデビュー。『ワセダ三畳青春記』(集英社文庫)で酒飲み書店員大賞を、『謎の独立国家ソマリランド』(集英社文庫)で講談社ノンフィクション賞と、梅棹忠夫・山と探検文学賞を受賞。
著書に『アヘン王国潜入記』(集英社文庫)、『移民の宴』(講談社文庫)、 『幻のアフリカ納豆を追え!』(新潮社)など多数。
歴史家・清水克行との共著に『世界の辺境とハードボイルド室町時代』、『辺境の怪書、歴史の驚書、ハードボイルド読書合戦』(ともに集英社文庫)がある。

第2・第4金曜日 更新予定

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「誰も行かないところに行き、誰もやらないことをやり、それをおもしろおかしく書く」をモットーにしているノンフィクション作家、高野秀行さん。辺境の地では、テキストはもちろん辞書もないような言語が話されている。アフリカのリンガラ語、ボミタバ語、ミャンマーのワ語……。 それらの言語を高野さんは習い、現地で操り、人々の懐に入り込む。なぜそんなことができるのか。 その謎に答えるのが本連載。学んだ言語は20以上、言語オタクを自認する高野さんが、自らの言語体験をたどる。フランス語やスペイン語、中国語など、メジャーな言語の独特すぎる学習方法も登場します。 なお、高野さんの言語人生を振り返りますので、一部が既刊の本の内容と重なる場合がありますが、ご了承ください。

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