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混沌のゴールデントライアングル言語群篇 (2)チェンマイで迎えた第二の青春

言語オタクとしてこの上なく充実していた学生生活に別れを告げ、タイ語短期集中講座を経て、タイの北部のチェンマイで社会人生活をスタートさせた高野さん。 そこで待ち受けていたものとは──。

 刺激の強いアフリカのコンゴや南米を歩き回っていた私にとって、タイのチェンマイは新天地そのものだった。こぢんまりとして、町も人も気候も穏やかでのんびりしていた。

天国のような新天地
 私が赴任したチェンマイ大学は旧市街から2キロほど離れたところに広大な敷地を有していた。あまりに広いので教員も学生もバイクか乗り合い自動車でキャンパス内を移動するのが普通だった。
 チェンマイに到着したのは5月末だった。その頃から10月ぐらいまでは雨季にあたる。日中の最高気温は33〜34℃に達したが、スコールが多いこともあり、日陰の風通しのよいところは心地よく、エアコンがなくても困らなかった。
 なにより新鮮だったのは職場環境である。日本語学科の先生は日本人2名、タイ人4名という構成だったが、私以外は全員30歳以下の女性だった。学生も圧倒的に女子の比率が高かった。私が担当した4年生は、12人中11人が女子である。
 これまで日本でも外国でも汗臭い男子社会に浸っていたものだから、この女子の園はまるで天国のような華やかさだった。学生時代、アフリカやアマゾンで好き放題の青春時代を謳歌してきたくせに、「これぞ青春!」と深く感動していた。正確には “第二の青春”である。

チェンマイ2

国立チェンマイ大学正門前

チェンマイ3

学生寮の前
 全国から学生が集まるため、学生寮も充実している。移動にはバイク、民間の乗り合い自動車、そして大学構内専用の移動車両(写真左)などが利用されていた。


チェンマイ4

                                       1992年度に私が教えていた4年生たち
  4年生のクラス12人中10人が集合している写真。どの子もかわいらしい。年齢的には当時25~26歳の私とは4、5歳しか離れてなかったのだが、自分の娘みたいな感じがした。

他の言語とあらゆる要素が異なるタイ語
 言語学習の面でもタイ語は私にとって完全な新天地だった。タイ語はタイ・カダイ語族に属しており、あらゆる面でインド・ヨーロッパ語族やバントゥー諸語とは隔絶していた。
 言語は学習するうえで大きく4つの要素に分けられると思う。1.文法、2.発音、3.語彙、4.文字である。
 このうち「1.文法」は進化系統の結果である語族やそのサブグループである語派に大きく左右される。語族や語派が同じであれば文法も似通っている。
 「2.発音」は語族・語派という系統だけでなく、地域にも左右される。異なる言語系統でも、近い場所にある言語群は互いに影響しあい、発音が似てくることがある。
 「3.語彙」はとても面白い。語族や語派が同じなら基礎語彙は似通っているケースが多いが、「政府」「学校」「状況」「世界」といった抽象的、科学的な語彙は言語系統にあまり関係がない。これらはむしろ「その地域が歴史的にどの文明圏に影響を受けてきたか」による(以下、これらの語彙は「文明用語」と呼ぶことにする)。
 最後の「4.文字」は言語系統にいちばん関係が薄く、文明圏による影響がひじょうに強い。
 私がそれまで習ってきた英語、フランス語、リンガラ語、ボミタバ語、スペイン語、ポルトガル語、スワヒリ語などはいずれも4つの要素を互いに広く共有していた。
 これらの言語は系統的にはインド・ヨーロッパ語族のゲルマン語派の英語とロマンス諸語、それにバントゥー諸語に含まれる。しかも、意外なことに、私が習ったインド・ヨーロッパ語族の言語とバントゥー諸語の言語は文法的にも発音的にも近かった。いや、学んでいるときは全くそんなことを思わなかったが、タイ語と比べれば圧倒的に近い。
 例えば、いずれも人称(私・あなた・彼/彼女など)と時制(現在・過去・未来など)によって動詞が目まぐるしく変化する。「行く」という動詞はフランス語やスペイン語ではいったい何種類の形があるのだろう。数えたことがないのでわからないが、100以上はあるはずだ。
 ところがタイ語で「行く」は“パイ”。これだけ。主語が私でもあなたでも、現在でも過去でもパイしかない。恐ろしくシンプルである。
 いっぽう、発音面ではこれまで習った言語の方がはるかにシンプルだ。英語は発音が例外的に難しいがロマンス諸語はそうでもない。バントゥー諸語も決して難しくない。ところが、タイ語には「声調」がある。「平ら」「低く下がる」「下がって上がる」「高く上がる」「上がってから下がる」という5種類の音程がある。さらに同じ「カ行の音」でも息を伴った(有気音の)khと息を出さない(無気音の)kなど、日本人はもとより、コンゴ人やフランス人も全く区別できない音の使い分けがある。
 語彙についてもそれまでの蓄積が役に立たない。ロマンス諸語は基礎語彙が似通っている。英語もラテン語の語彙が数多く入ってきているので、特に文明用語は似ている。さらに、アフリカの言語は文明用語を大量に英語やフランス語など植民地時代の宗主国の言語から借りてきている。その結果、今まで私が習ってきた言語の語彙は教養程度の高いものになればなるほど似ていた。例えば、「政府」という単語は、government(英語)、 government(フランス語)、gobierno(スペイン語)、governo(ポルトガル語)とそっくりである。そして、リンガラ語やボミタバ語でもフランス語をそのまま使用していた(スワヒリ語だけはserkaliというペルシア語起源の単語を使用しているようだが)。日常的な話題より教養度の高い内容の方が話しやすいことが多々あったのもそのせいだ。
 タイは日本同様、植民地にされた経験がないアジアでは数少ない国の一つだが、タイ語は日本語以上にヨーロッパからの借用語が少ない。それよりインドのパーリ語(サンスクリット語の俗語)の仏典を通して入ってきた言葉や、タイより先に栄えたクメール王国の言語であるクメール語(カンボジア語)から採用した語彙が大変に多い。
 最後の文字であるが、これまで習ってきた言語はすべてアルファベットを使用していたから、そもそも文字を習ったことなどなかった(リンガラ語やボミタバ語には文字がなかったがアルファベットをあてていた)。しかし、タイ語にはタイ文字があるので、それを一から覚えなければいけない。
「タイ語はこんなにもちがうのか!」と最初は嘆息したものだ。

わらしべ長者学習法
 言語のタイプがかけ離れていると学習法も異なる。
 私はそれまでさほど特別な学習法を編み出してきたわけではない。シルヴィ先生からフランス語を習ったときだけ「二重録音学習法」を発案したが、それ以外は、例文と単語集を作って覚えるという、いたって平凡な方法に頼っていた。
 ただ、英語・フランス語のほか、リンガラ語やボミタバ語、スワヒリ語、さらにはスペイン語、ポルトガル語などとどんどん使用言語を増やしていくと、ただただ例文と単語集で覚えていくという方法では脳への負担が大きすぎる。天才はともかく、一般の人間の記憶力には限りがある。ましてや私は一つ一つの言語の学習時間が短いため、語彙をさほどたくさん覚えられない。さらに、言語は使わないとすぐに忘れる。新しい言語を学んでいるときは自動的に前に習った言語を忘れていっていると考えていい。つまり、もともと乏しい語彙がどんどん失われていくという悲惨な状況にある。
 この惨事をいくらかでも緩和させるため、例文と語彙集の作り方に少し工夫を凝らした。ふつうは「I love you(私はあなたが好きです)」とか「dog(犬)/cat(猫)/elephant(ゾウ)」といった具合に「外国語+日本語訳」という組み合わせにするものだが、私は「外国語A+外国語B(もしくはC)の訳」という組み合わせにした。
 例えばリンガラ語の単語や例文には日本語ではなくフランス語の訳をつける。スペイン語のときは英語とフランス語の訳、ボミタバ語やスワヒリ語のときはフランス語やリンガラ語の訳……といった具合だ。
 サンプル①はスペイン語の語彙集の例である。身体や病気関係の用語をてきとうにピックアップしてみた。フランス語と英語の訳をつけてある。フランス語はかなり似ているし、英語でもけっこう重なる。同じ系統の言語では単語レベルでも似ていることが多いのだ。文法も共通する部分が必ずある。

図1

                     サンプル① スペイン語 体と病気に関する単語 
  各言語の単語は共通する部分が多いことがわかる。「頭」を表す単語のように共通性の低い単語の場合は「“頭”は似ていない」と強調することで覚えやすくなる。ここでは日本語で意味を記したが、実際のノートにはなるべく日本語は書かないようにしていた(でも、つい書いてしまうことはあった)。

 サンプル②は私がコンゴ東部を取材しているとき、現地の人に訊きながら作ったスワヒリ語の語彙集だ。ここではフランス語とリンガラ語(そして稀に英語)を媒介言語としてスワヒリ語を習っていたから、訳語に反映されているのは自然だ(といっても、フランス語を介して習ったときでも「あ、これ、リンガラ語に似てる!」と思ったときにはリンガラ語の訳をつけた)。
 いちばん下の「6月」「7月」だけ例外的に日本語訳がつけられているのも理由がある。英語/フランス語はJune/Juin(6月)、July/Juillet(7月)と名称が数と連動していない(リンガラ語ではフランス語の月の名前を借用するのがふつう)。ところがスワヒリ語は「6の月」「7の月」というように日本語と表現が似ている。それなら、日本語訳の方が関連づけに適していると考えたのだろう。
 日本で勉強しているときも、おおむねこんなふうに語彙集や例文を作っていた。
 この方法を使うと、前に覚えた言語の復習にもなり、一石二鳥である。また、日本語を使わないこと自体にも意味がある。慣れ親しんだ母語が頭に入ると非母語(外国語)のモードに切り替わりづらい。語学では母語(日本語)を使うことは学習の妨げになり、非効率なのだ。

チェンマイノート

                                  サンプル② スワヒリ語の語彙集の例 
 手元に辞書やテキストがなく、耳で聞き取っているため、単語のつづりや音は必ずしも正確ではない。また、これはコンゴ東部方言のため、本来のスワヒリ語にはない語彙も含まれていると思う。

   これを私は「わらしべ長者学習法」と呼んでいた。「交換もないのにどうしてわらしべ長者なの?」と人には訝(いぶか)しがられるのだが、限られたリソース(持って生まれた言語能力や短い学習時間)をできるだけ有効に利用して少しでも言語的にリッチになり(多言語を使えるようになり)、やがては大富豪(言語の天才)になろうという虫のいい作戦だから、自分ではどうしてもわらしべ長者になぞらえてしまうのだ。
 そのようなわけで、タイ語の語彙集や例文にも初めは英語やフランス語の訳をつけたりしたが、どうもうまくいかない。すでに述べたように、タイ語とインド・ヨーロッパ語族の言語は系統的に何の関係もなく、文明圏もちがう。さらにタイ人の大部分はふだん、外国語とは無縁の暮らしをしているということもある。
 タイ人の言語観は日本人に極めて近い。「言語=タイ語」で、少数民族の言語は意識から排除しており、外国語としては「英語」が巨大な存在感を放っているが、それ以外の言語に対する関心は薄い(近年は中国語の需要が高まっているが当時はそうではなかった)。
 少なくとも私の手持ちの言語はタイ語とあまりにも関係がなさすぎて、タイ語とセットにしても全然覚えやすくならないのだ。結局、やむをえず日本語訳をつけるしかなかった。
 わらしべ長者、敗れたり!
 だが、それは別に気落ちすることではなく、やっぱり新天地の言語に出会った! というワクワク感の方が勝った。これまでとはちがい、現地に住んでいるので、会うタイ人みんなが先生であり、日常のやりとりがすべて会話の練習だった。町を歩いて看板を読むことさえ文字の勉強になった。タイの人たちは、コンゴ人にリンガラ語を話したときの熱狂的な反応とは比べものにならなかったものの、やっぱり私がタイ語を話すとそれなりに喜んでくれた。食堂やデパートなどで同世代の若い女子の店員とタイ語で会話するのも楽しかった。

日本語の授業で学生からタイ語を学ぶ
 しかし、私にとって最大の先生は日本語学科の学生たちだった。私はタイ語が話せず、日本語教授法にも無知なため、4年生を受け持つことになった。学生は日本語を3年間みっちり勉強しており、すでに相当の日本語力を身につけているはずだから、初心者の日本人でも教えられるという設定である。
 実は何を教えたのか、よく憶えていない。前期(6月〜9月)と後期(11月〜2月)に授業内容は分かれており、前期には「手紙の書き方」「作文」などを、後期には「日本文学」「作文」などのほか、卒業論文を指導したことは記憶している(自分が卒論を提出したのと同じ年に卒論を指導した人間は私ぐらいではないか?)。
 最初に驚いたのは、12人の学生のうち、突出して日本語力の高い学生(いずれも女子)が2人おり、その他の10人とは同じ学年と思えないほど差がついていたことだった。この不可思議な実力差の謎はすぐに解けた。日本人教師が日本語で話をすると、理解できない学生が出てくる。すると彼らは理解できる学生に「今、先生何て言ったの?」と訊く。理解できる学生は「今、先生が言ったのは……」と説明する。
 そのようなことが積み重ねられると、できる子はどんどんできるようになり、できない子はできる子に頼るためどんどん差が開いていくのだ。私が受け持った頃にはできる子2名はすでに「クラス内通訳」としての地位を獲得し、その他10名は彼女たちのタイ語訳に耳を傾けるというシステムができてしまっていた。私が何か喋ると、学生たちは先生である私ではなく通訳の子を見るほどである。
 余談だが、外国旅行で何か言語を上達させたいと思ったら、決して自分より(少しでも)できる人と一緒に行ってはいけない。旅行中は現地の人とのやりとりをその人に頼ってしまい、私の教え子の多数派と同じことになる。逆に自分より(少しでも)できない人と一緒なら「通訳」になり、面倒くさいことは面倒くさいが、確実にその言語の上達が見込める。 

「先生、いじわる〜」  
私は当初、できる子2名に「通訳をやめなさい」と注意したのだが、彼女たちが沈黙すると他の子が私の話の内容を理解できなくなり、授業が全然進まなくなる。しかたなく、要所要所では通訳を黙認せざるを得なかった。それどころか、やがて自分のタイ語力が上がってくるにつれ、これが私にとって好都合なことがわかってきた。
 「私がこれから言うことをノートに書き取ってください」とか「週末は何をして過ごしましたか?」とか「私は学生時代、アフリカで不思議な動物を探していたんです」といった日本語を通訳の子たちがタイ語に訳してくれると、私は「あ、タイ語ではそう言うんだ!」とわかるのである。しかもそれは教科書的な例文ではなく、学生がふつうに使う生きた表現なのだ。
 次第に私は通訳についてとても寛大になるばかりか、自分でも積極的にタイ語を使って学生と話すようになった。学生の中には日本語は「先生!」という呼びかけだけで、あとは全部タイ語で通す子もいた。もちろん赴任したばかりのときは何を言ってるのかわからなかったが、そういうときは通訳の子たちが「先生、ナンティダーさんはこう言ってます」とか「それは〜という意味です」と教えてくれる。
 私がいちばん初めに彼らから習った表現は「アオマイ(もう一回)」だった。私の言うことが聞き取れないとき、「先生、アオマイ、アオマイ!」と訴えるのである。面白いことに、タイ語のテキストを見ると、「もう一回」にあたる言葉としては別の言い方が載っていて、アオマイと書かれたものを見たことがない。グーグルなどの翻訳ソフトでもアオマイは出てこない。アオマイは口語的な表現であるうえ、用途が広いせいだろう。
 アオマイは「あ、もう一回やって」「もう一回言って」と頼むときも、「もう一枚写真を撮りたい」などと自分がもう一回何かやりたいときにも使える。とても便利な表現である。
  できる子もそんなにできない子も、両方とも私にとっては素晴らしいタイ語の先生であった。といっても、私も教師だからときには厳しく突き放す。
 「先生、アオマイ、アオマイ!(先生、もう一回言って〜)」
 「マイ・ダーイ!(だめ!)」
 すると、学生たちは、
 「エ〜、タンマイ!?(え〜、どうして!?)センセイ、チャイ・マイ・ディー・ナ(先生、いじわる〜)」
 などと返して、教室は笑い声に包まれる。 
 20歳前後のかわいい女の子たちとこんなやりとりを毎日楽しみ、本当に楽園のようだった。わらしべ長者のように自分をグレードアップさせる気はなくなり、永遠に第二の青春に居座りたいほどだった。

チェンマイ6

「観光」の授業で、タイ中部にあるアユタヤの遺跡を実際に回ったときの様子。今では考えられないことだが、チェンマイ大学に勤めていたとき私はネクタイを締めていることが多かった。
高野秀行(たかのひでゆき)
ノンフィクション作家。1966年東京都生まれ。『幻獣ムベンベを追え』(集英社文庫)でデビュー。『ワセダ三畳青春記』(集英社文庫)で酒飲み書店員大賞を、『謎の独立国家ソマリランド』(集英社文庫)で講談社ノンフィクション賞と、梅棹忠夫・山と探検文学賞を受賞。
著書に『アヘン王国潜入記』(集英社文庫)、『移民の宴』(講談社文庫)、 『幻のアフリカ納豆を追え!』(新潮社)など多数。歴史家・清水克行との共著に『世界の辺境とハードボイルド室町時代』、『辺境の怪書、歴史の驚書、ハードボイルド読書合戦』(ともに集英社文庫)がある。

第2・第4金曜日 更新! 次回は6月25日(金)です。

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集英社インターナショナルの公式noteです。硬軟とりまぜたオリジナル連載、新刊案内など更新予定です! https://www.shueisha-int.co.jp/