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コロナブルーを乗り越える本 豊﨑由美

豊﨑由美さん(書評家)はコロナ禍で読書に集中できない人が多いことを念頭におき、小説が読めるほど回復したときのための1冊を紹介。バルセローナを舞台に宇宙人が繰り広げるトンチンカンな言動が強力な笑いとともに描かれ、やがてーー。

※この記事は、集英社インターナショナル公式サイトで2020年4月26日に公開された記事の再掲載です。

『グルブ消息不明』

エドゥアルド・メンドサ、柳原孝敦訳/東宣出版

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「自宅にこもらなければならない今だからこそ、本を読もう!」的なお気楽な言説に触れるたび、正直いって「読書が気晴らしになるのは、この新型コロナウィルス禍にあって恵まれてる人なんだってば」と舌打ちしたくなる。というのも、小説における物語や人文書における論旨っていうのは、たどっていくのに意外と頭を使うからだ。苦痛や不安を抱えていたり、直近の金策に頭を悩ませている状態で読書に集中できるはずがない。

だからね、大変な状況にある人は「本を読もう」なんて思わないでください。「みんなはたくさん本を読んでいるみたいなのに、自分は……」と落ち込まないでください。ネットで動物や赤ちゃんの動画を見てるほうが、精神衛生上ずっといいです。で、ちょっと回復してきたら、わたしが紹介する腹の底から笑える、あまり長くない小説を読んで、ほんのひととき憂き世を忘れてください。

それはエドゥアルド・メンドサの『グルブ消息不明』(東宣出版)。メンドサといえば、万国博覧会が開催された1888年と1929年にはさまれた約40年間のバルセローナを舞台にしたピカレスク・ロマン『奇蹟の都市』(国書刊行会)で、日本の海外文学好きにも知られているスペインの作家。『グルブ消息不明』もまた、1992年のオリンピック開催を控えた都市整備でしっちゃかめっちゃかな1990年のバルセローナが物語の背景にある。

主人公は地球外生命体の〈私〉。800年間にわたる相棒のグルブと共に喧噪のバルセローナに降り立ったのだが、マルタ・サンチェス(実在するグラマラスな歌手)の外見を選んだグルブが、現地住民男性の運転する車に乗りこんだまま連絡を絶ち、街中探し回るはめになる──というのが物語の大筋だ。で、そんな16日間にわたるグルブ捜索の顛末が、もう、おかしいったらありゃしないのである。初めて街の中に出現するや、いろんな乗り物に轢かれまくり、そのたびに落ちてしまう頭部を噴水で洗う場面から大笑い。

純粋知性体の〈私〉は肉体を持たないので、外出のたびに『形状推薦目録』の中から著名人の容姿を借りるのだが、それがすでにトラブルのもとなのだ。たとえば、ゲイリー・クーパーの外見を選んだ際は、
〈一○・○一 ナイフを手にした悪ガキどもの集団に財布を奪われる。
 一○・○二 ナイフを手にした悪ガキどもの集団にピストルと保安官の星バッジを奪われる。
 一○・○三 ナイフを手にした悪ガキどもの集団にヴェストとシャツ、ズボンを奪われる。
 一○・○四 ナイフを手にした悪ガキどもの集団にブーツと拍車、それにハーモニカを奪われる〉

という災難に見舞われるといった具合で、つまり、西部劇におけるクーパーそのままの姿をなぞっているので、現実にそぐわないことはなはだしいのである。
 
丈夫な靴が欲しくて買ったのがスキーブーツと板だったり、銀行口座を操作して得た大金で同じネクタイを94本買うなどの常軌を逸した買い物をしたり、揚げ菓子が気に入って10キロ一気食いしたり、同じアパートに住むシングルマザーに恋をすれば奇矯なふるまいで気味悪がられる。そうしたエピソードの数々が、すべて真剣に真面目に、しかも繰り返し行われるものだからおかしくてしかたないのだ。

地球のことを何も知らない宇宙人の〈私〉の経験が、笑いとともに、わたしたちの常識や慣習でくもった目をまっさらにし、人間の営みの滑稽さや愛おしさを新鮮な気持ちで再確認させてくれる。これはそんな異化効果の見本のような小説なのである。

でも、それだけじゃない。中国に生まれ、サン・フランシスコに移住するつもりがバルセローナに着いてしまい、以来ずっと住んでいるのに、いまだに日曜日になればゴールデンゲート・ブリッジを探しに行っている中華料理店の主人と意気投合する場面は、異邦人であることの哀しみと郷愁を伝え、近所のパブの老夫婦との交流を描くくだりでは、どれほど異なる出自であろうが、理解しあおうとする気持ちさえあれば友人になれることを示す。〈私〉のトンチンカンな言動で笑わせながらも、この物語から浮かび上がるのは思いがけないほど温かなメッセージと、自国重視&移民排斥という狭量な世界観に対する強烈な反発なのだ。

この陰鬱な世界的危機状況下の憂さを、読んでいる間だけは吹き飛ばすほどの威力の笑いと、宇宙人を主人公にしながらひしひしと伝わる人間の哀歓。200ページほどの短い物語の中に読みごたえがみっちり詰まっている、まごうかたなき傑作小説なのである。

さて、見知らぬ男性の車に乗り込んで消息不明になったグルブはどうなったか。それは、読んでのお楽しみ。物語の筋が追えるくらいに心身の状態が回復したら、ご自分で確認してみてください。

とよざきゆみ 書評家。
1961年、愛知県生まれ。ライターとして競馬予想やインタビューなど多岐にわたる仕事を手がけたのち、書評家に。雑誌、新聞等で数多くの連載をもち、作家、翻訳家からの信頼も厚い。Twitter文学賞発起人。
著書に『そんなに読んで、どうするの?』『ニッポンの書評』『まるでダメ男じゃん!』など、共著に大森望との『文学書メッタ斬り!』シリーズなどがある。

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