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#012 「なんとかなるだろう」と写真家デビュー【ロシア】/世界ニホンジン探訪~あなたはどうして海外へ?~

お名前:安達貴さん
ご職業:写真家
在住地:ウラジオストク(1999年~)
出身地:東京
YouTube:
安達たかし☆ウラジオストーク☆TV - YouTube
Instagram:
https://www.instagram.com/fotostat/

ハリウッドではなく、ウラジオストクへ

――写真家という職業は小さい頃から目指していたんですか?

いえ、小学生のときは映画監督になるのが夢でした。当時は高校を卒業したらすぐに仕事をはじめて、お金を貯めてハリウッドに行こうと思ってたんです。ちょうどぼくの世代はロスジェネ世代の手前で、結構いけいけのバブル世代。ある程度成績が上位だと、高校卒業の頃にはたくさんの企業から声がかかって、高卒とは思えないほどの給料を貰える時代だったんです。実際に高校卒業後は3年間、東証一部の会社で電子回路設計の仕事をしてお金を貯めました。

――その時代、なんだか羨ましいです。そこからアメリカへ行かれるんですか?

いえ……いざアメリカに行こうと思ったものの「英語が話せないじゃないか!」って。痛恨のミスですね。それで、英語を学ぶために千葉にあったインターナショナルスクールで仕事をはじめたんです。周りが外国人ばかりで、最初の3カ月くらいは全然英語がわからなかったんですけど、みんなと友達になって話しているうち、半年くらいでなんとなく聞き取れるようになって、1年くらいで生活レベルの英語は身についたんです。

――すごいですね。でも、いまはアメリカではなくロシアにいますよね。そこにはどんなきっかけがあったんでしょうか?

妻との出会いですね。インターナショナルスクールで知り合った人に、ウラジオストクで子どもたちが英語を学ぶサマーキャンプの手伝いに誘われたんです。日本で言う林間学校みたいなものですね。それで、1999年にロシアへ行ったのがきっかけでした。同じクラスを担当していたロシア人が今の妻なんです。子どもたちから人気を集める彼女を見て、一目惚れしました。

安達さんとご家族。

子育て環境重視でロシアを選択

――移住の経緯を教えてください

妻との間に子どもを授かったのが移住のきっかけです。ただ、ロシアでは仕事がありませんでした。あと、当時は「バナナ4本買ってきて」って言われて、間違えて4キロ買ってきちゃうくらいのロシア語力だったので、最初は日本で生活することを試したんです。私も翻訳や通訳など、いろんな仕事のツテがあったので、日本で生活するのは問題がなかった。ただ、日本で4カ月間暮らしてみて、「やっぱりロシアにしよう」となったんです。

――日本で生活することをやめた理由はなんですか?

妻の仕事の関係と、日本の子育てが合わなそうだったというのが理由ですね。
妻はウラジオストクの養護施設でボランティアに関する仕事をしてたんですけど、主力のメンバーだったんです。現地の子どもたちが寂しがっているという連絡があったりして、彼女も「ロシアにいなきゃ」という想いが強くなってた気がします。
あと、当時は日本の学校でのいじめのニュースが多くて、ショックを受けたんです。彼女も「ロシアでは日本のようないじめは全然ない」と言っていました。私たちの子どもはハーフで目立ちやすいから、日本で子育てすることに抵抗感が生まれたんです。

――慣れないロシアへの移住、当時の安達さんの心境はどうでしたか?

子どもの頃にアメリカに行きたいという想いを抱いた時点で、心のどこかで「海外に住みたい」という気持ちはあった気がしますね。なので、ロシアもいいなって思ったんです。

資格も語学力もない中、カメラを買う

――現在のお仕事についた経緯を教えてください

当時はロシア語もできないし、ロシアで通用する資格もとくに持ってなかった。そんななか、貯金をはたいてカメラ機材を買ったんです。なんというか、直感でした。ぼくはたまにそういうことがあるというか、「カメラで食っていけるかはわからないけど、絶対に買った方がいい」という直感が働いた。元々本や雑誌で構図の勉強などもしていたし、過去にデジカメで撮った写真を写真家に褒められたこともあったので、「なんとかなるだろう」と自分の才能を信じた感じはありました。

――最初はどうやって仕事をみつけたんですか?
 
ある日、カメラを持って友達の事務所に遊びに行って、同じビル内にあるモデル事務所の前を通ったんです。ぼくが持っていたのは当時は珍しかったデジタル一眼レフなんですけど、モデル事務所の人たちの目がそのカメラに釘付けになったんです。話しかけられて、その週末にモデル学校の生徒を撮影する機会をもらいました。みんなすごい喜んでくれて、撮影後には「専属カメラマンになってくれ」って言われて、そこから定期的に仕事をもらえるようになりました。

――すごいですね。仕事の幅はどのように広げていかれたんですか?

当時は日本の雑誌社に「ロシアでカメラマンをやってるんですけど」って電話をして、自作のホームページのリンクを送ってました。そしたらすぐに連絡をいただいて、ぼくの取材をしてもらったんです。それをきっかけに、モデルの写真やロシア語に関する雑誌の連載など、さまざまな仕事に繋がっていきました。その過程で、自然と撮影コーディネートの仕事なども増えていった感じですね。
最近だと、日本のジャーナリストのYouTubeチャンネルのサポートなどもしています。これも全部ご縁ですよね。出会った人を大切にしたいというか、楽しませたいという想いで仕事をしてるので、そこではじまったご縁が今の仕事にも繋がってる気がします。それこそ、最初のモデル事務所も、友達がいなければ出合わなかったですし。

安達さんの作品①
安達さんの作品②
安達さんの作品③

ウラジオストクの人々

――移住して驚いたことはありますか?

ロシア人って「鉄のカーテンの内側にいる人」っていうイメージというか、女性は高飛車で男性はいかついみたいなイメージがあるじゃないですか。でも実際に住んでみると、日本人に結構似てるなと思いました。気を遣ってくれたり、謙虚で図々しくない。道で困っていても「どうしましたか?」って話しかけてくれる人も多いです。

――ウクライナにルーツのある人も多いそうですね

ウラジオストクは160年以上の歴史がある街なんですけど、市を制定したときに、若い人に無料で土地をあげるといった政策がありました。それで、ウクライナからたくさんの移民の人たちが来たらしいんです。実際、ウラジオストクには「お爺ちゃんお婆ちゃんがウクライナ人」という人は多いです。
現在ウクライナとの間で戦争が起きていますが、そういった理由もあって、知り合いのロシア人の多くは戦争を望んではいません。

ロシアNo.1のグルメ都市

――生活の中で驚いたことはありますか?

料理が安くて美味しいですね。とくに海鮮。ホタテも生で食べれますし、カキやウニ、タラバガニやキャビアもある。いまの日本の値段はわからないんですけど、2020年に日本人の観光案内をしてたら、お客さんが「値段が日本の1/3だ!」って言ってたので、結構安いと思います。
窯焼きピザのお店や、アルメニアやジョージアなどのコーカサス三国の料理店も多くて、多国籍料理が楽しめます。ロシアのなかではかなりグルメを楽しめる街だと思いますね。実際に2017年のトリップアドバイザーの賞では、ロシア全土の中で1位になってました。

――ロシアでいろんな国の料理を楽しめるというのはなんだか意外ですね

もちろん国際料理が食べられる都市という意味では、東京が一番だとは思います。でも、ウラジオストクも料理に惹かれてリピートする旅行者は多いですね。モスクワに住んでるぼくの知り合いは、ウラジオストクのカフェとレストランの多さ、安さ、クオリティの高さにすごい驚いてました。グルメ好きにはおすすめの街だと思います。

人で賑わうウラジオストク。

日本の読者に向けて

――今後について教えてください

ロシアに来られる方に楽しんでもらったり、喜んでもらいたいという想いが常にあるので、こちらを訪れる人のサポートを続けていきたいですね。これまでも視察や会社見学など色々とやらせていただきました。ほかにも、ロシアに住みたい、ロシアで会社をはじめたいといったニーズに合わせて、自分ができるサポートをしていきたいと思っています。
また、ぼく自身も映画を撮ることが夢なので、ロシアでの映画撮影のために役者さんを集めたり、撮影コーディネートも一括してやっています。
ぜひ気軽にご連絡いただければと思います。

取材:2023年3月
写真提供:安達貴さん
※文中の事柄はすべてインタビュイーの発言に基づいたものです

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聞き手

おかけいじゅん
ライター、インタビュアー。
1993年東京生まれ。立命館アジア太平洋大学卒業。高校時代、初の海外渡航をきっかけに東南アジアに関心を持つ。高校卒業後、ミャンマーに住む日本人20人をひとりで探訪。大学在学中、海外在住邦人のネットワークを提供する株式会社ロコタビに入社。同社ではPR・広報を担当。世界中を旅しながら、500人以上の海外在住者と交流する。趣味は、旅先でダラダラ過ごすこと、雑多なテーマで人を探し訪ねること。

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