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第9回 顔と身体が「分離」するポストコロナ時代(前編)

コロナ禍で定着したオンライン会議

2020年にコロナウイルス感染症(COVID-19)が蔓延して以来、オンラインの授業や会議が新しい日常となりました。コロナが落ち着いたところで学校の授業は元に戻りましたが、職場のオンライン会議はそのまま残りそうな雰囲気です。

オンライン会議で得たもの、なによりそれは「時間」でしょう。

オンライン会議をやってみて気づいたのは、ただ報告を聞き流すだけで、わざわざ出席して顔を合わせる必要もない会議がなんと多かったかということでした。画面を切れば会議はぷっつりと終了なので、流れのお付き合いもなしです。わずらわしい職場の人間関係の断捨離ともいえましょう。この点からいえば、オンライン会議は確実に存続するであろうと思うのです。

オンライン会議は実に便利です。パソコンをたちあげカメラと音声をオンにしてインターネットをつなげば、どこにいても会議室につながります。

参加者の顔がずらりと並ぶ下をのぞけば、まるでアンチョコのように名前をいつでもチェックできます。対面恐怖気味の人にとっては画面越しに相手の顔を堂々と見れて気楽でしょうし、相貌失認のように名前を覚えるのが苦手な人も安心できることでしょう。

「思ったより大きい!」という驚きが意味するもの

しかしあまりに便利であるため、他人の顔や名前を覚える気が失せるのではと、少々気がもめます。

私はコロナ下の2020年に、新入生のゼミを担当していました。入学式もなくオンライン授業で画面越しに対面してきた学生達が、半年過ぎてようやく教室でクラスメートとリアルに触れ合うことができました。その時飛び出た第一声に、相手を指差し「思ったよりも、大きい!」という言葉がありました。同世代だから背丈が同じというのは当たり前のはずなのですが、画面上で見ているとそんな実感すらわかなかったのでしょうか。画面ごしに会うことと実際に会うことの、決定的な違いを感じました。

自宅で聞き流せるのが、オンライン会議の便利なところです。内職も自由です。学内でオンライン授業を聞いている学生を観察すると、パソコンを開きながら、カメラに映らないように携帯をのぞいている姿をよく目にします。小さな授業や会議だと画面はオンとなりますが、大きな会議では画面をオフにできるため、どんな格好で聞いているのかもわかりません。作業をしながら、あるいは軽い運動をしながら聞く人もいるようです。

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ネットのつながる場所ならば、どこからでも会議につなぐこともできます。そういう意味でインターネットを介したつながりは、地域も国も超える力があります。電車や飛行機は不要で、時差に気をつければ、海外とのつがながりは、いっそう身近になりました。世界各地の人々が不特定多数の人が同じ場所に集まる大規模なイベントはコロナ下では難しいにしても、遠い地域に住む個人とのつながりは一層身近になった気さえします。

そんな手軽さもあり、聞き流すレベルの会議だったらと、同時に複数の会議に出る強者もいます。

私もパソコンを2台用意して、本気の会議はヘッドホンで、聞き流す会議の方はそのまま流して聞くこともあります。左右の耳に違う会議を流す人もいるようで、まるで聖徳太子のようです。これはTwitterなどでマルチアカウントを使いこなしている最近の風潮と似ています。

「Zoom疲れ」はなぜ起きるのか

一方でこうしたサイバー空間でのつながりは、現実に会うよりも疲れます。それはなぜか、その理由について今回は顔と身体から考えてみようと思います。

映像を介した双方向通信のコミュニケーションの進歩はコロナ下で目立ちましたが、そもそもソーシャルメディアをはじめとした通信環境の最近の変化は、目を見張るものがあります。ソーシャルメディアの中で、私たちの顔や身体は現実から遊離しています。

明治時代には「写真に撮られると魂を抜かれる」と言われていましたが、現代人はこの魂抜かれた肖像写真にもなれ、そんな顔がfacebookで拡散されるなど、顔は現実の身体から離れて一人歩きしているのではないでしょう。改めて考えると、Zoomの画面に並んだ顔は、まるで集合写真に欠席した写真みたいに寂しく見えてきます。

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他人の顔と身体との心理的な距離も変わっています。現代人の顔と身体は、歴史上これまでになく特殊な位置にあるのです。めざましい社会環境の変貌を、頭では理解しても、身体が追いつかない。それがサイバー空間の疲れにあらわれているように思うのです。

この10年で急速に消えていった「言葉」

ここで、通信環境の変貌の歴史を振り返ってみましょう。近年の進化の速度の速さがわかるかと思います。
令和に生きる人々にとって、昭和のすれ違いの恋愛ドラマはどのように映るのでしょうか。待ち合わせでの、ちょっとしたすれ違い。連絡を取ろうにも、同居する家族に電話を取り次いでもらったり、留守番電話にメッセージを入れたりと、あれこれと奔走する姿は、なんとレトロに映ることでしょう。

今では電車に乗っているほとんどの人が片手にスマートフォンをいじっていて、友人との待ち合わせではとりあえずの目印だけ決めて着いたらLINEで連絡。それらは昭和どころから10年前の平成の半ばの頃ですら、想像できない風景です。

歴史をたどると、各家庭への固定電話の普及が1960年代で、その後の携帯電話が普及して小学生も持ち歩くようになったのが2000年半ばです。つまり固定電話から携帯電話までの普及の年月が約40年かかったわけで、このあたりが昭和と平成の分かれ目でしょう。しかしそれと比べると、携帯電話からスマートフォンの普及は一気に加速しています。携帯電話が普及した10年後の2013年にはスマートフォンの普及へと一気に変わっているのです。

携帯電話が普及すると、友達には直電するのが普通となりました。固定電話で取り次いでもらう苦労もなくなって、入社したての新入社員はまず電話の取次ぎの練習が必須となります。

携帯電話からスマートフォンに移行すると、友達とのつながりはより密になっていきます。アプリの普及でやり取りの頻度は急速に増し、遠方の友人と直結している気持ちになる一方で、メッセージにはすぐに返事せねばならない強迫観念にかられ片時もスマホを手放せない人もいます。

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スマホで交わされる内容も変化しています。限られた短い文章でのやり取り(大学では、学生に長文を書かせることが難しくなりました)から、撮影された画像の交換、それが動画の交換へと変遷しています。どんどんビジュアル化されています。授業の動画を見るのにイライラしないのかと思っていたら、学生達は授業も倍速再生で見ているようで、それもまた驚きです。

こうして、言葉で伝える機会がどんどん減っています。

「顔」だけが流通するネット社会のおかしさ

言葉の使い方だけでなく、人々の心と身体に影響を与える状況がうみだされています。たとえば若い人達はTwitterなどで複数のアカウントを持ち、アカウントごとに人格を変えて情報発信して楽しんでいます。
それぞれのアカウントで、別々の友達とつながっているのです。古い人間からすれば、まるで多重人格のようなふるまいにみえます。実際のところ、日常生活を多視点で見ることは、自身の身体に基づいた一つの視点という前提をこえるものです。人類がこれまで経験することのなかった視点、通信技術によって達せられたこの見方は、身体性を超える現実を体験するものです。

顔と身体の乖離、つまり身体から顔だけが切り離されてネット上に流通しているような状況は、ソーシャルメディアの普及から始まったと思います。Facebookでは、たくさんの顔がさらされています。セレブでもない一般の人々の顔をこれほど世界に公開している状況は、歴史的に見ても珍しいことでしょう。しかも顔は身体の一部なのに、そこには身体から切り離された顔だけが展示されているのです。

そこにZoomなどの双方向通信の場が登場しました。このツールの最大の問題も、やはり顔と身体の分離だと思います。

Facebookでは利用者の顔を開示していますが、その延長として、Zoomも顔を一種の「看板」のように扱っています。顔は名前の表示とペアで提示され、まるでそれは「記号としての顔」となっています。ここでの顔とは、切り取られた証明写真に近いものといえます。

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なぜ、「看板」、「証明写真」かというと、そこでは自分の顔は一方的に見られる対象でしかないからです。それは同様に、自分が相手の顔を見ていることを相手に意識されないで済むということでもある。
 好きなだけ顔を眺められてしまう。それはまるで広告や選挙のポスターのようです。
 リアルな対面場面であれば、じろじろと顔を眺めることはできません。そういうことは無作法とされます。さらにはリアルな顔は、枠の中に納まってもくれません。あちこち動いてあちこちを向く、三次元の空間の中にある顔を、見る側は追いかけねばならないのです。

 さらにこうした「看板」や「証明書写真」への傾向に加えて、コロナ時代の奇妙な状況として、感染症予防のため、身体性が介在するはずのリアルな対面場面で、逆に人々の顔がマスクで隠されています。
 つまり身体性が介在する際には、顔は不在となるのです。一方でマスクを外した顔を見るのは、テレビやZoomなどの画面の中の人物として、鑑賞する顔としてです。ここにも、顔と身体との乖離があります。

後編に続く

山口先生プロフィール

山口真美(やまぐち・まさみ)
お茶の水女子大学大学院人間文化研究科人間発達学専攻修了後、ATR人間情報通信研究所・福島大学生涯学習教育研究センターを経て、中央大学文学部心理学研究室教授。博士(人文科学)。
日本赤ちゃん学会副理事長、日本顔学会、日本心理学会理事。新学術領域「トランスカルチャー状況下における顔身体学の構築―多文化をつなぐ顔と身体表現」のリーダーとして、縄文土器、古代ギリシャやローマの絵画や彫像、日本の中世の絵巻物などに描かれた顔や身体、しぐさについて、当時の人々の身体に対する考えを想像しながら学んでいる。近著に『自分の顔が好きですか? 「顔」の心理学』(岩波ジュニア新書)がある。〈山口真美研究室HPはこちら〉

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