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コの十八 三鷹「婆娑羅」 加藤ジャンプ「今夜はコの字で~全国コの字酒場漂流記~」

■平安パンク、平安ロックンロール

 JR三鷹みたか駅のホームで流れる発着メロディは、「めだかの学校」である。ホームで思わず口ずさむのだが、「めだかの学校は」のはずが、かなりの頻度で「三鷹の学校は」になっている。「三鷹の学校は川のなか」ではアヴァンギャルド過ぎる。間違えたついでにダジャレで「はだかの学校は」と考えてみたら「川のなか」に絶妙にマッチして驚いた。
 ともあれ、三鷹駅の発着メロディが「めだかの学校」になったのは、作曲した中田喜直なかだよしなおが三鷹に住んでいたのが理由だそうだ。では作詞はというと、茶木茂ちゃきしげるである。三鷹とは全然関係ない、小田原にある用水路を見ていて思いついたのだそうだ。ちなみに、その用水路の名前は荻窪用水という。ややこしくて呑みたくなる。
「もう、よくわかんない話は、いいっすから、呑みいきましょうよ、先輩」 と、ドラマ『今夜はコの字で』で、最も素っ頓狂で、ある意味最も常識的なZ世代の登場人物、山田(小園凌央こぞのりょおさんがすばらしい!)なら言うだろう。そして向かうのだ。三鷹のコの字酒場へ。目指すのはあの店である。
 三鷹駅北口を出たら左方向に真っ直ぐ、3、4分。板にちょっと荒々しさのある字で婆娑羅とある。ここが三鷹のコの字酒場、婆娑羅である。ばさら、である。

婆娑羅のコの字カウンター

 ここで思い浮かぶのは、ある台詞だ。ドラマ『今夜はコの字で』シーズン3があれば、かならず件の山田に言わせるつもりである……。
 さて、婆娑羅って一体なんですか、と思われるむきもあるだろう。 婆娑羅たぁねえ、などと簡単に説明できる話ではないが、あっさりと言っておくと、日本の中世、南北朝期に現れた、時代を身分やら権威を軽んじ嘲笑う文化的流行のことと、一応しておこう。平安パンク、平安ロックンロールだと私は思いつづけているが、間違っていたらごめんなさい。そんな名を冠したコの字酒場、端から最高である。
 店主の大澤伸雄おおさわのぶおさんが婆娑羅を開業したのは1980年。1982年には、この場所に移転し、いまにいたっている。1982年といえば、私の好きな西武ライオンズがはじめて日本一になった年だ。石毛、スティーブ、山崎、田淵、テリー、大田……今でもオーダーがすらすらと口をついて出てくる。もう40年以上前のことだ。 ちなみに、私の『今夜はコの字で』裏設定では、中村ゆりさん演じる恵子先輩は関西出身なのに西武ファンということになっている。父親が平野謙のファンだったために、恵子は現役時代を知らないながらも平野ファンという、マニアックな設定である……。

■「大事なのはこれから先なんだから」

 脱線が過ぎてしまったが、婆娑羅である。 元は喫茶店だったというその物件、開店以来ほとんど姿を変えていない。粋な縄のれんに提灯。磨りガラスでなく透明なガラスのはまった格子戸を入ると、大きなコの字型カウンターがあって、このカウンターの見事なこと。天板のメラミン化粧板はきりっと清潔で縁取りは年季のはいった木製。昭和の異素材コンビがたまらなく美しい。縁取りの木は、長く使い込まれて、角という角が柔らかな手触りになっている。ずっと撫でていたくなる。満席でだいたい20席ほど。ちょうどいい。

手前左から、大澤さん、城戸さん。奥の左が木村さん

 大澤さんは元々サラリーマンだった。業種は飲食とは全然違ったらしい。それが目を患い仕事をやめた。
 まだ二十代だった。
「失業保険をもらいながら呑みに行ってたんですよ」
 なんて、冗談まじりに笑うけれど、まだ三十路前の若者には大きな曲がり角だったはずだ。
 そのころ、国立くちたち谷保やほに、今では伝説となっているモツ焼き屋があった。山口瞳の居酒屋兆治のモデルになった文蔵という店だ。大澤さんはその店の常連だった。
「その店で、なにか仕事しなくちゃいけないなあ、なんて話してたら、大将が、だったら居酒屋をやればいいじゃない、って言ったんです。それで、こうなったの」
 名手にしかわからない名手の才能が見えていたのかもしれない。その店でモツの扱い方などを教わった。 それなりに修行をしたのだと思っていたら、文蔵で教わったのは1週間くらいらしい。あとは全部独学。そうして大澤さんは婆娑羅を開業した。いろいろあったはずだけれど、そこは大澤さんはこんな風に言うのである。

城戸さんが焼き場を主に切り盛りする

「なんて過去の話は、どうでもいいのよ。大事なのはこれから先なんだから」
 そういう大澤さんにうながされて、コの字カウンターのなかを見た。焼き場に女性がいる。あまりにしっくりきていて、ずっと、同じ場所で働いていたように見える。でも前には見かけなかったような……。実は、最後にここを訪れたのは10年以上前。そのとき、彼女はいなかった。お名前を城戸尚子きどなおこさんという。城戸さんは、常連さんたちからはナオちゃんと呼ばれている。私は10年以上無沙汰だった不良客なので、当然そうは呼べないが、ここではナオちゃんと書く。ごめんなさい。
 店が開くとナオちゃんは炭の様子を見ながら、注文された串を順に焼いていく。いい煙のなか、ナオちゃんは、流れるようにモツを焼いていく。
 ナオちゃんもまた、大澤さんのように以前は婆娑羅の常連客の一人だった。10年ほど前、大澤さんがアルバイトをしてみないかと誘った。
 で、ここからが大澤さんの言う「これから先」につながる。
 3年ほど前、大澤さんは、ナオちゃんに焼き台に立ってみないかと言った。ターニングポイントだった。 婆娑羅の焼き場は、大澤さん以外の人が立ったことがなかった。つまり、大澤さんは、ナオちゃんに店の要を担ってほしいと言ったのだ。それは、この先、婆娑羅を継いでいくことを示唆していた。
 名店を継ぐ。大変なことである。他人のことなんかお構いなしの、そこらの世襲議員なんかとはわけがちがう。コの字酒場は日々の人々の幸せを直に担っているのだ。そんな場所を継ぐのは、並大抵のことではない。
「ものすごい喧嘩もしますよ」
 ナオちゃんは、とってもさらっとした口調で語るが、たぶん、私だったら一目散に逃げ出すくらいの緊張感ある闘いだろう。そして、大澤さんは、
「それで、俺が、すまん、って謝るの」 これだ。これこそ「これから先」だ。継がれるほうが威張らない。大澤さんはつづける。
「それで、そんな俺を木村くんがなぐさめてくれるのよ」
 木村くん、とは、もう一人の婆娑羅メンバー、木村朋幸ともゆきさんだ。爽やかな笑顔で軽妙な口調で話す。そして旨い肴をつくる人だ……そうそう、今さらながら、婆娑羅は旨いのである。壁に貼ってあるメニューは、 飲兵衛なら誰でもあっさり軍門に降るやつである。だって「辛み大根タラ子」に「五十年ぬか漬け」だよ。 梶芽衣子と山田五十鈴が並んでるようなものだ、誰が逆らえるか。

辛み大根タラ子
五十年ぬか漬け

 はい、と木村さんが運んできた、辛み大根タラ子は固く絞った辛味大根の上にちょこんとタラコがのっている。これをちょいと崩しながらいただくのである。いい塩味。タラコは、清涼感のあるものとあわせると、ウッカリすると妙に生臭くなったりしがちだが、ここのは全然そんなことはない。粒々を鬼おろしに和えるとピリッとしつつ甘塩と魚卵のコクが同時にやってくる。
 これにあわせたのは、「婆娑羅オリジナルブレンドの芋焼酎」のボトルの小さいほう。鹿児島は姶良あいら(私はここの蕎麦を食べたいと15年ほど焦がれている) の芋焼酎3種類を混ぜたもので、洒落たガラス瓶におさめられている。それをソーダで割ってきゅっとやる。自然に親指がきゅっと立っていた。
 五十年ぬか漬けは、大澤さんのお母様譲りのぬか床で着けているという。いま代替わり中の婆娑羅だけれど、このぬか床に触れていいのは、大澤さんだけ。これが、また良い出来。大根、カブ、にんじん。あっさりと野菜の良いところが引き立つぬかの香りがまたいい。ここまでは五十年ぬか床に馴染みやすい感じがするトラッドな顔ぶれ。すごいのは、大澤さん、スナップエンドウやパプリカ、セロリなんかも漬けている。このスナップエンドウが大傑作で、エンドウの甘いのに、きゅっと塩気がくわわって、完全に酒泥棒なのである。たまらん、たまらん、たまらん。
 もちろん、焼き物だって食らう……というところで、友人で、婆娑羅好きの、人のほのかな心模様を写す写真家Eさんと心ゆさぶる音楽家のPさん夫妻に声をかけて合流となった。コの字の角に編集者のKさんと4人で囲む。乾杯してたら、奥の席の人がにっこり呼応してくれた。ああ、コの字。ああ婆娑羅。いいねえ。三鷹に引っ越したくなる。

左から、しろ、なんこつ、かしら、ればー

 ナオちゃんが焼いた、しろ、なんこつ、かしら、ればー、たん、はつは、すばらしい。婆娑羅なんだから当然なのかもしれないが、くさみなんて全然なくて、上手く焼くことでそれぞれの歯触りが際立っている。余分な脂はきっちり落とし、旨いところだけ、香ばしく、それでいて瑞々しさをたたえながら仕上がっている。
 プチトマトベーコン巻きはトマトのじゅわっというのが、ベーコンの塩気と旨みとまざると、充実感あるスープをのんでいるようだ。

プチトマトベーコン巻き
ポテトサラダ

 自家製のポテトサラダはシンプルに芋中心。さりながら千切りキャベツの上に盛ってあって、これを一緒に食べたりと変化が楽しめる。
 豆腐を唐辛子で煮込んだという雷奴かみなりやっこは、真っ赤な湯豆腐という趣向で、見かけよりもずっと、淡い辛さながら、油断すると危ないところもあって、こういう人間になりたいな、と思わせる。決して舌に意地悪な辛さでないから、ほかの肴の邪魔もしないし、ひいひい言って火消しの水を欲しがらせるのではなく、旨い辛味が酒を素直に進ませる。

雷奴
絶品しめさば(大)

 出色の絶品しめさばは、浅めにしめた逸品で、さばの質に自信をもっていなくては絶対につくれない逸品。一切れ噛むだけで、酢の加減が実に機嫌よいのがわかる。刺激はひかえめなのに、後を引く、さばの旨みが豊かで喜色満面になる。
 魚の生ハムという一風変わった品もあって、快作。刺身ではなく、かといって〆ているわけでもない。 水っぽさを省いて旨みだけ残した刺身、という感じのおもしろい肴で、これまた酒の大盗賊である。

魚の生ハム
ねぎそば

 もちろんシメもある。いろいろあるけれど、その夜は、ねぎそばにした。名物ねぎそばとメニューにはある。中華麺をネギ油とタレでもって和えてあり、大量のネギがトッピングされている。ねっちりとした歯触りと炒めたネギの香りと旨み。塩加減も絶妙で、一見かなりのボリュームなのにたちまち平らげられる。ラーメン屋も裸足で逃げる。
 お腹も心も豊穣、満たされて三鷹。会話もはずみ、奥の席の人から「がんばってください!」なんて応援の言葉までいただいてしまい、すっかり満足してしまった。見回せばコの字カウンターには老若男女の笑顔羅漢がずらり。なんと、気持ちいいコの字酒場だろうか。
 独学でこれだけの名店をやってこられた理由を大澤さんに聞いたら、大澤さんは大笑いした。
「人の心を鷲掴みにする才能があったんだね」
 冗談で言っているようだったけれど、これは真実。鷲掴みにされて、気づけば掌で駆け回っている。なにしろ婆娑羅である。店のメニューには、インドの古い言葉で、どんなものでも砕く杵とそれを持つ神様のことも婆娑羅と呼ぶ、と書いてある。大澤さんのどーんと広い心。それが婆娑羅の婆娑羅たる所以なのかもしれない。それがいまナオちゃんに受け継がれている。最高。

■いいコの字酒場にはいい人が集まる

 ほんとうに長居したくなるコの字酒場である。恥ずかしながら口開けからラストオーダーまで居座ってしまった。なんたる野暮。でも、婆娑羅はゆるしてくれる、かな、と甘えた顔をしようと思ったら、外では雨がふっていた。すると、EさんとPさんが自分たちは近いからと傘をくれた。コロナが交流という交流の邪魔をしたけれど、どっこい、人はそんなに簡単には離れ離れにはならない。そういえば、コロナ禍で婆娑羅は何度か休業した。酒が出せない居酒屋なんて居酒屋ではない、からだ。大澤さんは、コロナ禍の最初期、まだ他の店が駆けつける前に金融機関を訪れ融資をしてもらった。小さな店が続いていくには資金繰りはなにより大切だからだ。そしていま、婆娑羅は、つぎの時代を見据えている――。
 雨足は一層強まっていた。されど、いただいた傘で心は晴れやかだった。
 いい心もちいっぱいになって、婆娑羅の皆さんに深くお辞儀をして店をあとにした。EさんとPさんは三鷹駅の改札に私とKさんが消えるまで手をふってくれていた。いいコの字酒場にはいい人が集まる。
 電車のなかで、ドラマ『今夜はコの字で』シーズン3のことを考えていた。婆娑羅を舞台にできるなら、 やっぱり雨にしよう。降り頻る雨のなかで、婆娑羅を出る山田にはこう言わせる。
「さらば婆娑羅」
もちろん、またすぐ行けれど。

三鷹「婆娑羅」
住所:東京都武蔵野市中町1-3-1 桜井ビル1F
*店情報は掲載時のものです。

加藤ジャンプ(かとう・じゃんぷ)
文筆家。1971年生まれ、東京都出身。東南アジアと横浜育ち。一橋大学大学院法学研究科修士課程修了。出版社勤務を経てフリーに。著書に『コの字酒場はワンダーランド』(六耀社)、『小辞譚~辞書をめぐる10の掌編小説~』(猿江商會)、『今夜はコの字で 完全版』(集英社文庫)などがある。コの字酒場探検家、ポテトサラダ探求家。これまでに訪れたコの字酒場は数百軒。
Twitter @katojump
【HP】katojump.wixsite.com/katojump

イラスト/タカヤス
1977年生まれ、東京都品川区出身。2014年、小学館「第1回ビッグコミックオリジナル新作賞」で佳作。16年に土山プロダクションに入社し、現在はさいとうプロダクションに所属。
Twitter @takayasu0804

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