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作ってみよう、戦国のカロリーメイト⁈ 兵糧丸【第1回】黒澤はゆま

NHKの大河ドラマ「麒麟がくる」再開しましたね。クライマックスの「本能寺の変」はいったいどんな映像になるのでしょうか。楽しみですね。
さて、本能寺の変で信長が討たれたと聞いて、青ざめていた男がひとり。信長と同盟を組んでいた徳川家康です。この時、家康は信長の招きによってのんびり堺見物をしていましたが、一転して危うい立場に!
家康は逃避行を決意し、領国の三河へ向かいます。しかし、そこには明智勢をはじめ、土民や山賊たちの襲撃をかわしながら険しい山道をゆかねばなりません。
その道のりに「1粒で3日元気!」といわれる戦国の携帯食「兵糧丸(ひょうろうがん)」を携えて、『戦国、まずい飯!』の著者・黒澤はゆまが挑みます。果たして、現代の伊賀越えは成功するのか? そして兵糧丸の味と効能やいかに?


■プロローグ──西の追分にて

令和元年9月15日昼。
私はかつての東海道の宿場町、関宿は西の追分にある、無料休憩所で、大の字になっていた。
もういやだ。
もう一歩も歩けない。
外は30度を超す猛暑日。アスファルトに陽炎がたっている。

日射病になりかけなのか横になっても頭がガンガンする。いまいましい登山靴に3日間苦しめられ続けた足も棒のよう。ちょっと曲げただけで悲鳴をあげる。
月並みな表現だが、泥のように疲れていた。
とてもじゃないが、ここからまだ20キロはある、白子まで歩くなんて出来ない。
ここが限界である。
曲りなりにも、3日かけて、“家康の伊賀越え”のルートを「ほぼ」たどって伊賀に徒歩で入り、伊賀越えのルートを「ほぼ」たどって伊賀から出たのである。
しかも、戦国飯だけを食べて。
重い体を起こし、ザックからジップロックをとり出した。
中には、茶褐色の団子がゴロゴロ転がっていて、それと、ビニール袋に収められた梅干しが入っている。
私は梅干しをとり出すと、そのままかじった。
汗で電解質の足りない体には実に心地よい。クエン酸が体の節々にたまった乳酸を洗い流してくれる感じである。
そして、茶褐色の団子、つまり兵糧丸をとり出すと、一口かじった。
味は美味しくもまずくもない、しいて言えばつまらん味である。ただ、とにかく、もそもそして、口のなかの水分をみんな持ってかれそうになる。水とともに何とか飲み下すと、後味に酸いものが残った。
(そろそろ、こいつも限界みたいだな)
改めて、今回の徒歩旅をここで終えることを決心しながら、ここに至るまでの顛末について思い返していた。

■兵糧丸とは?

兵糧丸。
私がその存在をはじめて知ったのは、確か、雑誌「科学」の記事だった。
時は80年代、当時、学研は、小学生向けに、「科学」と「学習」という定期購読専門の雑誌を出版していた。「科学」は理科と算数、「学習」は国語や社会の記事を扱い、とにかく付録が豪華で、シーモンキーの飼育セットとか、携帯用顕微鏡なんかがついていたのを覚えている。
私も小学校高学年になると親から取ってもらえるようになったが、低学年の頃は無理で、取っている友達がうらやましくて仕方なかった。
それで、毎月、雑誌が配送される時期になると、友達の家に行って雑誌を読ませてもらったり、付録を触らせてもらったりした。その子の家は兄弟で定期購読していたので、自分の学年だけでなく、数学年上の雑誌も読むことが出来た。
で、その「科学」で、兵糧丸が取り上げられたことがあったのだ。
手のひらに乗るくらいの大きさで、1粒食べれば、2、3日はへっちゃら。
魔法の食べ物。
忍者の秘密兵器。
おぼろげな記憶だが、確かそんな大げさなキャプションともに紹介されていたように思う。
「へ~、食べてみたいな」
そう思ったが、あいにく付録は友達が食べてしまった後で、味は空想する他ないまま数十年が過ぎた。
しかし、ついにこの兵糧丸と再び向き合う時が来たのだ。

兵糧丸については永山久夫氏の『たべもの戦国史』(河出文庫)が詳しい。
それによると、兵糧丸は、様々な兵法書や忍術書のなかで取り上げられている。
忍法の秘伝書として有名な『万川集海(まんせんしゅうかい)』では飢渇丸(きかつがん)という名前で紹介されている。

「人参(十両)、蕎麦粉(二十両)、小麦粉(二十両)、薯蕷(二十両)、甘草(一両)、よくいにん(十両)、糯米(二十両)。右それぞれを粉末とし、三年酒三升に浸し、酒がみな乾いたとき、桃粒ほどに丸めて、一日二、三粒ほどあてに用いれば心労することなし」
*一両は約38グラム
*薯蕷は、山の芋。よくいにんは、はと麦のこと

また、『甲陽軍鑑(こうようぐんかん)』のなかでも兵糧丸について書かれた項があり、釣鐘人参を材料に用い、その効用を「遠き山に入り、民家を離れて、七日食事を断つとも、是を用いれば、元気を増し、力衰えず」と記している。
武田家のライバルだった上杉家の兵法書、『上杉家兵法書』にも、兵糧丸の記載がある。皮を取り除いた麻の実と黒大豆を蕎麦粉に混ぜて粉末にし、酒に浸してから日に干し、再度、酒に漬けるというややこしい工程の後、丸薬に仕立て水と一緒に飲み下すという。
面白いのは、米食に戻りたいときは、葵の実を煎じて飲めと書かれてあることだ。そうすると、薬が下るのだという。
『北越軍談』にも、「避穀(ひこく)兵糧丸のたぐひを腰下の小袋に貯へんことも一己の才覚たるべし」と兵糧丸を携帯することが勧められている。
書物によって、レシピは様々だが、携帯できるほど小さく、数粒で何日も餓えを凌ぐことが出来るという効用は同じである。
『飢饉考(ききんこう)』という、江戸時代の200年にわたる飢饉の実態を記した書物には、兵糧丸を実際に食べてみた農民の体験談が載っている。
それによると、服用したら、本当にお腹が減らなくなったという。
ただ、効果を続けるには、縛りがあった。湯水含め兵糧丸以外のすべての食物を断ち、大小便にも行ってはいけないのだ。
それで、この農民は根を上げた。彼が言うには、
「家族の者が食事しているのを見ると、何となくうらやましくなるし、お茶も飲めないのでは、近所づきあいに愛想がない。人付き合いに差しさわりがあると、困るので、結局やめました」
人間にとっての食べるという行為の意義が、決して栄養摂取だけにあるわけではないことを示して面白い。

■作ってみよう、兵糧丸

さて、兵糧丸、早速作ってみようと思うが、色々レシピがあるのでどれにしようか迷う。
3年酒に浸すとか、釣鐘人参とか、無茶な工程や、手に入りにくい材料を含むものもあるが、幸い、永山久夫氏が現代でも作りやすいレシピを紹介してくれているので、今回はそれを採用しようと思う。
材料は、白玉粉、小麦粉、そば粉、きな粉、すりごまを等分。それに砂糖と酒をお好みというシンプルなものだ。
1人前の分量が書いてないが、恐らく同氏のレシピを参考にしたと思われるネット記事で5つの粉を4人前でそれぞれ80グラムと書いてあるものがあったので、それを元にすると、1人前20グラムということになる。
朝昼晩の3食を3日分作るとして、20×9で180グラム。
それに、砂糖50グラム、酒30グラムを加え、少しずつ水を入れながらこねていく。

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うどんと同じ要領で、こねてこねて、丸くダマになったのをまないたに叩きつけ、平べったくして、2つに折って、4つに折ってまたダマにして、まな板に叩きつける。
そうすると、最初ボロボロしていたのが、だんだんコシが出てくる。
団子にまとめられるくらいの固さになったらこねる工程は終了。

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出来た生地を千切って、直径5センチくらいのお団子にする。
それを蒸し器に入れ、30分ほど蒸すと写真のようになる。

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レシピでは、表面にきな粉をまぶすのだが、粉っぽくなるのが嫌で省いた。
とりあえず、一つ、かじってみる。
砂糖の分量が少なかったせいか、甘味がもの足りないが、もちもちとした感触があって、食感は団子そのものである。
これを干し袋に入れて、天日に干すと長期保存できるようになる。

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出来上がりが写真である。

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念のため、2日干したが、色が濃くなり、水分が飛んで、お団子からもそもそした食感になる。まったく美味しくない。が、いまいちな味に、却って妙な説得力があり、確かに効きそうである。
ちなみに1個当たりの重さは約37グラム。
手に載せるとずしりと重く、心強い風情である。

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これならできるかもしれない。
私の夢。
「伊賀越え」である。

     (第1回「作ってみよう、戦国のカロリーメイト⁈ 兵糧丸」了)

著者プロフィール
黒澤はゆま(くろさわ・はゆま)
歴史小説家。1979年、宮崎県生まれ。著者に『戦国、まずい飯!』(集英社インターナショナル)、『劉邦の宦官』(双葉社)、『九度山秘録』(河出書房新社))、『なぜ闘う男は少年が好きなのか』(KKベストセラーズ)がある。好きなものは酒と猫。

黒澤はゆま著『戦国、まずい飯!』好評発売中!

#戦国飯 #伊賀越え #本能寺の変 #徳川家康


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