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コの二 王子「宝泉」 加藤ジャンプ「今夜はコの字で~全国コの字酒場漂流記~」

「テレビ有ります」

 昔、会社員だったころ、同僚にポストイットを残したとき「15時王子おうじ駅」と書いたつもりが「15時玉子駅」と書いてしまったことがあった。額に大きなホクロのある大仏のような王子が思い浮かんだ。その頃、まだ王子には行ったことがなかった。三十になる直前、王子を訪れた。いっぺんで好きになった。魅力的な酒場だらけなのである。

 いろんな駅にいろんな目印がある。京都駅の京都タワー。渋谷駅のハチ公。新宿駅の新宿の目。王子駅はボウリングのピンだ。改札を出る。並ぶビルの屋上をあおぎみると立派なボウリングのピンがある。それも最近日本中で見かけるチェーン店のそれでない。昭和の風情漂う「さわやか律子さん~♪」と唄いたくなるボウリングのピンである。このピンがたっているのは王子駅前サンスクエアというビルの屋上で、このビルがあった場所には元々、十條じゅうじょう製紙という会社の社宅があった。ここ王子は、日本の洋紙(和紙じゃない、現代の我々が日常的に使うふつうの紙である)発祥の地とされている。日本初の製紙工場ができたからである。抄紙しょうし会社という会社が設立した工場で、この会社を設立したキーパースンが渋沢栄一しぶさわえいいちだった。製紙会社を作って最終的にお札におさまった人はこの人以外にいるのだろうか。ともあれ、そんな、駅前から近現代の産業史が煮凝りにできるほど詰まっているのがノーザン・プリンス、北区王子である。

看板には「テレビ有ります」の文字

 東京都北区きたくには赤羽あかばねという飲兵衛の楽園のような町があるが、王子はその向こうを張ると言ってもさしつかえないくらい飲兵衛にとっては夢のような店がそこかしこにある町だ。近くに似た特徴を持つ複数の街があるとよくライバル関係になったりする。だが、王子と赤羽という二つの街は張り合っている感じがしない。すくなくとも飲兵衛は、一日で両方の街をハシゴするくらい愛しているからかもしれない。つまりチーム。つまりタッグ。北区は、王子と赤羽のツープラトンの街なのである(ツープラトンとはプロレスのタッグマッチで二人の選手が合体して繰り出す技、ハンセン・ブロディのハイジャック・パイルドライバーみたいな技のことである。ちなみに王子と赤羽に隣接した十条も粋な飲み屋がひしめきあっている飲兵衛のオアシスだから、スリープラトンと言っても過言ではない)。
 さてツープラトンといえば、この町に強力なコの字酒場がある。馬力がちがうのである。
 それが「宝泉ほうせん」である。
 王子駅の南口を出て3分ばかり歩く。わずかな距離だが道すがら魅力的な店が軒を連ねている。だがその誘惑に負けずに行くと、今時珍しい文句の書かれた看板が現れる。あの最高なドラマ『今夜はコの字で Season2』で恵子が吉岡を連れていったときも、この看板については恵子が「昭和っぽくていいよね」と笑う。でもその看板を見れば誰もが、背広(スーツではなく背広なのである)姿のおじさんの姿が思い浮かぶのではないだろうか。

~予想外に残業しちゃったな。家帰ったら野球中継終わっちゃうなあ。あ、宝泉があった!~(1983年10月11日の王子勤務のサラリーマン)  

 ……みたいなこともあっただろう。宝泉の看板にはこうあるのだ。
「テレビ有ります」
(ちなみに、このサラリーマンが言及した試合はセ・リーグ優勝のかかった巨人対ヤクルト戦で、先発西本たかしが9回に崩れ、リリーフした江川すぐるが胴上げ投手になった。もちろん日本シリーズは私の大好きな西武ライオンズが勝った) 

コの字カウンターで接客する二代目の濱嘉孝さん

 そして縄のれんをくぐって店に入ると、やはり看板に偽りなく3台ものテレビが設置されている。3台あるのは、このコの字酒場にはコの字型カウンターが二つも設えてあるからだ。死角を限りなく減らしてテレビを見せるサービス精神。肝心のコの字カウンターはといえば、二つとも立派で、どちらがエラいか甲乙つけ難い。まさにツープラトンなのである。車でいえばトヨタ・チェイサーのツインターボ(決してマセラティのビトゥルボではない)。この夜は右に陣取ることにした。漫画を描いてくれた土山しげるさんとコの字にご一緒するとどういうわけか「コ」の右のほうに行くことが多かったからだ。ちょっとしたことだけれど、なんだか土山さんも一緒にいるような気になれる。

 しかしどうして二つもコの字カウンターがあるのだろうか。

「全然わからないのよ。ここを作ってくれた大工さんが、これだけ広かったら二つ作るのがいいよ、って」

 と笑うのは、この店を創業した先代の妻であり、現役看板娘の濱政子はままさこさんである。政子さん、キビキビしていて二つのコの字カウンターをひっきりなしに行ったり来たりしている。二つのカウンターで満席になれば40人近くを接客しなくてはいけない。その夜もかなりの客入りだった。それでも厨房とホールとあわせても4人でまわしている。忙しい。そんじょそこらの店なら多忙ゆえのギスギスした雰囲気が漂おうものだが、ここは違う。忙しくなれば忙しくなるほど、働く人皆が穏やかな顔つきになるのである。

「コの字型だとカウンターの周りの人は一人で対応できるんです」

 ですよねー、だからコの字酒場って合理的なんですよね、と相槌をうちたくなったが、説明してくれた二代目主人の濱嘉孝よしたかさんが照れ臭そうだったので遠慮した。嘉孝さんは先代主人の濱守利もりとしさんと政子さんのご子息である。主人となってまだ十年に満たないが漂う雰囲気は泰然としている。同時に一挙一動がとても丁寧でたおやかな人なのである。見ているだけで酒が進む――なんて思っていると嘉孝さんが、ここの名物ともなっている「やわりめ」を持ってきてくれた。

名物の「やわりめ」

「やわりめ」は、あたりめを醤油やら味醂につけて柔らかくしたもの。これは先代が考案したものだそうで、食べてみると柔らかい。柔らかいのだけれど、やっぱり芯はあたりめというか、歯応えがちゃんとあってその塩梅が実にいい。政子さんによると
「歯の調子の悪いお客さんがいてね。だったら、というので考えたんです」 ということなのだった。聞けば、メニューのほとんどが先代の頃に考案されたものだという。ポテトサラダと珍しい生ホッピーを注文している間に、店の歴史を政子さんに教えてもらった。

濃い。カタい。来る来る。

 宝泉が生まれたのは昭和49年のことだった。それまで先代・守利さんは某企業で働くモーレツサラリーマン。子どもも生まれ、横浜に家も建てた。順風満帆だったが、政子さんによると守利さんは体調を崩し職場で異動になったらしい。あまり得意分野ではない異動先。いろいろ考えたすえ、自分達で独立して商売をやろうと考えた。だが二人とも商いの経験など皆無だったが、勢いがあった。知人の伝手で王子のこの場所を見つけ、横浜の家を売り越してきた。ちなみに夫婦二人とも横浜も東京も元々縁があった場所ではない。かなりの冒険だったはずだ。越してきて、しばらく別の商売をしていたが、昭和53年に居酒屋にすることを決めた。これからは居酒屋が来る、とにらんでのことだった。店の場所の近くには大きな会社もあるし景気もよくなると考えていた。バブルはわずか8年後のこと。先見性があるのである。
 宝泉という雅な感じのする店名は、実は政子さんの茶道での茶名である。聞けば政子さん免状をもっていて教授することもできるのだそうだ。偶然にも私は大学生のとき茶道部にいたのだけれど「ほとんど酒道部みたいなもんでした、ちなみに表千家です」と伝えると
「あら、あたしも。どおりで、なんかそんな感じしたの」
 と政子さん、本気で嬉しそうに笑う。この笑顔で二合は軽い。
 居酒屋を開いたものの、先代と政子さん、実は二人とも下戸。ただ食べることは好きだった。飲兵衛の好きな、いや、客のリクエストをつぶさに聞いた。やれることはどんどん採用して客が喜びそうなメニューを増やしていった。いま壁にずらりと並んだメニューの数は一体いくつあるのやら。膨大な数である。
「そのうちの一つがこの生ホッピーなんですよ」

宝泉の生ホッピー。3杯までいただける

 そう言って、嘉孝さんが大きなジョッキを目の前に置いた。生ホッピーとは、通常瓶詰めのところ、生ビールのように樽に詰めて出荷され、専用のサーバでふるまわれるホッピーのことである。限定された店でしか飲むことができず、首都圏にゴマンとある酒場のうち、わずかに50軒ほどの店にしか置いていない。さて、その生ホッピーだが、あぶくは多くない。これが生ホッピーなんだよな、とあおったら、濃い。カタい。来る来る。この重さ、ロベルト・デュランのパンチだね、と先日、別のコの字酒場で居合わせたボクシング好きという若者に言ったら伝わらなかった。素直に井上尚弥なおやと言っておけばよかった。いや、しかし、これは旨い。
 嘉孝さんが話を引きついだ(その間に政子さんは隣りのコの字へ飛んでいってまたお話しをしている。プロ中のプロという感じで、とても40歳近くまで居酒屋なんて行ったこともなかったような人とは思えない)。
「先代がお客さまからホッピーにも生があると聞いたんだそうです。ホッピーならどこでもあるけれど、珍しいものをって考えたみたいですね」。
 優しい口調の嘉孝さんの言葉にさらに酔いが回る……と思ったらポテトサラダが登場。

実直なポテトサラダ。中濃ソースを少しかけて

「はい」
 と言って一緒に差し出されたのは中濃ソースの小瓶だった。
 これなのである! ポテトサラダにソース。カレーにソースという時代、地域があるように、ポテトサラダにデフォルトでソースをさしだす文化は東京でもまだそこかしこに見られる。種類が中濃なのはやはり東京だから、というべきだろう。元々ソースはウスター一本だった。やがてトンカツソースのような濃厚なソースが売られるようになったが、トンカツソースでは濃すぎて汎用性が低いという声があった。それにこたえて生まれたのが中濃ソースで、関東での普及はすごい、と、以前、東京にあるソース製造業の組合の方に聞いた。
 といっても、いきなりドバーッとかけたりはしない。まずは素のポテトサラダをいただく。ねっちりとゴロゴロの中間、マッシュ加減も中濃な昭和系。きゅうり、ハム、たまねぎ。バランスのいいことこの上ない。すこし酸味がきいている。実直なポテトサラダ。そしてソースをかける。「味変」というのは字面が悪いしギャンブル用語みたいな響きがして好きな言葉ではないが、中濃ソースの甘さと奥底のスパイスの味わいが、酸味のきいたポテトサラダの具の味をひきたてる。これはいい。
 調子にのって、ハムフライと馬力豆腐を追加した。これは恵子と吉岡も食べた肴だ。ここではハムフライはハムカツと同義だ。四角い、塊の懐かしいハムを厚切りにして揚げ方はサクサク。ハムカツはペラペラも情緒があるが、このハムカツのこの食べごえ。野茂英雄のもひでおのフォークのようにストーンと胃の腑におさまっていく。これまた酒がすすむ。

厚切りサクサクのハムフライ

 そして馬力豆腐。豆腐で馬力というのはこれいかに、と吉岡も疑問に思った一品。こいつは、割るところがミソで、中に潜ませた卵黄がとろーんと出てくるのである。これを盛られた納豆などと一緒にまぜて醤油をたらーり。あとは勢いよく食べる。あっさりしながらパンチがあって、それでいて満足感はあるのに変に腹に溜まりすぎない。こんな上司がいたら毎日の出社も楽しいはずだ。

馬力豆腐。レンゲでまぜていただく

 で、ここは2台のコの字カウンターとテレビにいたっては3台がある。なんという充実感と密度だろうか。もう、あとはそこにいる人たちをなんとなく眺める。ただ、それだけでいい。ここに宝泉がなかったらすれ違うこともなかった人たち。そんな人たちが目が合えば会釈する、時には話す、そして乾杯する。良い時間をともに過ごす、奇跡のようなひととき。幸せがわく宝の泉がここにある、なんて思わずにはいられない。なんて酔いしれていると、いつの間にか泥酔している。生ホッピーは3杯まで。されど3杯はかなりキく。

王子「宝泉」
住所:東京都北区王子1-19-10-102
*店情報は掲載時のものです。

加藤ジャンプ(かとう・じゃんぷ)
文筆家。1971年生まれ、東京都出身。東南アジアと横浜育ち。一橋大学大学院法学研究科修士課程修了。出版社勤務を経てフリーに。著書に『コの字酒場はワンダーランド』(六耀社)、『小辞譚~辞書をめぐる10の掌編小説~』(猿江商會)、『今夜はコの字で 完全版』(集英社文庫)などがある。コの字酒場探検家、ポテトサラダ探求家。これまでに訪れたコの字酒場は数百軒。
Twitter @katojump
【HP】katojump.wixsite.com/katojump

イラスト/タカヤス
1977年生まれ、東京都品川区出身。2014年、小学館「第1回ビッグコミックオリジナル新作賞」で佳作。16年に土山プロダクションに入社し、現在はさいとうプロダクションに所属。

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