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コの一 蕨「㐂よし」 加藤ジャンプ「今夜はコの字で~全国コの字酒場漂流記~」

グルメ漫画&エッセイ『今夜はコの字で』が、今年3月に集英社文庫から『今夜はコの字で 完全版』として発売され、4月からは本書が原作のドラマ「今夜はコの字で Season2」がBSテレビ東京で放送されました。そして、6月26日からはテレビ東京での地上波放送がスタート! 集英社インターナショナルの公式noteでは、原作・加藤ジャンプさんの新連載エッセイ「今夜はコの字で~全国コの字酒場漂流記~」を始めます。Season2に登場したコの字酒場はもちろん、新たなコの字酒場も紹介していく予定です。ドラマを観た後に読むもよし、晩酌をしながら読むもよし。読めばきっとコの字酒場で呑みたくなるエッセイを、お楽しみください!


「ただいま」と口走っていた

開店の準備をする横田大和さん(手前)と店主の石塚裕一さん

『今夜はコの字で』という漫画は2015年3月から半年にわたって集英社インターナショナルのホームページで連載された。原作を私、作画をグルメ漫画の巨匠・土山しげるさんが担当した。この漫画を書店で偶然見つけたというあるスタッフの方の情熱をきっかけに、連載から5年近く経った2020年にテレビドラマ化された。キャストは至宝、協力してくれたコの字酒場ももちろん素晴らしく、あまつさえ実際の店主が演技してくれる回も多く、若干の手前味噌をご海容いただけるなら、最高なドラマだった。
 全12回の放送は、それこそあっという間に終了したが、主人公の田中恵子たなかけいこ吉岡よしおかとしのりの恋模様は次作での展開を期待させるものだったし、実際評判も高かったらしい。よし、シーズン2だ、とキャスト、スタッフ、不肖の原作者たる私も意気込んでいたのだが、予想だにしなかったパンデミックのせいで何もかもが未定になってしまった。コの字酒場にとって受難の時代。忍従を強いられた。営業の時間の短縮や酒類提供禁止。コの字酒場のみならずあらゆる酒場が辛い日々を過ごした。
 
 シーズン1では登場してもらえなかった店もあって、そのなかには次のシーズンでは絶対に登場してほしいと思っていたコの字酒場がたくさんあった。
 埼玉県のわらびにある「よし」もそんなコの字酒場の一軒だった。まん防(まん延防止等重点措置)とまん防の間、規制がすこし緩和され、いろんな店が営業を再開したとき、一度㐂よしを訪れた。店主の石塚裕一いしづかひろかずさんは、鯔背いなせというか、どこかダンディな雰囲気の漂う人である。声もハスキーでちょっとハイトーン。「焼き鳥界の渡り鳥」だと密かに思っていた。営業時間の短縮をはじめ、規制だらけのなかの営業だったが、㐂よしは㐂よしのままだった。
 間口一杯の引き戸。あけるとすぐにコの字の真ん中部分があり、そこに焼き台がある。焼き場の左右にカウンターが伸びている。カウンター以外には席はない。そこかしこが、長年の油煙のおかげで深い飴色になっている。コンクリートというより「コンクリ」と呼びたい少し殺風景な床。壁にならぶメニュー札。なにもかもが変わっていない。きっと、たくさんの変化を余儀なくされていたのだと思う。されど、目に見えるもの、たとえば客席を仕切るアクリル板のような感染防止器具をのぞいて、ほとんど何も変わっていないように思わせてくれた。嬉しかった。
「ただいま」
 と口走っていた。

早い時間に売り切れることもあるマカロニサラダ
夏のおつまみにピッタリのガツマリネ

 変わっていないのは、設えばかりではなかった。会話はひかえろ、マスクをしろ、というお達しだったから、もちろん大声の客なんていなかった。でも、ここの焼き鳥を目の前にして食べるその顔は、コロナ前と寸分変わっていなかった。いや、むしろ、我慢を重ねてきて再会した焼き鳥を前に、今まで以上に目を輝かせている人々の顔があった。その顔を見ながら、定番のマカロニサラダを食べたら、ちょっとこみあげるものがあった。50を過ぎてすぐ泣くようになった。おっさんの涙は汚い。ごめんなさい。
 なにより変わってなかったのは大将の顔だった。眼はいつものように優しく、ちょっと高い小林旭似の声。店の特徴であるみそダレ発祥の物語を、私は毎度のように尋ねるのだが、そのたびにちょっと照れながら話す口調もなにも変わっていない。
 
 ひとしきり飲んで食ってお暇するだんになって、私は大将にこんなことを言っていた。
「シーズン2をやるなら、絶対第一話は㐂よしですから」
「おお、光栄です」
 酔っ払いの言葉は話半分で聞くのが鉄則といえば鉄則。大将は喜んでいたけれど、どこまで本気にしてくれたのだろうか。

石塚さんが酒屋と相談して仕入れる地酒

 そうして迎えた2022年4月。待望のシーズン2がはじまった。第一話の舞台は㐂よしになった。大将も出演してくれた。ドラマのなかで、浅香航大あさかこうだいさん演じる吉岡は㐂よしを訪れこう独白する。
 
「ただいま、コの字」
 
   *****

 どんな困難にもめげずにコの字酒場を訪れる

 シーズン2も実現し、コの字酒場の営業もすこしずつ落ち着きを取り戻してきている。そろそろ本気でコの字酒場探訪を再開することにした。いわば私家版『今夜はコの字で』である。いや、今度こそ、どんな困難にもめげずにコの字酒場を訪れるという決意をこめて『今夜はコの字で~全国コの字酒場漂流記~』とでも呼ぼうか。これをシーズン3、4の足がかりしようというお茶目な野望もある。
 ともあれ、そうとなったら、やはりドラマにならって一軒目に訪れるのは㐂よしだろう。梅雨入りの少し前、編集者のKさんと人生で何度目かわからない、されど、記念すべき久方ぶりの㐂よし詣に出かけた。
 
 㐂よしは以前、JR蕨駅の東口に本店、西口に支店を構えていた。再開発計画があり支店は閉店を余儀なくされた。だから、いまはかつての支店のスタッフも本店にいる。
 久しぶりに訪れた㐂よしには支店を切り盛りしていた渡辺高章わたなべたかゆきさんが店先で迎えてくれた。なかに促されると支店で焼いていた横田大和よこたひろかずさんが焼き台の前で忙しくしている。奥を見たら、大将がいて、にやりとして、
「いらっしゃい、どうも、どうも」
 と笑った。この笑顔で2合はいける。
 コの字の一番奥まった席に陣取ってひとしきりコの字型カウンターに居並ぶ顔を見た。串を頬張り、酒をあおる顔、顔、顔。世の中、道を歩けば不満そうな顔ばかり目につくのに、ここにいる人の顔という顔の満足そうなことといったらない。悦楽と油断と恍惚がないまぜになったような、要するに良い顔なのである。
 㐂よしは、昭和45年に蕨で創業したコの字酒場である。かつて東京など関東の各地で見られた、豚を焼いた焼き豚を焼き鳥と呼ぶ文化が埼玉では各所で残っている。労働者にとって鶏の焼き鳥は高嶺の花で、安価な豚を鳥に見立ててそう呼んだとか、ひらがなの「やきとり」は焼き豚を指すとか、諸説あるが、㐂よしは今も焼き豚を焼き鳥として提供している。
 㐂よしがその名を轟かす理由の一つが、みそダレ発祥の店という事実だろう。
「先代によるとなんですけど、今よりもっと冷蔵庫も出来が悪い時代、モツの足が早くて、すぐに旨くなくなったわけですよ。で、みそダレで焼いたら、旨くて、くさみも上手に消すから、もうちょっと長いこと提供できるようになった」
 と二代目にあたる現在の大将は笑いながら秘話を開陳してくれた。必要は発明の母というが、仕入れたモツを無駄にしない努力が産んだのがこのタレだった。

みそダレをまとった定番のみそ焼6本

 しかし、このみそダレ、本当に旨い。私は十代のほとんどを東南アジアで過ごしたのだが、彼の地にはサティという串焼き料理がある。甘めのタレとピーナッツをベースにしたタレで食べるが、そのピーナッツタレの香ばしさとコクが、日本の、継ぎ足しの醤油ダレと合わさったかのような、深みのある味わいが、㐂よしのみそダレにはある。天才的なタレである。たぶん国境なんか越えて愛される味である。
 香ばしさとちょうどいい塩味。そこへニンニクのほのかな香りが漂い、それらを味噌の奥深いコクと甘さが丸ごと包みこんだタレ。これが、モツを優しくくるむ。もとよりこのコの字酒場のモツは質がいいから、これこそ鬼に金棒で、たとえばシロなんて、一噛みするとじゅわっと深みのある脂があふれ、そこへみそダレがからみ、いっぺんで虜になってしまう。
 もちろん、その旨さは、現在の大将が引き継ぎ、継ぎ足してきているからこそ、さらに滋味深い味わいになっていることは疑う余地がない。くわえて、焼き鳥以外も旨いものばかりだ。とり皮ポンズは酢の物、皮嫌いが宗旨替えを迫られる至高の味だし、マカロニサラダは、マカロニの穴のなかに入って眠りたいくらい旨い。
 こんな素晴らしい店をまとめあげているのが大将だ。ところが重責をになっているはずなのに、大将の動きはいつも軽妙そのもの、リズミカルで軽やかだ。
「実はジャズミュージシャンを目指してたんですけどね」
 初めて聞いた話だった。いまでもウッドベースを都内屈指のアマチュアジャズバンドで弾いているという。そう思ったら、大将が急に小林旭さんから私の大好きなクレージーキャッツの犬塚弘さんに似ているような気がしてきた。ベーシストといったらいかりや長介さんもそうだった。かっこいいオヤジになるにはウッドベースが手っ取り早いのかもしれない。ボクも始めようかな。
 紆余曲折へて高円寺で弟さんと一緒に焼き鳥屋を開いた大将は、そこでお連れ合いにして現在の女将、すなわち㐂よしの先代のお嬢さんと巡り合う。高円寺の店を弟に任せ、自らはこの旨いタレ発祥の老舗の跡を継いだ。
 大将の格好良さの一つは、引き継いだ店を無理に自分色に染めたりしないことだろう。先代の頃から通い続けている常連にはいつも通りの場所。そして新たな客には、歴史を感じさせる。それでいて、敷居は高くならず、いつも気軽に楽しませてくれる。だから、このコの字酒場には、いつでも、常連、イチゲン、たまに来る人、遠来の再訪の客、つまり私のような客が揃っている。そして、こういう場所を、軽やかに供してくれることが大将の色なのだと思う。褒めすぎか、いや、大丈夫、こんなことで照れる人ではない。

みそダレの香りにつつまれる店内

 さて、実は今回の訪問で嬉しく不思議なことがあったのでそれも記しておく。
 ドラマの主人公は吉岡という名前だが、これは私が俳優の吉岡秀隆よしおかひでたかさんのファンゆえに勝手に拝借したものである。そして、その日、私は、㐂よしで吉岡秀隆さんの隣りの席に座るという、信じられないミラクルに遭遇したのである。吉岡さんはこの店の常連で、その日、偶々来店した。仕込もうたって仕込める話ではない。コの字酒場には魔法があるのだ。
 もちろん、隣りに吉岡さんがいるからといって無闇に距離を詰めたりはしない。コの字酒場らしく挨拶をして時々お話しさせてもらった。で、吉岡さんはコップを持つ仕草も、馴染みのスタッフにやさしくまぜっかえしたりする様子も、こういう酒呑みになりたいなと思わせた。その姿を見てるだけで二合は軽い。見惚れたせいで調子づき、ほろ酔いから少々逸脱した私は図々しくも
「また続編があるときは是非!!!」
 とお願いしていた。酔っ払いは大胆である。
 とまれ、それは㐂よしの、コの字酒場のそこかしこで普通にある営みだ。互いの顔をちらほらと見つつ、適度な距離感をたもち、黙って過ごしたい人はしっぽりと一人酒を楽しみ、時に人恋しい人は言葉を交わす。㐂よしの場合、その顔の真ん中に大将がいて、空気はみそダレの香りに包まれている。
 
 天国は、たぶんみそダレのにおいがするのだろう。
 
「そんな、たいそうなものじゃないですよ」
 
 大将は笑うが、私はまじめだ。そして、いつもここを訪れると言うのだろう、「ただいま」と。

蕨「㐂よし」
住所:埼玉県川口市芝新町2-11
*店情報は掲載時のものです。

加藤ジャンプ(かとう・じゃんぷ)
文筆家。1971年生まれ、東京都出身。東南アジアと横浜育ち。一橋大学大学院法学研究科修士課程修了。出版社勤務を経てフリーに。著書に『コの字酒場はワンダーランド』(六耀社)、『小辞譚~辞書をめぐる10の掌編小説~』(猿江商會)、『今夜はコの字で 完全版』(集英社文庫)などがある。コの字酒場探検家、ポテトサラダ探求家。これまでに訪れたコの字酒場は数百軒。
Twitter @katojump
【HP】katojump.wixsite.com/katojump

イラスト/タカヤス
1977年生まれ、東京都品川区出身。2014年、小学館「第1回ビッグコミックオリジナル新作賞」で佳作。16年に土山プロダクションに入社し、現在はさいとうプロダクションに所属


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