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コの七 高崎「やきとり ささき」 加藤ジャンプ「今夜はコの字で~全国コの字酒場漂流記~」

黒い木製メニュー札

おのれ、ミュシャ


 東京駅にある東北新幹線の乗り換え口で、編集者のKさんと待ち合わせた。
 ついに、この連載で遠方へ行くのである。おじさん大はしゃぎである。
 下りの東北新幹線の車窓からさいたまスーパーアリーナが消えるころから急に緑やら田んぼが増えてくる。いよいよ旅情を満喫、車内販売でビールに乾燥ホヤでも買おうかと色気が出てくると、
「つぎは高崎たかさき
 と、アナウンスがあってすごすご諦めた。行き先は、群馬ぐんま県高崎市。東京から、速い新幹線なら1時間もかからない。NTTの本社機能が移転するとか、パスタが山盛りだとか、海無し県だが県内のマグロの消費量が日本有数だとか、最近なにかと話題の群馬の高崎なのである。
 高崎出身の知人がいて、この町には毎年通っている。訪ねていくうちに、ちらほら、コの字酒場の情報を耳にするようになった。そのなかに、どう考えても『今夜はコの字で』の恵子と吉岡に行かせたいコの字が一軒あった。
 これまで、この連載ではドラマに登場したコの字酒場を再訪してばかりいたが、これからは、いろいろな土地にある、ドラマや私の本には出てこないコの字酒場のことをどんどん書いていこうとたくらんでいる。つまり、
 
 新シーズンやりたいな
 ↓
 だったら、コの字ファミリーには遠出させたいな
 ↓
 だったらどんどん先にいろんな地域のコの字酒場を舞台にお話考えちゃおう
 
 という前のめりの感覚で、あちこち、いろんな酒場を訪ね歩こうというわけである。先走りおじさん。すみません、原作者だから許してください。きっと、土山さんも大きな体を揺すって「うん、うん」と首肯してくれるはずである。
 
 その日、高崎駅についてから件のコの字酒場の開店までしばらく時間があった。高崎は芸術の町である。音楽堂はすばらしいモダニズム建築だし、近くの達磨寺だるまじには、あのブルーノ・タウトが暮らしていた家が残されている。駅前には市の美術館や日本画の専門ミュージアムもある。駅からはすこし離れているが県立近代美術館はその建物もふくめてすばらしい。すみずみまで芸術の街なのだ。
 だから、その日も美術館巡りをして、目を肥やしてから、いよいよコの字酒場にのぞもうと意気込んだのである。
 まずは近代美術館に行こうとタクシー乗り場へむかった。道すがら、何の気なしにスマートフォンで美術館のホームページを見ると
「休館日」とある。そういうこともある。
 ならば、と駅の西口にある市立美術館へ足を向けた。ここは美術館と高崎の文化事業をリードした実業家、井上房一郎いのうえふさいちろうの旧邸が隣接していて同時に見ることができる。だが、Kさんと私を迎えてくれたのは、
「入れ替えのため臨時休館」という素気ない貼り紙だった。入れ替える展示はアルフォンス・ミュシャだった。おのれ、ミュシャ。
 しかたがない。それでも高崎は芸術の街だからいくらでも行くところはある、とつぎはそこから線路を挟んで反対側にあるという日本画の美術館を目指した。休館日でないことは調べ済みである。駅前のタワーマンションのなかにあるというその美術館、エレベーターホールに向かうと、また何か貼ってある。
「展示入れ替えのため臨時休館」
 燃え尽きた。
 高崎のアートというアートが私たちに背を向けている。悲しみにくれた私たちは、やむなく喫茶店を探しまわったが、これまた休みの店が多く、けっきょく、ガが付くファミリーレストランのドリンクバーで開店時間を待った。容赦ない西陽をブラインドが遮り、長い影だらけの店内の廊下を、するするとネコのロボットがやってきて、隣の席の客に
「はやくとってくれにゃ」
 みたいなセリフをぬかして急かした。言われた客のご婦人が
「言われなくてもとるよ」
 と、真顔で反論していた。なんだか急に攻殻機動隊が見たくなったし、早くコの字酒場に行きたい心持ちが濁流になって飲み込まれそうだった。

店主の佐々木愼一さん

 今回、訪れるのは「やきとり ささき」というコの字酒場である。高崎駅の西口から歩いて5、6分というところである。駅のロータリーから太い目貫通りがあって、交差する太い道を北に向かう。そこまでは広々とした道路が多いが、急に道がせまくなった区画があって、そこにささきはある。レンガ風のタイルばりのビルの一階、角にあって格子戸の向こうに電球色の灯がともっている。真っ白に「やきとり」と染め抜いた藍染の暖簾が風に揺れる。
 この景色はレガシー。これをつまみに2合は軽い。
 店内は、コの字カウンターのみ。入口に対してコの字の上の一辺が並行に位置している。カウンターのトップは黒いデコラで内側の厨房との間に10センチほどの木目の仕切りがある。なにからなにまでコの字酒場仕様なので、
「これは、やきとりをやるコの字酒場として考えぬいて作ったカウンターですね」
 と言ったら、
 店主の佐々木愼一ささきしんいちさんが、
「これはねえ、実は前の飲み屋さんのをそのまま引き継いでいるのよ」
 と、あっさり教えてくれた。コの字酒場探検家、読み、甘し。以前はカウンターの上にマイクを置くレールがあったというカラオケの店だったらしい。ところが、いまはストイックに、やきとり、つまり、やきとんと酒の店である。もちろん、他にもちょっとはメニューがあるが、湯豆腐と漬物くらい。ほんとうにちょっとだけである。

高崎駅の西口から歩いて5、6分

 開店時間は18時。すこしフライイング気味にコの字の奥の一辺に陣取った私たちがビールと、ガツ、レバー、カシラ、タンなどをお願いすると、外では行列をつくるということはないが、口開けとともに待ち構えていたように、お客さんがやってきた。
 お客さんが
「やってるの?」
 と、聞くと、佐々木さんが
「やだ」
 と、こたえた。
 なんだ、このやりとり。原作の第一話にして、ドラマ『今夜はコの字で』シーズン1の2話に登場した神楽坂かぐらざかのしょうちゃんみたいではないか。ここで私は確信した。このコの字酒場は名店である。
 佐々木さんは、そんなふうに、常連客をいじりながら入店をうながすと、何も聞かないうちから冷蔵庫からやきとりを取り出してコンロにかけた。全部わかっているのである。ご常連は飲み物の銘柄を注文し、佐々木さんにつっこみを入れつつ呑んでいる。
 常連には何も聞かない佐々木さんだが、イチゲンには優しく声をかけてくれる。私のあと、素敵な二人組が現れると、コの字カウンターの真ん中の一辺に通し、いろいろとおすすめなどについて話していた。また、この二人の呑みっぷりが小気味好い。いい飲み方の客はツマミになる。その姿を見ているだけで大瓶一本は軽い。

レバー(左)とガツを2本ずつ
ハツ(左)とカシラ

換気扇から焼き台までピカピカ

 さて、肝心のやきとりだけれど、これが頗る旨い。
 地元の大きな企業から仕入れているというモツはフレッシュで粒が大きい。しっかりと焼いてくれたそれは、タレとのなじみも良い。きりっとした醤油味と、その隙間から顔を出すように微かな甘味が好い。ハツの焦げ目のほろほろっと崩れるエッジと実によく馴染む。
 焼き加減は、佐々木さんの腕前が最もはっきりと現れているところかもしれない。よく焼いたのが好きな人間も、軽く焼いたのが好きな人間も、どちらも納得するであろう。これ以上焼けば風味が失われる、そして歯触りも固くなる、そのギリギリのところまでしっかりと火を通す。佐々木さんは、そういう至妙の焼き手だから、基本的にずっとおしゃべりをしていても、一度焼き始めると視線はのべつ焼き台に注がれている。
 佐々木さんは、両手をつかって、部位ごとに焼き加減を見ながらくるっと串をひっくり返す。リズミカルで見ているこちらが心地良い。すると、こんなことを言った。
「いやあ、この前ねえ、両手の10本の指がしびれてかたまっちゃって、もう、驚いちゃって」
 このコロナ禍でささきも休業を余儀なくされた。2ヵ月の間店を休み、その間トレーニングはしていたそうなのだが、再開した当日は指はしびれ、足腰はどうしようもなく痛くなったそうだ。だが、毎日、半世紀もの間、地元の中学のバスケットボール部のコーチを引き受けているだけあって、体の感覚は3日ほどで取り戻したという。すごい。なにしろ佐々木さん71歳だというのだけれど、話しぶりも動きもまったくそれを感じさせない。壮年どころか、身のこなしなんて青年みたいである。最近、初老ぶって腰が痛いだのなんだのアピールしていた自分が恥ずかしくなった。

ささきというコの字を囲む笑顔の光景

 店は昭和24年に高崎駅前で出していた屋台がそのルーツだ。その後、引っ越しをして今の場所は3ヵ所目なのだそうだ。そうはいっても、この場所に来てからすでに40年近い年月が流れている。佐々木さんが店で本格的に働くようになったのも、店がここに来てからのことである。高校までを群馬で過ごし、大学時代は東京で過ごした。哲学科に通っていて哲学科闘争委員会という団体をつくったり、いろいろと元気に過ごしていた。その後20代の半ばになって高崎にもどり、店を手伝うようになったが、初めは
「やきとり屋をやらせるために大学に行かせたわけじゃないってね」
 と、父から猛反対にあったという。しかし、その反対にもめげず、気がつけば40年以上、やきとり屋をやっている。創業者である父がつくったこの店を、ほとんど何もいじらずに営んできた。それは、大反対されたことへの、佐々木さんの誠実な、真面目なこたえだったのではないだろうか。何もかも変えていないが、いつも換気扇から焼き台までピカピカに磨きあげられている。
「そのくらいしか自分の仕事なんてないじゃない。あとは、言われたことをやりつづけてるの。これくらい、言われたままやる人ってのも珍しいよね」
 と笑う。けれど、いま、ここへ来る客たちはやきとりはもちろん、佐々木さん、通称しん(愼)さんに会いたくて来ているように見える。爆音で流れる中島みゆき、くりかえされる佐々木さんと客とのボケとツッコミの応酬。ここは佐々木さんの部屋のようで、客はそこへ遊びに来ている、そんな感じがする。店の一切を先代のときから変えずにつづけながら、その隅々に佐々木さんは自身を染み込ませていって、ここを唯一無二の佐々木さんの空間に育てあげたのだろう。
 それにしても旨い。レバー、ガツ、ナンコツ。みな絶品だ。どれも、焼き加減が最高。歯ごたえと柔らかさのギリギリのバランスをとった食感。表面の焼き加減と、そのカリカリ具合を邪魔しない、されど、じわりと染み込むタレの漬け加減。もちろん臭みなんてないし、いくらでもいける。
 これらは、ぜんぶ黒い木製メニュー札に書かれている。ただ、そのなかに白いプラスチックの札が一枚だけある。カシラだ。これだけは後から加わったメニューだという。そのカシラをいただいたら、モツの、脂の良いところだけ残すように焼いた逸品だった。これにも、自家製のタレがよく似合う。後味は爽やかなのに、噛むたびにねっとりしたコクを感じさせる汁気があふれでて、それにうまくタレがまざりあう。香ばしさと旨味が手をとりあう。

爆音で流れる中島みゆきのアルバム『歌でしか言えない』

「TOKIOの松岡さんと仲良しの人だ」 

 このタレは実は博多仕込みなのだという。
 佐々木さんは二代目店主である。創業者は佐々木さんの父親、佐々木まことさんだ。先代が生まれたのは福岡の漁師の家だった。16歳のとき船の事故で父と弟を亡くし、戦争になって中国戦線に送られた。そこで知り合った、高崎の寿司店出身の戦友のツテを頼ってこの街へやってきた先代は、やきとりの屋台を高崎駅前で始めた。当時は焼き冷ましを置いていたそうだが、ある日東京から来た客に「こんなのはやきとりじゃあない」と、こっ酷くダメ出しをされた。一念発起した先代は、博多の屋台のやきとりを学ぶために故郷へ帰り、そこで一からやきとりのやり方を身につけた。いま、店で出されているタレは、その時学んだもので、先代から受け継いだ、二代目店主の佐々木さんが注ぎ足しながらつかっている。こういうところにも、佐々木さんが、店を一切変えていない理由がある気がする。

お新香。プチトマトも出てきた
燗酒用のチロリで温めた湯豆腐

 焼き物がつづいたので、すこし箸休めが欲しくなり、お新香を注文したら、きゅうりや大根と一緒にモダンなプチトマトもでてきた。これも、あっさりしていて、トマトの味の酸味も香りもよく引き出されているのに、それでいて醤油がいらないちょうどいい塩梅にしあがっている。
 湯豆腐は、燗酒用のアルミのチロリに小さく切った豆腐をいれて温めただけのシンプルな品で、醤油にポン酢などを好きにかけていただく。こういう融通無碍に楽しめる気楽なツマミ、実にありがたい。誰だって、時には酸っぱいのも食べたいし、ときには塩だけという気分もあるのだ。そういえば、カウンターの上には、醤油、ポン酢、七味、辛子、レモン、山椒……とたくさんの調味料が等間隔で並んでいる。面白がって眺めていると
「山椒は単価がいちばん高いのであんまり使わないで」
 と冗談がとんでくる。こういうところが、またこのコの字のたまらないところだ。

等間隔に並んだ調味料

 楽しい。ぐいぐい酒がすすむ。気がつけばビール大瓶はとうに空になり、燗を何合かに冷やに冷酒にと、何合やったかわからなくなっていた。こりゃこりゃ。
 気がつけばカウンターには良い顔が並んでいる。若い男性の一人客。女性と男性の二人連れに、人生における相当な大先輩な二人の男性。それぞれが楽しげに呑んでいて、ときおり言葉をかわす。大先輩の一人は、あまり歯が多く無さそうだったが、ペロリとやきとりを食べてしまう。そしてカッと酒をあおる。酒仙、と呼びたくなった。
 その酒仙といろいろと話し込んでいる二人づれ。二人の飲みっぷりが朗らかで、ついつい
「お近くなんですか」
 と聞いたら
「ジャンプさんですよね。実は気づいてました」
 とにっこり笑ってくれた。こんな、おじさんに気づいてくれた。ありがたいと思って乾杯していたら、コの字の向こう岸の常連の若い人が
「あ、TOKIOの松岡さんと仲良しの人だ」
 と言ってグラスを持ち上げて見せてくれた。いやいや、仲良しだなんて恐れ多いとペコペコ謝りながら、乾杯。そんな会話がコの字を挟んでかわされるなか、傍にいた白髪の大先輩は一顧だにせず、自らの武勇伝を編集者のKさんと私に語りつづけた。そして、そのやりとりを見て酒仙が哄笑し、佐々木さんが全体を、ただ、にこにこと眺めている。
 この瞬間、最高に美しい。高崎に来て、あらゆる美術館にフラレた私だったけれど、すべては、この美しい光景のための序章だった。ささきというコの字を囲む笑顔の光景。それは保存できないアートだ……なんてことを、平気で声に出して言ってしまいそうな気がしたので、そろそろ暇を告げるタイミングだと思って店を後にした。
 帰り道、こんなことを考えていた。このコの字に恵子と吉岡はなぜやって来るのだろう。どんな会話をするのだろう。誰に会うのだろう。山田はきっと、ご飯ものを二軒目で食べようと大騒ぎするだろう……思いはめぐる。やたらにめぐると思ったら、すこし呑みすぎて頭がグルグルしていた。

高崎「やきとり ささき」
住所:群馬県高崎市通町135
*店情報は掲載時のものです。

加藤ジャンプ(かとう・じゃんぷ)
文筆家。1971年生まれ、東京都出身。東南アジアと横浜育ち。一橋大学大学院法学研究科修士課程修了。出版社勤務を経てフリーに。著書に『コの字酒場はワンダーランド』(六耀社)、『小辞譚~辞書をめぐる10の掌編小説~』(猿江商會)、『今夜はコの字で 完全版』(集英社文庫)などがある。コの字酒場探検家、ポテトサラダ探求家。これまでに訪れたコの字酒場は数百軒。
Twitter @katojump
【HP】katojump.wixsite.com/katojump

イラスト/タカヤス
1977年生まれ、東京都品川区出身。2014年、小学館「第1回ビッグコミックオリジナル新作賞」で佳作。16年に土山プロダクションに入社し、現在はさいとうプロダクションに所属。
Twitter @takayasu0804

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