コの十 新橋「美味ぇ津”」 加藤ジャンプ「今夜はコの字で~全国コの字酒場漂流記~」
久しぶりに二人に会いたかった
なんだか懐かしい気さえする。ドラマ「今夜はコの字で」シーズン1の放送が始まったのは2020年の1月のことだった。撮影は前年の夏におこなわれた。
今回訪れたコの字酒場で撮影をした日は、いかにも、日本の夏という日だった。それも、無茶苦茶な炎天というのではなく、湿気のほうの日本の夏。その日はあいにく朝から小雨模様。だが気温はばっちり夏。湿度で人間の輪郭がぼやけるような天気だった。だが、撮影の現場では運転音が入るといけないので換気扇もエアコンも撮影中は使用しない。
べらぼうに暑かった。徒然草に「家の造りやうは、夏をむねとすべし」「暑きころ、わろき住まひは、たへがたきことなり」とあるが、ほんとうに日本の夏はつらい。その夏に、締め切った店で、煮込みの鍋の火をぼんぼん焚きながらエアコン無しというのは、マイルドに地獄か修行だった。
しかし、そんな過酷な状況でも、俳優さんたちは、涼しげな顔で芝居をする。あまつさえ冬物の服まで着込んで。プロフェッショナルとはそういうことだ。そのなかに紛れて、アマチュアの私もドラマに出てしまった。しかもセリフまであった。あろうことか、主演の中村ゆりさんと私の顔がオーバーラップするという、モーフィングの限界に挑むようなシーンであった。同じく主演の浅香航大さんも、まさかゆりさんとこのおじさんの顔を重ねてしまうなんて事態は想像していなかったと思うが、やはりプロフェッショナルなので、見事としか言いようのない素晴らしいお芝居を目の前でしてみせてくれた。ただ、そのシーンのせいで、時々、中村ゆりさんをテレビや雑誌で見ると、なんとなく私の顔を重ねてしまうことがあって、とても困っている。
その頃、まだ誰もマスクなんてしていなかった。コロナ前だった。たかだか2年ほど前のことなのに、ひどく昔のことのように思える。そのくらい世界は変わってしまった。
変わらないのはこの店だ。
こんなご時世ではあるけれど、女将さんの梅津恵美ちゃんは笑顔をたやさないし、よく笑う人だ。
「しばらく休んでてお店を再開したときは、この味でいいのかなあ、なんて思ったりして」
そして大将の梅津昭典さんは、いつも微笑みを浮かべ、職人のように真剣に仕事をする。
「二人でやっているのですこし時間がかかってしまいますがよろしくお願いいたします」
いやいや、たっぷり時間を使ってください、と返事をしたくなる。
休業したり、営業時間を短縮したり、大変な思いをしたはずなのに二人とも明るい。表情が明るいのはもちろん、声も、仕草も明るい。
この店は、来年やっと開業10年を迎える。初めて行ったのはずいぶん前のことのような気がするが、そんなに前でもなかったのだ。そういう記憶が年々いい加減になっていく。酒のせいではない。年のせいである。
今、このコの字酒場は全国に知られているけれど、かつてはそんなことはなかった。誰にも教えたくないが、教えたくてうずうずしてしまう魅惑の店だった。過去形で書くと店が変わってしまったかのようだが、変わってしまったのは繁盛ぶりであって、中身が魅惑の店であることは今も変わらないどころか、進化している。近頃はみんな知ってしまったので、いかに昔から知っているかを言外に自慢したくなる自分がいて、そういう時、あらためて人間が小さいことを自覚する。でもこの店を自慢したくならない人なんているのだろうか。一度来たら、みなファンになってしまう店なのだ。
前置きばかり長くなると編集者のKさんに叱られそうなので、そろそろ種明かしをする。そのコの字酒場は新橋にある「美味ぇ津”」のことである。こう書いて「うめづ」と読む。大将の昭典さんがイチから作り上げた、芝浦煮込みと名づけた煮込みで知られるコの字酒場だ。煮込みで有名だが、ほかの料理もみな旨い。お通しの玉子焼きは梅津さんの妻の恵美ちゃんの担当だが、これも国宝級に旨い。
漫画『今夜はコの字で』単行本には、このコの字酒場を舞台にした回は掲載されていない。美味ぇ津”を舞台にした読み切りの一編を「グランドジャンプ PREMIUM」という雑誌に掲載したのは、単行本が発行された後だった。その時以来、昭典さんと恵美ちゃんと、ちゃんと話すようになった。以来何度も話しているのに、お店を開くまでの経緯を尋ねたことがなかったし、長くしっかり書いたこともなかった。それで今度こそと、今回またお邪魔したのである。というのは建前で、要するに、久しぶりに二人に会いたかった。
夕方、店の前でKさんと待ち合わせた。新橋駅を出て、待ち合わせの10分前には店から1分くらいのところに到着していた。いよいよ美味ぇ津”というところで電話が鳴った。こういうときの電話に限って長い。それで結局、
<着きました>
と、Kさんからメッセージが届き、先を越されてしまった。悔しかった。私は、なぜか美味ぇ津”には一番乗りしたいのである。長電話を切り、店前まで小走りで急いだ。新橋四丁目、日比谷神社の斜向かいの雑居ビル。そこに美味ぇ津”はある。
ビルの前には細長い人かげがあって、それがKさんだった。Kさんは会うたびに背が伸びている気がする。伸び続けていると今ごろ3メートルくらいになっているはずだが、一緒に呑んでいる間に縮んでしまっているのだと思う。そのKさんが、いつもと違う立派なカメラを持ってニコニコしながら写真を撮っている。
「良い奴借りてきちゃいました」
Kさん、ご機嫌な様子である。美味ぇ津"が彼を昂揚させていたのかもしれない。
「なんていうか男のロマンー?」
美味ぇ津”の暖簾には「大衆酒舎」と染め抜かれている。酒場ではなく酒舎である。それをくぐると、いきなりコの字型カウンターの真ん中の一辺がある。これが長くて、両サイドは若干短めのコの字型カウンターが、部屋一杯に構えている。カウンターのなかを、これまたスペースを目一杯使った厨房があって、なかには見慣れた二人がいる。
「いらっしゃいませ」
昭典さんと恵美ちゃんが声をそろえて言った。二人の声が快活だからこちらも一気に呑む気がむくむくと湧いてくる。
「いつもありがとうございます」
席を案内しながら昭典さんが言った。昭典さんは知り合った頃はずっと体が丸かったのだが、ある時きゅっと絞ってそれ以来ずっと維持している。白髪の短髪でコの字酒場界のゲイリー・ビジーかデニス・ホッパーという風貌である。
ここはホッピーの赤もあるし、シャリキンもある。この酒場紀行文を読んでいる人には釈迦に説法だろうが、念のため言うと、前者は限られた店にしか置いてないプレミアムホッピーで、後者は凍らしたキンミヤである。どちらもそうそうお目にかかれないので、いきなり、いずれかで始めようかと思ったりもするのだが、結局、席に着いて最初の一杯は生ビールにした。ここは、生ビールも、昭典さんが小鳥でも扱うかのように丁寧にグラスに注いでくれるせいか、よく知ってる銘柄なのに他より旨いのである。
グイと半分くらい呑むつもりが、勢いあまってほとんど空になってしまった。最近、どこかに
「今、呑んでおかなきゃ」
という呑み急ぐ心持ちが潜んでいる気がする。生き急ぐというのはどこか格好よさも感じられるが、呑み急ぐのは言い換えるとただセコいだけかもしれない。でも、気にしない。
だいたい、一杯目を呑むか呑まないかというタイミングで昭典さんがオーダーをとる。煮込みは数が限られているので予約のとき何名分必要か伝えてあり、店では、そのほかのものを頼むのである。
「ええと、まずは、レバーステーキと、ポテトサラダと、シロ3本」
ポテトサラダ以外ホルモンばかりである。だが、そんなことを気にする人は来なくていい。ここは旨いホルモンを食べに来る店なのだ。
煮込みがつとに知られているが、美味ぇ津”のすごいところは当然ながらそこだけではない。
「お通しです」
と、あっさりと目の前に出されるそれは、小ぶりな楕円の皿一杯に三点がぎゅうぎゅうに盛られている。三点は横並びに盛り付けられるが、両脇は日替わりで、真ん中は不動のレギュラーの席である。その日は、両脇にパスタのサラダと里芋。真ん中には、私のなかで玉子焼き革命をおこした、美味ぇ津”の玉子焼きがどんと鎮座している。この玉子焼き。強力にコク深い出汁がしみわたり全体の骨格をなしている。肉にあたるのはおそらく酒の旨味。そしてかすかな甘み。それらが渾然一体となって卵とからみあう。一口目から、世界一の旨い玉子スープのごとき汁が口中にあふれだす。これを好きにならない人を私は知らないし、本当に世界でここにしかない玉子焼きである。
この玉子焼きやお通しのメニューを考え拵えているのは女将の恵美ちゃんである。ちなみに長いこと私は恵美ちゃんと呼ぶことができなかった。今回、この酒場紀行文を書くためにお話をして、あらためて
「恵美ちゃんて呼んでも大丈夫でしょうか」
「きゃあ、もちろーん」
という会話を経てようやく呼べるようになった。
トラックドライバーをしていた大将の昭典さんが、この店を出そうと言い出したとき、恵美ちゃんは大反対だった。
「まあ、なんていうか男のロマンー? だったらもう反対してもしかたないかって思って」
と恵美ちゃんはふりかえる。
「いろんな仕事をしてきて、当時はトラックドライバーだったんです。休みの日は呑んだくれてばかりで」
と、笑う昭典さん。ちなみに、昭典さん、本当にいろんなお仕事を経験している。幼い頃は子役で、『ウルトラマンA』に出演していた。私は初めて会った時に「バンキッドの茶色の子に似てるなあ」と思ったら本当にそうだったので心底驚いた。長じてからは、マハラジャの店長なんて今の雰囲気からは想像もつかないお仕事もしていたらしい。
「じゃあ、肩幅バリバリに広いスーツとか着てたんですか?」
「はい、アーストンボラージュでした」
なんて、話す昭典さんを見ていたら、たしかに、ああいうスーツも似合うだろうなと思ってしまった。
そんな昭典さんだったが、トラックドライバーをやりながらも、どこか心が満たされない日々を過ごしていたらしい。
「仕事の無い日は、とにかく呑むんですが、でも、だんだん、ただ呑んでいてもしかたない、なにか自分でツマミを作ろうと思ったんです。煮込みを始めたのは、知人が芝浦の市場にいたのがきっかけです。彼から良いホルモンが手に入ったので、それで煮込みを作ってみたものの、初めはどうしようもないくらいまずくて」
実は昭典さん、その頃はまったく料理については門外漢だった。恵美ちゃんが風邪をひいたとき
「お粥を作って持っていったら、一口食べてくれただけ」
お粥の作り方を知らず、ご飯をお湯にといただけだったらしい。ただ、これが逆に昭典さんの探究心に火をつけたらしい。
「昆布や鰹節やら、高い食材なんかをあれこれ試して」研究を続けていった結果、いまの、最高に旨い煮込みの原型ができあがった。恵美ちゃんがまずいお粥を、たった一口だけ食べてやめてくれたおかげである。
さて、煮込みの試作で手応えをおぼえた昭典さん。勝負に出た。店をやろうと決めたのである。
トラック運転手をやりながら不動産屋をまわった。あちこち見て回ったが、一つ大事な条件があったという。いつも昭典さんが言ってくれる、この言葉に私は、いつもグッとくる。
「どうしてもコの字にしたかったんです。いろんなところを食べ歩いてコの字が良いなあと思っていまして。店をやるなら、大きなコの字カウンターがおさまるところでないとダメだと思って探しました」
一方の恵美ちゃんは
「私は、今でこそいいカウンターだなと思いますけど、その頃は何型でも全然かまわなくて」
と、大笑いしていた。
忙しいなか、不動産屋から連絡が入ると寸暇を惜しんで物件を見てまわり、ついに、今の美味ぇ津”になっている物件と出会った。工事をすませ、いよいよ開店となった。
だが、恵美ちゃんは、接客の経験も店の厨房で調理をした経験もなかった。お店をやることについては、男のロマンにつきあうために納得したものの、全体的に超消極的だった。
「ようやく店ができて開店してからも、いっつも"お客さん来ないで"ってばっかり思ってて」
兎に角、不安でいっぱい。閉店時間のはるか前でもお客がいなければ、恵美ちゃんは、
「もう店閉めてもいい? ってすぐ聞いちゃってました」
一方の昭典さんは、不退転の決意。毎日、店前に幟を何本も立て呼び込みに勤しんだ。まだトラックドライバーと兼業だったから、大阪や京都まで荷物を届けてその足で店に戻ったり、逆に店からいきなり遠方へ配達へ行ったりする生活をつづけていた。
しかし旨い煮込み屋ができた、という噂は徐々に広まっていた。その頃、私は初めて美味ぇ津”を訪れたが、たしかに、今のように予約でいっぱいなんてことはなかった。ただ、爆発的に旨い煮込みに驚いた。ここはすごいことになるぞと思ったらほんとうに誰もが知るすごい店になってしまった。
「ほんとに皆さんのおかげなんです」
夫婦は声をそろえて言うが、むしろ、こんな旨いコの字酒場を開いてくれて感謝したいのはこっちのほうだーー。
煮込み界のザ・ビートルズ
で、この日は、まずポテトサラダが来た。
このポテトサラダは、ニンジンときゅうりと玉ねぎとハムと玉子が入っている。どれも小さく切ってあって、全体の馴染み方が素晴らしい。ポテトサラダという野菜があるかのように、一体感がある。あと少し塩気が強かったら、呑ませる意図が見えてあざとくなる、そのほんの一歩手前という最高の塩加減。全体にはねっちりとして腰があるが、ジャガイモのホクホク感はちゃんと残している。控えめでこれ見よがしなところは皆無だけれど、一度食べたらしっかり記憶に残りかならず注文してしまう。
シロはというと、これを焼く過程を見てほしい。注文の数だけ焼き台にずらりと並べる。これをじっくり何分もかけて焼き上げる。昭典さんはまったく気を抜く様子がなく、どこか勝負師のようにシロを見つめつつ、断続的に、頃あいでひっくり返す。こちらは呑気に眺める。シロが真っ白から徐々に狐色になっていくのがわかるが、これが本当にゆっくりなのである。天塩にかける、というが、まさにそういう焼き方なのだ。満を持して登場するそれは、カリッカリの表面に旨いタレが染み込むことで、サクッという歯触りとホロリと崩れる感覚が至高のバランスで楽しめる。噛めばカリカリの間からうまい脂があふれ、たまらない。
レバーステーキは山のように盛られた刻みネギのタレが、これまたじっくり時間をかけて焼いたレバーのねっとりした舌触りとコクを引き出す。濃厚ながら、後味はさっぱりとしていて、レバーの真の実力を見せつけられるかのようだ。これを食べながらキリッと冷えたゴロゴロと大きめにクシ切りになった生のカブを齧ると、カブの甘さとレバーの濃厚さのラリーが最高に心地良く、いつまででもいくらでも食べられる。
真打はもちろん、煮込みだ。ほんとうは、最初のほうに出してくれるが、ここでは敢えて最後に書きたい。存在が大トリを飾るにふさわしいメニューなのだ。
ここの煮込みは4本一組である。シロ、ハチノス、スジ、和牛ホホ肉の4本がそれぞれ串に刺さった状態で煮込まれている。色は世界で一番旨そうなカラメルの色をさらに煮詰めた、茶色の王様だ。艶めいて、その色にそまった4本の串は、煮込み界のザ・ビートルズ、ファブ・フォーだ。
シロはあくまで柔らかく、それでいてシュッと噛める歯触りが好い。あふれる旨い汁気には煮汁の旨味がとけこんでいて、これに抵抗できる人はいまい。ハチノスは、サクサクとした歯触りと、ハチノス独特の底知れぬコクのある出汁が最高に旨い。スジは、4本のなかでは少しあっさりしてひかえめ。だが、これが実はとてつもない実力で、身がほどけていくたびに、爽やかなコクを感じさせつつ、そのハラリハラリという身が崩れていくリズムが4本セットで食べたときに最高のアクセントを生む。そして和牛ホホ肉は、もはや、フレンチなのか、という、肉の旨みの野趣と繊細にして複雑な味わいを、これでもかと凝縮した逸品。もう褒める言葉が見つからないほど、この4本のアンサンブルは完璧なのだ。そして、彼らの完璧な演奏にうながされ、したたか呑んで、気づいたら腹一杯になっている。
ほんとうに好いコの字酒場だ。
カウンターはいつも客でいっぱい。たいがい煮込みを食べている。初めての客は「ええ!」と感嘆の声をあげ、常連客は安心した顔を見せる。席の後ろ、壁の上にはキープしたキンミヤのボトルが並び、制覇したボトルの数を示す札が誇らしげに瓶の首にかけられている。中には札が束になって下げられて、クリスマスツリーみたいになっているボトルもあって、世の中には立派な飲兵衛がたくさんいるのだとこちらも襟を正したくなる。
いつも忙しそうにしている昭典さんと恵美ちゃんだが、時折、客と言葉をかわす。それをきっかけに、斜向かいの客が挨拶をしたり、隣同士で乾杯したり……。この店に漂う、この居心地の良さこそ、昭典さんが、どうしてもコの字にこだわった理由だろう。端的に言って、最高のコの字酒場の一つである。
漫画『今夜はコの字で』で、最後に登場したのは、この美味ぇ津”だ。漫画を描いてくださった土山しげるさんが亡くなってしまったから、最終回ではないけれど、この店の回が、漫画版の事実上の最終回になってしまった。土山さんは、美味ぇ津”の回で、主人公の吉岡に
「美味ぇ津”~ (うめえづ~)」
と叫ばせている。私のシナリオにはまったくなかった、おそるべきセリフで、いきなり土山さんのペン入れされた原稿に登場した。
初めて、あのセリフを絶叫する吉岡を見たとき、私は呆気にとられてしまった。だが、最近わかってきたのだ。美味ぇ津”の煮込みを初めて食べたときの感動は、たしかにただごとではないのだ。きっと土山さんも、制御不能な感動をおぼえてしまったのだと思う。だから、吉岡にあのセリフを叫ばせたのだ。ただ、いまだに、美味ぇ津"であのセリフを叫ぶ客に遭遇したことはない。
土山さんと美味ぇ津”に行ったのは、その1話の漫画の取材で訪れたとき、ただ一回だけだが、その時は、帰り道にタクシーに一緒に乗り、首都高でずっとおしゃべりをした。私にとっては、あの日の思い出も、いま、煮込みの旨さの一部になっている気がするーー
その夜も大満足だった。
「シーズン3があったらまた是非」
帰り際に昭典さんが言った。昭典さんは、シーズン1での演技に満足していないらしい。軽はずみなことは言えないが、いっちょやるか、と思っている。