コの十六 横須賀「酒蔵お太幸」 加藤ジャンプ「今夜はコの字で~全国コの字酒場漂流記~」
あっさりさっぱりした心持ちになれる
横須賀の中心街はJRの横須賀駅よりも京浜急行の横須賀中央駅や汐入駅のほうが都合がいい。私の用事といったらだいたい不要不急で酒を呑みに行くことなので、自然と横須賀へ行くとなると京急に乗ることになる。
自分の住処からいちばん近い京急の駅は仲木戸駅だったが、近年、京急東神奈川駅という名前に変わってしまった。仲木戸という古い名前だった頃は、
「仲木戸で乗り換える」
と、言いたいばかりに、この駅を利用しがちだったが、京急東神奈川という近くのJRの駅名に似た名前になってから、急に駅自体があっさりした感じがするせいか、最近はもっぱら横浜駅から京急に乗るようになってしまった。今回、横須賀中央にあるコの字酒場へ行くのにも、やはり横浜駅から快特に乗車した。
京急線は車体の色が良い。基本の赤はもちろん、青い京急KEIKYU BLUE SKY TRAINも爽やかだし、1週間に1、2回しかお目にかかれない黄色いYELLOW HAPPY TRAINの可愛さは、西武線の9000系や2000系の黄色の可愛さに勝るとも劣らない。ちなみに鉄道好きには常識だが、京急の黄色い電車が西武線によく似ていることから、西武線にも赤い車両RED LUCKY TRAINがあった。いまは西武多摩湖線を走っているらしい。
さて、横須賀中央駅は、駅前からいきなり繁華街がはじまる。
これがとても安らぐ。なにしろ横須賀は飲兵衛にやさしい。駅前から飲み屋が軒を連ねていて、明るいうちから営業している。そういう街はそこここに存在するが、横須賀がちょっと違うのは、いつも風が吹き抜けていることだ。決してほかの酒都に漂う空気が澱んでいるというのではない。路地や行き止まりは大好物だし、狭い空間や人がひしめき合う閉塞感には心地良さもある。横須賀が特別なのは、この街で呑むと、いつも、あっさりさっぱりした心持ちになれるのだ。ものすごく旨い油揚げを食べたときのように、香り高く味わいは濃厚で歯触りも豊かなのに、決して口の中でもたつかず、食べたあとはなんとなくすっきりしていて、あまつさえ健康になった気になれる。横須賀、たぶん、そういう街なのである。
横須賀中央駅東口から1分で行けるコの字酒場がある。「お太幸」である。正式には酒蔵お太幸 中央店である。近隣のJR衣笠駅にも店があって、そちらはコの字ではない。
このコの字の素晴らしいところは、まず、3時から営業していることだ。
真面目な子どもたち、つまり毎日几帳面に3時におやつを食べていた子どもは、大人になったら几帳面に3時に呑みたくなるのだ。しかし社会が、そのバイオリズムを遮るために、日常やむなく夜までガマンすることになる。だから、3時に呑んでいい状況にある大人は、いてもたってもいられなくなるのである。私も真面目な子どもだったから今も3時に呑んでいいものなら呑ませていただきたいと思っている。したがって、その日も、口あけからお邪魔したのであった。ちなみに日曜と祝日は1時から開いている。極楽である。
お太幸には二人の社長がいる
ここはコの字酒場といっても一風変わった変形コの字カウンターの店である。元は現在の3分の1くらいの建坪だったらしいが、それが徐々に大きくなった。メタボリズムである。「大名気分のお太幸」という心踊るキャッチフレーズの書いてある看板の脇、格子戸を入る。そのカウンターの大きさに圧倒される。48席はあるという(今はコロナですこし間引いている)。その威容は軍港の町だけにコの字酒場界の大艦巨砲主義と言いたくなる。
「二代目のときに、このカウンターが完成したのですが、最初はその高さで大工さんともめたみたいです」
笑って教えてくれたのは、このコの字酒場や支店、さらには肉まんなどの製造工場などを束ねるお太幸グループ社長の上原公一さんである。上原さんはグループの三代目で、創業者の孫にあたる。上原さんによると、
「(二代目は)バーのカウンターのように、止まり木の高さにしたかったんだそうです。ところが昔の大工さんは、カウンターというと寿司屋の、座って利用する低めのカウンターしかイメージが無くて、現在の高さに仕上げるまで大変だったみたいですね」
二代目と大工さんの侃侃諤諤を経て仕上がった大型変形コの字カウンターは、いわば「巨大コの字と一組のL字」な形をしている。入口に対してコの字の真ん中の一辺が正対し、両辺は両端がすこし巻き込んでいて凹の字の一歩手前で切れているような格好だ。その両端に鉤型のカウンターがくっついている。上から見るとちょうど、線路を輪切りにしたような形だ。大きな店だから、たとえば御不浄に行くのに店の中をすこし歩くことも想像できる。そういうときのことも考えたのかもしれない。ここのコの字は角が落としてあって、酔っ払って千鳥足で角にぶつかっても、青アザにはならないと思う。安心の設計だ。
店員さんはコの字の真ん中あたりに集まっていて、あたり全体を見回している。ベテランから若手まで老若男女が揃う店員さんは、皆視野が広く、大きなコの字の端にいてもさっと来てくれる。
「横須賀は大学が少ないから、アルバイトには高校生も大勢います。だから店は禁煙です」
そう穏やかな口調で説明してくれたのは、お太幸グループ社長の宮下栄一郎さんだった。
ん? さっきも社長がいましたよ?
実は、お太幸には二人の社長がいる。上原さんも宮下さんも二人とも社長なのだ。80年代全盛期のナポリのマラドーナとカレカのようである。
創業者はそれぞれの祖父。二代目はそれぞれの父。そして2002年に、創業者の孫世代の上原さんと宮下さんが三代目に就任した。
二人の祖父、上原宣人さんと宮下栄次郎さんは横須賀にあった老舗時計店の同僚だった。しかし戦争で中国戦線へ行かされた。戦地では離れ離れになったが、敗戦後、新潟から出た引揚列車でばったり再会したという。その強力な縁を大事にして、二人で横須賀の地で商売をはじめた。それが三代つづいている。途中で両家の誰かが結婚することなどもなく、言わば他人のまま、1957年の創業からずっと共同で経営してきた。なんと、両家のお墓も隣同士なのだという。世の中にはいろんなコンビがあるが、夫婦でも漫才師でも、仲が悪いコンビは一度、このコの字酒場へ足を運ぶといい。
きっと三代つづけて真面目な仕事ぶりなのだろう。大きなコの字カウンターの端に腰をおろして気づくのは、店がきちっと整然としていることだ。プリント化粧板のカウンターはすっきりと片付けられ、卓上の調味料の容器も折目正しく鎮座している。燗をつける機械に並んだ徳利もきちんと整列している。所狭しと並んだメニュー札もくすんだりしないでピカピカだ。くすんだメニュー札もいいけれど、こういうピカピカのメニュー札は、F1のスリックタイヤみたいなもので、ツルッとしているから、ついつい注文もツルツルっと大量に頼んでしまうのであった。その日は、ざっとこんなラインナップになった。
自家製シューマイ
ポテトサラダ
湯豆腐
まぐろぶつ
トン玉団子串
焼き鳥(しろ、皮、はつ)
海老カリプリ揚げ
馬刺し
まぐろぬた
激辛手羽揚げ
四種餃子天ぷら
これを編集Kさんと二人で食べる。そして呑む。
自家製シューマイはというと、ホタテの出汁がじわりときいていて、相手を選ばずアルコールをどんどん蒸発させる。ポテトサラダはオールドスタイルなルックスながら、実はジャガイモはマッシュし過ぎないホクホク感も残したバランス良き一品。
1999年、ノストラダムスは世界の終焉を予言していたが、同じ年に横須賀は「カレーの街宣言」をしたくらい食べ物には独特なスタンスを持った街だ。そのユニークさは湯豆腐にも見られる。一般的な湯豆腐というと醤油に生姜だとか、塩だとか、あるいはポン酢あたりで食べるのではないだろうか。ところが横須賀では豆腐に出汁をふくませておいて、そこに辛子をたっぷりと塗ったのを皿に盛ってだす。諸説あるが、今は無くなってしまった老舗の居酒屋が発祥だとか。ともすれば失われっぱなしになりかねない土地の特徴的な味を街ぐるみで残している。なかなかできることではない。
豆腐は出汁をふくんで素朴な風味をまとったところへ、辛子の刺激がアクセントになって、仕上がりは実に粋だ。頭では、湯豆腐だから日本酒が一番などと思うのだが、サワーもビールもぐいぐいイケる。
「ミスプリントかな?」四種餃子天ぷら
横須賀はマグロで有名な三崎港からも近い。そうなると、ここへ来ると何かマグロを食べなくてはと、誰にせっつかれるわけでもないのに少し焦ってしまう。それで当然のようにまぐろぶつとまぐろぬたを注文したら、これが案の定旨い。まぐろはしっかりした赤身で、肉厚に切ってあって野趣があるけれど新鮮だから生臭さなんて皆無。ぬたの酢味噌も甘過ぎず酸っぱ過ぎず、マグロの意外にあっさりした味わいに良いコクをあたえて絶品に仕上がっている。
「地元のお客さんがほとんどですし、毎日通えるような価格で提供していきたいんですよね」
と、上原さんが言えば、
「価格はおさえながらも、ちゃんと出汁をひいて体にいい調味料をつかっていきたいですね」
と、宮下さんがひきうける。その言葉通りのツマミが揃っていて、マグロをもぐもぐしながら、60年以上続くコの字酒場のある種の凄みを感じるのであった。
商いについて見事なコラボレーションを見せる二人だが、歳は10年の差がある。結構な年齢差ながら、二人は家業を同時に継いだ。デビューからいきなりコラボである。
上原さんは父親が引退することをきっかけにサラリーマンを辞めた。いっぽう宮下さんは大学を出てから
「経営者が調理師免許を持ってるのもいいと思って」
調理学校に通っていたところ、父が病臥したために他店や他業種で修行することなく家業に入った。以来、二人三脚で店を営んでいる。
そんなコの字酒場界の藤子不二雄、お太幸店主二人は、もちろん漫然と店を引き継いだわけではない。それはメニューにも現れていて、たとえば海老カリプリ揚げはというと、社内の有志で研究出張にて赴いた大阪で食べた海老パンにヒントを得た三代目時代の新メニューだ。一見普通の春巻きのようなのだが、その名のとおりプリプリの海老をしのばせ、紫蘇をきかせたアンをカラッと揚げてある。サクサクの皮とむっちりとプリプリの食感が楽しめるアンのオヤツのような手軽さのなかに大人のコクがあふれる味わいは心憎い。
さらに名古屋名物の手羽先にインスパイアされたという激辛手羽揚げは、歯触りよく揚げた手羽に濃厚なタレがからんでいる。これが一口目には、いわゆる甘辛タレに感じるのだが、次の瞬間、なかなかの辛味が口中全体にパッと広がる。このリズミカルな刺激とともに、いい脂を感じさせる手羽の汁気がまざって、あらゆるアルコールを誘いだし蒸発させる。こういうものを考案してしまう三代目二人「上手い!」 と、大向ならぬコの字の端から声をかけたくなる。
トン玉団子串という一品も第三世代が生んだ定番メニューだ。一見、よく焼いたつくねのようだが、実は豚の肉団子、つまりトン玉で、こちらもホタテの出汁が効いているところへ紫蘇が良いアクセントを与えている。ふわっとした歯触りなのは一度蒸しているからで、これを上手く揚げてあるから、サクリと焼き菓子のように軽やかな一口目から、間髪をいれずふわりとした肉のスキマから味がしみだす。山海の旨いもの、そして複数の調理法を巧くコラボさせる手腕はさすが。
そして、一見「ミスプリントかな?」と思わせる四種餃子天ぷら。揚げ餃子はよく見かけるが、餃子の天ぷらというのは、そうそうお目にかかったことがない。これ、一皿に四つ餃子の天ぷらがのっていて、プレーン、辛口、海鮮、たこカレーとそれぞれ味が違う。パッと見では見分けがつかず、口にして初めて何味かがわかるという世界で一番美味しいロシアンルーレットなのである。全部の味を楽しみたい人は一皿かかえて食べることになるが、私とKさんは2つずつ頂くことにしたところ、私はプレーンとカレーだった。なにより面白いのは、歯ざわりだ。餃子には違いないが、薄くコロモをまとって揚げてあるだけで、噛むとふわりというコロモの後から皮がにゅるっと顔を出す、不思議なリズムが生まれて楽しい。コロモは餃子全体に心地よい軽さと、焼いたりただ揚げたりすることでは得られない香ばしさをあたえてくれる。
気づけばずいぶん呑んでいた。その日仕入れたばかりというドブロク。ビール。焼酎。熱燗。体が酒の万華鏡になっている。ここは割ものの焼酎の量が多い。ハイボールもジョッキを通して向こうが見えないくらい濃いし、ジョッキも大きい。
で、このコの字酒場では忘れてはならないメニューがある。肉まんだ。〆にぴったりな、本格派の肉まんがここでは食べられるのだ。お太幸にはシューマイや春巻など、点心系メニューが少なくない。実はかつては中華料理店も営んでいたのだ。今は、それらを製造する専用の工場がある。お取り寄せやテイクアウトにも対応している。で、ここで冷静になり、肉まんはKさんと二人、お土産用を持ち帰ることにした。
帰り際この先のことを聞いたら、
「味を変えずに、その美味しさに気づいてもらえたら嬉しいなと思ってます」
と宮下さんが言えば、上原さんがそれを引きうけ、
「こういう文化が失われているところも多いなかで、残していけたらな、と思いますね。利益じゃなく、商売がつづけていけるだけ、できるだけ手頃に楽しんでいただける場所として、創業から変わらず続けていきたいですね」
と、二人してしみじみと酒好き、酒場好きにしみいる言葉を聞かせてくれた。あんまりしみじみしてしまって、帰りの京急で途中下車してアルコールを追加しようかと思ったが、それは自重した。