コの十五 錦糸町「燗酒とコの字カウンター 井のなか」 加藤ジャンプ「今夜はコの字で~全国コの字酒場漂流記~」
グリーン車で柿ピーとビール
たぶん錦糸町から素面で帰ったことがない。だいたい錦糸町からは、本能だけで帰宅している。錦糸町からの帰路、私を見かけたら鳩だと思ってほしい。
ちょうど小学2年生のとき、錦糸町駅前に丸井がオープンするというのでテレビで盛んにCMをうっていた(昔は、大きなデパートやショッピングセンターが開業するというとテレビでよくCMを流したものだ)。当時、私は横浜の郊外に住んでいたので錦糸町にはまったく馴染みがなく、父に錦糸町とはどんなところか聞いた。
「鬼平が遊んでたあたり。あとは、おいてけ堀かな」
父が教えてくれた情報は、時代小説と怪談にまつわる2点のみで、きわめて大雑把だった。
念のため書くが、鬼平とは池波正太郎の『鬼平犯科帳』に登場する、江戸時代、鬼の平蔵、鬼平と盗賊たちから恐れられていた火付盗賊改方長官、長谷川平蔵のことである。私が小学3年生のころに萬屋錦之介版のドラマが放送されていた。同級生がたのきんトリオに熱狂しているとき、私は、毎週、その甲高い声にしびれていた(ちなみに『破れ傘刀舟悪人狩り』で瞠目し『破れ奉行』に夢中になっていた私は、彼の『鬼平犯科帳』で完全に虜になった)。その鬼平が若い頃に錦糸町の近辺で放蕩していた、と聞いて、小学生の私はにわかに錦糸町に京都の太秦のイメージをオーバーラップさせ、なんとなく錦糸町はちょんまげタウンみたいな妄想で頭がいっぱいになってしまった。
そして、 錦糸町を初めて訪れたのはいつだろうか。ともあれ、実際の錦糸町を目の当たりにした私のなかで、錦糸町=太秦の幻想は砂の城のようにあっさりと崩れた。夢じゃ、夢じゃ、夢でござる(『柳生一族の陰謀』)。とはいえ、太秦の妄想は雲散霧消したものの、同時にたまらない魅力をおぼえたのもたしかだった。場外馬券売場のおじさんの群れ。おいそれとは暖簾をくぐってはいけない、大人の香りのする店。旨そうな酒場……。高校時代に初めて足を踏み入れた野毛は、今の野毛とは異なり、ちょっと危なっかしいところがあって、そこがたまらなかったが、19、20歳で訪れた錦糸町には、その空気がちょっとありつつ大都会でもあり、すっかり魅了されてしまったのであった。太秦が時代劇好きにとっての夢の園なら、ここもまたある種の楽園なのであった。
で、素面で錦糸町をあとにした記憶がない。
そんな錦糸町への往復は総武快速線で、ちょっと奮発してグリーン車に乗るのがいい。車中で一杯やりたいからだ。
横浜の家から錦糸町へ行くのに、総武快速線のグリーン車で柿ピーとビールをやる、という楽しみを教えてくれたのは、逗子に住んでいた写真家のAさんだ。私とは同い年。初めてコの字酒場という言葉をつかって本を上梓したとき、その本のために信じられないくらい素晴らしい写真を撮ってくれたのが彼だった。『コの字酒場はワンダーランド』という本で、これがなかったら漫画『今夜はコの字で』も生まれてはいなかったはずだし、そうなればドラマも無かっただろう。
Aさんとは、ほうぼうで呑みあるいた仲間だが、彼が昨年末に急いで旅に出てしまった。何の前触れもなく。もう一度呑みたかった。一度じゃないな。
それから間も無く、錦糸町にある、あるコの字酒場を訪れることになった。当然、総武快速線のグリーン車に乗って行った。ビールはいつもどおり冷たくて旨かったし、柿ピーは香ばしくポリポリコリコリといい歯触りだったが、少し前と、世界は全然違ってしまった。
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錦糸町のコの字酒場である。妖都というより酔都と呼ぶべき、この麗しい街には、よき酒場がひしめきあっている。そのなかに、異彩を放つコの字酒場がある。開業は2006年と、老舗と呼ぶにはまだまだ全く若いが、心意気はどんな老舗にだって負けない、そんなコの字酒場である。
名前を井のなかという。井のなか、といえば後に続くのは蛙(かわず)である。大海を知らず、と自戒する気持ちは誰でも死ぬまで持ち続けたいが、そのアティチュードはこのコの字の骨の髄までしみとおっている気がする。
店まではJR錦糸町駅北口を出て5分もかからない。すこし先にスカイツリーがそびえたっているから、それを目印にと思って歩くと良いと思うとしくじる。錦糸町の北口の路地からはどこもスカイツリーがよく見えるのである。巨大建造物はいたずらに目印にしてはいけない。
開業するならコの字と決めていた
最近新しくした店構えは、たまご色の壁がかわいらしい。FRP製のカエルの人形が微笑む傍らに、素晴らしい彫金を施した銅の表札がある。
「ほんとは壁を銅板にしたかったんですけど、ものすごい値段だと言われて」
笑うのは店主の工藤卓也さんだ。この人は、なんでも徹底してやる。凝り性で妥協しない。それは、このコの字酒場の端端にまで感じられる。その最たるものが、この店のコの字カウンターだろう。 酒場でよく見られる檜や、あるいは木目のプリント材などではない。和のテーストはない、ホテルのオーセンティックバーのような、カウンターだ。
「最初は、老舗の酒場がつかっているような檜の一枚板とか、考えていたんです。でも、古くて長く愛されている店と同じことをやってもかなうわけがないんですよね。うちは違うことをやろうと思って」
この店の顔でもあるコの字カウンターは、入口を入るとすぐ目の前にある。13メートルという巨大な一枚板から作り出した分厚いカウンターは、木目も、色も、艶も圧倒的で威容という言葉が似合う。材はアフリカ産のブビンガで、世界で一番太く育つといわれる。今ではワシントン条約の関係で、そうそう簡単に手に入れられない。ちなみにブビンガはカメルーン語由来の言葉で、なぜか日本ではこの名前が一番浸透している。英語だと簡単にAfrican Rosewoodと呼んだりする。カメルーンと言ったら、伝説のフットボーラー、ロジェ・ミラの話をしたくなるが、それはいつかまたの機会に。
「開業するならコの字だって決めてたんです。それで老舗のコの字酒場は何十軒と足を運びました。肘のあたる高さから、名店をお手本にして、それにあわせて椅子も大きな人でもゆったりできるようにしたんです」
その日も、このカウンターを前にして腰をおろした。とりあえず、儀式のようにカウンターにふれる。美しい馬の背のように、艶やかで滑らかな触り心地を、目を細めて堪能する。あんまりやり過ぎると傍目に変態みたいに見えるのでてきとうなところで自重し、その日の酒とつまみを選んだ。
カウンターがほかのコの字酒場と一味違うように、この店は酒もつまみもちょっとどころかかなり違う。その日は、まず面白いジンがあったのでそれをいただいた。良い日本酒をそろえている店で、いきなりジン。そういうのが、また井のなかの面白さでもある。実際にぐいっとやったら、これが一杯目にふさわしく、五味を感じる味蕾たちを一斉に目覚めさせる心地よい刺激にあふれたものだった。こういう敏感スイッチを入れておくと、旨い店の楽しみは格段にあがる。
つまみはというと、この日も「馬にごめんなさい」級に盛大にやってしまった。手始めのお造りは、厚切りのブリとマグロにぼってりと大きなボタン海老がどっさり。どんなに上品な人でもお腹のすいたアザラシみたいに食らいつくという代物だった。海老のねっちりとした歯触り、それでいて身が張っていて噛むときゅっと弾力があって、そこからビスクを昆布出汁でといたような華麗なスープがあふれる。二杯目にもらった、旨いニゴリがあっという間に蒸発した。
だし巻き玉子は、鮮やかな黄色は、クラシックレコードのレーベル、グラモフォンのあの黄色そのもので、ぱくりと思い切りよく頬張ると、玉子とおとなしいのにしっかりコクがある出汁とが、美しい旋律を奏でる。このあたりで、このコの字の真骨頂でもある燗をつけてもらう。
酒の種類は豊富で、三桁をこえる銘柄をもちろん丁寧にキープしていて、いつでも口開けのようにフレッシュ。このなかからお燗に適した銘柄を選りすぐり、さらにその時の客の好みにあわせてセレクトした上で、いい塩梅に仕上がったお銚子を目の前に出してくれる。この身を任せる感じがたまらなくいい。
つづいてポテトサラダと中華風鶏の唐揚げにいく。ポテトサラダはクッキーのアイシングのようなテクスチャーで、その見た目のとおり滑らか。酒が否応なしに進んでしまう不思議なパンチのある甘さが面白いのだが、これは酒粕をつかっているせいで、なるほど日本酒好きの店なのだと再び頷く。唐揚げは、ずいぶんと赤いものがかけてあって、これは! と、身構えると、予想を上回る、かなり辛味のきいたタレ。ところが、これが日本酒の繊細にして複雑な味わいをまったく殺さず、あまつさえ、その時呑んでいた一杯に潜む、それまで気づかなかった清涼感ある香りを感じさせたりする傑作なのであった。ただ、やっぱり、それなりにホットで、手持ちの盃の蒸発にかかる時間はたいへん短かった。
旨くて真摯に作られたツマミだらけだが、決してストイック過ぎるなんてことはなく、「大人のブラックつくね」などという名前からして「なによ、それ、気になって、ほうっておけないじゃない」な一品もある。こちらはゴマをふんだんに使ったつくねで、真っ黒で、ゴマフアザラシの瞳みたいな見た目ながら、ゴマのコクと甘みと鶏のミンチとが仲良く手をつないだ香ばしく軽い味わいで、20個くらい一気にイケそうな具合だ。
「うちは子どももOKなんです」
ドラマ『今夜はコの字で』シーズン1の最終回の舞台は、ここ、井のなかだった。浅香航大さん演じる吉岡は恵子先輩(中村ゆりさん)と、二人してすこし涙をうかべて日本酒を酌み交わした(あのときの二人の、押すに押せない恋心、私は大好きです)。
最終回、二人は鴨のローストを実に美味しそうに食べていた。その食べる様子の神々しさもあいまって、放送以来このコの字に来たら注文せずにはいられない一品になった。久々に訪れ、その夜も食べようと意気込んだら、メニューにない。聞いたら
「いやあ、すみません、シェフのおすすめ、って書いてあるものがそれなんです」
と教えてくれた。放送されたメニューを「ドラマでお二人が食べました」みたいに無闇にはおしださないところがいいではないか。もちろん注文した。
この一品、最近になって、さらに面白く進化した。付け合わせの一つに鯛焼きがくわわったのだ。一見、洒落たイタリアンのような盛り付けのなかに、堂々と横たわる鯛焼きの艶姿は、一瞬、チャールズ・ブロンソンと三船敏郎のような取り合わせに見える(三船in『レッド・サン』)。ところが、なのだ。鴨のローストは濃厚なソースでいただくが、これに塩味をかすかに感じるアンをたっぷり蓄えた鯛焼きの組み合わせは、実に巧妙で、やられた、と唸ること必定だ……気づいたら2合徳利が何本も空いていた。
「鯛焼き、どうですか?」
カウンターのなかから工藤さんが聞いた。その時考えうる賛辞をてんこ盛りにして答えたが、もう酔っていて記憶が曖昧になっている。ただ、工藤さんが嬉しそうにしていた、その様子はしっかりおぼえている。
千葉出身の工藤さんは、かつて茅場町にあった大きな酒場をまかされていた。100坪もある大店ながら、お燗をつける場所を設けた本格派の店だった。ところが、30代になり、思うところあって、そこを辞めた。それから、工藤さんは、いわば長い"自主トレ"の歳月をおくった。日本各地の食の現場を見てまわった。自分が好きな純米酒を醸す酒蔵にも足を運んで酒造りにも参加した。料理を、名うてのシェフから直接学んだ。なんでも徹底してやる人なのである。そうして、2006年に、この店を開いた。開店初日から店は満席になり、連日満員御礼がつづいた。
しかし、コロナ禍の過酷さは、この人気店にとっても例外ではなかった。
「開業して14年目に初めて、お客さんが一人も来ないってことがありました」
だが、そんな苦難も必死に乗り越え、今年開業16年を迎えた。カウンターと小上がりは工藤さん、槇さんに堀川さん、そして仕込みを担当してくれる板前さんとシェフが厨房を取り仕切る。チームワークは盤石だ。
そういえば、この店は、場所柄、常連には力士も多く、なかでも髙安関と工藤さんは公私にわたって交流がある。そのおかげで私も髙安関にお会いできた(ものすごく舞い上がりました)。ちなみに、工藤さん、目下の悩みは
「元力士だと思われること」
だという。たしかに工藤さんは大きい。ただ私のようにゆるくデレっとしているのではなく、張りのあるデカさがex力士っぽくもあり、それがまた、頼り甲斐を感じさせ、この店が安心感を纏うのに一役買っている。実際、工藤さんのコの字酒場道は、立ち合いで絶対に変わったりしない、真っ直ぐな熱いスタイルだ。この先も、試行錯誤を繰り返しながら、この店を育てていくのだろう。なにしろ熱い思いは聞いているだけで気持ちよくて2合は軽い。たとえば、目標の一つは、錦糸町はファミリー層もたくさん住んでることから、このコの字酒場は、老若男女から愛される店にしていくという。だから
「うちは子どももOKなんです。以前、よそで断られて泣いているお子さんを連れたお客さんがいて、そのときから、うちはぜったい入れてあげるんだ、って決めたんです」
なんだか、こちらが、ちょっと泣けてくる。そんな工藤さん、密かな夢があるという。それは、
「いつか、もう一店やるときは、小さなコの字酒場にして、ぼくが一人で中を仕切ります」
もしも、工藤さんがそういうコの字酒場を開くのなら、もうすこし近くに引っ越さないといけないような気がしている。