コの十七 祖師ヶ谷大蔵「やきとり まかべ」 加藤ジャンプ「今夜はコの字で~全国コの字酒場漂流記~」
■酒場の鉄アレイこと大ジョッキが健在
小田急線の祖師ヶ谷大蔵駅は祖師谷と大蔵という二つの土地にはさまれたところに駅ができたことが、その名の由来である。早慶戦のことを慶應の人は慶早戦と呼ぶように、大蔵に暮らす人は「大蔵祖師ヶ谷駅」にしてほしくはなかったのだろうか。ちなみに、東大と一橋の対抗戦は基本的に東商戦と呼ばれるが、一橋側は商東戦としている事実を、世の中のほとんどの人は知らないだろう。地味だ。
さて、今度は祖師ヶ谷大蔵のコの字酒場が行き先である。
その日は、仕事で銀座のデパート、松屋の催しに行かねばならなかった。デパートでのアレコレをすませ、地下鉄千代田線に日比谷駅から乗り込んだ。小田急線の直通に乗ったので安心していたら急行電車なので祖師ヶ谷大蔵には止まらない。それで、急行が止まる一駅先の成城学園前駅で降りて、そこから歩いて向かうことにした。すてきな飲兵衛は健康維持のために歩くチャンスを逃さないのである。
この土地にはすこしだけ縁があって、生まれた病院がこのあたりにある。縁といってもそれから半年で東南アジアに行ってしまったので、顔を見たことのない親戚みたいなものである。それなのに、この街に来るとなんとなく懐かしい気がしてしまうのはなぜだろうか。
ウルトラマンのせいもあるかもしれない。祖師ヶ谷大蔵は街をあげてウルトラマンをフィーチャーしている。駅の南側に、ウルトラマンを制作していた円谷プロがあったからだ。駅前にはウルトラマンの像がある。ウルトラマンは巨人だけれど像は普通の人サイズである。この街で呑むと、帰りにはいつも一礼して帰る。ウルトラマンの最終回で、瀕死のウルトラマンに向かってゾフィーは、地球の平和は人間が自らつかみとらないとだめだから、ウルトラマンも地球を去れというようなことを言うが、ウルトラマンが地球を離れても人類は平和を全然つかみとれていない。もう一回戻ってきてくれないだろうか。
さて、今回のコの字酒場は「やきとり まかべ」という。祖師ヶ谷大蔵駅の改札を出ると横を向いたウルトラマンがいる。一旦正面まで行って挨拶をしたら、ウルトラマンには背中を向け見送られるようにして花屋の角を入ってまっすぐすすむ。ものの3分も歩くと左手に突然良い路地があわられる。やけに落ち着いた空間である。見通しはよくて安全な雰囲気なのに、ちょっと隠れた感じが同居している。あとから編集者のKさんに聞いたが、路地自体がコの字になっているらしい。これはどんな人でも思わず一休みしたくなる。そこに「まかべ」はあるのだ。
「昔はマーケットだったんですよ。いろんなところにあったでしょ、肉屋さんとか魚屋さんとかがテントみたいなアーケードに集まってるところ」
――ありました! なるほど、この路地をはさんでいくつか店が集まったマーケットになっていたわけですね。
「そうなんですよ。でね、昔、ここは食料品店だったんです」
教えてくれたのは、店主の三輪茂吉さん。まかべは家族経営の店で茂吉さん、紀久子さんの夫婦と義幸さん、明さんの兄弟が一緒に営んでいる。その日は、お兄さんの義幸さんがちょっと用事で出ていて、茂吉さん、紀久子さん、明さんの3人で出迎えてくれた。コの字型カウンターに並ぶ三人の菩薩のような優しい笑顔。その顔を拝むだけで大ジョッキ2杯は軽い……そうなのだ。このコの字には今やそんなに見かけることもなくなった酒場の鉄アレイこと大ジョッキが今も健在である。
茂吉さんがカウンター越しに大ジョッキを手渡してくれた。持ち重りする大ジョッキはガラスとビールの塊という感じがして、頼もしく美しい。非力な中年なので片手で持っているとそのうち震えてきそうなのでさっさと軽量化をはかる。グイッとやって半分を一気に蒸発させる。
喉を流れるビールの大河にうっとりしながら、子どもの頃、家からすこし離れたところにあった〇〇〇マートというマーケットを思い出していた。肉屋さんが優しくて、親にくっついて買い物にいくと必ずコロッケをおまけしてくれた。80年代の初めにはそのマーケットは姿を消して、肉屋さんの消息もまったく知らない。
茂吉さんの「まかべ」創業の話はつづいた。
「近くにスーパーができましてね、マーケットのなかも少しずつお店が減っていきまして」
――必要に迫られて飲食を始めた、と?
「そうなんですよ、お客さんの旦那さんが、いろんな酒場を知っている人で、ここは焼き鳥屋にしたらいいなんて言っている人がいて。茨城の八郷(現在は石岡市)から出てきて、ずっと食料品店一筋だったから飲食店なんて全然知らないし」
■実直で朴訥さが良い
女将さんの紀久子さんが「それで」と、つづけた。
「浅草に夫婦で出かけていって、いろんなお店を回ったんですよ。どんな飲食店ならわたしたちにできるか考えてみようって」
――実地調査を浅草で。それで浅草で理想の店というか、この「まかべ」のモデルのような店には出会えたんですか。
正直なところ「まかべ」はいい意味で浅草的なところが無い気がする。気風が良いというより実直で朴訥さが良い店なのである。すると夫婦は声をそろえて
「いやあ、全然」
と、こたえたのだった。そして茂吉さんは、
「それで、ツテを頼って、焼き鳥屋さんに三月(みつき)ばかり教わりにいったんです」
――その教わった焼き鳥屋さんはどちらのお店なんですか?
「あれ、なんて言ったっけ、あの駅? ううん、恩人なのにねえ、ええっと」
茂吉さんが頭をかくと、紀久子さんが「それはね」と言いかけた。すると茂吉さんが、あっ、という顔をして、
「柿生(神奈川県川崎市)です。柿生の焼き鳥屋さんで焼き鳥のやり方から肉の仕入れ先まで紹介してもらって」
紀久子さんに刺激され遠い記憶を蘇らせる茂吉さんと、傍でうん、うん、と頷く紀久子さん。二人を見て明さんが笑っている。こういうシーンを三方から囲んで呑む。コの字は舞台なのだと再認識する。
昭和の小売業はどこもかしこも似たような道筋をたどったのだろう。住民が増えた地域ごとに商店街やマーケットが開いた。スーパーマーケットができて個人商店であるマーケットや商店街が隅に押しやられた。やがてロードサイドにショッピングモールができ、駅ビルが商業化して、スーパーマーケットも力を失っていった。この国のありふれた景色だ。だが、そういう景色に沈みこむことなく、三輪一家は思い切って舵を切った。昭和51年。「やきとりまかべ」は誕生した。
ここでヤサイいためと煮込ドーフが運ばれてきた。次男の明さんが笑顔でさしだす。
「まだ小学校に通っていた頃に店が開いたんですよ。焼き鳥を串に刺すのとか手伝ったんですけど」
――勤労小学生じゃないですか
「それを済ませてから遊びに行けっていうんだもんねえ。でも、ごめんなさい、最初はグロかったなあ」
と、明さんは笑顔を見せると「どうぞ」と私と編集のKさんに暖かいうちに食べるよううながしてくれた。
この店のツマミは一皿が大き過ぎない。ヤサイいためも小ぶりな鉢にたっぷりと盛られている。たっぷりのもやしにニンジン、キャベツ、ピーマン、豚肉。ざっと炒めて塩胡椒。これでビールを流し込む。一口食べるたびに、忘れかけた記憶が蘇るような味だ。煮込ドーフは味噌味。トーフにこんにゃくにモツ。ここまでは当たり前だけれど、ジャガイモがちょこちょこと入っている。このジャガイモの出汁が効いている。朝から食べたいような、こんなに素朴で爽やかな煮込はそうそうお目にかかれない。旨い。これで2合は軽い……といつものように口走ると、編集のKさんが
「焼酎の一升瓶で、ボトルキープ入れちゃいましょうか」
と「さあ、どうする?」という顔で提案した。
「まかべ」では焼酎のボトルキープは一升瓶が基本である。これをキープすると、氷や割りものはサービスしてくれるシステムだ。
開店から30分ほどで、一枚板の美しいコの字カウンターの三方を常連さんたちが埋め、同時に一升瓶たちが宮沢賢治の『月夜のでんしんばしら』のように立ち並んでいる。編集のKさんの提案にして挑戦に対して、もちろん深く頷いた。そして二人で
「黒霧島の一升瓶をお願いします」
それなりに腹を括った注文のつもりだったが、この店では当たり前のことなので、動じた様子を見せていたのは、こちら二人だけで、二人の「どや顔」は宙に彷徨いやがて真顔に収斂されていった。
■まるで一本の映画のよう
ふと見ると、傍に常連さんがいて、驚いたことに綿入り半纏にニット帽をかぶっている。聞けば
「お風呂屋さんの帰り」
なのだという。風呂屋帰りの常連さんに出くわすことなんて、ついぞなかった。たまらない。
俄然こちらも元気が湧いてくる。カキフライ、ギョウザ、焼き鳥のシロ、カシラ、とり皮をタレで注文した。斜向かいにいたご常連が連れの方と合流して乾杯、こちらも一緒に便乗して乾杯する。聞けば、横浜の生まれで大人になって祖師谷へ来たのだという。私はこっちの生まれで横浜育ちです、ご縁ですねえ、などと盛り上がる。細かいことは何も気にならなくなっている。
気づけば、外出していた兄の義幸さんももどって合流している。義幸さんと明さんは顔がよく似ている。そして二人とも、ギターが上手そうな雰囲気だ。弾けるかどうかは知らないが。妄想のなかの義幸さんと明さんは、往年の名バンド「猫」の『地下鉄に乗って』を華麗に爪弾いている。
義幸さんが、運んでくれたカキフライはカラッと揚げ加減がよく、ギョウザも焼き加減が上手い。どちらも一口目のシャクっという音が、骨伝導で体の芯に響くようだった。あとから押し寄せるカキやギョウザのアンのコクは、自分で濃いめにつくった黒霧島のソーダ割りにぴったりと合って、その配合の巧さを我ながら誇らしく思った。
焼き鳥のタレは、醤油の味がたっていて甘くし過ぎていない。シロもカシラもカワも、表面はしっかりと焼き上げてあって、これにタレがよく馴染む。誤解を恐れずに言えば、きわめて旨い煎餅のように、香ばしく軽い一口目のあと、シロとカシラは野趣がありつつ品よき脂、カワは濃縮した鶏出汁のような汁気、そしてカシラの間に挟まれたネギの、すこし刺激の強いさりとてエグ味は無い野菜の強い味が押し寄せる。
幸せである。
このコの字酒場で過ごす時間は、まるで一本の映画のようだ。染め抜きの紺の暖簾。高張提灯。格子戸をくぐれば一枚板で作られたコの字カウンター。傍の小上がりも一体感があって一つの舞台である。コの字の内側からすこしだけカギの字に曲がったところに厨房スペースがあり、そこから次々に肴がはこばれてくる。大将も女将さんも義幸さんも明さんも銘々が仕事をしていて、なにもかもが、当たり前のように滞ることなく進む。半纏の人も、スーツの人も、レディも、お母さんも、ちびっ子も、変な帽子の人も(私)、いろんな人がいて、お互いの邪魔をせず、それでいて知らんぷりするでもなく、心地よい空間をつくりあげる。ときどき、「まかべ」と書いて「桃源郷」と読んでもいいだろう。もちろん食べ物もたくさんある。壁には50を越えるメニュー札。そのなかに「エシレット」というのがあったので、確認をかねてたのんだらエシャレットだった。
最後に暴挙に出た。焼きビーフンと塩ラーメンを両方たのんだのである。普段、ほとんどシメの一品を食べないのに、あまつさえ2品をオーダーしたのだ。明さんは、こちらの意気込みを感じたのか、笑ってラーメンをハーフサイズで出してくれることになった。
先に来たビーフンは完全に中華料理屋の旨いビーフンだった。柔らか過ぎない、すこしハリハリッっとした麺にたっぷりの野菜。無敵のビーフンだった。
そして、小さなどんぶりが二つ目の前に出された。ラーメンだ。
優しい味だった。さらりとしたスープ。半分にしたチャーシューにメンマにネギ、ちぢれ麺。ナルトもちゃんとおさまっている。つるーっとスープを呑むと、黒霧ソーダに染まっていた酔っ払いの喉がしゅっとシラフの姿にもどる。喉ごしよく流れる麺。ナルトをパクリとやったら、懐かしい甘みに目を瞑ってしまった。
会計の計算は、女将さんが大きな算盤を弾いてくれる。
「機械はダメなんです」
という女将さんの指先は性格無比、なのだと思う。なにしろこちらは算盤が使えない。使っているだけで凄い、と感心してしまう。
帰り際、キープした焼酎の一升瓶に名前を記入した。
「書くの旨いっすねえ」
と半纏の常連さんが言った。時折、こんなおじさんにも色紙を書いてくれという依頼がある。実は、サインがあまりに下手なので、前の晩ちょっと練習していた。だからその夜、まかべで瓶に名前を書くのもいつもよりスムースだったのだ。もちろん、半纏の先輩には前夜サインの練習してました、とは言えなかった。
帰りに、やはりもう一度ウルトラマンの像に挨拶をした。行きに会ったときより小さくなっている気がしたのは「まかべ」でしたたか呑んだからだろう。