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コの十四 蘇我「やきとり 山ちゃん」 加藤ジャンプ「今夜はコの字で~全国コの字酒場漂流記~」

これを見過ごしたら酒場好きの名が廃る

地ダコ刺し

 東京駅でJR京葉けいよう線に乗った。京葉線の東京駅はJRの駅のなかで最も低いところにある駅だ。海抜マイナス29.19メートルという。だいたい、ガンタンクが2機、縦に並んだくらいの深さに相当する。ガンタンク、意外なほど大きい。

 その日は、京葉線のホームから出る外房線の特急わかしおに乗った。これに乗ると、東京駅から2駅で目的地に到着するのだ。なぜ急ぐのか。それは、行き先の、千葉県千葉市にあるコの字酒場に一刻も早く到着して一杯やりたいからなのである。それしかない。

 私が乗ったわかしおの車両は目が釣り上がった可愛い顔をしていて、黄色と青とグレーで塗られている。一見、IKEAのラッピング車両のようなカラーリングである。そして、はたと気づく。日本で最初にIKEAができたのは千葉県だった。
 そんなIKEAっぽい見た目の特急に乗り、ふかふかした椅子に座ったとたんに私は後悔した。目的地までの乗車時間はわずかに37分とはいえ、37分あればビール500mlは軽いではないか。寸暇を惜しんでビールを飲む『魔の山』のカストルプのように、車窓の景色を眺めながら、缶入りの麦汁を飲みつつ名コの字酒場を目指すという至高の喜びをみすみす逃してしまった。

 落ち込んでばかりもいられないので、ひたすら車窓を眺めることに集中した私は、あることに気づいた。一駅目に停車した海浜幕張かいひんまくはりを過ぎてから下り方面の左側つまり北側の景色がずっと団地なのである。とにかく団地。ひたすら団地。あくまでも団地。そして団地。しかも、坂道もなく真っ平なところに立ち並んでいるから、一層、団地が行列している感じがする。プログレバンド、というか、要するにピンク・フロイドのジャケットになりそうな光景だ。たいへん格好いい。そして、この景色を肴にコの字へ行くまでに肩を温める好機を失ったことに再び愕然とした。

 といっても37分、二駅なんてあっという間である。気づけば車内放送は「つぎは蘇我そが―」と知らせはじめ、間もなく到着した。
 蘇我駅。ちなみに、蘇我駅は千葉県千葉市、蘇我副都心の中心である。副都心というのであれば「都心」はどこなのかと、これも調べたら、それは千葉駅周辺、そちらが千葉都心である。で、さらに幕張も幕張新都心と呼ばれている。都心がいっぱい。私は、何かしら三つ一組のものを目の前にすると、すぐに、「たのきんトリオ」に置き換えたら、どれが誰にあたるかと考えてしまう。千葉都心がトシちゃんなら、蘇我は誰だろうか……ともあれ、そんな千葉の都心事情を私は今回調べるまでぜんぜん知らなかった。

 はたして蘇我駅の改札を出ると、その開放感に圧倒される。坂が無い、平らな土地は、圧迫感がなくて気分がいい。線路の東側の大通りを歩いていくが、ほんとうに起伏がすくない。関東は平らだ、とあらためて思う。
 そうして10分も歩かないうちに、これを見過ごしたら酒場好きの名が廃るといってもいいくらい、際立って色気のある酒場が姿を現す。それが、蘇我の名コの字酒場「やきとり 山ちゃん」である。ちなみに、千葉には、グローバルな視点を主張する名古屋発の同名の酒場の支店もあるので、検索での間違いにはゆめゆめ注意されたい。

山ちゃんのコの字カウンター

 さて、山ちゃん、である。青い瓦を葺いた二階建ての棟とそれにくっついて平屋がある。こちらの平屋のほうが店だ。店内に入ると、床はコンクリートのたたき。天井は高い。美しい格子の障子があって、その奥に小間があるのかもしれない。酔客がもたれたりしたり、やきとりを焼いた油をふくんだ煙が変えていったのだろう、柱の一本一本が深い艶をたたえている。店の中央には、15人はゆっくりと座れる、ほどよい大きさのコの字カウンターがでんと構えている。このコの字型カウンターの天板は奥行きが長くて、ゆったりしている。たくさん肴を注文しても余裕をもって並べられる。天板自体は新建材だが、縁取りは木で、こちらは好い具合に使い込まれた風合いがある。そしてコの字の真ん中の一辺は入口に正対していて、そこに焼き台がある。
「今では、こういうふうに焼き台を設置できないらしいです」
 毎日、開店3時間前の2時くらいからおこすという、炭の様子を見ながら店主の山﨑誠やまざきまことさんが言った。山﨑さんは店の三代目。店名の山ちゃんは、もちろん「山﨑」の山ちゃんである。創業者で山﨑さんの祖父に由来する。

 今はもう不可能だという焼き台は、串を打った肉や網を置く、やぐらの部分がカウンターの天板と並行で、これが今ではアレコレ規制があって難しいらしい。たしかにそそっかしい人がいきなり手を突っ込んだりしたら大変なことになりそうだが、そんなそそっかしい人は滅多にいない。妙な規制だなあと嘆息しつつ、焼き台を眺めた。ひしめきあう炭の黒い塊のなかからのぞく、赤々とした火がよく見える、この高さの焼き台にちょっと陶然とした。

「ちゃんとしたモノを使おう」

煌々とした炭火で焼く
ホワイトボードに書かれた本日のメニュー

 さっそく、この焼き台で焼いてもらおうとハツとタンシタを塩でお願いした。
「はい」と山ちゃんはこたえ、くるっと後ろに向いた。カウンターの奥にモツを取りに向かった山ちゃんの背中には大きく「山」の字がプリントされていた。オリジナルのTシャツで「山」の下に小さく CHANとある。欲しい。
 ほどなくして山ちゃんが、両手に美しいモツを携えて焼き台に近づいてきた。その手の先にある2本の串は、見るからにフレッシュでこれをこの煌々とした炭火で焼いたら間違いなく旨い。きっと昔から変わっていないのだろうと思ったら、山ちゃんは笑顔でこう言った。
「たぶん今がいちばん旨いと思ってます」
 そうか進化している、ということか。
「いやあ、このご時世、お肉屋さんも廃業したり、煮込みのお豆腐屋もなくなり、お味噌を仕入れていた問屋もなくなってしまったりして、昔とは違うんですよ」
 なるほど、そういうことであった。「では」と、その煮込みもお願いした。ついでに、刺身はメカジキ、地タコに太刀魚を注文した。

 これが、全部、見事なのだった。

タンシタとハツ

 タンシタとハツは、山ちゃんが丁寧に、目を離すことなく最良の火加減で焼いてくれる。タンのエッジはカリッとするまで焼いてあって、表面も微かに焼き目をつけた麗しい焼き加減。これを一噛みすると、しっかりと火が通っていながら、じわりと旨い汁気が舌を流れていく。ハツはキョリキョリした歯触りと縦にさける繊維の愉快さが活き活きと伝わる焼き加減で仕上げてある。歯ざわりはもちろん、噛めばこちらも、よきハツのスープがじわっとしみだす。串、二本。甲乙つけ難い絶品だった。酒が進む。日本酒、焼酎。なんでもこい。

「玉ねぎの量は、お客さんのお好みにあわせてますが」

 と山ちゃんが言ったのは、この店の名物の一つである煮込みだ。
 さて、この店の煮込みは一風変わった名前だ。通称は「重ネ」。正式には「豆腐もつ煮込み」という。大腸、小腸、ガツ、タン先(焼いて使わないタンの先端部分)などを味噌で煮込み、同じく煮込まれた豆腐を器に盛ったあと、大量の微塵切りの玉ねぎをのせる。で、この玉ねぎの量は客の好みで調整してもらえるのである。

山ちゃんの「重ネ」。モツ煮込みの下には豆腐。たっぷりの玉ねぎと一緒に食べる

 私は無類のネギ類好きなのだが、ちょっと遠慮して
「だいたいノーマルな玉ねぎの量で」とお願いした。
 そうして「はい、どうぞ」と供されたそれは、やはり相当たっぷりと玉ねぎがのっている。これを思い切って匙で崩しつつ、モツと、中に潜んでいる大きな豆腐も一緒にざっくりと口へと運ぶ。モツ自体の野趣を残しつつ上品な旨味とともに、豆腐にしみたモツのコク深い出汁。味噌はキリッとしているがほどよい甘さが奥底に潜んでいて、具の味を邪魔せず引き出す。そして一緒に大量の玉ねぎを噛めば辛味と甘みが綾織りになって刺激的な味の反物が織り上がり、モツと豆腐を包み込んで、旨さの塊になる。これは傑作だ。
 旨い旨いともりもり食べていて、完全に無言になっていた。何かに夢中になっている中年の姿を見せるのは、ちょっと照れる。照れ隠しに隣を見たら、編集者のKさんも無言で豆腐とモツと玉ねぎを口に運んでいた。「重ネ」には、人を夢中にさせる魔力がある。
「重ネ」の大量の玉ねぎを見て思い出したものがあった。千葉のご当地ラーメンの一つ、竹岡式ラーメンである。件のラーメンには、ここの煮込みと同じように、微塵切りの玉ねぎが大量に盛られている。

――もしかして竹岡のラーメンとルーツを共にしていたりするんでしょうか?
「いやあ、わかんないんですよねえ。ぼくが見たことある煮込みはコレだけなので。生まれたときには、こういうスタイルになってましたから。もっと言うと、この店をやってると他の店にはなかなかいけないじゃないですか。知ってるのはここだけになっちゃうんですよ」

 そう言って笑う山ちゃん。何事にもあっさりしていて、そこがまたたまらない。そんな姿勢は、この店の料理も似ている。この煮込みもそうだが、とても繊細な味わいで、ガーっと強い味つけをして酒を進ませるようなことはしない。どれも、きちんとした、節度というか、やり過ぎない安心感がある。

ハイテクとアナログが居心地よくいられるコの字酒場

山ちゃん

 それは、もしかすると山ちゃんたちのバックグラウンドにも理由があるのかもしれない。実は、山ちゃんはじめ、山ちゃんの妻、それに先代の両親は皆、東京農大で栄養学を学んでいる。

「ちゃんとしたモノを使おうっていう気持ちはありますね。化学調味料も使わないし。そういうところは、居酒屋としてはちょっとスタンスが違うのかもしれませんねえ」

 山ちゃんは微笑んで言ったが、たぶん、それは間違いないだろう。こんなにブルーズを感じさせる、渋く生きるレガシーそのものな店で、アップデートされた化学に裏打ちされたツマミが食べられる贅沢に勝るものはそうそうない。古色蒼然としたSLに信じられないハイテクノロジーが詰め込まれた銀河鉄道999のようなコの字酒場である。実際、店の電話は黒電話で、その横にWi-Fiのルーターが設置されている。ハイテクとアナログが居心地よくいられるコの字酒場。だから、いろんな人が居心地よく過ごせるのだ。

黒電話とWi-Fiルーター

 刺身が運ばれてきたころには、すっかりできあがっていた。太刀魚は細切りで、まばゆい銀の肌に違わぬ、ぷりんぷりんの身。箸で思い切りよくごそっと取って大胆に食べれば食べるほど、身に潜む和三盆みたいな控えめな甘みと、品のいい脂の旨さが際立つ。タコはキュッキュッと音をたてる歯触りの良さ。メカジキは、上品な脂が甘く、タライに一杯食べられそうだった。山ちゃん、目利きなのがよくわかる。

 そうこうしているうちに、口開けから何分も経っていないが、たちまちカウンターが埋まった。奥行きのある天板に沿って、満足そうな顔、さあ何を食べようかという顔、とにかくニコニコしている顔、顔、顔がならぶ。カウンターの上には何も造作がなく、このあたりの土地のように真っ平で見通しがよくて、良き表情が手にとるようにわかる。コの字酒場ならではの光景。最高だ。

 カウンターのなかの一人に、今日は誕生日なんだという古老がいて、その何席か向こうに腰をおろした粋なヘアスタイルの男性が
「じゃ、これ」
 と、言ってボトルを一本プレゼントしていた。その様子を向こう岸にいる白髪の常連が、枡酒をカウンターに置いて、静かに拍手をおくっていた。映画のようなシーンが、当たり前に繰り広げられている。そして、そこに過剰に反応することもなく、仕事に徹しつつ、気づまりないように、一人客にちょっとずつ声をかける山ちゃん。ほぼ桃源郷である。

開店からほどなく常連さんが詰めかけ、焼き台にはカブト焼、鶏モモ塩焼などがならぶ

 今も山ちゃんには、常連客が日々訪れているが、元は企業城下町だったこのあたりも、ずいぶん雰囲気が変わったという。製鉄所があって、その独身寮があった頃には、
「この店も一日、三回転くらいしてる繁盛店だったんですが、いまは、最初にどっと来て、後はという感じ」
 と、山ちゃんは、ちょっと「やれやれ」という感じと「それもまたしょうがないな」というさっぱりした笑顔がまざった顔を見せた。実際、リーマンショック後は、ずっと財布の紐は締まったままらしいことは、日本のそこここの酒場で耳にする。ここも例外ではない。そこへ来てのコロナである。休業要請があったり、酒類の自粛などはもちろん、今も解決していないこの状況に、決して安穏としていられないはずだ。
 そんななか、山ちゃんはおなじ店舗をつかって、小学校の給食担当の栄養士をしている、おつれあいを中心に『こども食堂』を実施している。『こども食堂』では、酒場で出す料理は出さないようにしている。破格の値段で提供するから、そこでいつもの肴を安く提供しては、お客さんが納得いかないからだ。山ちゃん、ほんとうに、心配りが行き届いている。
 なんだか嬉しくなって店にあった樽酒を1合頼んだら、私がお願いする直前に同じものを注文したご常連のところで空になってしまった。ご常連が、軽く升を持ち上げて会釈してくれた。なんと、美しい光景だろうか。

太刀魚刺し
メカジキ刺し

 すっかり酔っ払った帰り際に、この店の格好よさについて、ちょっと話すと、山ちゃんは言った。
「元は、千葉駅のほうに『野郎の店』なんて名前で祖父がお店を出してたみたいなんですが」
――僕なんかぶっ飛ばされそうな名前の店ですね
「いやいや。で、昭和20年代にはこっちに移ってきて、もう創業70年くらいになります」
――どこか、変わったところはないんですか
「お客さんって『店につく』って言うじゃないですか。建て替えようかと考えたこともあって、実際建て替えのほうが安くすむくらいだったんですけど、修繕して今にいたってます」
――修繕はかなりかかりました?
「そりゃ、かなり」
 破顔する山ちゃん。そして、驚くべきことを言った。

「うち、雨漏りするんですよ」

 その日は曇天ではあったが、雨は全然降っておらず、店の中にいて雨漏りの気配なんて感じられなかった。
「ダクトの上から。けっこう、たらたらっと。そういうときは、カウンターの一部は座れません、っていうスタイルでやってます」
 山ちゃんはまたニコニコと笑って教えてくれた。常連のお客さんもそのことは皆知っていて、皆嬉しそうに雨漏りのことを話してくれる。古い車が好きな人たちが「故障は大変だけど、そういう、ちょっと言うことをきかないところも可愛い」と異口同音に言うのを何度も耳にしたことがあるが、山ちゃんの雨漏りもきっとそういうものなのだろう。
 祖父が開いたこの店を両親が継いだ。父が亡くなった後、一人で切り盛りしていた母が事故にあって、一時休業。それからこの店を本格的に継いだ山ちゃん。三代かけて、このコの字酒場は、圧倒的な存在になった。
 去り際、私は、
――今度は雨の日に来ます
 と言っていた。
 こういうのを酔狂というのだ、と独りごちた。足取りは、大酒を飲んだくせに軽かった。

蘇我「やきとり 山ちゃん」
住所:千葉県千葉市中央区南町2-13-6
*店情報は掲載時のものです。

加藤ジャンプ(かとう・じゃんぷ)
文筆家。1971年生まれ、東京都出身。東南アジアと横浜育ち。一橋大学大学院法学研究科修士課程修了。出版社勤務を経てフリーに。著書に『コの字酒場はワンダーランド』(六耀社)、『小辞譚~辞書をめぐる10の掌編小説~』(猿江商會)、『今夜はコの字で 完全版』(集英社文庫)などがある。コの字酒場探検家、ポテトサラダ探求家。これまでに訪れたコの字酒場は数百軒。
Twitter @katojump
【HP】katojump.wixsite.com/katojump

イラスト/タカヤス
1977年生まれ、東京都品川区出身。2014年、小学館「第1回ビッグコミックオリジナル新作賞」で佳作。16年に土山プロダクションに入社し、現在はさいとうプロダクションに所属。
Twitter @takayasu0804

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