第8話 「嫁の人相が読めない」(後編)
「この人、ママじゃない!」と泣き出す赤ちゃん
わかりやすい特徴で顔を覚えるのは、生後2ヶ月くらいの赤ちゃんも同じです。ただし赤ちゃんの場合は、初対面の軽い関係の人だけではなく、最も親しいお母さんの顔の記憶もこのやり方です。
この時期の赤ちゃんを持つお母さんから、こんなエピソードを聞きました。たとえば、ふだんは眼鏡をかけているお母さんが、子どもとお風呂に入ろうと眼鏡を外したところ、泣きだされてしまった。
あるいは、久しぶりにイメージチェンジをしようと髪を短く切って自宅に戻り、赤ちゃんを抱っこしようとしたら、知らない人が来たという感じで泣きだされてしまった。
この時期の赤ちゃんは視力を処理する脳が未発達なため、視力が悪くコントラストがはっきりしていないと見えないのです。そんな中で一番目立つのが、輪郭のはっきりした黒い髪の髪形や眼鏡です。
しかも髪形のような枠があると、枠に注目してしまって、顔の中にあるそれぞれの特徴に注目できないという性質もあるのです。目に着く特徴である、眼鏡や髪形に着目してお母さんを覚えているのです。
しかし、そんな赤ちゃんも生後8ヶ月くらいになれば、髪形が変わっても、お母さんの顔がわからなくなることはありません。大人と同じように、親しい人の顔の見方を獲得します。
学生時代のクラスメートの顔はなぜ忘れない?
この、赤ちゃんの例でも分かるように、私たちは親しい人の顔を髪形や服装といったわかりやすい特徴で見分けているわけではありません。
大の大人が親しい友人、恋人や配偶者を見つけるのに服装や髪形を目印として使っていて、それがばれたとしたら、かなり気まずいこととなるでしょう。
自分の娘をその日着ている服で覚えていたり、その日のネクタイで夫を覚えていたり、そんな不便な生活を送っている人は少ないことでしょう。
夫や妻の服に無頓着なのはシャレにはなりますが、大切な人を服で覚えているというのはシャレになりにくいのです。
親しい人の顔の記憶は特別であることを証明する、こんな研究があります。幼馴染(おさななじみ)の顔を、時間的な変化にもかかわらずどれくらい認識できるかを調べたのです。
この実験では、高校の卒業以来、何十年も会っていないクラスメートの顔を、再び会って見つけられるかを調べました。同級生の現在の写真と、まったく知らない人のダミーの写真と混ぜて見せたところ、きちんと同級生の写真を区別することができたのです。
年月が経って、髪形も変わり、皺ができたり太ったり痩せたりと、多少の変化があったとしても、親しい人は思い出すことができる。親しい人の顔の記憶は、特別なのです。
人は顔を「ゲシュタルト」として認識する
では、私たちは親しい人の顔を、いったいどのように見て記憶しているのでしょうか?
私は授業や講演会などで、親しい人の顔の記憶を実感してもらうために、こんなことを尋ねます。まず目をつぶって、一番親しい人の顔を思い出してもらいます。しっかりと思い出してもらったことを確認したら、「その人の目だけを取り出して、思い出してみてください。それができる人は手をあげてください」と聞くのです。
この問いに対して、ほとんどの人が思い出すのは難しいと納得します。しかし中には数名、思い出せると言う人もいます。
その場合はもう少し難しくして、「では、顔を思い出してから、その目を取り出すのではなくて、最初から目だけを思い出せますか」と尋ねます。そうすると、すべての人がお手上げとなります。
つまり、親しい人の顔は、目鼻口をそれぞれ切り離して思い出すことができないのです。部分の寄せ集めではなく、「ひとまとまり」としてとらえる──これをドイツ語で「ゲシュタルト」と言ったりもしますが、つまりパーツの集合ではなくて、「丸ごと」で顔を捉えている。大きな目、大きな鼻、おちょぼ口だといったように、目立つ特徴で覚えるのではないのです。
逆に言うと、私たちは、顔をゲシュタルトとして記憶しているので、そこから目や鼻を切り離して認識することが難しいというわけです。
キメラ顔効果
その特別な見方を知る実験に、「キメラ顔効果」があります。キメラ顔とは、他人の顔写真を上下で切って上半分と下半分で別々の顔をくっつけるものです。
その際、上下をぴったりくっつけて顔の形にするのと、わざとずらして顔の形にしない二種類を用意します。実験では、このキメラ顔を見て、上の顔が誰かを答えてもらいます。
驚くことに、ぴったりくっつけると、上下の顔が混ざって別人の顔に見えてしまい、上の顔の人物が消えてしまいます。ところが上下をずらし、もはや顔に見えない状態にすると、上の顔が誰かがわかるようになります。
顔の写真を上下二つに切り、別人の上下の顔をくっつけるキメラ顔実験の一つです。右側の2組の、ずれた顔写真では、顔の上半分が同じ人物のものであることが分かるはずです。しかし、それを左側の2つの写真のように別の人の顔写真を下をぴったりくっつけると、顔の上半分も同じには見えなくなります。(写真は"The composite face illusion" Richard Cook et al., Psychon Bull Rev. 2017 より)
ちなみにこの効果は、見知った顔、つまり知り合いの顔や有名人の顔で強く生じます。親しい人の顔はそれぞれのパーツの特徴ではなく、全体で見ているという証拠です。
顔のパーツを顔のかたちの中で並べると、それらが「ひとつの顔」という総体(ゲシュタルト)となって、人の顔に見える。しかし、上下をずらしたりして、顔というゲシュタルトを崩壊したとたん、部分で顔を見ることができるようになるのです。
つまり、私たちは家族や知り合いの顔は全体(ゲシュタルト)で見ているわけで、これがあるから部分的にイメチェンしても、総体としての顔の印象は変わらないのです。
心理学が教える「似顔絵描きのコツ」
似顔絵の極意も、顔の配置にあります。素人がやりがちな失敗が、目や鼻や口などの部分にこだわって詳細に描こうとすること。それを適当に積み重ねた結果、ちっとも似てない顔ができあがるのです。
似顔絵の描き方の講座では、目、鼻、口の特徴ではなく、顔全体を見ることを徹底するそうです。その訓練として、福笑いを使って、目、鼻、口の配置だけで描きたい人の顔を作らせてみるのだとか。各パーツに特徴がなくても、その人らしさは表現できるのです。
顔の話をしていると、「顔を覚えるためにはどうしたらいいでしょうか?」と相談されることがよくあります。自分は顔を記憶する能力が低いからという人が多く、驚きます。先天性相貌失認は極端ですが、顔を見る能力には個人差があります。
スーパー・レコグナイザー
人一倍優れた顔認識能力の保持者を「スーパー・レコクナイザー」と呼びます。私の大学時代の友人にもいました。
彼女は、大学卒業から既に4半世紀を過ぎて何十年も会っていない同級生を、新宿駅の雑踏の中に見つけることができるのです。そんなに長い期間会っていない知り合いの顔を、雑踏から探し出せる能力は、驚異的です。
彼女の能力はそれだけでありません。幼稚園の行事で撮影された写真の中から、自分の子以外を簡単に見分けることができるのです。
ちょっとしか写っていない、豆粒くらいに小さな顔でもその子の名前を言えるので、当のお母さんから「それはうちの子じゃない」と主張されたものの、後になって「やっぱりうちの子でした」と言われることもあったとか。彼女にすれば「どうして、わが子の顔を認識できないのだろう」と不思議に思ったそうなのです。
ここまでの顔認識能力はなかなか持てるものではありませんが、顔を覚えるヒントになる事例をテレビで見ました。飼育している何十頭のカンガルーの顔と名前、その親族関係をすべて頭に入れている飼育員をその番組で紹介していました。
素人目からすると、カンガルーの顔はどれも同じ顔に見えて、それぞれの区別すらつきません。実際、別の飼育員は、暗記術を駆使してカンガルーの顔と名前を覚えようとしてみたり、ごろあわせを使ったり、果ては芸能人の顔にたとえて覚えようとしていましたが、なかなか学習が進まないようでした。
ところが、番組で紹介された飼育員さんだけは、すらすらとすべての個体の名前を言い当てていたのです。しかも親子関係まで把握していて、よその母親のお腹の袋に入りこんでいる子どもを見つけ出したり、そこから追い出されてしまった、実の子どもも容易に探し出したりすることもできるのです。
この飼育員さんは、すべてのカンガルーの性格や社会関係、親子関係をカンガルーの身になって理解していると言います。
ここに、顔を覚えるコツがあるのではないでしょうか。
ごろあわせや芸能人にたとえたり、とにかく記憶することだけに専心すると、かえって記憶は遠のきます。
記憶のよい飼育員はむしろ、カンガルー社会の中にフィールドワークのように入り込むことによって、自然と顔と名前が頭に入っていくようです。つまりその動物のいる「社会」の中に入り込まないかぎり、たくさんの顔の習得はできないということなのでしょう。
巷(ちまた)には、顧客の名前や職業を全て頭に入れているベテランのホテルマンとか、何十人もの逃亡犯の顔を頭に叩き込む「見当たり捜査員」など、顔を覚えることに特化した仕事があるそうです。
警察の「見当たり捜査員」は、一度も会ったことのない犯人の顔の写真をリストにして100人ほども記憶して、街中で見つけ出して検挙するのが仕事です。写真でしか見たことのない犯人を雑踏の中から見つけ出し、逮捕するわけですが、写真だけに頼って顔を覚えるのは、難易度が相当高いです。
たとえば顔を覚えるのが上手な商店街のおばさんは、お客さんと接しながら、その人のもつ特徴的なしぐさや表情をうまいこと引き出して記憶しています。そこには表情もあるし、その人が持つししぐさの癖もあります。もちろん、いろいろな向きの顔を見ることもできます。
この中でも、しぐさや表情は、その人らしさを的確に表現する大切な情報ですから、お客さんを記憶するうえでの有力な手がかりになります。
どうすれば人の顔をたくさん覚えられるか
一方、こうした現実の顔と比べ、ある瞬間の顔を切り取っただけの写真に含まれる情報量は圧倒的に少ないのです。
犯人に一度も会ったことのない「見当たり捜査員」は、見知らぬ犯人の顔写真を見ながら必死にその犯人像や性格を思い描いて覚えると聞きます。写真だけを使って、初対面の人となりを伺(うかが)い知るのは難しいことですが、その顔を持つ人物を憎んだり愛したり親しんだり、感情的なつながりを作り上げながら、それぞれの顔を持つ人物像を評価しながら覚えるのでしょう。
重要なことは、それぞれの個人への感情的なつながりや評価が必然ということです。
顔を記憶するのは、英単語や歴史の年号を覚えるのとは違います。無意味でも覚えられる数字の記憶と違って、顔には「意味」が必要なのです。強い人だとかやさしい人だとか、どんな仕事をしているのか、顔の記憶にはそんな情報が結びついているのです。むずかしく言うと、脳の情動的な活性化──情動や評価や動機づけに関わる脳の部位を巻き込むことが必要なのです。
分かりやすく言うと、他人や社会に興味があって、それを学習したいという「意欲」、相手の顔を覚えられてうれしいという自らへの「報酬」がないと、たくさんの顔は覚えられないということです。
顔の記憶のスキルアップをしたければ、好きか嫌いかでもいい、相手がどんな人だったかを、よくよくイメージすることが大切です。
一緒にいて得をしたとか、とても楽しかったとか、すごく嫌な目に遭ったとか、なんでもいいから感情的なエピソードとともに覚えることがコツなのです。そのためにはまず、煩わしいと思わないで、自らがどろどろとした人間社会の中に入り込むことが第一なのかもしれません。(この項、終わり)
次回は8月20日(金曜日)公開の予定です(第1・第3金曜日掲載)
山口真美(やまぐち・まさみ)
お茶の水女子大学大学院人間文化研究科人間発達学専攻修了後、ATR人間情報通信研究所・福島大学生涯学習教育研究センターを経て、中央大学文学部心理学研究室教授。博士(人文科学)。
日本赤ちゃん学会副理事長、日本顔学会、日本心理学会理事。新学術領域「トランスカルチャー状況下における顔身体学の構築―多文化をつなぐ顔と身体表現」のリーダーとして、縄文土器、古代ギリシャやローマの絵画や彫像、日本の中世の絵巻物などに描かれた顔や身体、しぐさについて、当時の人々の身体に対する考えを想像しながら学んでいる。近著に『自分の顔が好きですか? 「顔」の心理学』(岩波ジュニア新書)がある。〈山口真美研究室HPはこちら〉