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第12回「人の見た目」よりも「社会の見た目」(後編)

前編から続く

「部外者」から、この国はどう見えるだろうか?

「社会の見た目」というのは、きっと聞き慣れない表現だと思います。

前編で述べたように、人間は自分の見た目、つまり他者が自分のことをどのように評価をしているかが気になってしょうがない存在です。少しでも相手にいい印象を与えようと、私たちはさまざまな努力をしています。その代表がお化粧です。

ところが、それだけ自分に対する他者の目を気にするのに、自分が属する社会が部外者から見たら、どのように映るのかはほとんど気にしません。

たとえば日本の場合でいえば、諸外国に比べて日本では女性の政治家の数が極端に少ない状況にあります。

国際的な議員交流団体「列国議会同盟(IPU、本部スイス・ジュネーブ)」の調べによると、日本の女性議員の比率は世界160位で、議員全体に占める割合は1割しかありません(朝日新聞2021年3月6日)。

これは言うまでもなく、先進国の中でも特異な状況ですが、しかし、当の日本人はそれについてどれだけ「異常だ」と捉えているでしょうか。

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もちろん、異常だと考えている人が少ないからこそ、これだけ女性議員の数は少ないのですが、「西洋コンプレックスが今でも抜けない」とさんざん言われていながら、こういう面に対しての「見た目」に、日本人が極端に無頓着であるのはなぜでしょう。

その理由が他ならぬ「アンコンシャス・バイアス」です。つまり、日本の社会では「女性は家で料理を作る人」「政治は男がやるもの」といった観念が無意識のうちに定着しているために、この状況がおかしいということさえ気がつかないようになっているのです。

「日本人のDNA」など存在しない

この連載の中でたびたび指摘してきましたが、いわゆる「日本人らしさ」とか「欧米人らしさ」などといったものは最初から存在するのではありません。「日本人らしさのDNA」などは存在しません。肌の色、生まれた場所などにかかわらず、人間はみな共通のDNAを持っています。

生まれたときにはみな同じなのに、それが育っていくうちになぜ日本人は日本人らしくなっていくかといえば、それは「社会」がもたらすものなのです。

たとえば日本人の赤ちゃんは生後7ヶ月もすると、お母さんの目に注目する傾向が生まれてきます。これは欧米諸国の赤ちゃんがお母さんの口元に注目するようになっていくのと対照的であるのですが、それは「目は口ほどにものを言う」という日本社会独特の人付き合いのしかたが影響しています。

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イギリス人など欧米の人たちは口元で感情を表わすので、赤ちゃんはお母さんの口元に注目することを覚えます。日本人はそれに比べると、口を大袈裟に開いてしゃべる習慣がないので、お母さんの気持ちを知りたい赤ちゃんは目を見るようになるのです。

こうした、赤ちゃんがお母さんのどこに注目するかは、どっちがいい、悪いということではありません。それは文化の違いだと言っても許されるでしょう。

しかし、ことが女性の社会進出というような問題は、そうはいきません。他の国々では能力があれば、ジェンダーと関係なく社会で活躍できるのに、日本がそれができない社会のままでありつづけて、得をすることは一つもありません。

でも、残念なことに日本人は日本社会が、ある種、いびつな形になっているという自覚がない。「社会の見た目」がおかしいという自覚がないから、変わらない。これは困ったことです。

「見た目」を変えれば、中身も変わる!

では、いったいそれはどうすれば解決できるでしょう。

その答えはひじょうに簡単なことです。

つまり、それは「社会の見た目を変えること」。それに尽きます。

どんなにお説教をしたところで「だって、今まで日本はそれでうまくやってきたんだし」という人はかならず現われます。実際、今の日本にはそう考える人が(男性も女性も)少なくありません。それどころか、「これが日本の良さなんだから、変えるなんてけしからん」などという人も少なくありません。

そういう人たちの考えを変えるには、論より証拠。まず社会の「見た目」を変えること。日本人の頭の中、つまり見えない部分を変えようとしてもなかなか物事の考え方(ステレオタイプ)は変わりません。ですから、そこを真正面から変えるのではなくて、まず「見た目」、つまり社会の仕組みを変えるほうが早いのです。

たとえば、男性ばかりが議員の座を占めるという現状を改革して、議員、あるいは立候補者の中で女性が占める割合を一定以上にするというルールを作る。いわゆるクオータ制(割り当て制)です。

そうすると「有能な人材であれば、男性か女性かは関係がない」ということが実感として分かってきます。そうすれば、さらに女性の社会進出を推し進めていこうという話にもなっていくと思います。

どこにでもいる「内面重視派」

このクオータ制に対しても、きっと「形だけ変えても内容が伴わなければ意味がない」という批判をする人はかならず現われるでしょう。でも、内容が伴うか伴わないかは、現実に女性が議会にもっと進出してみないと分からないのですから、それは意味のない議論です。

それは他人に対して、「大事なのは内面であって、顔ではない」というお説教するのと同じことです。

それは一見正論に聞こえますが、しかし、他人は見た目(第一印象)で人をジャッジするわけで、「見た目なんか気にするな」と言ってもそれは意味のない話です。いかに人物本位だと言っても、それ相応に好感を持ってもらえる最低限の身だしなみは必要です。

言うまでもないことですが、社会というのはそこに属する人たちが作っていくものです。そこに生きるメンバーの意識が変わらないかぎり、社会は変わっていきません。大人たちが「世の中はそういうものなのだ」と子どもたちに教え続けているかぎり、その社会は変わることがないでしょう。

言い換えるならば、「社会の見た目」こそが、アンコンシャス・バイアスを産み出す場なのです。

子どものころに「社会って、こんなものなんだ」というふうに学習してしまったら、それを変えようとは思わないでしょう。その「こんなものなんだ」というのが「見た目」です。

子どものころから「日本の社会のあり方はこれでいいのか?」などと考えている人はほとんどいません。たいていの子どもは、「世の中はこういうものなんだよ」と教えられたり、感じたりして、成長していきます。男の人が政治をやる、女性は家庭にいる──子どもたちはそういう社会のあり方を見て「常識」を身につけていく。そして、その常識は子どもから孫へ、孫からひ孫へと伝えられていくわけです。

しかし、そこで「社会の見た目」を変える。そうすれば、子どもたちの常識もおのずから変わっていきます。いちいち教育しなくても、男女は平等なんだなと素直に受け止めて、それが次世代へとつながっていきます。社会の見た目が変わるのは、それだけで大きな影響をもたらすのです。

「男の子色」「女の子色」も社会が決める

このことをむずかしく言うと「人は与えられた環境に適応する」ということになります。

すでに述べたように生まれてから1年もしないうちに赤ちゃんの、大人の顔の見方は社会によって異なってきます。なぜそんなに急速に変わっていくのかといえば、環境に適応できなければ生き死にに関係するからです。

顔の見方だけではありません。生後数か月で赤ちゃんは、知っている人か知らない人か、男か女か、大人か子供などを区別できるようになります。誰が自分を守ってくれるのか、誰が自分を育ててくれるのかを正しく認識することは、生きていくための基本だからです。

と言っても、赤ちゃんは「男だから」「女だから」といってステレオタイプなものの見方はしません。それは生きること、生き延びることには直接関係しないからです。そうしたステレオタイプなものの見方はもっと大きくなってから「学ぶ」ものです。

ちなみに「赤ちゃんの色の好みには男女差はあるのですか?」とよく聞かれるのですが、赤ちゃんの好きな色は、赤とか青などの原色系の、刺激の強い色で、特に男女差はないのです。

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ではなぜ「青は男の子の色」とか「ピンクは女の子の色」などと子どもが思うようになるかといえば、それは保育園や幼稚園で男女別に色分けされたり、女の子の人形にはピンク色を使ったものが多いなどの経験の蓄積で、色の好みの性差はつくられるようなのです(実は日本の子どもたちは男女ともに「水色」好きだという研究があります。水色は日本でしかない色名なので、子どもの色の好みには男女差よりもお国柄が反映されているようです)。

話を戻せば、赤ちゃんは見た目で男女の「区別」ができますが、見た目で「差別」はしないのです。男女差別は明らかに学習によるものです。男女差別をしないお子さんを育てるには、まず赤ちゃんが育つ環境、つまり家庭のあり方を考え直す必要があるでしょう。

「ひとり活動家」だった筆者

個人的な話をさせてもらえば、私が物心ついたのは、1970年のウーマンリブ運動の真っただ中でした。幼いなりに、この運動に多大な影響を受けた私は、ちょっとした男女差にいつもピリピリして、「ひとり活動家」のようでした。

ちょっとした男女差別であっても、それに気付けばすぐに批判していたわけですが(今思えば、まったく嫌な子どもです)、それはそれである種の「アンコンシャス・バイアス」であったと思います。つまり、どこかいつも被害者意識があって、そこからありとあらゆることに不満を持って、批判をしていたように思います。

つまり、「自分は正しい」と信じて疑わないのも一種の偏見であるのです。誰だって間違うことはある。自分もまた例外ではありません。だから、たとえ「これはおかしい」と感じても、それが単なる感情論なのか、それともきちんとした道理に基づくものなのかを考えることが大事です。ましてや、自分こそが正しいのだからと相手を黙らせるというのは最もやってはいけないことです。

そこで大事になってくるのは「対話」です。相手を論破したからと言って、何かが生まれるわけではありません。

それよりも、なぜ些細な一言が人の心を傷つけるのか、そういうことをきちんと伝え、その意見に対して相手がどのように思うのかに耳を傾ける。そういう姿勢こそが求められているのだと思います。

今、コロナの影響で社会はいっそう閉鎖的になり、ぎすぎすした雰囲気が続いています。日本だけでなく、世界を見ても、性差別や人種差別の問題などがますます深刻になっています。ストレスの多い、閉鎖的な状況では、ステレオタイプ的な行動が多くなるのでしょうか。

ステレオタイプも役に立つ

と言っても、ステレオタイプがすべて悪いというわけではありません。なぜ人がステレオタイプ的なものの見方を学習するかといえば、そういうふうに一定の「物差し」を持っていたほうが、生きていくうえで助けになることが多いからです。

たとえば、知らない町に行って、道に迷ってしまう。そういうときに誰に道を尋ねたらいいのか。変な人に間違って声をかけて事件に巻き込まれても困ります。でも、言葉が通じないような外国では、誰が信頼できるのか、できないのかなど判断のしようもありません。

そこで使われるのがステレオタイプです。

前回の連載でも書きましたが、人間は第一印象で「この人は信用できそう」と判断するための尺度を持っています。いかつい顔の人よりも、ほっそりして繊細そうな人のほうが頼りになるというステレオタイプがなければ、いったい誰に道を尋ねていいのかさえ分からなくて、立ち往生してしまうでしょう。ステレオタイプは「万が一」の状況で役に立つ切り札なのです。

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そう考えてみると、コロナ禍という「非常時」で、人々がステレオタイプに身を任せてしまうのはある種、当然の成り行きなのかもしれません。

しかし、世の中にはそうした心理を悪用しようとする人たちがいます。

「非常時だ! たいへんだ!」とあおるような人には要注意です。ことに政治家たちの中にはその種のテクニックで、自分のところに支持者を集めようとする人が少なくありません。そして、そういう政治家たちは意図的に情報を操作して、誤った判断に人々を導こうとします。

政権与党に対して批判的なニュースキャスターを「偏向している」と言って排除しようとする政治家、貧困に苦しむ人たちを「何の努力もしないで、社会にぶら下がっている存在だ」などと決めつける風潮など、すでにそうしたことがあちこちで起きています。

また、不安から逃げるため自ら引きこもり、ひとつの情報だけを信じてしまうこともあります。ストレスの多いコロナ下では、誤った情報に落ち込む人も多いようで、これにも気をつけなくてはいけません。

今まさに、広がりを持った経験がなによりも必要なのだと思います。

しかし、世の中は悪いことばかりではありません。

パラリンピックを見て実感した人は多いと思いますが、世の中にはさまざまなハンディキャップを持っている人たちがたくさんいて、そういう多様性があるからこそ世の中は素晴らしいという理解も広がりつつあります。これはひじょうに嬉しいことで、けっして希望を失ってはいけないとも思います。

最後に、今回の重要なポイントをまとめてみました。どうぞ心に留めていただければ幸いです。

・アンコンシャス・バイアスの発言が出たら、なにが悪いかを意識化するため、対話を試みる。
・アンコンシャス・バイアスが強化されないよう、マスメディアで流す情報にはじゅうぶん注意し、限られた情報空間の中にいないこと。
・さいごに、「見た目の違いを気にする」という人の本性があることは事実だけれども、それが差別につながらないよう、自分のそんな反応に気づくことが大切。この社会の中で、人々の本性がぶつからないように生きていくことに意味があるのだと思います。

山口先生プロフィール

山口真美(やまぐち・まさみ)
お茶の水女子大学大学院人間文化研究科人間発達学専攻修了後、ATR人間情報通信研究所・福島大学生涯学習教育研究センターを経て、中央大学文学部心理学研究室教授。博士(人文科学)。
日本赤ちゃん学会副理事長、日本顔学会、日本心理学会理事。新学術領域「トランスカルチャー状況下における顔身体学の構築―多文化をつなぐ顔と身体表現」のリーダーとして、縄文土器、古代ギリシャやローマの絵画や彫像、日本の中世の絵巻物などに描かれた顔や身体、しぐさについて、当時の人々の身体に対する考えを想像しながら学んでいる。近著に『自分の顔が好きですか? 「顔」の心理学』(岩波ジュニア新書)がある。
山口真美研究室HP
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