第4回 私、顔面麻痺になりました(後編)
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第4回 私、顔面麻痺になりました(後編)

前編のあらすじ
今から10年ほど前のこと、著者は突然、顔面麻痺になってしまった。その原因は帯状疱疹。日々のストレスが溜まった結果、表情の神経が麻痺してしまった。主に顔の右側が麻痺したのだが、いちばん困ったのは「食事」。なぜか味覚も変化していて、料理の微妙な味わいが分からなくなったのだった。

表情筋の働きで、発声も変わってくる

ちなみに麻痺の後遺症の治療とリハビリは、鍼灸院で行いました(大学病院の治療は、麻痺の評価と薬の処方で終わりだったので)。

そこでつくづく感じたのは、かつて研究した顔面筋が表情を作る働き、それ自体はたいした問題ではなかったこと。

顔面筋は「表情筋」とも呼ばれます。ですから、表情は顔面筋の働きの代表格と思っていたのですが、人間として生活するうえで顔面筋には表情以上に複雑で大切な働きがあることを実感したのです。

それは、喋ることでした。

顔面筋のリハビリは鏡を使って

麻痺の影響は、言葉を喋るときの口の動きに残ります。
顔面筋のリハビリは、発声練習です。
仰向けに寝たまま重力の影響を受けない状態で鏡を見ながら「あ・い・う・え・お」と大きく口を開けます。

手鏡を持って発声する時の口の形が左右歪んでいないか、間違いなく発音されているかを確認します。それを毎日数回行うのです。

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自然治癒なのかリハビリの効果か、麻痺は徐々に回復しましたが、最後まで苦労したのが上唇の動きでした。

食事する時に上唇に力を入れて口を閉じようなんて思ったこともないでしょうが、意識して力を入れないと、口が閉じないのです。上唇の繊細な動きを必要とする「え」という発音も、最後まで苦労しました。

「自分の顔」を見ることは、なぜむずかしいのか

顔面麻痺になったのは不運なことでも、それは顔研究者として自分の顔を考える機会となりました。麻痺の間は、人生これまでにないほどに自分の顔を見ました。それまでは顔の研究をしているといっても、それは所詮、他人の顔の話でした。自分の顔の話ではなかったのです。

自分の顔になると、目が曇ります。

理想と実際の顔との差ばかりが気にかかって、客観的に自分の顔を見ることができない。そもそも自分の目で見る自分の顔は鏡に映った顔、鏡に映った顔は左右反対していて、他人が見る顔とは逆転しています。自分の顔を客観的に見ること自体が、難しいのです。

顔面麻痺を経て、自分の顔に対する心のハードルは少しだけ低くなった気がします。麻痺の程度を見るという、客観的な視点で自分の顔を見続けたせいでしょう。以前よりも冷静な目で、自分の顔を見るようになったのではないでしょうか。

顔面麻痺は最後まで右側の上唇の一部に残り、麻痺の前後で人相も(他人には気づかれない程度ですが)変わったように思えます。変わったのは左右の顔のバランスです。

自分の顔を見つめ直すことは人生を見つめ直すこと

進化心理学からすると顔の左右対称は魅力の要因の一つとされていますが(これについてはまた詳しくお話ししましょう)、現実として完全な左右対称の顔は少ないです。

利き手や利き目、噛むときに力を入れる癖などによって、顔には微妙な左右差が出ます。鏡に映った自分の顔が他人から見た顔とは違うのは、鏡でこの左右差が逆転するから、それだけで印象はずいぶん変わるのです。

麻痺が左右のどちらに起きることが多いかはわからないですが、私の場合は利き手側、よく見る目とよく使う顎の側に出ました。

やや厳しい表情をしていた顔の側が麻痺のせいで少し緩み、その不自由な動きに残りの側があわせるうちに、以前よりも顔の左右の均衡が改善されたようです。もし人相で人生が決まるのだとしたら、麻痺の前後で人生も変わったともいえましょう。

改めて考えると、自分の顔を観察してこなかったこれまでは、自分の顔を受け入れていなかったともいえます。

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Photo by Wynne Neilly

自分をかえりみず、歯を食いしばって突っ張って生きてきた。それが病によって、力を込めた生き方が緩み、ほんの少し気持ちの余裕が持てるようになった気がします。

多少なりとも変わった顔を受け入れたことは、自分の人生を受け入れたことでもあるような。自分の顔を考えることは、自分の生き方を考えることにもつながると思うのです。(終)

次回は6月18日(金曜日)公開予定です。

山口先生プロフィール

山口真美(やまぐち・まさみ)
お茶の水女子大学大学院人間文化研究科人間発達学専攻修了後、ATR人間情報通信研究所・福島大学生涯学習教育研究センターを経て、中央大学文学部心理学研究室教授。博士(人文科学)。
日本赤ちゃん学会副理事長、日本顔学会、日本心理学会理事。新学術領域「トランスカルチャー状況下における顔身体学の構築―多文化をつなぐ顔と身体表現」のリーダーとして、縄文土器、古代ギリシャやローマの絵画や彫像、日本の中世の絵巻物などに描かれた顔や身体、しぐさについて、当時の人々の身体に対する考えを想像しながら学んでいる。近著に『自分の顔が好きですか? 「顔」の心理学』(岩波ジュニア新書)がある。
〈山口真美研究室HP〉
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