見出し画像

コロナブルーを乗り越える本 根井雅弘

根井雅弘さん(経済思想史家)はゲーテの名言、箴言から「生きる」ことを考えた本を紹介。コロナが終息したとき、ビフォアコロナと同じ世界を取り戻すべきなのか? われわれわれがこれから考えなければならないことへのヒントです。

※この記事は、集英社インターナショナル公式サイトで2020年4月24日に公開された記事の再掲載です。

『いきいきと生きよ ゲーテに学ぶ』

手塚富男/講談社現代新書

画像1

新型コロナウィルスによる感染症拡大が全世界の問題となった頃から、新聞もテレビもインターネットも新型コロナ問題ばかりの記事で埋め尽くされるようになった。それはそれで至極真っ当なことである。感染拡大を抑え込むために不眠不休で働いている感染症専門家や医療従事者等の心労は想像するに余りある。だが、世の中が外出自粛や一部の業種の営業自粛の方向に流れるにつれて、「コロナ疲れ」とか「コロナ鬱」といった言葉をいろいろな機会に目にするようになった。

このようなご時世だから、カミュの『ペスト』(新潮文庫)がにわかに注目を浴びるようになったのも肯ける。私も懐かしさもあって再読した。このウェッブサイトに載った内田樹氏の文章も興味深く読んだ。私は、主人公のリウーがペストと闘うには何よりも「誠実さ」が大事なのだと叫ぶように言っている場面が印象に残ったが、たしかに、今回のコロナウィルス問題も、テレビに登場する政治家や官僚や関係者などの「誠実さ」を問いたくなるような光景が何度も見受けられた。しかし、それを糾弾するのがこの文章の目的ではない。

今回の感染症は、ある専門家によれば、100年に一度のものらしいのだが、そういえば、私の頭の中にもスペイン風邪というひどい感染症があったという歴史の知識があり、あの偉大な社会学者、マックス・ウェーバーもその感染症が原因の肺炎で亡くなったのだ。1920年のことだから、今年は没後100年ということになる。だが、これも学生時代に読んだ『仕事としての学問 仕事としての政治』(野口雅弘訳、講談社学術文庫、昔読んだのは岩波文庫だった)のページをめくりながら、政治家に必要な三つの資質、すなわち「情熱」「責任感」「目測能力」というところに差し掛かったところで、この国の現状はあまりにも厳しいと痛感して本を閉じてしまった。どうもこういう非常事態の読書はなかなかうまく進まない。

感染症問題には素人の私のような経済思想史家が手にとる本は、おのずと違ったものになるのだろう。だが、ウェーバーの近くに、これも古い本ながら、手塚富男『いきいきと生きよ ゲーテに学ぶ』(講談社現代新書)が置いてあった。すでにカバーもなくボロボロなので、電子書籍を探し、それで改めて読んでみた。もちろん、私はそれほどゲーテに詳しいわけでもないし、啓蒙書とはいえ、この本が現時点でのゲーテ研究からみてどのように評価されるのかも知らない。しかし、いまはそんなことは、どうでもよい。私は久しぶりに読んで元気づけられたのだから。

この本は、簡単にいえば、手塚氏がゲーテの名言を引用しながら自分なりの解説を試みたものだが、ゲーテの名言もさることながら、私は、手塚氏がそれをどのように読み解いて人生の指針にしてきたかを正直に書いている姿に好感をもった。例えば、「箴言と省察」から次の言葉が引用されている。

「思索する人間の最も美しい幸福は、探求しうるものを探求しつくし、探求しえないものを静かに敬うことである。」

この名言の解説の中で、手塚氏は次のように書いている。「われわれのもつ探求の力をつくして、しかもわれわれは探求しえないものの前に静かに畏敬をささげることを知らねばならない。近代精神はしばしばその点で、思い上がった無知におちいって、人間離れの状態を現出した。人間が人間であることを自覚すること、これはかえって大きい勇気を要する決断である」と。
「箴言と省察」には、次のような言葉もある。

「詩人は真実を愛する。真実があるところ、詩人はかならずそれを感じ取る心をもっている。」

手塚氏は、文学者ばかりでなく自然科学者や政治家でもあったゲーテを考慮したのか、この名言を次のように読み解く。「詩と学問ないし科学は、感情と悟性との対照によって両極端をなすように思われるが、真実という根から生じて、結局は同一のものである。……現代は、正義の名において政治が最尖端に立っている時代である。正義はむろん真実の一態であるが、政治意識が激化すると、意識的、無意識的に真実をゆがめて、政治的目的だけの達成をはかる。それはくりかえしわれわれが見聞きしていることである。こういう政治行動はつまり詩をもたないのである。現代ほど詩に遠い時代はない。また詩が必要である時代もない。しかし望みはある。それは民衆というものは、時によると際限もなく愚かになるが、その本質において詩人であるということである」と。
正直に言って、この本はたぶん青年時代のいつかに読んだのだろうが、現在のような危機に陥る前、何度か振り返って再読したものではなかった。しかし、再読して改めて自分がゲーテの懐の深さを少しも理解していなかったことに気づかされた。次も「箴言と省察」からの引用だが、この解釈は少しばかり難しい。

「現在の世界は、われわれがそのために力をつくすだけの値打ちのないものである。なぜなら、いまある世界は、一瞬たてば滅びてしまうであろうから。われわれは過去の世界と未来の世界のために努力しなければならないのだ。すなわち、過去の世界のためには、その功績を認めること、未来の世界のためには、その価値を高めることをこころざさなければならない。」

この危機の最中、私も経済学を学んだ者として、コロナウィルス問題がもたらす世界的大不況に対してどのような対策を講じるべきかについて意見を求められることがあったが、それは「現在」あったはずの世界をなんとかして復元したいという関心が高かったからだろう。しかし、「現在の世界」というとき、ゲーテは、そんなことを考えていたのではなかった。手塚氏の文章を読んで疑問がとけた。「つまりここで「現在の世界」といわれているのは、「流行」「時流」「一時の成功」などの語と置きかえることができるのであって、そういう目先のことを目標にするなといましめ、現在の努力を、過去と未来、すなわち人間の長い歴史のために役立てることをすすめているのである。過去の功績を認めるのは、その遺産を受けて、それを生かしてゆくためである。おそらく、ゲーテは、眼前の時流に満足できないとき、こういう考え方で、現在の自分のいそしみを裏づけようとしたのであろう」と。

いわれてみれば、現在、「社会的距離」をとるために準備しているオンライン講義、ヴィデオ会議、テレワークなどは、技術的には、危機の前に十分可能になっていたものばかりだった。だが、それらを「有事」のためにあらかじめスタンバイしておこうという発想は薄かった。中国やアメリカなどで経済活動が強制的に自粛を余儀なくされたあいだ、都市の澄んだ空気が見事に蘇った映像をテレビ報道でみたとき、これまでの経済成長至上主義がいかに地球環境に負荷をかけてきたかを反省する契機にもなった。日本人の働き方も、満員電車に揺られて出社するという旧態依然からもっと早く脱して、21世紀にふさわしいものに変えていくべきではなかったか。そんなことがいろいろと頭に浮かんできた。在宅であろうと、本を読むのは自由である。昔読んだ本でも、こんなことがあったという参考になればと思って、急遽、求めに応じて一文を書くことにした次第である。

ねい まさひろ 京都大学大学院経済学研究科教授、経済学博士。
1962年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後,京都大学大学院経済学研究科博士課程修了。専攻は現代経済思想史。
『経済学の歴史』『ケインズを読み直す 入門現代経済思想』『経済学者の勉強術』『ものがたりで学ぶ経済学入門』など著書多数。

連載TOPへ


更新のお知らせや弊社書籍に関する情報など、公式Twitterで発信しています✨️ よかったらフォローしてください(^^)