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コロナブルーを乗り越える本 山下裕二

美術史家、山下裕二さんは40年以上、ファンであるマンガ家の作品を紹介。新型コロナウイルス感染の影響でポッカリ空いた昼間の時間に、マンガの世界観に思いを馳せます。

※この記事は、集英社インターナショナル公式サイトで2020年4月16日に公開された記事の再掲載です。

『李さん一家/海辺の叙景』

つげ義春/ちくま文庫

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美術史家という職業柄、昼間家にいることはほとんどない。少しでも時間があれば、美術館やギャラリーの展覧会に出かけるからだ。本を読んだり執筆するのは、もっぱら夜中。だから、こんな緊急事態で展覧会が軒並み中止・延期になると、昼間の時間を持て余す。
そこで、久しぶりに書棚から引っぱり出したのが、つげ義春のマンガ。いまから44年前、高校2年のときに出会って以来、私は熱烈なつげファンになって、その作品はすべて読んできた。「ねじ式」「紅い花」「長八の宿」「李さん一家」「ゲンセンカン主人」などなど……心に染みる名作は数々あるが、なかでも私がいちばん好きなのが、「海辺の叙景」である。
海辺で出会った若い男女。翌日再び会おうと約束するが、あいにくの土砂降り。もう来ないだろうと思った男性が帰ろうとしたその時、女性が駆け足でやって来る。そして、見開きにどーんと海が描かれる感動的なラストシーン……映画的手法を駆使して描かれた心理劇だ。そのなかで、主人公の男性は「東京のうす暗いアパートでじっとしていては想像もできないくらいいい気分です。こういう気持ちがいつまでもつづくといいんだけど」とつぶやく。
この作品が描かれた1967年当時、つげ自身が「東京のうす暗いアパートでじっとして」いただろうし、つげ作品を読みふけった大学生のころの私も、やはりそうだった。寝苦しい夜、つげ義春のマンガを何百回読んだことだろう。そして、その作品世界に没入することによって、どれほど救われただろう。
つげ義春作品は時代を超えて読み継がれ、いま、小さなブームというべき現象も起きている。つい先だって、『つげ義春日記』(講談社文芸文庫)が復刊されたし、4月からは『つげ義春大全』全22巻(講談社)の刊行もはじまるという。私自身は、2014年に『芸術新潮』の特集「つげ義春 マンガ表現の開拓者」でつげさんと対談し、その内容は『つげ義春 夢と旅の世界』(新潮社・とんぼの本)に再録されてもいるので、こちらもあわせて読んでいただければ幸いである。 

やました ゆうじ 美術史家。明治学院大学教授。
一九五八年、広島県生まれ。東京大学大学院修了。専門の室町時代の水墨画にとどまらず、縄文から現代美術まで日本美術に関して幅広く研究、評論活動を行っている。赤瀬川原平との共著『日本美術応援団』、橋本麻里との共著『驚くべき日本美術』ほか著書多数。

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