第2回 なぜ幽霊は人の姿をしているのか(後)
(前編より続く)
人は、人の顔を見出すことに長けているのです。
人が生きていくうえで、いち早く人を見出すことは、生存上の重要な課題だからです。群衆の中に親しい人を見つけ出すこと。暗闇にまぎれてこっそりつけ回す怪しい人の存在に気づくこと。人は、人とかかわりを持って生きる存在なのですから、相手が誰であるかの顔を見出すことはなによりも大切なことなのです。
「他人の顔が見えなくなる」障害とは?
こうした顔認識を支えるのが、人の顔や姿かたちを優先して処理しようとする、脳の仕組みです。
顔を見ることは大切なので脳の複数の場所が関与していますが、わかりやすいところでいうと、右の耳の奥の方に位置する上側頭溝(STS)があります。
脳卒中や脳血栓・脳外傷などでここに障害を受けると、顔が区別できなくなります。
脳の中の言語をつかさどる部分に損傷を受けると、言葉が不自由になる失語症となることは知られていますが、顔が見えなくなる障害はマイナーです。言葉をなくすと会話が成立しないのですぐに気づきますが、顔が見えない問題は目立たないのです。
しかし自分の周りの顔がすべて同じように見えてしまうのは不安ですし、親しい人の顔がわからなくなるのもつらいことです。
しかも妻や子供の顔がわからないなどとは、家族だからこそ言いにくいものです。家族の着ている服の色やネクタイの柄を、毎日覚えなければならない。そんな苦労があるのです。
赤ちゃんは顔が「好き」!?
人の特異な顔を見る能力は、驚くことに、生まれた時から備わっています。
赤ちゃんが親の顔を見て喜んでいるという直感的な印象は、心理学実験によって証明されています。
さかのぼること1960年代に、言葉の伝わらない赤ちゃんの認知能力を調べる実験の開発中、偶然発見されました。
そもそも言葉も通じない赤ちゃんにどのように意思の疎通をとって、なにをどのように聞きだすのか・・・赤ちゃんを対象にした実験ができるなんて不可能だと思われるかもしれません。
心理学者ファンツは、赤ちゃん特有の行動に着目したのです。
赤ちゃんが目の前にあるものを好んで注視する行動です。赤ちゃんは月齢に応じて特定の対象を好む性質があり、そこから赤ちゃんの認知能力を調べることができるのです。すべての赤ちゃんが好む素材を探し出している中で、新生児から生後6ヶ月児が顔を好むことを発見しました。
新生児の視力は、たったの0.02
心理学では言葉の通じないハトやラットなど動物の被験体が特定の対象を選択する場合、選好(英語でpreference)をあらわすものと定義しています。動物を対象とした実験にならった赤ちゃん向けの実験方法は「選好注視法」と呼ばれます。
実験で使われた顔は実物の母親の顔写真ではなくて、目鼻口が単純化されて描かれた線画の顔でした。なんで自然な顔じゃないのと言われそうですが、視力の悪い赤ちゃんにとってコントラストを目立たせた線画は見やすいのです。ちなみに新生児の視力は0.02程度、そんな新生児は極めてシンプルな、目鼻口だけの線画の顔を好んで注目しました。
新生児にはお母さんの顔はこんなふうに見えている
その後、新生児が本当に顔を好んでいるのかを調べる、より詳しい実験が行われたのです。たとえば白黒のコントラスがはっきりした目は、視力の悪い乳児にとっては目立つ特徴です。
そういうことから顔ではなくて目が選好を引きだしているのかもしれません。しかしそれでは新生児は目を好んでいるのであって、顔を好んでいることにはならないのです。
「へのへのもへじ」は日本伝統のパレイドリア?
顔という定義を決める上では重要なことなのです。
赤ちゃんの顔への選好を突き止めるため、福笑いのように目鼻口といった顔の特徴をバラバラにした図や、さかさまにした顔を見せ、赤ちゃんが正しい配置の顔だけを選好するのかが調べられました。その結果、顔を見た経験のない新生児でも、様々な図の中から正しい顔配置の顔だけを注目することが示されたのです。
さらに2000年代に入ってイタリアのグループが、より突っ込んだ特徴の分析を行いました。目鼻口の配置を変えるだけでなく、目や口の特徴を持たなくても、部分が上部に集まる「トップヘビ―(top-heavy)」な構造をした特徴に新生児が選好することを示したのです。前回もお話した、トップヘビーの法則の登場です。
これらのことから、顔としての配置こそが新生児にとって重要であることが実証されたのです。つまり、顔と見るカギは、目鼻口の位置。この位置があってさえいれば、たとえ目鼻口の形をしていなくても、顔として認識するのです。
前回もお話したように、胎内にこのトップヘビーのパタンで灯りが届くようにすると、胎児はそのパタンの方を見るという報告もあります。
大人が顔もどきに娯楽を感じるのも、赤ちゃんと共通した、人が顔を見つけ出すメカニズムによるものです。トップヘビーのパタンを見出すと、たとえそれが顔でなくても顔と誤認識する。
懐かしい「へのへのもへじ」の落書きに顔を見るのも、目鼻口の位置にそれらしきものがあって、その配置として顔とわかるのです。そしてそれは、枯れ木に幽霊を見ることもつながっています。幽霊が見えるという主張も、パレイドリアの行き過ぎた状態と同じように、顔が見えすぎているのかもしれません。
恐怖をつかさどる「扁桃体」
しかしそれは、時と場合によって、誰にでも起こりうることだと思います。肝試しをしたり、有名な幽霊スポットに行ったり、お化け屋敷に入ったりと、恐怖心があおられるようなとき、一人か二人くらいは幽霊を見たと騒ぎ出す人が出てくるのではないでしょうか。
よくよく観察すると、それは怖がりの人だったり、たまたま強く恐怖を感じていた人であったりするのではないでしょうか。
これも、顔に関する脳の働きがかかわっています。恐怖の感情をつかさどる扁桃体という脳の部位の仕業です。扁桃体は、蛇や蜘蛛といった気持ち悪いものや、恐怖の表情を見た時に活動します。
扁桃体に損傷がある患者に、表情を判断させる実験を行ったところ、目をかっと見開き歯をたてた恐怖の表情を見せられても、それが恐怖の表情だと判断できませんでした。
扁桃体は脳の原始的な部位に位置し、本能に近い恐怖の感情にかかわるのです。たとえば街中で血走った目でナイフを握り締めているような人を見たら、とっさの判断で逃げ出さねばなりません。怖い感情は、生死に直結するのです。
この恐怖をつかさどる扁桃体は、顔を見る脳の領域と密に連携しています。そのため扁桃体が反応すると、顔を見る脳の装置が過敏に反応するようになる可能性があります。
つまり、恐怖で扁桃体が活動して脳の顔を見る領域を刺激した結果、見えないところに顔を見出し、それは幽霊だと結論づけているかもしれないのです。
幽霊の存在に水を差すようですが、顔を見る脳が通常よりも過敏に反応しすぎたため、何もないところに顔が見えてしまっているだけなのかもしれません。
ホンダが作った「怖い顔のバイク」
最近の研究で、脳への刺激によって、見えないところに顔が見える証拠が示されました。
少々ショッキングな研究ですが、手術を受けている患者さんの脳を電気刺激して、その反応を調べたのです(腫瘍などのため脳を部分切除しなくてはならない状況では、切除する周辺を直接電気で刺激してその反応から、切除しても大丈夫かを慎重に確認するのです)。
患者さんの目の前に文字やバスケットボールを出して見せて、顔に反応する脳の領域を刺激しました。すると、文字やボールの中に急に顔が見えるようになったのです。なにもないところに顔が見えるのは、まさに脳の仕業というわけです。
子どもが交通事故に巻き込まれるのを防ぐため、10年ほど前に、扁桃体の性質を利用したバイクがホンダから企画されたことがありました。
上写真は、著者が取材を受けた「小学1年生」【小学館,2007】の記事
バイクや車を正面から見ると、ヘッドライトがちょうど左右二つの目となって、人の顔のように見えますが、この目に当たるヘッドライトを吊り上げ、怖い顔にするのです。怖い顔を見せれば、子どもたちがとっさにバイクを避け、交通事故を防ぐことができるのではと考えたのです。
このように、顔を発見するときには、表情も一緒に見えることがあります。先にお話しした認知症のパレイドリアでは、人物の様子を感情もまじえて詳しく説していました。
幽霊が見えると主張する人も、恨んでいる人がいるとか、感謝した人がいるとか、顔と一緒に表情も見えているようです。幽霊の存在は、人がいかに他人の顔や表情に敏感であるかを示すものといえるでしょう。
山口真美(やまぐち・まさみ)
お茶の水女子大学大学院人間文化研究科人間発達学専攻修了後、ATR人間情報通信研究所・福島大学生涯学習教育研究センターを経て、中央大学文学部心理学研究室教授。博士(人文科学)。
日本赤ちゃん学会副理事長、日本顔学会、日本心理学会理事。新学術領域「トランスカルチャー状況下における顔身体学の構築―多文化をつなぐ顔と身体表現」のリーダーとして、縄文土器、古代ギリシャやローマの絵画や彫像、日本の中世の絵巻物などに描かれた顔や身体、しぐさについて、当時の人々の身体に対する考えを想像しながら学んでいる。近著に『自分の顔が好きですか? 「顔」の心理学』(岩波ジュニア新書)がある。
★〈山口真美研究室HP〉
★ベネッセ「たまひよ」HP(関連記事一覧)