第13回 日本人はいつから「日本人」になるのか(前編)
日本人はなぜ「R」と「L」の聞き分けができないのか
この日本語の文章を読んでいる読者のほとんどは日本人だと思います。
では、その私たちはいつから日本人になったと言えるのでしょうか?
ちなみに、ここでいう「日本人」とは、日本人独特の顔形や姿(肌の色なども含む)を示す単語ではありません。国籍も関係ありません。日本人らしい〝ふるまい〟をする人たちのことを指します。もっと今どきの言葉を使えば、「日本人らしいメンタル」を持った人たちとも言えるでしょう。
たとえば日本人の典型的な特徴としてよく挙げられるのは「外国語が苦手」というのがあります。
英語であればネイティブのように流暢〈りゅうちょう〉にしゃべることが難しくて、どこか日本語風なイントネーションや構文になっているというのもその一つですが、特に英語の場合、日本語には無い、「R」と「L」の聞き分けや発音がからっきしダメ、ということが挙げられるでしょう。
right(右、正しい)とlight(灯り、軽い)、fry(揚げ物)とfly(ハエ)……多くの日本人が、自分は英会話がダメだと思う理由の、おそらく上位にRとLの問題が入ってくるのではないでしょうか。
RとLの聞き分けができないというのは、もちろん、日本人の特質と言えません。それはアメリカやイギリスで育った日本人の子どもたちが何の苦もなく、この2つの音の聞き分けができることを考えればすぐに理解できると思います。
そもそも、DNAレベルではアメリカ人やイギリス人と日本人はみな共通です。当然、耳の構造だって同じなのですから「日本人だからRとLを聞き分けられない」ということはないはずです。
しかし、実際にはほとんどの日本人はRとLが聞き分けられない。その理由はどこにあるのでしょう。
そのヒントは、赤ちゃんが教えてくれます。
「ユニバーサル仕様」の赤ちゃんの耳
なんともうらやましいことに、生まれたばかりの赤ちゃんはヒアリングのコンプレックスとは無縁の世界にいます。生まれたばかりの赤ちゃんの耳は、ユニバーサル仕様なのです。
さまざまな国の赤ちゃんを対象とした実験から、生まれたばかりの赤ちゃんは、世界中のあらゆる言語の子音や母音を聞き取る能力を持つことが分かっています(もちろん世界中すべての言語で確認してはいるわけではありませんが)。
子音や母音が多くて最も複雑といわれているヒンディー語を、いちども聞いたことのない英語圏の赤ちゃんが聞き取れるかを調べる実験が行なわれたことがあります。
それによれば、ヒンディー語を話す地域に住む赤ちゃんも英語圏の赤ちゃんも、生後半年頃までは、英語もヒンディー語も分けへだてなく聞き取れることがわかりました。同様の実験は、さまざまな国のさまざまな言語で行なわれています。そしてどこの赤ちゃんたちも、同じ能力を持っていることが分かっています。
ところが、ユニバーサル仕様だった赤ちゃんのヒアリング能力は、生後1年近くになると失われるのです。誕生後1年近くなると、赤ちゃんの耳は、それこそ「母国語」専用になるのです。先ほどの実験でも、生後1年以後の英語圏の赤ちゃんは英語圏の大人と同じように、聞きなれないヒンズー語の聞き取り能力を失いました。
この結果は、さまざまな国の赤ちゃんを対象にさまざまな言語で再現されています。そして日本人の赤ちゃんでいえば、生後1年を境にして日本人が不得手〈ふえて〉とするRとLを区別する能力を失うのです。
日本人が「日本人」となるのは、言語的に見れば、この「生後1年」の時期だと言えるでしょう。
どうして外国人はみな同じ顔に見えるのか
さらにこのことを補強するものとして、顔認知の発達があります。人の顔を区別することにも同じような発達的変化がみられるのです。
たとえば日本人は、外国人の顔の区別は苦手です。
みなさんも、海外の映画やドラマを見ていて登場人物が分からなくなった経験はありませんか?
ことに、たくさんの人物が入れ替わり立ち替わり登場するような映画などは、途中で誰が誰か分からなくなってしまいがちです。ミステリー映画などでは話の筋そのものが分からなくなってしまうこともしばしばです。
最近ではインドやイランなどの映画もネット配信などで簡単に見られますが、そうした映画でもみんな同じに見えるという人は少なくないでしょう。
しかし、一方で日本の2時間ドラマや映画であれば、かなり地味な脇役の顔でもしっかり記憶できるのではないでしょうか?
よく「洋画は苦手」と言う人がいますが、それは多くの場合、外国人の顔の区別や記憶が苦手なせいだろうと推察されます。でも、それこそ、あなたが「日本人」である、一つの証拠だとも言えるのです。
と言っても、顔の認知に関しては「慣れ」が大きく関係してきます。
ハリウッドのセレブが好きの人ならば、いわば「顔のバイリンガル状態」になっていて、そういう興味のない人には同じように見えるブロンド美女でも区別が付きます。
私が教えていた、韓流アイドル大好きの学生さんは「『韓国のアイドルは同じ顔で、区別がつかない』って言われるのが、一番むかつきます。見てくれれば、ちゃんと区別できるのに!」と腹立ちまぎれに話してくれました。
なんと羊の顔まで区別できる赤ちゃんの驚くべき能力
しかし、生後半年くらいまでの赤ちゃんの場合、大人のようにハリウッド・セレブや韓流スターの大ファンにならずとも、楽々と顔の見分けができるのです。これもまた「ユニバーサル仕様」というわけです。
しかも赤ちゃんの場合、その認知能力は〝種〟までをも超えています。
たとえば、大人の目からは同じように見えてまったく区別できない、サルや羊の顔も赤ちゃんは区別が出来ることが実験で明らかになっています。
この実験では、赤ちゃんには新しもの好きの性質があることを利用します。赤ちゃんは見慣れたものよりも、初めて自分が出会うものに対して、強い興味を示して、その対象をじっと見つめる(注視する)傾向があるのが分かっています。赤ちゃんは言葉で表わすことはできませんが、態度で表わしてくれるのです。
そこで、まず赤ちゃんに見知らぬ女性Aの写真を何度も見せて、その顔を記憶させます。その後、ふたたびAの写真と、別の女性Bの顔の写真を見せるのです。もし、赤ちゃんがBの写真をより長く注視するのであれば、その赤ちゃんはAとBの女性を区別できるということが分かるというわけです(最初に紹介した「赤ちゃんの耳はユニバーサル仕様」というのも同じ方法で調べています)。
実験の結果、赤ちゃんは間違いなく女性の顔を区別して見ていることが分かったのですが、この実験を応用して、生後半年以下の赤ちゃんがサルの顔を区別できるかを調べてみたところ、ちゃんと区別できることが分かったのです。
私たち大人が見たら、ほとんど区別の付かないサルの顔写真ですが、赤ちゃんはあるサルの顔写真を覚えた後で、別のサルの顔写真を見せると、別の顔を注視したのです。
驚いたことに赤ちゃんは羊の顔も、同じように区別できました。
サルの顔ならともかく、羊の顔など普通の人はまず区別できないでしょう。ましてや赤ちゃんに「この羊の顔を覚えてね」と頼んだわけでもないのに、赤ちゃんは最初に見せられた羊の顔を覚えていて、新しく見せられた羊の写真が違うものだと分かると、じっと見たのです。
ここで重要なことは、幼い赤ちゃんはサルも羊も人の顔も、分け隔てなく区別できたという点にあるのは言うまでもないありません。赤ちゃんの顔を見る能力が、ユニバーサル仕様であるという証拠です。
生後1年で赤ちゃんは「日本人」になる
しかし、この能力も生後半年までの時期に限ったことで、生後1年も経つと失われてしまい、人の顔だけしか区別できなくなります。
そればかりか、生後1年の赤ちゃんが区別するのは「身近の人」の顔だけになってしまいます。つまり、日本の赤ちゃんならば日本人の顔の区別は付くけれども、外国の人の顔は同じように見えて、区別がつかなくなるのです。
言語と顔にみられたこれらの現象を専門用語では「知覚的狭小化(ちかくてき・きょうしょうか perceptual narrowing)」と呼びます。生まれた時に持っていた幅広い聞き分け(顔の見分け)が、発達に伴って自分の身の回りの聞き分け(顔の見分け)に狭まっていくことを指します。
文化を越えたオールマイティな能力を生まれながらに持つことは、言葉と顔に共通するのです。生まれてわずかの間、あらゆる国のあらゆる言葉や顔を見分け、聞き分けることができる。そしてそれがわずか生まれてから1年という期間で、言葉も顔も、身の回りの環境に限定される──これこそが「日本人になる」ということなのだと思います。
しかし英語のヒアリングに苦労している大人の立場からすると、赤ちゃん時代に持っていたオールマイティなヒアリング能力を失うことは不条理にうつるかもしれません。生まれた時の能力をそのまま残したいと思う人もいることでしょう。とはいえしかし、それは現実的ではないのです。
というのも、生まれた時の聞き取り能力には限界があり、万全なものではありません。
たとえば、誰もがテレビのアナウンサーやキャスターのように分かりやすい日本語で話してくれるわけではありません。現実の世界には方言もあるわけですし、滑舌〈かつぜつ〉の悪い人もいます。
そうした言葉に接したときにうまく聞き取りができるためには、自分の環境で使われている言葉、つまり母国語に特化したヒアリング能力が必要です。世界中の音声を聞き分ける能力よりも、母国語の聞き取りができる能力を赤ちゃんは選ばないといけないのです。
そこでその社会でめったに使われない母音や子音の聞き取り能力は捨てないとならないのだろうと考えられています。
言語と顔認識との共通点とは?
それにしても、耳で聞く言語と目で見る顔という、まったく異なる認識能力が同じように発達していくというのは、興味深いことです。顔の認知は右脳の側頭部〈そくとうぶ〉、言葉の認知は左脳の側頭部で処理されます。脳のまったく違う場所が、連動して発達しているということになります。
しかし、言語と顔認識がコミュニケーションに必要な能力だと考えると、その「謎」が解けます。
ヒトの赤ちゃんに限らず、生命体が生き延びるためには自分の置かれた環境に適応することがきわめて重要です。
言葉の習得は、社会で生き延びるために必要不可欠な能力であるのは言うまでもないでしょう。
それと同様に、相手の顔を認識することも、社会の中でうまく生きていくためには必要不可欠です。
顔認識は単に、自分の家族や友だちと、それ以外の人たちとを区別するというだけでなく、相手の表情を読み取るということにつながっています。
相手が今、どんな気分なのか、ことに相手が自分に対してどのような気持ちを持っているのかを微妙な表情の変化から知ることは、他人との摩擦を減らすうえで重要な能力です。
たしかに直接会わなくても、電話やメールだけでも用件を済ませることはできます。しかし、本当に重要な用件は、直接会って話をすることが求められます。
SNSで知り合った人と結婚したという話もしばしば聞きますが、やはり結婚するかどうかの最後の決め手は直接、相手と会って話すことではないでしょうか。相手の顔を見て、その表情を見て話すことは、どんなにたくさんのメールのやりとりをするよりも、相手を深く知るには必要なことだと思います。
ビジネスでもきっと同じことが言えるでしょう。会社にとって重大な契約をするのに、書面のやりとりだけ済ませるということはありえないでしょう。やはり交渉相手の顔を見ないと、本当に信用していいのか安心できないというものです。
このコロナ禍でリモート・ワークが急速に普及したのも、ちょうどノートブックパソコンやスマホがZoomなどのサービスを簡単に使える段階になっていたことは大きいと思います。Zoomを使えば、リモート会議でもみんなの顔を見ながら話せます。もし、これが音声だけのリモート会議しかできないのであれば、「それでは不安だ」ということになったのではないでしょうか。
人間が社会を維持するためには、コミュニケーションが必要なのは言うまでもありませんが、そのコミュニケーションが成立するうえで、言葉と表情が組み合わさることはとても大きな意味があるというわけです。だからこそ、赤ちゃんの言語の発達と、顔認識の発達がシンクロするのは、必然的なことだったのです。
赤ちゃんは「社会」の中で成長していく
さて、そこで最初の設問に話を戻せば、コミュニケーションの面から考えると「日本人が日本人になるのは生後1年から」ということになるでしょう。
言い換えれば、日本という社会の中で生きていくうえで必要不可欠な能力──言語と顔認識──が身につくのはその頃からだということです。
日本人が日本人らしくなるのは単に両親が日本人であればいい、というわけではありません。たとえ日本人の両親を持ったとしても、その子がどのような社会の中で生きていくかによって、その子の「らしさ」は変わってくるのです。
その子がアメリカで生まれれば──アメリカと一口に言っても、都市部と地方ではまったく社会の成り立ちが違うのですが──、その子は言葉も行動もモノの見方もアメリカ人らしくなっていくでしょう。
もちろん両親の影響もあるでしょうが、しかし、それよりも大事なのは与えられた環境(社会)の中でうまく生き抜くことですから、学校などで他のアメリカ人とうまくコミュニケーションができないと困ります。それには「アメリカ人らしく」なることが大事、というわけなのです。
山口真美(やまぐち・まさみ)
お茶の水女子大学大学院人間文化研究科人間発達学専攻修了後、ATR人間情報通信研究所・福島大学生涯学習教育研究センターを経て、中央大学文学部心理学研究室教授。博士(人文科学)。
日本赤ちゃん学会副理事長、日本顔学会、日本心理学会理事。新学術領域「トランスカルチャー状況下における顔身体学の構築―多文化をつなぐ顔と身体表現」のリーダーとして、縄文土器、古代ギリシャやローマの絵画や彫像、日本の中世の絵巻物などに描かれた顔や身体、しぐさについて、当時の人々の身体に対する考えを想像しながら学んでいる。近著に『自分の顔が好きですか? 「顔」の心理学』(岩波ジュニア新書)がある。
★山口真美研究室HP
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