コロナブルーを乗り越える本 神島裕子
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コロナブルーを乗り越える本 神島裕子

神島裕子さん(哲学者)は現在、われわれが抱えている不満に寄り添ってくれる2冊を紹介。一人ひとりに対する敬意、苦しんでいる人の言葉を聞き取るための努力の大切さに気づかされます。

※この記事は、集英社インターナショナル公式サイトで2020年4月30日に公開された記事の再掲載です。

『市民の反抗 他五篇』

H.D.ソロー、飯田実訳/岩波文庫

市民の反抗.bk

コロナ禍は誰しもの日常生活を一変させ、私たちをブルーな気持ちにさせています。以下では、多くの人が現在抱えているだろう不満に寄り添ってくれる二冊を紹介します。

まず、国民の生活を保障する政策になかなか踏み切らなかった政府への不満があると思います。「現金10万円の一律給付」も決定に至るまでに迷走しました。政府の財源の半分強は私たちが納めた税金なのに、そこまで出し渋るならもう税金なんて払いたくない──そう思っている人もいるかもしれません。

19世紀アメリカの講演家でありエッセイストのヘンリー・デイヴィッド・ソローは、本書のタイトルにもなっているエッセイ「市民の反抗」の中で、時のアメリカ政府をのびやかに批判しています。奴隷所有を認め、またメキシコに戦争を仕掛けていた政府は、人間の良心に反することをしていると、ソローは考えたのです。そもそもソローは小さい政府を支持していましたし、また『ウォールデン 森の生活』で知られるように独立独歩の人でしたので、いらないことをする政府に対して怯むことなく筆を進めています。「私は、ただちに政府を廃止しようと言いたいのではなく、ただちにもっとましな政府をつくろう、と言いたいのである。ひとりひとりの人間に、尊敬できる政府とはどういうものかを表明してもらえば、そのことが、もっとましな政府をつくるための第一歩となるだろう」という思いを込めて。

ソローはその表明の手段として、選挙よりも個人の常日頃の行動を重要視しました。「賢者は…多数者の力によって正義が勝つことを願ったりはしないもの」であり、個人は「単なる一片の投票用紙ではなく、自己の影響力のすべてを投じるべき」だからです。「自分が非難している不正には手を貸さない」という原理原則に基づいた行動あるのみ。ソローは、生まれ故郷のマサチューセッツ州に対して、戦争と奴隷制度を放棄するか正しい人間を獄中に閉じ込めるのかの二者択一を迫ろうと、人頭税の支払いを6年間も拒否していました。そしてある日、歩いている途中に知り合いの保安官兼収税吏に支払いの件で親切に話しかけられるも、喧嘩腰に断ったため投獄されたのです。すぐに誰かが「いらぬおせっかいをして」代わりに支払ってしまったため、牢獄生活は一晩だけでしたが。ソローにとって人頭税の支払い拒否は、不正な州政府に対する「宣戦の布告」なのでした。

ただしソローは、隣人(同胞市民)のために「公道税」の支払いを拒んだことはなく、地域の教育活動にも一役買っていたようです。また、政府についてはできるだけ考えないことでその支配を受けないようにするという、超然とした構えも貫こうとしていました。それでもなおソローは「市民の反抗」の最後でこう述べています。「すべての人間に対して正しい態度でのぞみ、ひとりの人間を隣人として敬意をこめて扱う国家が、ついに出現する日のことを想像して、私はみずからを慰めるものである」。

何よりもまず「お肉券」の配布を検討した政府は、一人ひとりの市民に対する敬意にかけているように思います(そもそもベジタリアンが無視されています)。現実には税金なんて払わないとは言えないけれども、せめて本を読んでいる間くらいは、ソローと共に〈市民として自分はどんな反抗をすべきなのか〉を想像してみたいものです。

『なぜならそれは言葉にできるから 証言することと正義について』

カロリン・エムケ、浅井晶子訳/みすず書房

なぜならそれは言葉にできるから.bk

また、話がなかなか通じない相手と一緒に過ごさねばならない時間が増えたことへの不満もあるかもしれません。聞いても答えてくれない。誤りを指摘すると不機嫌になる。会話が成立しない。理路整然と話してくれない。辻褄の合わないことを言う。すぐ感情的になる、などなど。

ドイツ出身のジャーナリストで著述家のカロリン・エムケは、本書のタイトルにもなっている「なぜならそれは言葉にできるから 証言することと正義について」において、絶滅収容所への収容、誘拐、戦争下での虐待といった「極度の権利剥奪および暴力」にさらされた人々(証人)が、私たち(被害を受けなかった外部からの証言者)に語ることを可能にするために、私たちは何をしなければならないのかを考察しています。語る能力を奪われた被害者は沈黙し、あるいは脈絡のないことを語ります。彼らへのインタビューや語りの記録の精読からエムケは問います。
「世界からも自己自身からも疎外され、単なる物体へと収縮した人間が、どうやって言葉を見つけられるというのか?」 

被害者は尊厳の喪失、恥の感覚、あるいは世界への信頼の喪失によって沈黙しているのかもしれない。そのような彼らに語りを期待することは酷であり、また「語り得ぬもの」の冒涜であるのかもしれない。でもエムケは、人間は他者との会話によってはじめて自分のアイデンティティを持ち、さらにそれを編みなおしてゆくことができる存在であるという哲学に基づいて、また沈黙を礼賛することは「不正と暴力を不可避的に神聖化する」ことにつながるという確信に基づいて、「それでも語る」ことが、被害者が「非人間化された状態から回復する」うえで重要であると説いています。

大切なことは、聞き手であり、語り継ぐ者である私たちが、被害者の信頼を勝ち得るために努力することです。エムケは次のように述べています。
「「それでも語る」ことは、受け取り手が語りに完璧さや首尾一貫性を求めるナイーブさを捨てることでしか、実現しない。被害者たちの語りは、間違いや謎を含んでいる。彼らの体験は、それが個人的なものであれ集団のものであれ、語られることで密度を増し、現実の体験そのものよりも高い整合性を持つようになるかもしれない。または、語られることで消耗し、より断片的になるかもしれない。いずれにせよ、それは必ずしも直線的な語りではないし、ましてや完結した語りではありえない」。

いま目の前にいる人は、「極度の権利剥奪および暴力」の被害者ではないかもしれません。そのため本書を持ち出すことは大袈裟な気がします。でも誰もがこれまでどこかで語る能力を奪われたことがあるでしょうし、なかにはそもそも語る能力を育む機会を持てなかった人もいるでしょう。聞き手である私たちのいま少しの忍耐力が必要なことを、エムケは教えてくれます。そしてコロナ禍においては、誰もが未知のウィルスへの恐怖や、先行きへの不安を覚えています。その意味で、いま目の前にいる人は、私たちの聞き手でもあります。私たちの語りや沈黙などと向き合ってくれているのですから。こんな時だからこそ、「お互いに言葉にし合うこと、語り、耳を傾けること」が必要なのかもしれません。

かみしま ゆうこ 哲学者。
立命館大学総合心理学部教授。1971年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程(国際社会学専攻)修了。博士(学術)。
著書に『正義とは何か』『ポスト・ロールズの正義論』、訳書に『正義論 改訂版』(ジョン・ロールズ著)などがある。

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