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コロナブルーを乗り越える本 清水克行

歴史家、清水克行さんが紹介する本には、ヨーロッパが覇権を握った理由のひとつとして「病原菌」を手に入れたことが挙げられています。清水さんは、さらに日本史での例を紹介。歴史にはコロナ禍とポストコロナへのヒントと教訓があります。

※この記事は、集英社インターナショナル公式サイトで2020年4月12日に公開された記事の再掲載です。

『銃・病原菌・鉄(上・下)』

ジャレド・ダイアモンド、倉骨彰訳/草思社文庫

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2000年から2009年にかけての「ゼロ年代の50冊」(朝日新聞)の第1位にも選ばれた、言わずと知れた名著である。
なぜヨーロッパだけが世界制覇に成功したのか? この人類史上最大の難問を解決するべく、著者のダイアモンド氏は様々な科学的なデータを駆使して考察を深めていく。その結果、行きついた答えが「銃」と「病原菌」と「鉄」。この三つを手に入れることに地政学的に最も有利であったことが、その後のヨーロッパの覇権を確立させる最大の要因となったのだ、というのが本書の骨子である。
さて、日本国民全体が新型コロナ・ウィルスの恐怖にさらされている昨今、この著作で最も目を引くのは、「銃・病原菌・鉄」のうち、当然、二つめの「病原菌」だろう。ヨーロッパを発祥地とする数々の病原菌は新大陸の人々を死地に追い込み、その犠牲者数は人類史における戦争による死者の数を上まわるという。病原菌こそは、ヨーロッパ文明がもたらした史上最悪の災厄だったと言っていいだろう。
麻疹(はしか)が牛疫(ぎゅうえき)のウィルスに起源をもち、インフルエンザが豚やアヒルに起源をもつと言われるように、多くの病原菌は人間と動物の接触のなかで生まれていったとされている。つまり、病原菌は地球上どこにでも均一に生まれるものではなく、まずは動物をいちはやく家畜化することに成功した土地から広まるという特性をもっている(今回の新型コロナは、家畜ではないがコウモリ由来という説が有力である)。また、病原菌が広まるには一定以上の人口の密集がなくてはならない。動物の家畜化と人口過密、つまり文明化していることが、病原菌発生の条件なのである。その意味では、前近代社会においては病原菌は〈文明〉から〈辺境〉へ、というベクトルで広まっていく性質をもっている。
ダイアモンド氏の著作では、日本史についてはほとんど言及するところはないが、この見立ては日本の歴史にも、ある程度あてはまる。古代以来、日本社会では「疫病は大陸からやってくる」という認識をもっており、事実として、日本史上の大きな疫病はほとんど中国や朝鮮半島経由でやってきていた。
平安時代も終わりの西暦1171年、中国から三匹の羊がもたらされた。この珍しい生き物は、多くの人々にもてはやされ、ついには後白河上皇の御所にまで参上し、叡覧(えいらん)に供された。ところが、その直後、国内で疫病が蔓延する。人々はこれを羊が持ち込んだ病と考え、この疫病は「羊の病」と呼ばれることになる。それまで羊をもてはやした人々は、一転して、これに恐怖し、羊は中国に追い返されてしまったという(『百練抄(ひゃくれんしょう)』)。
また、それから8年後、またも新たな疫病が流行する。このときは、中国から銭の輸入が活発化していた。当時、日本政府はみずから貨幣を鋳造せず、中国銭を通貨として大量に輸入していたのである。そのため、人々は、こんどはこの疫病を「銭の病」と呼んでいる(前掲『百練抄』)。疫病は、大陸からの先進文物とともに渡来するということを、当時の人々も皮膚感覚で認識していた証しだろう(なお「銭の病」については、疫病ではなくインフレーションを意味するという説もある)。
南北朝時代ともなると、こうした認識はかなり明確なものとなる。1345年、京都では咳をともなう疫病が流行し、光厳(こうごん)上皇までもがこれを患う事態となっている。このとき公家の一人は、その日記に「中国への貿易船が帰ってきたことで、この疫病が流行った」という世間の噂を書き留めている(『園太暦(えんたいりゃく)』)。すでに疫病流行のメカニズムは、当時の人々に理解されるようになっていたのである。
古くは飛鳥時代、仏教が初めて伝来したときも、その直後に疫病が流行している。また、奈良時代には天然痘が流行して、時の実力者だった藤原武智麻呂(ふじわらのむちまろ)はじめ藤原氏の四兄弟が次々と命を落としているが、これも遣新羅使(けんしらぎし)などによる大陸交流の活発化と関連があるとされている。さすがに新大陸とは違ってユーラシア大陸に接していることもあり、日本の場合は、ある日突然現れた外国人が持ち込んだ感染症によって、日本の人口の何分の一が失われた、などという劇症型感染の話は伝わっていない。しかし、ダイアモンド氏の著作に触れたり、現今のコロナ禍を目撃してしまうと、日本列島も「世界史」と繋がっているという印象を改めて強くもつ。ユーラシアの〈辺境〉である日本は、感染症もつねに受け手の側だったのである。
ただ、歴史の教訓として、ひとつ私たちが心しておかねばならないことがある。それは、こうして多くの感染症が国土の外部からもたられるという地政学的な環境のために、日本史上では、しばしば感染症の問題が外国に対する排外主義的な言動に結び付きやすいという性向があったことだ。有名なところでは、仏教伝来直後の疫病流行では、仏教反対派が仏教と疫病を結び付けて勢いづき、寺院や仏像の破壊活動に乗り出している。新たな疫病に「羊の病」や「銭の病」という名づけを行う中世の人々の心にも同様なものがあったに違いない。感染症は目に見えないだけに、素朴な恐怖感情を刺激しやすい。すでにWHOによって禁じられているにもかかわらず、新型コロナ・ウィルスに発生地の名前を冠することを頑なに主張する一部の人々の言動を思えば、これは決して過去の話とばかりは言えないだろう。科学に学び、歴史に学び、感染症を「正しく恐れる」ということが、いまほど求められている時はない。

しみずかつゆき 歴史家。明治大学商学部教授。専門は日本中世史。
1971年、東京都生まれ。2016年~17年、讀賣新聞読書委員。著書に『喧嘩両成敗の誕生』、『日本神判史』、『耳鼻削ぎの日本史』、『戦国大名と分国法』など。ノンフィクション作家高野秀行との共著に『世界の辺境とハードボイルド室町時代』『辺境の怪書、歴史の驚書、ハードボイルド読書合戦』などがある。NHK『日本人のおなまえっ!』などの番組監修やコメンテーターも務める。

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