#005 好きなことを続けていたら最優秀助演女優賞にノミネート【ベトナム】/世界ニホンジン探訪~あなたはどうして海外へ?~
お名前:中谷茜理さん
ご職業:YouTuber・女優
在住地:ホーチミン(2016年〜)
出身地:大阪
YouTubeチャンネル:https://www.youtube.com/@aNcariRoom
大学時代に出会った親友の母国
――ベトナムとの出会いを教えてください。
大学時代に出会ったベトナム人の友人がきっかけです。合気道部で出会ってすぐに仲良くなり、卒業するまで一緒に住んでいました。彼女と出会わなければ、いま私はベトナムにはいないと思います。
――素敵な出会いですね。でも、なぜベトナムに「住もう」と思ったんですか?
学生時代に就活もしたんですが、どうしても合わなくて。ちょうど周りが就職活動で一番忙しい4回生の夏、そのベトナム人の友人が期間限定のベトナム料理店を開くことになったので、一緒にはじめたんです。「就活の時期だからやめた方がいいのかな」という不安はありましたが、やり切ったら何かが見えるような気がして。そんな中「ベトナムに行くという選択肢もあるんだ」と、ふと思ったんです。彼女と出会うまではベトナムという国に興味もありませんでしたが、彼女と生活を共にしベトナム料理屋も一緒にやっていくうちに、気づいたらベトナムという国が私にとって身近で重要なものになっていたんです。
とにかくまずは言語
――移住の経緯をおしえてください。
現地の言葉をしっかり学ぶことからはじめました。学生時代に親友の彼女が大学で日本語を習得して、日本人と深い関係性を築いていく様子を見ていたので、彼女のようにまずは現地の言葉を知る必要があると感じてたんです。
――どれくらいの期間勉強されたんですか?
ゆっくり1年間勉強しました(笑)。大学時代に節約して貯めたお金で、ベトナムの語学学校に留学をしました。そのころ、YouTubeもはじめました。
――YouTubeでの発信をはじめたきっかけは何だったんですか?
ベトナムでの体験をシェアしたり、ベトナムに日本のことを紹介したり、あとは歌を歌ったりすることで、ユニークなお仕事に繋がればいいなと思って。私、文章を書くのが得意ではないのでブログより動画かなと。言葉がすぐに出てこなくても、表情で伝わるものもあるじゃないですか。でも、動画も撮った経験がなかったですし、最初は本当に手探りでした。そもそも自分を撮るってすごく恥ずかしいし。ただ、発信するたびにわたしでもゼロからなにかをはじめられるんだ、という小さな自信が少しずつ付いていったんです。
ベトナムで最優秀助演女優賞にノミネート
――現在のチャンネル登録者は17万人以上ですが、メインのお仕事はなにをしてるんですか?
メインはインフルエンサー活動ですね。YouTubeで動画をつくって発信したり、ステージで歌ったり司会をしたり、あとは映画にも出演しました。
――ベトナムの映画祭で最優秀助演女優賞にノミネートされましたよね? 女優としてデビューすることになった経緯を教えてください。
知らない人からメッセンジャーで「映画のオーディションにきてみない?」って連絡がきたんです。当時はベトナムにきて4年くらい経過していて、あまり新しいことに挑戦できていないタイミングだったんです。1年目はイケイケでなんでも挑戦していたんですが、徐々に自分にできないことにも気づいていったというか。YouTubeの更新頻度も他のユーチューバーさんに比べて少なかったですし、すこし悪循環に入ってたんです。父親にも「そろそろ日本に帰ってきてもいいんじゃないか?」って言われて、どうしようかなと思っていました。そんなときにオーディションの連絡があって、なんか面白そうだったので行ってみることにしたんです。じつはすごい有名なベトナムの作曲家を描いた映画で、彼と婚約する恋人役のオーディションだったんです。
――すごい話ですね。無事にオーディションに合格されたんですね。
そうですね。ただ、歌は趣味でやってましたが、演技は全くの未経験だったので基礎を学ぶためにレッスンに2ヶ月半ほど通いました。その過程で言語の壁もあって悔しい想いもしましたが、最終的に選んでいただけました。映画出演をきっかけにハノイのオペラハウスでフック国家主席(当時)の前で歌う機会をいただいたり、なんだかいろんな機会や幸運に恵まれたおかげなので、ほんとすべてに感謝したいです。
新しいことを受け入れる社会
――YouTubeなどでの発信活動で文化の違いを感じることはありますか?
一番感じるのは、叩いてくる人がほとんどいないことですね。日本でYouTubeの発信をしていないから比較はできないけど、「私個人に対する」ネガティブなコメントはゼロで、ほとんどがポジティブ。そのおかげで、もともと私は自信がないタイプだったんですけど、ありのままでいていいんだって思えるようになりました。ここまで続けられているのもベトナムの方々のおかげだと思います。
――とくに嬉しかったコメントとかありますか?
「ベトナムを好きになってくれてありがとう」って言ってもらうことも多くて、それは素直に嬉しいですね。
――なんでネガティブなコメントが少ないんですかね。
これは想像なんですけど、新しいものを肯定的に捉える人がすごく多い印象があります。とくに南部なんですが、外国文化のいいところを自分達で取り入れていくのが当たり前。たとえばスマホに関しても、日本のご年配の方だと「わからない」と言って避けてしまう人もいると思うんですが、ベトナムはたくさんの年配の方がスマホを使ってます。新しいもののいいところを見つけて受け入れていくっていうのは、そういうところに繋がっていくのかもしれないですね。
ボディタッチが激しい
――生活の中で感じたカルチャーショックがあれば教えてください。
これは私が居候させてもらっていたベトナム人の友人家族が特徴的なだけかもしれないんですが、コミュニケーションの一環としてお尻を叩いたり腕を噛んだり、くすぐったりなど、子どもの頃に兄弟姉妹と遊ぶときのような感覚で接するのは驚きました(笑)
――たしかにお尻叩かれるのは驚きますね。
私、小さい頃お母さんに怒られるとき、よくお尻を叩かれてたんです。当時はそれが本当に嫌だったから、こっちにきて気軽に叩かれたときはびっくりしました。ただ、それは彼らのコミュニケーションのひとつなので、回数を繰り返していくうちに家族の愛情表現として感覚的に受け取ることができるようになりました。
――結構物理的な距離感が近いのかな。
そうかもしれない。道でおばあちゃんとかに挨拶したら、手を組んでくれたり、手を繋いだりしてくる方もいる。日本だと初対面で手を繋ぐこととかないですからね。そこはちょっと違う気がしますね。
なにもしない男性が多い理由とは?
――日本との違いを感じる瞬間はありますか?
女性が強いですよね。いわゆる「かかあ天下」みたいな人が多い気がします。実際に女性の管理職率もすごい高いですし、道を歩いてても家の建設現場とかに女性が普通にいたりするんです。コンクリートをつくる作業とかかな? そうした職場で女性が働いているシーンを普通にみかけるので、とても感心してます。
――すごいですね。逆になにもしてない男性とかたくさんいますよね。
そうそう。朝からコーヒー飲んで、新聞を広げてる男性がすごい多いんですよね。ちょうどいまこっちの大学院でベトナムに関する、歴史、地域学、文学、国際関係、経済、文化比較、言語など様々な分野を勉強してるんですけど、その過程で、ベトナムの少数民族文化の一部に、女性を中心とした母系制(母方の血筋によって家族や血縁集団を組織する社会制度)を採用していた文化があったことを最近学びました。ひょっとすると、長い歴史における民族の交流の中で、ベトナムの文化としてその名残がいまでも残っているのかもしれませんね。じゃ、男性なにしてんの? って話なんですけど、男性の役割は「原材料を取りに行く」という重要な役割を担っていたらしい。たとえば、魚を釣りに行くとか、木材を取りに行くとか。その後は基本的に女性がする文化があったとか。
日本の読者に向けて
――今後の活動について教えてください
今年に入ってから、ベトナムの友人と会社を立ち上げました。自分1人でできることに限界を感じたので、チームとして動いていけたらなと。まだ企画段階ですが、日本語やベトナム語の教育にも力を入れていきたいと考えています。他には、演技や歌など表現する機会をいただいた経験を活かして、これからも様々なことに挑戦していきたいですね。ベトナムの言葉で「自分が職業を選ぶのではなく、職業が自分を選ぶ」っていう言葉があります。正直、会社もキャリアもどうなるかわからないことだらけですが、ご縁とか運に従って生きていきたいです。今までそうだったように、これからも。
――海外に住むことに興味がある人にアドバイスがあれば教えてください。
海外に行ってみたいのであれば「行っちゃえ〜!」って感じですね。本当に。ただ、「出なきゃ」って強制されている感覚なら全然出る必要はないと思います。私の場合はベトナムのほうが自分が明るくなれて、ありのままでいられるから住んでるけど、それは人によります。どちらがいいとかではなく、どっちが自分に合うか。「海外でも生活できる」っていう選択肢を持つことはすごくいいと思います。やっぱり日本の生活しか知らないと縛られちゃうけど、両方を知った上で、どちらも選べるっていう状態がいいですよね。
取材:2023年2月
写真提供:中谷茜理さん
※文中の事柄はすべてインタビュイーの発言に基づいたものです
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聞き手
おかけいじゅん
ライター、インタビュアー。
1993年東京生まれ。立命館アジア太平洋大学卒業。高校時代、初の海外渡航をきっかけに東南アジアに関心を持つ。高校卒業後、ミャンマーに住む日本人20人をひとりで探訪。大学在学中、海外在住邦人のネットワークを提供する株式会社ロコタビに入社。同社ではPR・広報を担当。世界中を旅しながら、500人以上の海外在住者と交流する。趣味は、旅先でダラダラ過ごすこと、雑多なテーマで人を探し訪ねること。