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#038 「勝ち組/負け組」の生まれづらい社会【フィンランド】/世界ニホンジン探訪~あなたはどうして海外へ?~

お名前:Hideさん
ご職業:建築家(現在は引退)
在住地:エスポ―(1975年~)
出身地:神奈川

「無銭旅行」でたどりついたフィンランド

――Hideさんは在住歴50年と長期間ですが、フィンランドとの最初の出合いはなんだったのでしょうか?

 20代の頃に旅行で訪れました。
 私が建築家として駆け出しだった1970年代、日本では小田実さんの著書『何でも見てやろう』や、五木寛之さんの『青年は荒野をめざす』などの影響で、若者が少ないお金を握りしめ、それが尽きるまで海外を旅行をする「無銭旅行」がブームになっていました。今で言うバックパッカーですね。
 そんな世の中の流れと共に、日本の建築事務所で働き始めたばかりの私も、ヨーロッパを回りたいと思うようになりました。当時、勉強のために海外の有名な建築の写真を見てはいたものの、建築は空間をつくる仕事なので、どうしても二次元の写真だと立体感がつかめない。それなら自分の目で見て回るしかないと、仕事をやめて海外へ飛び出したわけです。その時に訪れた国のひとつがフィンランドでした。

――その過程で移住のきっかけになる出来事があったのでしょうか?

 現地で設計事務所のオーナーをしていたフィンランド人との出会いがきっかけです。フィンランド旅行中、せっかくなら「海外の設計事務所を見てみたい」と思い立ちました。同じ職業の人たちが海外ではどんな環境で仕事をしているのか、やっぱり興味があるじゃないですか。当時はインターネットもなかったので、現地の建築家協会のようなところに片言の英語でなんとか掛け合って、2カ所ほど見学させてもらいました。そのうちの1つの建築事務所のオーナーが親日家で、話していくうちに意気投合しました。彼の自宅にも招いていただき、フィンランドや日本の建築話で盛り上がっていく中で、「うちで働いてみる?」と誘ってくれたんです。とてもありがたいお話ではありましたが、当時は旅行中でしたし、そもそも日本に帰る前提だったのでその時は辞退しました。

ヒエラルキーなき職場の心地よさ

――でも、そこから再びフィンランドに渡ったんですよね?

 はい。旅を終えて日本に帰ってきた時、元の事務所に戻ることや新しい職場に就くことも考えていたものの、どうしてもフィンランドで働くということが頭から離れなかったんですよね。。日に日にフィンランドで働きたい気持ちが大きくなっていき、気づいた時には「あの時の言葉はまだ有効ですか?」と手紙を送っていたんです。彼も「もちろんオッケーだ」と返答をくれたので、フィンランドに渡りました。ただ、その時は永住することは全く考えておらず、数年間働いて、その経験や知識を持って日本に帰ってこようと考えていました。留学のような感覚ですよね。

――結果的に移住された理由はなんですか?

 年齢に関係なく建築の設計に集中できる環境が大きな理由ですね。
 当時の日本の建築事務所は徒弟制度のような文化が残っていて、上下関係を気にしながら仕事をしなければならなかった。いわゆる下積みですね。私なんかは下っ端も下っ端でしたから、ひたすら設計図の窓枠を描かされたり、お茶汲みをすることもありました。一方、フィンランドでは建築家は設計以外の仕事はしなくていいんです。20代でも自由に設計の仕事に集中することができる。先輩後輩という上下関係も存在せず、所長をファーストネームで呼び止めて設計上の意見を聞いたりできる。そんな環境に居心地の良さを覚えていくうちに、だんだん日本に帰ることが億劫になっていきました。そのうちにフィンランドの女性と知り合って結婚し、子どもも生まれたので、生活の基盤が完全にこちらになったんです。

Hideさん。現在は引退し、悠々自適に過ごしている。

大人の学び直しはあたりまえ

――フィンランドで暮らすなかで、文化の違いは感じましたか?

 当時から女性の建築家が多いことには驚いていました。フィンランドでは性別によって職業が制限されることはないので、たくさんの女性がさまざまな業種で活躍しています。実際に、ヘルシンキ工科大学の建築学科の学生は半分以上が女性ですし、医学部にいたっては10年ほど前から女性の方が多いんです。
 最近だとフィンランドで30代の若い女性が首相になり、世界でも話題になりましたが、彼女は就任挨拶で「この国の教育制度がなければ私は首相にはなれなかった」と話していました。フィンランドでは教育が全て無料なので、生まれた環境や年齢・性別に関係なく夢を追えるんです。

――大人になってから学び直すということもよくある話なのでしょうか?

 それは当たり前ですね。例えば、私の妻の妹さんは子どもの時から看護師になりたいと思っていたそうですが、違う仕事をしているうちに、結婚して、子どももできました。でも、40代になって子どもたちに手がかからなくなったタイミングで看護学校に入ったんです。彼女は今では看護師として働いています。もちろんこのケースでも看護学校は無料です。

2019年、34歳でフィンランド史上最年少の首相となったサンナ・マリン氏。© Laura Kotila
FinnishGovernment, CC BY 2.0 <https://creativecommons.org/licenses/by/2.0>, via Wikimedia Commons

「専業主婦」という言葉はない

――生活の面ではどうでしょう?

 休みが多いですね。土曜日曜はもちろん休み。残業は基本やらない。夏休みは1ヶ月間ほど。加えて、秋休みもあります。昔、刈入れの時期になると人手がいるので、子どもから大人までみんなが集まって畑仕事をする文化があったようで、その名残なのか秋に1週間くらいの休みがあるんです。他にもクリスマス休暇1週間、スキー休暇1週間など、フィンランドはとにかく休みが多いです。

――日本では「生産性」がよく話題になります。そんなに休みが多いのに、2024年の1人あたりのGDP(国内総生産)を見ると、フィンランド(16位)は日本(37位)よりずっと高いですよね。

 これは私の感覚ですが、女性が働いているからだと思いますね。日本におけるいわゆる専業主婦の方々の家事労働などはGDPなどでは数値化されないですよね。そうなると仮に会社で働いている人たちの生産性が高かったとしても、人口で割った時にその数値はどうしても下がってしまう。一方、フィンランドでは家事にも子育てにも性別は関係ないので、専業主婦といわれる人は私の知る限りほとんどいません。みんな社会に出て働いています。だから結果的にGDPなどの指標が高くなるんだと思います。

「自分のやりたいこと」に時間を割ける社会

――フィンランドは日本より平均年収が高い一方、税金も高い社会ですよね。実際に生活してみていかがでしょうか?

 個人的な意見としては、日本と比較するとフィンランドの方がバランスがよいかなと感じます。おっしゃる通り、フィンランドは給料も高いですが、国民全体の所得に占める税金や社会保険料の負担の割合を表す「国民負担率」は、2020年で60%くらいで、これは世界トップ10に入る高さです。この国の高度な社会福祉制度は、国民が払う税金で賄われているんですね。ちなみに、日本の国民負担率はご存じですか?

――いえ、フィンランドほど社会福祉が充実しているとは思えないので、25%くらい?

 実は約48%(同年比)なんです。意外と高いと思いませんか? これは私の感覚ですが、これだけ教育制度や社会福祉が充実しているなら、プラス12%くらい喜んで払えるかなと。

――たしかに…。これだけ社会の構造が違うと、ライフスタイルも変わりますか?

 趣味ややりたいことに使う時間が増えますね。家や自転車の修理もプロに頼むのではなく、自分達でやっちゃう人が多いくらいです。これは残業がない社会だからこそだと思います。みんなとにかく時間が余っている。夏なんかは緯度が高いので、23時ごろまで明るい。そうなると半日くらいは自由に時間が使えるので、趣味や自分のやりたいことに時間を割けます。だからかホームセンターもものすごく広くて、なんでも揃っています。実際に私も家の柵を作ったり、若い頃は自動車を修理することもありました。
 日本は忙しくされている方が多いですが、もし時間に余裕が生まれたら、私たちと同じように趣味ややりたいことにもっと時間を割く人が増えるんじゃないかなと思いますね。

「勝ち組」になりたい人には合わない

――お話を聞いていると、フィンランドに憧れない人はいないように思うのですが……?

 でも、「どんどん成り上がって人の上に立ちたい」みたいな人は合わないと思いますね。フィンランドは相対的な勝ち組・負け組が生まれづらい社会になっていますから。お医者さんと工場勤務の方の給与も、多少の差はあれど、日本に比べれば誤差のレベルです。むしろお金を稼げば稼ぐほど累進課税で税金をたくさん納めることになりますから、「勝ち組」になりたい人はこの国では厳しいと思います。この社会をポジティブにとらえるか、ネガティブにとらえるかは人それぞれですね。

取材:2023年7月
写真提供:Hideさん
※文中の事柄はすべてインタビュイーの発言に基づいたものです

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聞き手

おかけいじゅん
ライター、インタビュアー。
1993年東京生まれ。立命館アジア太平洋大学卒業。高校時代、初の海外渡航をきっかけに東南アジアに関心を持つ。高校卒業後、ミャンマーに住む日本人20人をひとりで探訪。大学在学中、海外在住邦人のネットワークを提供する株式会社ロコタビに入社。同社ではPR・広報を担当。世界中を旅しながら、500人以上の海外在住者と交流する。趣味は、旅先でダラダラ過ごすこと、雑多なテーマで人を探し訪ねること。

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