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第8話 「嫁の人相が読めない」(前編)

「お嫁さんの人相が読めなくなって、困っているのですが・・・」
都内の大学病院の心療内科に、そんな問題を抱えるご婦人がやってきたそうです。

この話を聞いた心理師さんたちは、
「人相って、いったい何のことを言っているのかしら?」
「もしかして、元占い師の患者さんなのかしら?」
と頭を抱えていたそうです。

しかし詳しく話を聞いてみると、ご婦人はごく普通の主婦で、同居する息子のお嫁さんの表情が読めなくなって困っていたことがわかりました。詳しく検査したところ、顔を処理する脳の箇所に損傷があることもわかったのです。

さまざまな「相貌失認」の形

顔から相手が誰かを判断し、顔から表情を読む。それはごく当たり前のことにみえますが、しかしそれは、脳の連携のなせる技なのです。

第2回(なぜ幽霊は人の姿をしているのか)でお話ししたように、右の耳の奥の方に位置する上側頭溝(じょうそくとうこう)に事故や卒中・血栓などで損傷を受けると、顔が区別できない状態になることがあります。

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ヒトの脳における上側頭回(着色部分)
(wikipediaより)

これは「相貌失認(そうぼうしつにん)」と呼ばれ、相手が誰かを顔で区別できない疾患として知られています。家族など身近な人の顔がわからないだけでなく、大好きだったアイドルの顔も区別できなくなるのです。
しかしそれだけでなく、時には相手の表情が読みにくくなったり、顔の印象がわからなくなったりすることもあるのです。そんな状態を、冒頭のご婦人は「人相」と伝えたのでしょう。

なかなか自覚しにくい先天性の相貌失認


相貌失認の人達は、これまで持っていた顔を見る能力を急に失い、なにが起こったのかわからず、不安を抱くようです。冒頭の婦人も、藁(わら)をもすがる思いで病院にたどりついたことでしょう。
これとは別の相貌失認患者の訴えを、顔研究仲間から聞いたことがあります。それによれば、「今まではそれぞれに違った顔が見えていたのに、今は、顔のあったはずのところに風船がぷかぷかと並んでいるようにしか見えない」とのこと。顔が見えない様子を、如実に表現しているように感じました。

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ある時を境に顔を見る能力を失う相貌失認の患者がいる一方で、生まれたときから顔が区別できない先天性の相貌失認もいます。
2000年代になってその存在が知られた先天性相貌失認ですが、人口の2%存在するという報告もあります。先天性相貌失認の身内を調べると親族に同じ事例が複数見つかることなどから、遺伝の可能性も考えられています。
とはいえ、先天性相貌失認の人達は、顔の区別がつかないことを前提として暮らしてきたわけですから、自分が抱えている問題になかなか気づくことができません。時々、「自分はちょっと違うのかな?」と思うことになります。

目の前にいるスーツの男性は誰?

ここで、先天性相貌失認の視点から、彼らが抱える問題を見てみましょう。
社員が机を並べて仕事している職場で、「部長さんに取り次いでください」と電話を受けた社員がいます。
少し離れた部長の席を振り返ると空席だったので、「すいません。あいにく部長は今、不在です」と伝えました。それを聞いて、周りの社員はざわめいています。どうやら自分の目の前に立っている男性が部長だったようなのです。
当の部長はかんかんですし、周囲は「どうしたの? だいじょうぶ?」と心配した顔つきで自分を見つめています。目の前にいる男性は着ているスーツから察するに確かに部長のようですが、それが部長かどうかは、部長席にいてくれないとはっきりしないのです。
そうです。実はこの社員、部長の顔がわからなかったのです。そして自分以外の人達が、部長を顔で見分けているということも実感できていなかったのです。

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「道ですれ違ったのに、無視された」というのは、子ども同士のいざこざでよくある話です。しかしながら、意図して無視しているわけではなくて、ほんとうに誰だかまったくわからない場合もあるのです。
こうした子達は、学校の教室のどの席にいるかで、友達を認識しています。あるいは名札に書かれた名前で、友達を把握しています。そんな友達の目印がなくなった校外で、友達を見つけだすことは難しいことが想像されます。ましてや制服のある学校だったらなおさら、私服姿の友達に校外で遭遇しても、クラスメートであることすらもわからないでしょう。ですから、「無視された」と言われても、「いいがかりじゃないの?」と思ってしまうのです。

顔がわからないと苦労が絶えないことが理解できますが、それだけでなく、自分が抱えている問題をなかなか周囲に理解してもらえないのもつらいことです。友達との関係がぎくしゃくするきっかけの一つとなるのです。先天性相貌失認者は、社会不安の強い人達の中に見つかることも多いとも聞きます。

初対面の人は「特徴」で覚えている


ところで、どこかで見た顔であるのはわかるのに、それが誰だか喉元まで出かかっているのに出てこない。そんなむずむずした経験は、多かれ少なかれ誰にもあるのではないでしょうか。

ただしそれは親しい友達ではなくて、ちょっとした顔見知りで起きるようです。たとえば時々行く病院の受付嬢に、街中ですれ違いざまに挨拶されたとします。目の間を通り過ぎた普段着姿の女性と、病院の受付にいる白衣姿の女性とを、とっさに一致させることができるでしょうか? 
受付嬢をよほど気にしていない限り、しばらく考えないと思い出せないのではないでしょうか。あるいは再び病院の受付で出会って、初めて同一人物に気づくのではないでしょうか。

相貌失認はこの「どこかで見たはず」の域まで達することすらできないのですが、いつもいる場所と服装が変わると、顔だけではそれが誰だかわからないという点では同じです。
ちょっとした顔見知りの記憶は、一般的にはそれくらい曖昧なのです。

それを示す実験もあります。複数の知らない人々と出会う状況を作って、どれくらい記憶できるかを調べたのです。中でも一番目立つ振舞をする学生に、わざと目立つ赤いシャツを着せておきました。当然ながら、この目立つ赤シャツの学生は、みなに記憶されていました。ところがいったん席を外してシャツを着替えてそっと登場したところ、それが赤シャツの学生とは認識されないことがわかったのです。つまり、顔ではなくて着ていた服で区別されていたのです。初めて出会う知り合いは、わかりやすい特徴で記憶されているという証拠です。

(後編へ続く)

山口先生プロフィール

山口真美(やまぐち・まさみ)
お茶の水女子大学大学院人間文化研究科人間発達学専攻修了後、ATR人間情報通信研究所・福島大学生涯学習教育研究センターを経て、中央大学文学部心理学研究室教授。博士(人文科学)。
日本赤ちゃん学会副理事長、日本顔学会、日本心理学会理事。新学術領域「トランスカルチャー状況下における顔身体学の構築―多文化をつなぐ顔と身体表現」のリーダーとして、縄文土器、古代ギリシャやローマの絵画や彫像、日本の中世の絵巻物などに描かれた顔や身体、しぐさについて、当時の人々の身体に対する考えを想像しながら学んでいる。近著に『自分の顔が好きですか? 「顔」の心理学』(岩波ジュニア新書)がある。〈山口真美研究室HPはこちら〉

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