コロナブルーを乗り越える本 タカザワケンジ
写真評論家のタカザワケンジさんが紹介するのは歌っている人たちの写真集です。コロナ禍でカラオケ店にも休業が要請されました。ある出来事をきっかけに、それまで不通だったことの意味が変わってしまう。われわれは今、その瞬間にいます。
※この記事は、集英社インターナショナル公式サイトで2020年4月28日に公開された記事の再掲載です。
『APPEARANCE』
兼子裕代/青幻舎
新型コロナウィルスの流行でカラオケ店が休業要請の対象になっている。まさか「歌う」ことが感染を広げるなんて、こんな事態になるまで一度も考えたことがなかった。
あるできごとをきっかけに、あたり前だったことの意味が変わってしまう。こうした経験は写真を見るときによくあることだ。コロナウィルス禍によって、写真の持つ意味が変わってしまった──そう強く感じた写真集の1つが、今年2月に発売されたばかりの『APPEARANCE』である。
一言で言えば、歌っている人たちの写真集である。撮影場所の多くはアメリカで一部日本。撮影した兼子裕代はカリフォルニア州オークランド在住で、被写体となっているのは彼女の友人、知人がほとんどだ。
撮影場所は室内、屋外とさまざまだが、とくに印象的なのは屋外だ。その多くは緑豊かな自然、ヌケのいい風景を背景にしており、気持ちよさそう。写真には彼らが歌った曲のタイトルが記されていて、その多くを私は知らなかったが、スマホで調べるとたいていはyoutubeで聴ける。するとまた写真の印象が変わる。彼らがなぜこの歌をここで歌ったのか想像したくなる。
きっと写真家は撮影を通して、「歌う」ということがこの世界のどの人にとっても同じように大切で、同じように気持ちがいいことを感じていたのだと思う。そしてその歌い方がさまざまであることも。
しかし、いまや、花見もピクニックも「密」だと言われるいま、こうしてのびのびと歌うことをイメージしずらくなっている。だからこそ、この写真集を見ていると、本来、私たちが持っていた歌う喜びを思い出し、懐かしくすら感じる。
写真家はこのシリーズを2010年から始めている。まさか刊行された年にこんな事態が訪れるとは思ってもいなかったに違いない。しかし、コロナウィルス禍が収まったときに、もう一度この写真集を見たら、また見え方が変わるに違いない。そのときを待ちながら、いまは「歌える」ことの貴重さをかみしめたい。
たかざわ けんじ 写真評論家。
1968年、群馬県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。『アサヒカメラ』『IMA』などの写真雑誌に寄稿。評論にとどまらず、写真家、フォトフェスティバルへの取材など写真の最先端でのフィールドワークを続ける。
著書に『挑発する写真史』など。
東京造形大学、東京綜合写真専門学校、東京ビジュアルアーツの非常勤講師、IG Photo Galleryのディレクターなどを務める。