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最終回 自分の顔はわからない(前編)

鏡の中は別世界

「鏡よ、鏡よ、鏡さん。この世で一番美しいのは誰?」
白雪姫の物語で、ままははのおきさきは毎日、自分の顔を鏡で眺めてはその美貌を確かめます。
いつの時代も鏡は人を魅了するようで、鏡に映る自分の姿にたんできしすぎると、鏡なくしては生きていけない「鏡中毒」、「鏡依存」になってしまうこともあるのかもしれません。

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これは鏡中毒とは違いますが、アルツハイマー型認知症患者に、「鏡現象」という症状がみられるそうです。

鏡現象とは、鏡に映った自分に話しかけたり、物を手渡そうとしたりするなど、はたから見るとぎょっとするような行動をするとのこと。どうやら鏡に映った自分の姿を、他人の姿と誤って認識している、言い換えるならば、鏡の中の自分を自分と思えないために起きる症状です。

私たちはふだん意識しませんが、自分の手を動かしたとき、その手が自分のものであるということに何の疑いも持ちません。自分自身と、自分の手がリンクをしているという感覚を、「自己主体感」という言葉で呼ぶのですが、右の脳に何らかの障害が起きると、この自己主体感がなくなります。
自己主体感がなくなると、自分の意思で手を動かしてはいるのですが、そのようすを見ても、自分の手だとは思えず、誰か他人の手のように感じてしまうのです。

……と書いても、多くの人はピンとこないでしょう。「自分の手は自分のもの」とは当たり前のことに思うはずです。しかし、これはしばしば起きる障害なのです。「自分が自分である」というのは、めいのことだと思われるでしょうが、それは脳が自分の心と、手の動きなどとをしじゅうリンクしてくれているからなのです。

そこで認知症患者の話に戻せば、彼らは鏡の中の自分の姿を見ても、それが自分とリンクしない。たとえば、鏡に向かって微笑んでみても、それは鏡の中の「誰か」が微笑んでいるような感じで、笑っている自分とは重ならないというわけなのです。

だから、鏡の中にいる人を「自分」だと考えず、自然に話しかけたりしてしまうというわけなのです。

こうした認知症患者にとって、鏡に映る世界は現実の世界の延長、という感じに思えているのかもしれません。

「鏡の国のアリス」にあるように、鏡の中に入ってみたいという発想は、誰もが子ども時代に一度は持つのではないでしょうか。鏡の中の世界は左右逆転していますが、上下逆転と比べると違いは分かりにくい。
その自然さがあるために、鏡の中に別の世界が広がっているという「鏡の国のアリス」の設定を私たちはすんなり受け容れられるのでしょう。

だから、鏡の中の自分に話しかける認知症患者たちは、あながち間違ってはいなくて、「鏡の中の自分もまた自分」と何の疑いもなく思っている私たちのほうが間違っているのかもしれません。

あなたは「自分の顔」を知らない

鏡の中の自分と、本物の自分はけっして同じではない──そのことを端的に示しているのは、写真に写った自分の顔に違和感を持つことです。

鏡に映った自分の顔に見慣れている人にとって、それは正しい反応です(セルフィ―慣れしている一部の人たちは、ちょっと違うかもしれませんが)。ポートレイトや集合写真の中の自分はたしかに自分なのですが、同時に、自分ではないという感じも与えます。

もちろん、写真に写った自分の顔がおかしいのではありません。試しにその写真を親しい友人や家族に見てもらえばわかります。いつものあなたの顔が映っていると、教えてくれるはず。
ついでに、同じ友人と一緒に鏡の前に立ち、鏡に映ったあなたの顔を友人に見てもらいましょう。首をかしげて「鏡の中だと、なんだか印象が違うねえ」という言葉が出てくることでしょう。
そうなのです。

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鏡に映った自分の姿に見慣れているあなたも、そして白雪姫の継母も、「ほんとうの自分の顔」を知らないのです。鏡の顔は左右反転しているのですから、本当のあなたの顔ではないのです。「他人が見ている自分」を追体験できるようになったのは、写真が発明されてからのことに過ぎません。これだけ技術が発展した今でも、私たちは写真や自分のスマホのディスプレイを通してしか「ほんとうの自分」を見ることができないのです。

それにしても、そもそもが左右反転しただけなのに、鏡に映る自分の姿と本当の自分の姿が違って感じられることは、よく考えてみたら不思議な気もします。人間の顔は完璧な左右対称ではないことは知られていますが、しかし、右と左とは大した違いがあるわけではありません。ほんの少しの差なのに、違和感を覚えるのはなぜでしょう。

人間は向かって左半分の顔に注目している

それは、顔を見る脳のトリックでもあります。
下の写真で試してみましょう。

質問:この二つの写真、それぞれ男女のどちらに見えますか?

男女キメラ顔 Color

 実はこの2つの写真は同じものを左右反転させただけなのです!(注)

白人の顔をブレンドした「平均顔」で作ったために、やや難しいかもしれませんが、多くの人は、左の顔が女性らしい、右の顔を男性っぽいと判断するのではないでしょうか。

実はこれらの顔、顔を真ん中から縦に切って、片側に男性を、もう片側に女性の「平均顔」を張り付けたもの。しかもこうして作った顔を、左右反転したのがもう片方。つまり二つの顔は、鏡に映した顔と元の顔の関係と同じというわけなのです。

どうでしょうか、思ったよりも印象の違いがあるのではないでしょうか。左右反転しただけでこれほど印象が変わって見えるのは、顔を見る脳の仕組みによるものです。

顔を見ることを担当する脳の部位は、脳の右半球に位置しています。
比較的よく知られたことですが、人間の視覚は右目から入ってきた情報を左半分の脳、左目から入ってきた情報を右半分の脳で処理しています。
この左右の視覚情報を取りまとめて、他人の顔を認識する部分は、右側の脳にあるので、どうしても右側に入ってきた情報を優先してしまいます。そして右側の脳には左目からのイメージが流れ込んでいるので、他人の顔を見たとき、右脳側、つまり、左目からの印象を重視してしまうというわけなのです。

左の写真では、向かって左側にあるのは女性の平均顔です。だから、この人を何となく女性だと感じてしまいます。逆に右側の写真の場合、向かって左にあるのは男性の平均顔。だから、どことなく男性のような印象を受けるのです。

左右反転するだけで顔の印象が変わることが、ご理解いただけたでしょうか。そして自分の顔を知ることの難しさも、わかっていただけたでしょうか。

鏡の中の自分はどこまでも虚像でしかない

さて、こういうことが分かると、鏡の中の自分、つまり自分がいつも接している「自分の顔」の印象と、写真の中にある「自分の顔」の印象が違う理由が分かるというものでしょう。

私たちが普段、よく目にしている「自分」のイメージは鏡の中のものですから、左半分の顔によって作られています。

しかし、写真に撮るとその左右は反転するので、向かって左側に来るのは自分の顔の右半分。普段はそんなに意識しない右半分の顔が、顔写真のイメージを左右するので、「自分に似ているけど、どこか違う」という印象を受けるというわけです。

しかも、写真の場合、そこにあるのは、過去の、しかも静止したままのもの。今、このときの本当の自分の顔を見ることは簡単にはできません。

最近は、スマホの画面側にあるカメラ(インカメラ)で自撮りをする場合、リアルタイムで左右反転しない顔を見ることができます。

しかし、これを利用しても、しょせん撮られることを意識した顔ですし、何よりスマホの画面を真正面から見ていないといけないのですから、どうしてもアングルが限られてしまいます。

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結局、スマホ時代になっても、自分の顔を把握することは実はとてもむずかしいし、その一方で私たちは自分の顔──特に他人から見た自分の顔がとても気になるのは変わりません。私たちが自分の顔に悩まされるのは当然です。

人は自分の顔をどのようにイメージしているかを心理実験でとらえようとする研究は、2000年代ころから行われていますが、明確な回答はまだ得られていません。

自分の顔の微妙な変化に気づきやすいことはわかりましたが、親しい人の顔を見ることと自分の顔を見ることの、脳の働きの違いすらよくわからないのです(以下に説明するように、親しい人の顔を見ることも複雑なのですがから、仕方ないことです)。

「自己主体感」とは

現時点で分かっているのは、自分の顔のイメージは実際よりも理想方向にずれていること(つまり、ちょっとうぬぼれていること)、そして自分の顔を認識する場合、一般的に顔を処理する脳領域に加えて、前頭葉が関与していることなどです。

大ざっぱに言うと、前頭葉は目的に従って身体を動かすために働く部位ですが、思ったように身体を動かすには、手や足から入ってくる身体感覚のフィードバックが必要不可欠です。

自分の手や足がいま、どうなっていて、どちらに動いているかという情報がないと身体は正しく動かせません。つまり、先ほど言った「自己主体感」が必要です。
鏡の中にいる自分が自分であるということを実感するには、この「自己主体感」が不可欠です。

先ほども書いたように、鏡の中にいる自分の姿と、自分の表情筋などを動かしている感覚が一致していなければ「自己主体感」は生まれません。自分の顔を自分の顔と認識するには、目から入った情報と、前頭葉で表情筋などに出されている情報を比較しないとなりませんから、自分の顔を見るときには前頭葉が働くというわけです。

家族が入れ替わっている!──「カプグラ症候群」

さて、さらに研究が進んでいる中で分かってきたのは、親しい人の顔の認識についても、身体的な直感で感じることの必要性が知られるようになりました。

親しい人の顔がわからなくなる「そうぼうしつにん」については、このコラムでも何度か触れました。
顔の認識に関わる脳の部位に損傷を受けると、親しい知人の顔だけでなく、大好きな芸能人の顔もわからなくなる──それが相貌失認と言われるものです。

ちなみに相貌失認患者は、鏡に映った顔も写真の顔も自分の顔と区別できません。
しかし、彼らはアルツハイマー患者のように、鏡に映った自分の顔を他人だと思って話しかけたりはしません。自分の動きと連動して動く鏡の顔に、自分の顔と気づくのです。

顔が分からないということで言えば、もう一つ、親しい人の顔がわからなくなる奇妙な病気があります。「カプグラ症候群 Capgras syndrome」です。カプグラ症候群では、親しい家族や恋人や親友が、顔や姿は同じでも別人になっていると感じてしまうのです。

そんなことなど実際にはあるはずはないので、それを正当化するためにいろんな物語が作られます。たとえば、本物の家族や恋人は宇宙人に連れ去られて、宇宙人の送り込んだニセモノが目の前にいるとか、さらには自分自身も宇宙人に拉致されて、その間に家族全員がすり替わったといった、手の込み入った、壮大なストーリーが語られることが多いので、古くは妄想だと思われていたりしました。

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しかし、話をよく聞いてみると、よく知っているはずの人を見ても“懐かしいという実感がまったくわかない”という、ぽっかり穴の空いたような違和感がつねに伴うことが分かったのです。対処しようもない、この気持ちの悪い感覚を自分に納得させるために、壮大なストーリーの説明が必要となったのでしょう。
しかし近年になってこの違和感に、顔の認識の障害がかかわっていることがわかりました。それは相貌失認と比較してはじめてわかったことでした。

相貌失認とカプグラ症候群の決定的な違いとは

というのは、相貌失認は単に顔を記憶できない、認知できないというわけではなく、それなりに顔認知の能力が残存していることがわかったのです。相貌失認患者に、親しい人と、そうでない人の顔写真を見せて、生理的な反応の違いを調べてみたのです。

この実験では、噓発見器の原理になっている「皮膚電位反応」が用いられました。無実を主張する容疑者に、犯人だけが知っている、犯行の鍵となる証拠を見せたりして、そのときの生理的反応をモニターするのが嘘発見器です。「知らない」「私は犯人じゃない」と主張しても、身体は嘘をつけません。証拠に見覚えのある犯人だったら、うっすらとでも手に汗をかくことでしょう。その汗を検知するのが皮膚電位反応です。

相貌失認患者は親しい人の顔さえも覚えられないので、家族や友人の写真を見せても「知らない」と答えます。ところが、皮膚電位を調べて見ると、まったく赤の他人の写真には反応しないのに対して、家族などの写真だと反応が出るのです。

つまり相貌失認患者は親しい人の顔を見せられても何の記憶も出てこないのに、身体レベルでは反応をしていたのです(これがどういう感覚かは、当人にもなかなか説明しにくいものなのでしょうが、想像するに“知っている顔なのかも?”といったような、むずむずした感じがわくのでしょうか)。

さて、それと同じ実験をカプグラ症候群の患者にも行ないました。カプグラ症候群の患者では、親しい人の顔写真を「知っている」と答えることができるものの、それに対する皮膚電位反応が一切生じなかったのです。これこそが、彼らの違和感を反映する反応といえます。親しい人の顔は認識できても、そこに意識下の身体反応が伴わないので、「これは変だ」「おかしい」という気分になるのでしょう。
私たちは家族や友人の顔を見ると、そこにありありとした親しさを感じますが、そこには何かしらの身体の反応があるからなのです。

それは自分の顔の認識にもあてはまります。先に述べたように、私たちが自分の顔を自分のものだと認識するのは単純な映像記憶だけではなく、これは自分の身体の一部なのだという「自己主体感」が伴うからでした。この自己主体感もまた、身体反応の一種なのです。

【後半に続く】

本文中の顔写真の図版は以下の論文に掲載されたものにAIで着色を施したものです:PERCEPTUAL ASYMMETRIES IN JUDGEMENTS OF FACIAL ATTRACTIVENESS,AGE, GENDER, SPEECH AND EXPRESSION.
D. MICHAEL BURT and DAVID I. PERRETT 
As published in 1997 in Neuropsychologia, 35, 685-693.

山口先生プロフィール

山口真美(やまぐち・まさみ)お茶の水女子大学大学院人間文化研究科人間発達学専攻修了後、ATR人間情報通信研究所・福島大学生涯学習教育研究センターを経て、中央大学文学部心理学研究室教授。博士(人文科学)。
日本赤ちゃん学会副理事長、日本顔学会、日本心理学会理事。新学術領域「トランスカルチャー状況下における顔身体学の構築―多文化をつなぐ顔と身体表現」のリーダーとして、縄文土器、古代ギリシャやローマの絵画や彫像、日本の中世の絵巻物などに描かれた顔や身体、しぐさについて、当時の人々の身体に対する考えを想像しながら学んでいる。近著に『自分の顔が好きですか? 「顔」の心理学』(岩波ジュニア新書)がある。
山口真美研究室HP
「顔・身体学」
ベネッセ「たまひよ」HP(関連記事一覧)

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