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第7話 眉が表わす「時代の雰囲気」

眉があるのは、生物の中では人だけです。

本来はチンパンジーやボノボのように顔全体に毛があったはずのホモ・サピエンスですが、進化の過程で顔から毛が失われていきます。眉だけに毛が残った理由は、目に汗が入るのを避けるためだとか。
私の記憶が正しければ、これは顔学会会長だった人類学の故・香原志勢(こうはら・ゆきなり)先生から聞いた話だったと思います。

しかし、汗が目に入らないようにするという目的であるとすれば、眉は他の動物にもあっていいはず。人にだけなぜ眉があるのかは、進化的な観点から見るとまだ謎なのだそうです。

サルは人の悲しみを区別できない

さっきも書いたように眉を持つのは人だけの特徴ですが、動物の顔に眉らしきものを見つけると、なんとなく愉快な気にさせられます。
眉のような柄をもつ牛や猫やコイの写真や、飼っている犬に眉を描いた写真は、見ていて楽しいものです。そこで思わずくすっと笑ってしてしまうのは、えらそうに怒った犬や、なさけない犬の表情がみえるからでしょう。そう、眉は表情を伝えるのです。

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怒った顔では眉はつり上がり、困った顔では下がります。眉が上がるか下がるかだけで、表情は全く違うものになるのです。しかしこれは、あくまでも人間から見た印象です。
元々、眉のないサルは、眉が作り出す表情の違いを区別できません。サルは、人の悲しみの顔を区別できないことが実験で明らかにされています。

ちなみにこのサルを対象とした眉の実験は、私の夫が京都大学霊長類研究所の大学院生の時に行ったものです。一方、私はその頃、人が男女の顔を区別する際の「手がかり」に眉が使われることを発見しました。いわば「眉つながり」の夫婦だったのです。

日本人は眉で男女を判断し、英国人は顎で判断する

私たちいずれの実験も、東京大学工学部のワークステーションで作った画像を使っていました。今なら手もとのスマートフォンでも簡単にできる顔合成ですが、当時は高価な大型コンピューターが必要だったのです。

今では、AIで存在しない人物の顔や自分の未来の顔を簡単に合成することができるし、マスクを外さずに人物確認できる顔検出などもありますが、私達夫婦が大学院生で研究していた当時は、こうした顔合成の出発点の時代でした。
そもそも、まさか顔を数字のように“平均”できるなんて、想像すらしなかったことです。顔を平均してもちゃんと顔らしい画像ができあがって、それがほんとうに「平均的な顔」に見えることなど、誰も思いもしなかったのです。
とにかく当時の最先端の技術を使う機会に恵まれて、日本人の男性と女性の「平均顔」を作りました。さらにこの男女の「平均顔」で、目鼻口といったさまざまなパーツを入れ替えた合成顔を作り、それが男に見えるか女に見えるかを調べたのです。
偶然にも、同時期に全く同じ発想の研究がイギリスでも行われていました。結果、イギリス人の顔と日本人の顔の結果を比較することができたのですが、早く自分の研究を発表しなければとハラハラしたことを覚えています。

実験の結果、イギリス人では顎から男女を判断しているのに対し、日本人は顎とともに眉で男女を判断していることがわかったのです。骨格的な特徴ではない眉が性別を見極めるポイントになっているという、日本人の特性が明らかになりました。

メイクアップは「錯視」を利用したテクニック

さて眉は、表情や性別を伝えるだけでなく、人の印象も決定します。
整形手術でしかいじれないのが骨格だとすれば、化粧でいじりやすいところは、眉と目の周りといえるでしょう。眉毛を剃ったり抜いたり書き足したりと、顔のパーツの中でも最も気軽に変えることができるのです。時代や流行によって、眉の太さや形はコロコロ変わるくらいです。

眉が顔の印象を変える仕組みは「錯視(さくし)」にあります。眉は目の上にあって額縁や枠のような働きをするため、顔の印象を決めることになります。特に、顔の印象を決定する目の見え方を左右します。

ちなみに目のまわりをフレームで囲むことになる眼鏡も、顔の印象を変えるという実験結果があります。目と同じカーブのフレームだと目を大きく見せる効果が高く、さらに灰色より黒色のふちだと目を大きく見せやすいそうです。

イスラム圏の女性の中には「ニカブ」と言って、目以外の顔や髪をすっかり覆うベールをまとう習慣の人もいる


心理学の観点から見た、錯視を利用した化粧についても少し触れておきましょう。
化粧の錯視の基本は、影の利用です。シャドウで影を入れ、さらにこれと対照的に明るさを強調したハイライトを入れることによって、立体感を作り出すことができます。ハイライトをうまく入れれば、頬の高さを変えて見せることもできますし、鼻の横に影を入れれば、鼻を細く高く見せることもできます。また、頬に影を入れれば小顔に見せることもできるのです。

アイメイクで人の印象ががらりと変わる理由

アイメイクも、同様に錯視を利用しています。ここに一番時間をかけてメイクしているという女性も多いのではないでしょうか。白目と黒目のコントラストがはっきりした目に人は注目するので、目の周りをいじるのは、印象を変えるのに効果的といえるのです。
次々と有名人にメイクで化ける「ものまねメイク」が流行ったことがありましたが、骨格のせいで変化をつけにくい顔の下半分をうまく隠し、目元と眉の印象を変えることで、その有名人になりきっているのが印象的でした。眉を変えるだけで、顔つきに劇的な変化が生まれるのです。

目の周りは注目して見られるだけに、その変化に敏感です。

化粧品メーカーと大学が共同で行った、化粧の効果を調べた研究があります。化粧によって、どれくらい「騙せる」のかを調べたものです。
日本人の若い女性には、化粧で目を大きく見せたいという願望があるのですが、この実験はまさにそれに着目しています。

化粧次第で目の大きさは10%も変えられる!

実際のところ、化粧でどれくらい目は大きく見せることができるのでしょうか。
実験の結果、ノーマルな化粧でも実際よりも7%も目を大きく見せることができることがわかりました。そしてこの値が、最も魅力的に見せる値だそうです。
1割近くも目を大きくして見せられるというのは驚きですが、大きいほどよいわけではないのです。不自然なほどに大きく目を見せているメイクには違和感を覚えてしまうもの。せいぜい7%程度が無難なところなのでしょう。
また、アイメイクの種類による、効果の違いも調べられています。
その結果、アイシャドウを使うと、目を最大10%大きく見せることができるそうです。やはり影をつけることはいちばん効果的なのかもしれせん。

メイクの中でも、アイメイクの効果は強力だ


また、目の縁に線を描いて目の形をくっきり強調させるアイラインを使うと5%大きく、まつ毛をはっきり見せるマスカラでも6%大きく見せることができるのも分かりました。目の周りにラインや影をつけることには目を大きく見せる効果があったのです。

もともとこうしたアイメイクは、エジプト時代のクレオパトラのくっきりしたアイラインに象徴されるように、魔よけと目力(めぢから)をつけることにありました。アイメイクをすることによって、その人自身を力強く見せる効果もあるのでしょうか。

パピルスの女王ネフェルティティ(古代エジプト第18王朝<紀元前14世紀ゴロ>の10代目の王イクナートンの王妃)

また、メイクアップが効果的に見える距離もあるそうで、目の前で見るよりも、少し離れた5メートルくらい離れたところから見たほうが効果があるという研究もあります。
しかし、これ以上遠くで見る場合と、近距離で見るときでは、魅力を判断するポイントが異なり、遠い距離からは髪型、50メートルくらい離れた距離では唇の色が魅力に影響するという研究もありました。
眉の話に戻ると、目と眉の間の距離を短くすると目が大きく見えることも、実験によって明らかにされています。そんなところの距離を変えられるのかなどと思う読者もいるかもしれませんが、目に近い側の眉を書き足せば、眉を目に近づけることができるのです。

「眉の印象」を利用して逃亡を続けた殺人犯


2009年に、当時殺人容疑の指名手配犯として3年近く逃走していた市橋達也受刑者の整形が話題になったことがありました。美容整形による顔の変わりようも驚きでしたが、それ以前の、自分で眉を剃って変装した顔の変化にも驚きました。
眉を剃っただけで、目もつりあがった印象になり、まるで別人のように見えたのです。眉剃りの効果は、整形に勝るとも劣らないと感じたもののです。
実際、市橋受刑者が整形手術をする際に、病院内の誰にも指名手配犯と気づかれなかったのですから。つまりこれは、眉の形や位置を変えるだけで、つり目かたれ目かの印象を変えることができるという実証ともいえます。

ここで日本人と眉の関係を考えるため、少しだけ歴史を振り返ってみましょう。
眉で男女を区別している日本人ですが、日本人は古くから眉に気をかけていたように見えます。
日本ではその昔、眉をそり落とす風習がありました。
江戸時代の遊女が眉を焦がし、生えないようにする姿は、映画などで描写されたりします。眉を抜くのは女郎に限られたものではなく、江戸時代の武家の儀礼書には、女性は14歳から16歳になったら眉をそり落として眉をかくことが「本元服」と呼ぶ通過儀礼だと書かれていたそうです。

さらに江戸時代中期になると、庶民の間でも、子どもを産んだ女性は眉を剃り落とすことが一般的となっていったそうです。結婚した成人女性は「表情をあらわにしないことによって、慎ましく生きる」という心がまえがあり、そこからの習慣だと言われています。

眉を抜くという風習は平安時代までさかのぼります。
眉を抜いて額に眉を描くことは、男女にかかわらず高貴な身分を示すこと、権威の象徴でもあったのです。それが室町時代になると、身分や階級を示すこととして確立したそうです。
眉を消しお歯黒をする風習は、明治6年に当時の皇后が率先してやめるまで、続いていたとのこと。眉を消すという風習が、意外にも長く続いていたのには驚きました。

なぜ日本人は眉を剃り続けてきたのか

そして実は現代でも、若い女性の中に、化粧しやすいからと眉を全剃りする人がいます。ごく普通の女性に「私、眉は全剃りして全く無いんです」などと言われたことがあって驚きました。「眉は無くても困らない」といった考えが、今でも日本人の心の奥深くに続いているせいなのでしょうか。

化粧のために眉を剃るのは別として、眉をそり落とした顔を一つの表現として見せる人もいます。たとえばヤクザや格闘家とか、あるいは演劇やファッションで多少浮世離れした雰囲気を演出するような人たちの中にも見かけます。
こうした人達が、あえて眉をそり落としてしまう意図はどこにあるのでしょうか? 動物の顔に眉を描いたら愉快に見えたその逆に、人間の顔に眉がないと不安な気分にさせられます。おそらく、凄みを見せたいとか、あるいは人と差別化したいとか。そんなところでしょうか。

また、眉は表情を見せるパーツですから、その眉をなくすことによって、表情を読み取られないようにする効果もあるのでしょう。また、眉がない顔では生き生きとした表情は失われることから、この世から少し離れた存在として表現できるのかもしれません。
ひるがえって考えると、日本が古くから持ち続けてきた眉を無くす風習は、表情を伝える役割であるところの眉を隠すことにつながるわけです。それは表情を隠蔽する、あるいは表情をあらわにしないということにつながるのでしょう。

時代によって眉の太さが変わる、意外な理由とは

最後に、眉は時代を作るというお話です。眉の形状は時代によって変わると先にもお話しましたが、眉の太さは景気を反映するという説があります。

たとえば、バブル時代の女性は太眉で、オイルショック時の女性は細眉でした。つまり、太い眉が流行ると景気がよくなり、細い眉が流行ると景気が悪くなるというのです。とても不思議ですが、どうしてこのような現象が起きるのでしょうか。意図的な市場操作でも起きているのだろうかとも思ってしまいます。

そこには、いくつかの理由が考えられそうです。
まずは、作り手側の理由です。メイクアップ業界の関係者に聞いた話ですが、化粧の中でも眉を描き込むことは細かい作業であるため、メイクをする側の気分が筆にあらわれるというのです。つまり、眉には化粧をする人の気持ちが入りこむということなのです。
時代の気分がメイクを作り上げる人の手元から伝わり、たとえば景気がよい時の強気でイケイケな姿勢によって力強く太い眉が書き込まれていったり、景気の悪い時の気弱な気分で細い眉が描かれたりしているのかもしれません。
結果として、それぞれの時代を象徴するようなモデルの顔ができあがるのです。こうした顔がテレビコマーシャルや雑誌やネット広告などの媒体にのって、世の中に流布していく。さらには流行の眉はこれだということで、雑誌などで取り上げられて広がることになるのでしょう。



さらに進んで心理学の立場で言うと、その時代を生きる人々の気分は、その時代に合った眉を持つ顔から伝染するのではと考えられます。そもそも、前にも書きましたが表情には「伝染」する性質があります。表情を作り上げる眉から、表情や気分は伝染するのだと思うのです。

たとえば駅にある看板広告の女性の顔がしっかり太い眉をしていたとして、毎日その看板を見ながら会社に行く人々の中に眉の表情は伝染し、知らないうちに、彼らの眉もしっかりとした顔になっていく。逆に、テレビコマーシャルで流され続ける女性の顔が細くてうつろな眉をしていたとして、毎日その顔を見ながら過ごしているうちに、うつろな眉の表情が彼らの顔にも伝染し、知らないうちに気分もたよりなくなっていく……。そんな連鎖が生じるのではないでしょうか。

つまり、眉が変われば表情が変わり、その表情が人々に伝染されていくのにあわせて気分も伝染していく。その連鎖で、時代的な気分は伝搬していくと考えるのです。
眉によって、時代気分は伝染するということです。表情を作り上げる眉が伝染しあうことにより、それぞれが持つ気分が伝染しあい、時代的な雰囲気を作り上げるのかもしれません。眉の太さと時代のムードとの関連に注目してみると面白い発見があるかもしれません。

次回は8月6日(金曜日)公開の予定です(第1・第3金曜日掲載)

山口先生プロフィール

山口真美(やまぐち・まさみ)
お茶の水女子大学大学院人間文化研究科人間発達学専攻修了後、ATR人間情報通信研究所・福島大学生涯学習教育研究センターを経て、中央大学文学部心理学研究室教授。博士(人文科学)。
日本赤ちゃん学会副理事長、日本顔学会、日本心理学会理事。新学術領域「トランスカルチャー状況下における顔身体学の構築―多文化をつなぐ顔と身体表現」のリーダーとして、縄文土器、古代ギリシャやローマの絵画や彫像、日本の中世の絵巻物などに描かれた顔や身体、しぐさについて、当時の人々の身体に対する考えを想像しながら学んでいる。近著に『自分の顔が好きですか? 「顔」の心理学』(岩波ジュニア新書)がある。
〈山口真美研究室HPはこちら〉

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