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#008 「タンゴを探求したい」35歳で単身南米へ【アルゼンチン】/世界ニホンジン探訪~あなたはどうして海外へ?~

お名前:あかねさん
ご職業:タンゴダンサー
在住地:ブエノスアイレス(2016年~)
出身地:静岡
ホームページ:
https://akanetanguera.com/

「これをやったぞ!」と言えるものが欲しかった

――タンゴはいつからされてるんですか?

30歳くらいですね。タンゴ自体に惹かれたのは、20歳くらいの時に観た映画の『エビータ』です。マドンナ演じるエビータが貧困層からアルゼンチンの大統領夫人になる話なんですが、その中でタンゴを踊ってるんです。当時はアルゼンチンのことも、タンゴのこともよく分かっていなかったけど、その映画にとにかく惹かれていたのは記憶にずっとあったんです。それから月日が経って、仕事が落ち着いたタイミングで習い始めました。

――アルゼンチンにいこうと思ったきっかけはなんですか?

友人がタンゴの世界大会に出場するので、応援と旅行を兼ねてブエノス・アイレスに行ったんです。そしたら、「あ、私ここでいつかタンゴの勉強したい」ってふと思ったんです。それがきっかけ。でも、その時の私は34歳。私、8月末が誕生日なんです。アルゼンチンの世界大会を観にいったのが8月中旬。「あ〜もうすぐ35歳になるのか、四捨五入すると40歳か〜」みたいな感じ。結婚もしたいけど、彼氏もいなかったし。結婚相談所に登録しようかと色々考えている時期でもあったんです。

――そんな中、アルゼンチンを再訪する決め手になったのは?

私の人生で「これをやったぞ!」と言えるものが欲しかった。「私の人生はこの為にあった!」と自信をもって言えるものがなかったから、それがタンゴだったらいいなって。結婚とか考えるのはやりたいことやった後にしようって思ったんですよね。だから結局、世界大会から帰ってきて、3ヶ月後にはアルゼンチンに戻ってました(笑)。当時は1年くらいタンゴを勉強して日本に帰国しようと思ってたけど、現地で過ごすうちに「学ぶために3年は必要」と考えが変わったんです。

――なぜ1年では足りないと感じたんでしょうか?

やっぱり文化も含めて学ぼうと思うと1年じゃ足りない。タンゴの背景にある文化も合わせて学びたかったんですよね。タンゴそのものは身体的なものだから動き方をみたり、触ったりしながら学ぶことはできるけど、歴史的な背景だったりアルゼンチンにおいてタンゴってどんなものなんだろうっていうのを知りたかったから、いろんな人たちに話を聞いたり、こっちで生活する必要があるんですよね。でもこっちに来て気づいたんだけど、わたし、スペイン語が全然できなかったの(笑)。これじゃ話聞けないじゃん!みたいな。だから最初の一年はタンゴをしながらスペイン語をじっくり学ぶところから始めたんです。そしてしばらくして、タンゴを学ぶ過程でいまのパートナーとも出会い、気づけば移り住んでました。

公私ともにパートナーであるパトリシオさんと踊るあかねさん。

「タンゴに騙されているから帰りなさい」

――現在は何をしているんですか?

今はタンゴダンサーとしてミロンガ(夜に開かれるダンスパーティーもしくは社交場)で踊ったり、タンゴの講師をしてます。あとはタンゴライフアドバイザーとして、これからアルゼンチンにタンゴを学びにくる日本人のサポートやより良い学びのお手伝いをしています。

――そもそもアルゼンチンにおけるタンゴとはどういうものなんですか?

わたしも当時は国民みんなが踊れると思ってたんですよ。なんたって本場ですから。ただ、いざ来てみたら意外とマイナーだった(笑)。すこし古風な文化というか、日本で言う演歌のようなイメージかな。だからタンゴをやってる人って学校でいうと学年に数人いるかいないかくらいの割合なんです。いや〜驚きましたね。

――たしかにちょっとイメージと違いますね。

あと、すこし野蛮なイメージがある(笑)。当時「わたし、アルゼンチンタンゴを勉強しにきたの!」ってタクシーの運転手さんに言うと、「あ〜、そりゃタンゴに騙されてるから、こんな所にいないで早く日本に帰りなさい」って何回も言われました。アルゼンチンタンゴのはじまりって、海外からきた船乗りたちが、港町の酒場で娼婦の人たちと相性を確かめる時にやってたような踊りだったから、こっちではすこしアングラっぽいイメージがあるんです。ただ、ヨーロッパに輸出されて社交界に受け入れられた経緯もあって、世界では上品なイメージが定着してるので、いまでは観光産業としても発展してきています。そういった背景もあってアルゼンチンの中でも徐々に変化してきてはいる感じですね。

ミロンガの様子。

両替は銀行ではなくストリートで

――アルゼンチンに移住して驚いたことはありますか?

インフレで貨幣の価値が下がることですね。日本ではあまり考えられないけど、アルゼンチンはデフォルト(債務不履行)をしている国なので、紙幣価値が日に日に下がっていく。私が2016年の1月にこっちにきた時は、100ペソが大体1200〜1300円くらいの価値だったんですけど、今は100円程度になってる。

――10分の1以下じゃないですか。それじゃ両替した時すごい札束になりそうですね。

そうなんですよ。昔、社会の授業でパンを買うために札束をリアカーで引いてる風刺画みたいなのあったじゃないですか。リアカーまでは行かないけど、リュックは必要でしたね。滅多にないけど10万円くらい持ち歩かないといけない時は、リュックを前に抱えて走って帰るみたいな(笑)。あと、銀行で両替は絶対にしない。

――え? 普通は銀行でするのが安心ですよね。

レートが悪いんですよ。普通はGoogleとかで検索した時に出てくるレートくらいで両替することが多いですよね? でもこっちにはレートがいくつもあって、両替する場所によって全然金額が変わってくる。例えば、こっちに住んでる人はみんな「ブルーレート」と呼ばれるストリートの両替商で両替をするのが一般的で、銀行に比べて3倍くらい違う。だから誰も銀行で両替はしないんです。はじめて旅行する人はそれを知らないから銀行に行ってしまうけど、ブルーレートで両替をしないと大損するので気をつけてほしい。

楽になったコミュニケーション

――文化的な違いはありますか?

アルゼンチン自体が移民国家って認めているくらい多種多様な人種の人がいることですね。本当にいろんな人がいるから、日本で尖ってた人とか、受け入れられなかった人が来ても全然受け入れてくれる。例えば、全身ピンクの人がいても全然オッケーなんです。そこに違和感はありません。

――あかねさんも自らの個性が解放されるような体験はありましたか?

私の場合は、コミュニケーション面ですね。結構思ったことをストレートに言ってしまうところがあって、日本にいる時はキツイ言い方として受け取られて苦労することがよくあった。それがまずいなって思って、隠そうとして苦しかった部分がずっとあったんです。でも、こっちにきてからは「自分の意見を持っていて素敵だね」って言われることの方が多くて、すごく楽になりました。アルゼンチンは「自分の気持ち」を尊重してよい国なんです。例えば、友人に食べ物を勧められたら、お腹がいっぱいの時「ありがとう、でもいらないわ」とハッキリ言って大丈夫。日本だと気を遣って少しだけもらったりするじゃないですか。

日本の読者に向けて

――アルゼンチン移住を経て何か伝えたいことはありますか?

私は日本の女性にもっと海外に出てほしいと思ってるんです。私自身がそうだったように、35歳くらいの女性って「結婚! 結婚!」っていわれてて、結婚してないから行き遅れみたいなマイナスイメージがあるけど、国によっては全然そんなことはない。私の場合はアルゼンチンに移り住んだことでそうしたものから解放されたし、パートナーに関しても純粋に好きな人と一緒になろうと思えるようになった。

――社会の風潮に合わせる必要がなくなるということですね。

そうそう、自由になるんだよね。なおかつ自分のやりたかったことを実現したいって素直に思えるんです。だから、どんどん日本の女性に世界にでてほしい。日本で縮こまって、「結婚してない自分はダメな人間」という自戒は必要ないし、海外に出たらそんなこと考える意味はまったくなかった。私自身がそうだったから、このことを伝えていきたい。タンゴじゃなくても「自分のやりたいこと」を海外も視野に入れて、もっと日本人女性に探して欲しいです。そしてそんなお手伝いを今後できたらいいな、と思います。

取材:2023年2月
写真提供:あかねさん
※文中の事柄はすべてインタビュイーの発言に基づいたものです

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聞き手

おかけいじゅん
ライター、インタビュアー。
1993年東京生まれ。立命館アジア太平洋大学卒業。高校時代、初の海外渡航をきっかけに東南アジアに関心を持つ。高校卒業後、ミャンマーに住む日本人20人をひとりで探訪。大学在学中、海外在住邦人のネットワークを提供する株式会社ロコタビに入社。同社ではPR・広報を担当。世界中を旅しながら、500人以上の海外在住者と交流する。趣味は、旅先でダラダラ過ごすこと、雑多なテーマで人を探し訪ねること。

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