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#040 世界最先端のIT国家で見つけた「使命」【エストニア】/世界ニホンジン探訪~あなたはどうして海外へ?~

お名前:神長広樹さん
ご職業:ITエンジニア
在住地:タリン(2017年~)
出身地:茨城

「アジア人は自分だけ」の学び場

――エストニアの大学院卒業後、現地でそのまま政府関係のお仕事をされているとのことですが、そもそもなぜエストニアの大学院に進学したのでしょうか?

 
2016年の大学生時代に、エストニアのサマースクールに参加したのがきっかけです。当時は1年間リトアニアに交換留学に行く予定だったのですが、せっかく留学するのなら人より長く学びの期間を設けたいと思い、留学の前後にそれぞれ2週間程度エストニアのサマースクールに参加することにしたんです。これがエストニアとの出合いですね。
 留学前のサマースクールは短編映画をつくるプログラム。留学後はエストニアの「電子政府」について学ぶプログラムでした。電子政府とは、主にコンピュータネットワークやデータベース技術を利用した政府のことで、エストニアは行政手続きの99%をオンライン上で完結できる世界で唯一の国として知られています。いま振り返ると大袈裟ですが、留学後のサマースクールの時にある種の「使命感」が芽生えたのが、その後エストニアの大学院に行くことになった理由かもしれません。

――「使命感」とは?

 当時からエストニアは、個人番号制度を用いてさまざまな行政手続きをオンラインで済ませることができました。世界の最先端を行く電子国家だったんです。日本でもマイナンバーが施行され、世界が電子政府化に向けて本格的に動き始めているタイミングでした。実際に、サマースクールの参加者たちも多国籍で、まるでミニ外交官のように最先端の学びを自国に持ち帰ろうという気概を持っていました。そのなかで、唯一のアジア人が私だったんです。

――なるほど、そこで「使命感」を感じたのですね。

 はい。今考えると若気の至りなんですが、当時は「自分が学ぶしかない」と思いました。自分がここで学んだことを日本に持って帰るんだ、と。あと、これは偶然ですが、それまでの自分が文系と理系の分野をバランスよく横断的に学んできていたので、「電子政府」という、文系(政治)と理系(デジタル)を掛け合わせた分野が、自分にとっても一貫性のある道として見えてきたんです。

――その後、エストニアの大学院に進学されたわけですが、当時は卒業後のキャリアまでイメージしていたのでしょうか?

 いえ、キャリアを見据えてというより、むしろ「勢い」の方が適切かもしれませんね。今後日本も関わっていく分野の最先端である国に自分がいる。専門家になるかどうかはさておき、今この環境で学ぶことは、広く日本社会に生きる1人の人間として自分なりの役目を見出した気がしたんです。

神長さん(左)。電子国家に関するサマースクールにて。

まだ「解」がない、未知の領域へ

――現在、日本でもマイナンバー制度が導入され、さまざまな問題も含めて話題になっています。エストニアでの学びが日本で活きる機会は多そうに思えますが、大学院を修了後、そのままエストニアで働き始めた理由はなんですか?

 大学院の2年間では勉強が足りないと感じたのが理由です。私もはじめは「修了後には錦の御旗を掲げて日本に帰ろう」と意気込んでいたものの、2年間では到底そのレベルには達していないという感覚がありました。そこで、エストニアに残って「最先端の電子国家だからこそ抱えている課題」と向き合える環境に身を置きたいと考えたんです。
 電子政府の最先端であるエストニアが直面する課題は、世界のどこにも「解」がない。言い換えれば、今後世界中で重要になるグローバルな課題です。つまり、自分がエストニアの政府に関わってその解を探す仕事ができたら、それは今後制度をつくっていく日本のため、ひいては世界のためになると感じたんです。

――その考え方に至ること自体がすごいと感じました……。どうやって政府に関わる仕事についたのでしょうか?

 独学でプログラミングや人工知能についても学び、最終的に電子政府と人工知能をテーマに修士論文を書きました。もちろん書いただけでは仕事につけないので、電子政府のデータ基盤を提供している会社の方に論文を読んでもらいました。それをきっかけに運良く採用してもらい、今もそこで働き続けています。

WEB上で行政手続きの99%を行なえるエストニア政府のサイト
日本で言うところの「マイナポータル」にあたるが、その差は歴然のようだ。 

世界中が注目する「秘密計算」という技術

――現在、具体的にどのようなお仕事をされているのでしょうか?

 私が働いている会社の代表的な製品は、「UXP」と呼ばれる電子政府における情報インフラ(データを安全に送受信する基盤)です。電子政府において非常に重要なもののひとつが、個人データの管理と、それらにアクセスして送受信する回路です。それらを安全に守るため、私たちの会社は通信の暗号化やアクセス権の制限を行なう製品を作って、政府に提供しています。
 その製品とは別に、私は機械学習を用いた異常検知や、「秘密計算」と呼ばれる個人の情報を秘匿したまま安全に計算を行なうシステムを開発しています。

――たしかに、国民が国に預けたデータが安全に管理されているのか、というのはすごく気になりますね。神長さんが注力している「秘密計算」というのはなんですか?

 データを暗号化されたまま計算することで、 プライバシー保護を強化する技術です。例え話をすると、おかさんと私が競合となるビジネスをしているとします。それぞれ別個にユーザーデータなどを持っているので、それぞれのデータベースを共有できると、お互いにとっても都合がよい場合がありますが、プライバシーの保持義務があるのでできませんよね。仮に、誰にも情報を漏らさないCさんという第三者にデータを預けて分析してもらい、プライバシーを侵害しない範囲で必要な情報を教えてもらえれば、理想的ですよね。この理想的な第三者(Cさん)が、秘密計算なんです。

――なるほど! エストニアではすでに秘密計算は実装されているのでしょうか?

 いくつかの実験はされていますが、本格的な実装はまだまだこれからですね。でも、アメリカの西海岸も秘密計算に注力し始めていて、秘密計算は世界的に注目されています。この分野に携わることで、今後日本を含め世界で貢献できたらと思っています。

なぜ人口130万人の国が最先端に?

――今更ですが、エストニアが世界最先端のIT国家になれた理由はなんでしょうか?

 エストニアならではの「自分たちで自分たちの強みを新しく創るしかない」というマインドが大きいと思っています。
 資源という面でエストニアを見ると、本当に何もありません。国土は海も山もない湿地で、基幹産業もほぼありません。さらに人口130万人という小国なので、内需ではなく世界のマーケットを意識しなければならない。その中で試行錯誤を繰り返して、結果的に選んだのが電子政府という道なんです。

――なんだか、新進気鋭のスタートアップのような国ですね。

 まさにその通りです。これだけ小さな国が世界と戦うには、新しいことをどんどん試せるフットワークが必要です。それを国家レベルで実践するには、法整備もスピーディーに行なわなければなりません。だからこそ、電子政府のような法改正をしなければ社会実装が進まない領域で強みを発揮し、結果的に他国よりも先んじているのでしょうね。
 実際、数年前にはフランスの自動車メーカーが自国では法的にできない自動運転の実験をしに自動運転が合法なエストニアに来ていました。小国ならではの強みを生み出してきたことが、エストニアの特徴だと思います。

暗い冬を越え、テラス席で暖かな日差しを満喫するエストニアの人々。

自分を支えてくれる「何か」が重要

――エストニアに関心を持つ方へアドバイスをお願いします。

 観光目的であれば、夏がおすすめですね。移住目的なら、冬を乗り越えられるかどうかが決め手です。花々が咲き乱れて過ごしやすい夏に比べて、冬は極寒で娯楽も少なく、厳しい季節です。なので、そもそも移住はお勧めしないのですが、がんばりたい何かがあって、その先にエストニアがあるのであれば移住してもよいのかなと思います。

――その国でなければいけない何か、が大事だと。

 そうですね。海外生活の実態は「つまらない」「寂しい」「これでいいんだっけ」などの負の感情との闘いです。幾度となく折れそうになる心を、私の場合は使命感が救ってくれました。挫けそうになる自分を支えてくれるものがあるといいと思います。

エストニアの大学のサマースクールで教壇に立つ神長さん。
以前は生徒だったが、現在は教える側となった。

取材:2023年9月
写真提供:神長広樹さん
※文中の事柄はすべてインタビュイーの発言に基づいたものです

【お知らせ】
「世界ニホンジン探訪」は取材期間に入るため、
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聞き手

おかけいじゅん
ライター、インタビュアー。
1993年東京生まれ。立命館アジア太平洋大学卒業。高校時代、初の海外渡航をきっかけに東南アジアに関心を持つ。高校卒業後、ミャンマーに住む日本人20人をひとりで探訪。大学在学中、海外在住邦人のネットワークを提供する株式会社ロコタビに入社。同社ではPR・広報を担当。世界中を旅しながら、500人以上の海外在住者と交流する。趣味は、旅先でダラダラ過ごすこと、雑多なテーマで人を探し訪ねること。

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