見出し画像

大学入学の周辺 ──『異邦人のロンドン』番外編②

 朝日新聞GLOBE【世界の書店から ロンドン編】で15年にわたり執筆を続ける園部哲(そのべ・さとし)さんが、自身初の著書となる『異邦人のロンドン』を9月26日(火)に出版します。

 最初はビジネスマンとして、今は翻訳者として30年以上滞在しているロンドンの街を、「移民」の視点から描くこの本には、王室報道ではお目にかかることのできない、コスモポリタン都市の素顔があります。

 本書の発売を記念して、単行本『異邦人のロンドン』には収まりきらなかった、とっておきのエピソードをご紹介します。
 あなたの知らないロンドンの姿が、きっとここにあります。
(編集担当IT)

 イギリスの大学が日本とどう違うか、いろいろと驚くことがある。学問とか組織の内容といった深い話ではなく、入学までの道のりだけでも日本や欧州大陸とはだいぶ違う。
 
 最初にびっくりしたのがイギリスの「学生ローン」だった。
 日本の「奨学金」との違いは豆腐・納豆論に似たところがある。トウフは豆の煮汁を型枠に納めたものだから「納豆」と、ナットウは豆を腐らせたものだから「豆腐」と書くべきだろうという例の俗論。つまり、名が体を表していない、逆ではないかという説。

 奨学金と学生ローンとではどちらが返済義務がきついと思う? と尋ねたら誰だって学生ローンじゃないの、と答えるだろう。ところがどっこい、それはまったく逆で、英国の学生ローンは場合によっては返さなくてもいい代物だったのだ。金融取引ではガチガチで規律に厳しい英国人のこと、そんな手ぬるいことをさせるものかと思ったのだが、させるのである。

 現在のイギリスの大学の授業料は年間一律9,000ポンド(167万円)でこれを全額借りることができる。これに4,000ポンド(74万円)の生活費を上乗せしてもいい。最大240万円程度になるけれど、別に全額借りず半分でもいい。

 さてこれをどう返済するか? 所得連動型返済方式となる。平たくいうと出世払い。不幸にして就職できなかったり、就職できても給料が低ければ返さなくてもよく、返済義務が発生するのは年収が約27,000ポンド(500万円位)を超えてから。だから「年収450万円しかなくて苦しいの」というような卒業生は返済しなくていい。

 そして極めつけはローンの棒引きである。返済開始から30年経過したら(または65歳に達したら)、ローン残額がいくら残っていようとチャラになる。これは個人単位だから、裕福な配偶者にめぐまれて御殿暮らしをしていてもその本人の年収が低ければ、ローン逃れはエンジョイできる。返済しなくていいということは、貸し手(非政府組織)としては必然的にデフォルト(債務不履行)の発生を想定しているということになる。だいたい40%前後のデフォルト率を織りこみ済みなのである。

 言い換えると、大学教育を受け無事就職して安定高収入を得た人だけに払ってもらおうというものだから、ある意味で成功税みたいなものだ。このへんてこりんな制度は、サッチャー政権が導入した市場原理のアイデアと昔からの福祉国家としての理念の折衷というべきかもしれない。

英国一美しい大学とされるロイヤル・ホロウェイ大学

 大学入学の手続きもあまり知られていない。それはとんでもなく風変わりだ。かくいう僕も娘の大学進学準備の過程を横で見ていたからこそ理解できたのであって、ガイドブックなど渡されてもちんぷんかんぷんのままだったろう。

 イギリスの大学には欧州の大学同様、各大学が設ける入学試験というのはない。欧州の場合には、基本的には高卒証明となるバカロレア(フランス系)なりアビトゥア(ドイツ系)という大学入学資格試験の結果次第になる。結論だけいえば、イギリスもAレベルという入学資格試験の結果次第で希望の大学学部に入れるかどうかが決まる、という意味では大陸と同じ。

 けれども、そこに至るプロセスがイギリスらしく、話し合い・合議・若干のギャンブル要素をふくむうねうねとした道のりになっている。最後の最後の場面で、敗者救済の場外取引が行われるというのもイギリスっぽい。

 先ずはこのややこしいプロセスの基本だけを簡単に説明しよう。
 高校生たちは卒業年、つまり大学入学年の年初1月までに、志望大学に宛てて「なぜ貴校で勉強したいか」などを縷々綴った申告書を送付する。これに合わせて、この高校生(スザンナとしておこう)の指導教師は、半年後のAレベル試験でスザンナは「英語A・歴史A・数学B」という成績を取るであろう、という成績予測を添える。大学側はスザンナの申告書と指導教師による成績予測を勘案し、よろしい、スザンナにはうちの大学に来て欲しいからAレベルでは予測通り「英語A・歴史A・数学B」を取ってね、というオファーを返す。つまり、停止条件付きの予約みたいなものだ。オックスフォードとケンブリッジの場合は、このオファーとは別に個別面談があるので、それに呼ばれないと落ちたことになる。

 指導教師の本音としてスザンナの英語はせいぜいBだと思っていてもAという予測を出したのかもしれない。これは残り半年でスザンナに発憤してもらうための鞭である。成績予測にはそういう使い方もある。

 6月に全国共通Aレベルの試験が開催され、8月の中旬にその結果が出る。この結果は各高校に送付され、学生はこの封筒を受け取りに母校へ向かう。Aレベルの結果が入った封筒を開けて飛んだり跳ねたりの大騒ぎ中継は、8月のテレビニュースの定番だ。日本でよくある大学合格掲示板前での胴上げ風景と同じようなものと思ってよい。スザンナが恐る恐る開封した成績通知には「英語A・歴史A・数学B」と記されていた。先生のお告げ通りだった! 彼女は志望大学に合格したことになる。だから髪を揺らして飛びはねる。

 だが、スザンナの隣でマークが青ざめていた。教師が予想してくれた「英語A・物理A・数学B」には未達の「A・B・B」だったのである。志望大学不合格である。しかし、来年また頑張るぞという捲土重来にはならない。
 
 つまり自動的に大学浪人ということにはならず、マークはすぐにほかの大学の「空き」状況を調べまくり「A・B・B」でも入れる大学を探す。志望学部を変えることもありうる。こうしてマークはインターネットで空席状況を見、電話をかけまくって交渉を始める。基本的には早い者勝ちであり、傍観者からするとこの局面が一番スリリングだ。この土壇場の取引をクリアリング(clearing)と称する。クリアリングというのは金融用語でもあり、手形交換とか清算という意味。残滓を残さない、という意味である。

 もちろんどうしても第一志望の大学に行きたいという執念がある場合には、翌年トライすることもあり得るけれどもそうした例は少ない。

 ややこしいことこのうえない。球技とは単にボールをかっ飛ばすかゴールに入れるかだけが目的の遊びなのに、そこに複雑怪奇なルールを絡めてドラマに仕立ててきたイギリス人の才能なのか。

 そうあからさまにではないけれど、日本人からときどき尋ねられる質問のうちで、ああ、とても日本的だなと感じるものにこういうのがある。

「その大学は偏差値でいったらどのへんのレベルですか?」

 親戚の息子が・友人の娘が留学することになったあの大学、あるいは今度地元の高校に外国語指導助手としてやってくる英国娘の出身大学、などが一体全体どういう位置付けなのか知っておかないとなんとなく落ち着かない、そうした表情で投じられる疑問である。

 偏差値による学校の序列付けという日本人のこだわりはさておき、大学の序列を知りたいという気持ちはわかるし、イギリス人はそういうことに無頓着かというとそんなことはない。ここの国民も結構ランキングは好きで、タイムズ紙は毎年、セカンダリー・スクールの私立・公立別全国ランキングのみならず小学校の全国ランキング表(500位程度まで)を掲載するくらいだ。大学のランキングはどうかというと、タイムズ紙のような一般紙には載らず、高等教育情報誌のような専門誌でしかお目にかからない。

 そもそも入学試験などのない小学校や公立のセカンダリー・スクール(公立でも選抜入試ありの学校はある)をどうやって格付けしているかというと、小学校の場合は英語と算数などの学力テスト、セカンダリー・スクールの場合は、すでに触れたAレベルとその数年前に行われるGCSE(中等教育終了試験)の結果を使う。

 言い換えると、日本では学校のランキングは入学試験の難易度で、イギリスの場合には在学中の全国統一学力試験で決まる。大学には全国一斉学力試験などないから、各校の論文提出量とかそれが全世界でどの程度引用されているかという「業績」でランク付けをするが、そんなものに一般大衆は興味がないので、専門誌に掲載されるというわけだ。その結果だけをつまみぐいして一般メディアが報じることはある。

 大方の予想通り、イギリスの大学ランキングでは1位、2位にオックスフォードとケンブリッジが入り、3位以下にロンドンの各大学が入ってくる。この順序は戦後一貫して変わっていないのではないだろうか。冒頭の日本人質問者が問う「その大学は」の大学は、これら伝統的トップ校ではなく、マンチェスターとかバーミンガムとか都市名のついた大学のことを指しているのだと思う。細かい順位はわからないし、学部によっても違ってくるので、大雑把に言えることは、ラッセル・グループに属する24の大学ならばトップクラスと見なされているということだ。

 英国の階級制度について触れる章で語ることになると思うが、イギリスに学閥があるのかどうかという問題について少々。日本語の学閥がかもす雰囲気とは違うけれども、「閥」という言葉が意味する「団結して結成する排他的な集団」は確かに存在する。しかしそれは大学の段階ではなく、中高一貫のセカンダリー・スクールの段階で形成される。つまりイートンやハロー、あるいはラグビーやウィンチェスターといったセカンダリー・スクールを出たかどうかが肝なのだ。オックスフォード出身者が固まって騒いでいたとしても、それはオックスフォード閥というよりは、イートン校やハロー校からたまたまオックスフォードに進んだ集団なのである。

 イギリスの大学進学希望者の夢は大学に入って親元を離れることだ。実家がロンドンで、進学先がロンドン市内の大学だった場合でもそうで、学生寮に入ったり、場末の狭苦しいアパートで共同生活することもいとわない。地方都市の大学を選んだ若者たちは、共同生活を楽しみにロンドンから北へ西へと散ってゆく。興味深い風習は、大学1年生は基本的に大学寮で生活し、2年生になった時、数人(4~8人)の仲良しグループで町へ出て学生向けアパートを借りるという不文律だ。

 1年生用の学生寮はまかない付きと自炊型のどちらかを選べるほか、何棟もある寮のうちから好み寮を選べる。長い年月のあいだにそう進化してきたのだろうというしかないが、それぞれの寮は個性豊かで、その噂は入学・入寮前の学生の耳に届いており(先輩からの情報、ネット上の評判)、各自自分に向いた寮を選んで入寮応募をする。ハードなパーティー(つまりアルコールや薬物を)で有名な寮、寄宿学校育ちのお上品な学生の集まりがちな寮、公立学校出身者の多い寮、とチョイスの幅がある。エジンバラ大学(イギリスではなくスコットランドの大学だが)は外国人留学生から人気が高く、最近では「ロシアの王女さまたち」がたむろすという評判の寮もある。

 だが、コロナ・ウィルスは大学生の暮らしも学びも変えた。学寮閉鎖、授業の完全オンライン化という最悪時は乗り越えたものの、相変わらず授業はオンラインと対面の混淆で、アコーディオンの蛇腹のように伸び縮みする規制に合わせ、学生はキャンパスに戻ったり自宅に帰ったり、翻弄される日々が続いた。

 良い面もある。ベッドからパジャマのままで画面に向かって講義を受けることができる。大教室だと手を挙げて質問するのが恥ずかしいが、オンラインだと画面の隅っこにちょこちょこと質問を書きこめる。録画の授業だと二倍速の早送りでも十分に理解できる。授業料の9,000ポンドがもったいない。金返せデモでもしてやろうか。若い人はいつもしたたかでいい。

園部 哲(そのべ・さとし)
翻訳家。1956年、福島県生まれ。79年、一橋大学法学部卒業、三井物産入社。2005年同社退職、翻訳者に。訳書に『北極大異変』(集英社インターナショナル)、『北朝鮮 14号管理所からの脱出』『アジア再興』『アメリカの汚名』『ニュルンベルク合流』『エリ・ヴィーゼルの教室から』『第三帝国を旅した人々』『上海フリータクシー』(以上、白水社)、『密閉国家に生きる』『人生に聴診器をあてる』(共に中央公論新社)。朝日新聞GLOBE連載「世界の書店から」英国担当。ロンドン郊外在住。
Instagram(@satoshi_sonobe)

★絶賛予約受付中★
『異邦人のロンドン』園部哲・著

2023年9月26日(火)発売
定価:1,980円(税込)
発行:集英社インターナショナル(発売:集英社)
体裁:四六判ハードカバー/224ページ


更新のお知らせや弊社書籍に関する情報など、公式Twitterで発信しています✨️ よかったらフォローしてください(^^)