#033 アフリカで日本の「おいしい」を広めるからあげ屋さん【ガーナ】/世界ニホンジン探訪~あなたはどうして海外へ?~
お名前:関根賢人さん
ご職業:からあげ店経営者
在住地:アクラ(2021年~)
出身地:埼玉
X:https://x.com/kento_sekine
学生時代に企画した「”食”の東京世界一周旅行」
――ガーナでからあげ屋さんをされているとのことで、聞きたいことがたくさんあるのですが、そもそも食への関心は強かったんですか?
親が共働きだったので自分で料理を作る機会も多く、料理自体は昔から好きでした。とはいえ、食を通じて何かしたいと思うようになったのは、大学時代ですね。
――何か大きなきっかけがあったのでしょうか?
友達と旅行形式で東京の外国料理を食べ歩いたのがきっかけです。学生時代から世界中を旅して食べ歩くのが好きだったので、日本にいる時も友人に「今度ギリシャ料理食べに行こう」「サウジアラビア料理はどう?」などと声をかけることが多かったんですが、当時はなかなか興味を持ってもらえませんでした。そこで思いついたのが「”食”の東京世界一周旅行」です。世界旅行に見立てて、東京の外国料理屋さんを食べ歩くんです。すると、料理自体には興味が薄かった友人も「それなら面白そう!」と一緒についてきてくれたんですよね。
――すごい楽しそうです!
楽しかったですね。これまで海外料理に興味が薄かった友人が「アルゼンチン料理ってこんなにおいしいんだ!」とか、企画の過程で食の価値観を広げていく様子を目の当たりにしました。自分の行動で誰かの「おいしい」の選択肢を増やすことの面白さに気付きましたね。この体験が今の仕事にもつながっています。
「カシューナッツ」を通じて知ったアフリカの世界
――ガーナ移住前は何をされていたんですか?
東京で昆虫食に関する会社を経営していました。大学卒業後、銀行員とフレンチシェフを経験した後、人々の「おいしい」の幅を広げるビジネスができないかと思い、友人と日本橋を拠点にコオロギラーメンやコオロギビール、旬の虫を使ったコース料理などを開発・提供する会社をはじめました。
――僕も以前、コオロギラーメンを食べたことがあります! まさかそこの経営者だったとは……でも、どうしてそこからアフリカへ?
昆虫食の会社を2年半ほどやったタイミングで、次は「スペシャルティ・カシューナッツ」の文化を作りたいと思っていたんです。日本で売られているカシューナッツは「インド産」や「ベトナム産」と書かれていることが多いんですが、加工のためにそれらの国を経由しているだけで、元を辿ればアフリカ各国が原産国であることが多いんです。コーヒーなどは産地をベースとした「スペシャルティ・コーヒー」を楽しむ文化がある一方で、カシューナッツはアフリカが産地であることすらあまり知られていないのが現実ですよね。それがすごくもったいないと感じて、産地をベースにカシューナッツを楽しむ文化を作れないかと思ったんです。
――たしかに、カシューナッツにアフリカのイメージはなかったです。
ですよね。あと、カシューナッツはカシューアップルと呼ばれるリンゴのような果実の下にぶら下がった種子の中の部分なんですが、その果実部分は日持ちしないので99%が捨てられてしまう現状があります。その部分を使った商品を開発すれば、食糧廃棄を減らすビジネスも成り立つのではないかと考えたんです。元々アフリカで食に関するビジネスをやりたいという想いはあったので、とりあえず現地に行ってみようと、最初に訪れたのがガーナでした。
最優先は「小規模農家の収入源を増やすこと」
――なぜ最初にガーナだったんですか?
航空券が一番安かったんです(笑)。カシューナッツの原産国には、ガーナだけでなくコートジボワールやナイジェリアなどさまざまな国があるんですが、最初は軽く視察をしたかったので、一番安かったガーナに決めました。結果的に、アフリカの中でも比較的治安がよく、市場も大きかったので正解でした。
――そのままガーナへ渡り、カシューナッツのビジネスを開始されるのでしょうか?
いえ、ガーナを訪れた結果、カシューナッツビジネスはやめることにしたんです。アフリカで食のビジネスをやる上で、僕が最優先にしていたのが「小規模農家の収入源を増やす」ことでした。彼らが農業で得られる収入は平均で1日2ドルほど。農家さんが経済的に苦しい状況を変えることは、僕にとっては欠かせない要件でした。その上で、カシューナッツビジネスではそれを実現できないと判断しました。ガーナで3ヵ月ほどホームステイをしながら調査をしていくうちに、カシューナッツが年間に2~3ヵ月しか収穫できないことや、収穫作業がハードワークで女性が働くことが難しいといった現状を知りました。これでは、ビジネスのインパクトや広がりにも限界があると感じたんです。
――現地に行ったからこそ気づけた点ですね……そこからどうされたんですか?
調べものをしながら考え着いたのが「養鶏」でした。養鶏は一般的に年間を通して成り立つビジネスで、女性も働くことができます。これなら小規模農家でも始めやすく、収入増加を実現できる。また、養鶏だけではなく、その出口として「からあげ屋さん」も始めることで、新たな雇用を生む仕組みを考えたんです。
アフリカに「おいしい」を増やしたい
――そういった経緯があって、今はからあげ屋さんをされているのですね。
はい。ガーナのアクラというところで養鶏場とからあげ屋を経営しています。養鶏場は小規模農家へ委託することで雇用を生み、からあげ屋はその出口としています。同時に、日本の「おいしい」をアフリカに増やしていく一つの拠点として、からあげをメインに、鶏ガララーメンやだし巻き卵、焼酎などを提供しています。最近では自分達でつくった卵を農村部の小学校や孤児院に給食という形で配布することも始めました。
――孤児院などに卵を提供することにした理由はなんですか?
ガーナ農村部の食環境は、水や炭水化物は足りている場所も多いんですが、タンパク質が圧倒的に不足しているんです。孤児院でも給食は出ますが、イモ類や米類が多く、タンパク質が豊富な卵などは金額も高く手に入らないので、そうした場所に定期的に卵を提供することにしたんです。
――ガーナで現在のお仕事をつづけるモチベーションや理由を教えてください。
アフリカに来て一番感じたのが、「おいしい」の選択肢が少ないということでした。食事は1年間で約1,000回ほどする行為です。その一つひとつが楽しく豊かなものになっていくことは、人生の豊かさにも直結します。日本の食文化を輸入し、アフリカの人々の「おいしい」の選択肢を増やし、価値観を広げていくことが根底のモチベーションですね。
土地のダブルブッキング
――ガーナで仕事をする上で、カルチャーショックはありましたか?
何事にも時間がかかったり、思った通りにはいかないことが多い点ですね。もともと物事をスピーディに進めていきたい性格なので、最初は戸惑いました。ガーナに来た当初はお金もなかったので、からあげ屋も路上の屋台としてスタートすることにしました。でも、テントや調理機材をオーダーした業者が「明日行く」と言いながら、全然来なかったんです(笑)。一週間経っても来ないので、その人の家に行っても居なくて、結局お金をだまし取られてしまったことがあります。今振り返るといい思い出ですね。
――なんと…これまで一番大変だったことは何ですか?
土地のダブルブッキングですね。からあげ屋を出店する土地を一週間ほどかけて見つけて、契約書も交わし、お金も払っていたんですが、いざ訪れたら全然知らないお店が出店していました。よくよく話を聞いていくと、そのお店も契約書を持っていて、土地のダブルブッキング状態になっていたんです。多少抗議はしましたが、そこに労力を割くのも面倒だと思い、あきらめて他の場所に出店しましたね。こちらでビジネスをしていくと日本ではあまり経験したことのないトラブルがよく発生します(笑)。
自分がワクワクする方向へ
――今後について教えてください。
日本の「おいしい」を軸に、アフリカを代表するようなフードカンパニーを作っていきたいと思っています。直近の目標はからあげに限らず、ラーメンや餃子など、日本の食の魅力を最大限生かしながら、ガーナでも愛される店舗を増やしていくこと。いずれは隣国のコートジボワールやナイジェリアなどのアフリカ各国に広げていきたいと思っています。
――海外に関心を持つ読者に一言アドバイスをお願いします。
気軽にフットワーク軽く「とりあえず行ってみる」といいと思います。現地に行かないと何も始まらないですし、何もわからない。来てみると、意外とアフリカも過ごしやすくてたのしいですよ。考え過ぎたり悩み過ぎたりする必要はなくて、自分がワクワクする方向へふらっと進んでいいと思います。
取材:2023年8月
写真提供:関根賢人さん
※文中の事柄はすべてインタビュイーの発言に基づいたものです
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聞き手
おかけいじゅん
ライター、インタビュアー。
1993年東京生まれ。立命館アジア太平洋大学卒業。高校時代、初の海外渡航をきっかけに東南アジアに関心を持つ。高校卒業後、ミャンマーに住む日本人20人をひとりで探訪。大学在学中、海外在住邦人のネットワークを提供する株式会社ロコタビに入社。同社ではPR・広報を担当。世界中を旅しながら、500人以上の海外在住者と交流する。趣味は、旅先でダラダラ過ごすこと、雑多なテーマで人を探し訪ねること。