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【世界は「プランB」で出来ている 第3回】金融緩和をやめない黒田日銀に「プランB」はあるか?

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急激な円安をものともしない黒田総裁

 
日銀の黒田東彦総裁は7月21日の記者会見で、金融政策の従来方針を「変更しない」と表明した。3月に始まった急激な円安(ドル高)を止めるには、日銀が方針を変更して、市場に供給するマネーの量を減らすべきという意見がある。なぜなら、金融が現状より引き締められれば、理屈では円安圧力が止まるからだ。
 
ロシアのウクライナ侵攻によって天然ガスや原油が値上がりしており、資源のほとんどを輸入する日本にとって、円安はまさにダブルパンチである。この状態では国富が外に流れ続ける。したがって、目先の円安を止めたければ、日銀は「異次元緩和」(積極的な金融緩和でマネーの量を増やすこと)をやめるべきだろう。ただ、黒田日銀が2013年以来掲げている金融緩和の「旗印」を考えると、投機的な円安を理由に政策を転換するとは考えにくい。
 

インフレ目標2%という「旗印」

 
その「旗印」とは「2%」のインフレを実現して、長年続いたデフレに終止符を打つことである。
 
2000年以降、日本経済がデフレに苦しんできたのはご存じの通りだ。2013年4月、総裁に就任したばかりの黒田氏は「2%の物価上昇」を2年程度で実現するという目標(つまりプランA)を立てた。そのために、日銀は大量のマネーを市場に供給するわけだが、この旗印は9年以上が過ぎてもいまだに続いている。
 
日本の今のインフレ率はどうなっているのか?異次元緩和後もなかなか物価は上がらなかったが、直近インフレ率がようやく「前年比プラス2%」に到達した。ただ、インフレ率が9%前後の欧米諸国と比べると、日本の物価は上がっていない。つまり、黒田氏が頑固に利上げしないのは、いちおう理屈にはかなっている。
 

物価は上がりつつあるが、旗印は下ろせない

 
一方、実際の庶民感覚は「インフレ率2%なんてものじゃない、もっと値上がりしているはずだ」というものだろう。統計上の数字と庶民感覚に食い違いがあるのは、価格変動が大きい食料品やエネルギーなどの価格が、消費者物価指数の計算に入っていないからだ。庶民の暮らしと乖離かいりしたところで金融政策が決められるのは始末が悪い。
 
ただ、曲がりなりにも2%のインフレが起きているので、日銀は目的を達成しつつあるようにも見える。しかしながら、今の物価高はウクライナ戦争や気候変動などにより、さまざまなコストが上がったことの結果で、景気回復や賃金上昇から来たものではない。経済構造が脆弱ぜいじゃくな状況で日銀が利上げをすると、来年には日本経済はデフレに舞い戻るリスクがある。
 
そのリスクを考えると、「異次元緩和」という旗印を下ろすのはまだ早いという理屈もまた成り立つ。
 

日銀の緩和政策の副作用とは

 
だが、日銀が旗印を堅持しているため、金融市場に大きな歪みが生じているのは事実だ。
 
それは日銀が行なっている国債と株式(ETF)の大量買い入れが原因である。国債や株式の価格を下支えすれば間接的に景気にプラスになる。
 
だが、問題はその規模だ。
 
日銀による買い入れは2013年から本格化されたが、ピークで国債に年間約80兆円、株式に年間約6兆円もの巨額が投入されている。これはいくらなんでも「やり過ぎ」と言われても仕方ない。
 
巨額買い入れの副作用は、国債や株式の「価格形成機能」が奪われることである。
 
市場で取引される金利(国債)や株価は景気や企業業績の先行指標になるが、日銀がまとめて買い取るのだから、そうしたマーケットの機能は働かない。また、市場参加者が、最後は日銀が国債や株式を買い取ってくれると思い込めば、正常なリスク感覚がなくなることも大いにありえるわけで、ここにもマーケットの機能が歪む可能性がある。
 
このような状況は前例がなく、誰も先行きを予想できない。かと言って、ここで日銀が株式や国債の買い入れ額を減らすと、市場が暴落しかねない。
 
まとめると、日銀の政策転換は「進むも引くもままならない」状況である。
 

デリケート且つ機動的な「プランB」

 
このまま異次元の金融緩和を永久に継続させることはできない。上記の副作用がどんどん深刻化するからだ。では、日銀はどんな「プランB」を持っているのか。今後次のような局面で「プランB」の発動が求められるはずだ。
 
·  インフレ率2%が続いても賃金上昇が起きないとき
·  インフレよりも景気後退が先に来てデフレに逆戻りしたとき
·  国債と株価が暴落を始めたとき
 
こうやって見ると、日銀の取れる「プランB」のオプションはきわめてデリケートなものであり、しかも、やるとなれば機動的に行なわないと意味がないことが分かる。
「事態が変わったから、金融緩和はやめます」という、単純な「プランB」では市場に太刀打ちできない。
 
米国FRB(連邦準備制度、米国版日銀)のグリーンスパン元議長が1990年代に「神の手」と呼ばれる微調整を繰り返したが、その彼でさえ成功続きだったわけではない。ましてやグリーンスパンの場合は彼の独断で物事を決められたが、日銀の場合はあくまでも合議が原則だ。このような意思決定の仕組みで、臨機応変の対応ができるのだろうか。
 

論理的でない市場と「サクセス・トラップ」の危険

 
さらに付け加えれば、日銀は論理的に金融政策を決めるが、市場は論理的に動くとは限らない。むしろ、その逆のことが多い。これもまた厄介だ。
 
例えば、「後悔回避」という心理状況がある。文字どおり、「やったことを(あるいは、やらなかったことを)後悔する事態は避けたい」という心理である。この意識が強すぎると、人はかえって大きな失敗を招いてしまう。
 
たとえば、「日銀は金融緩和をそろそろやめるだろう」と思うのならば、投資家たちは本来、できるだけ早く売って、手じまいしたほうがよい。ところがここで「後悔回避」の心理が起きると、躊躇が生まれる。「軽挙妄動して、儲けぞこないたくない」と思って、ぐずぐずしていると自分自身も損をするし、そういうプレイヤーが多いと市場全体にまで影響は波及して、想定外の暴落が起きる。
 
また、日銀の政策自体が「サクセス・トラップ」になっている可能性がある。
 
 

 
組織は成功体験を積むことが次の成功につながる。しかしその一方で、成功体験が「アダ」となることも少なくない。前もうまく行ったから今度もうまく行くだろうと油断して「プランB」の発動を遅らせ、結果、大失敗する例は少なくない。
 
これを今の日銀に当てはめれば、金融緩和がここまでは大きな副作用もなく成功をつづけているために、根拠なく「現状維持でいいのではないか」という心理が起きる可能性がある。外部から見るとネガティブな材料ばかりなのに、当事者たちはそれを無視して、うまく行っている部分だけを注視するし、また部下たちも悪い情報を伝えてこなくなる。
 
今の日銀は自己点検が何よりも必要だ。論理的に動かない市場という「魔物」を相手にしなければならないとき、まず必要なのは自己の置かれた状況を正しく観察することであり、「サクセス・トラップ」などに陥っていないかを吟味すべきなのである。

(以下に続きます)

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著者プロフィール
尾崎 弘之(おざき ひろゆき)
1960年、福岡市生まれ。1984年東京大学法学部卒業後、野村證券入社。ニューヨーク法人などに勤務。モルガン・スタンレー、ゴールドマン・サックス勤務を経て、2001年にベンチャー業界へ転身。ベンチャー・キャピタル、複数スタートアップ企業の立ち上げ、エグジットに関わる。2005年より東京工科大学教授。2015年より神戸大学科学技術イノベーション研究科教授、同大経営学研究科教授(兼任)。
政府で核融合エネルギー委員会委員などを務める。博士(学術)。著書多数。


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