#016 会社を辞めゴールデン街へ、そして海外移住【スリランカ】/世界ニホンジン探訪~あなたはどうして海外へ?~
お名前:神谷政志さん
ご職業:スリランカ専門誌発行人
在住地:コロンボ(2016年~)
出身地:東京
神谷さん発行の「Spice Up SRI LANKA」公式HP:https://spiceup.lk/
会社を辞めてゴールデン街へ
――神谷さんはもともと東京で会社員をされていたんですよね。当時から海外への関心はあったんですか?
大卒で就職サイトを運営する会社に入社したんですが、当時は海外で仕事をするどころか、海外旅行にすらろくにいったことがありませんでした。そんな中、入社6年目くらいから海外研修に関わる仕事をするようになったんです。それで東南アジアで起業している日本人の元へ学生を連れて行くようになったんですけど、それがすごい面白かった。そこで「海外に送る側より、受け入れる側の方が面白そうだな」と思うようになってきたんです。研修で海外に行っている間は最高に楽しいわけなので、一番最高なのはずっと海外にいる状態に違いない、って。
――たしかに受け入れる側はずっと海外にいるわけですもんね。そこから会社を辞める決め手になったのは?
入社10年目のタイミングで、「やべえ、10年経っちゃう」って思ったんです。周りを見渡すと10年間同じ会社で勤めている人はあまりいなくて、元気な仲間は会社を経営していたりして、自分もチャレンジしたいなって思ったんです。その時はなんとなく「海外関連の仕事をしたいな」って想いを抱きつつ、なんのあてもなく辞めちゃいました。
――すごいですね。スリランカとはどうやって出合ったんですか?
会社を辞めてからはフリーランスで海外研修の仕事をやってたんですが、あまり稼げている状態ではなかった。そんなとき、ゴールデン街でバーをやっている先輩に「英語が多少できれば大丈夫だから働かないか」って言ってもらって、その店でバーテンダーとして働き始めたんです。
働き始めて半年くらい経ったある日、会社員時代に海外研修でお世話になった方がお店に来て、「この間スリランカ行ったんだけど、めっちゃ最高だったから今度一緒に行かない? いつ行けんの?」って言うんです。「7月くらいですかね」って言ったら、「じゃ、チケット取っちゃうよ」って。それで本当に行くことになった。これがスリランカとの出合いですね。
――怒涛の展開ですね!
ノリで行ったスリランカで、ノリで会社設立
――どんな流れでスリランカに移住することになったんでしょう?
スリランカに行って、そのままノリで起業することになったんです。当時、バーにきてくれた方を含めて4人でスリランカに行く予定だったんですけど、僕は飛行機の時間を間違えちゃって、乗り遅れたんです。僕だけ3日くらい遅れてスリランカに着いたら、3人は「とりあえず会社をつくろうよ」みたいな話になってて、そのまま会社を設立することになりました。事業内容はその時の思いつきで5つほど書いたら、多少の修正・差し戻しがありましたが、登記が認められて会社が設立できました。
――え? そもそも会社を作ろうという話はあったんですか?
4人全員が東南アジアやインドで研修をしたり、現地に会社を持ったりしているメンバーだったので、なんとなくアジアで会社を作ることになるだろうなとは感じてました。あと、以前から「スリランカには日本人向けに日本語で現地情報を発信するフリーペーパーがない」という話を聞いていて、そういう仕事なら楽しんでやれそうだなって思ってたんです。
――いざ海外で起業するって勇気がいりません?
やらない理由がなかったんですよね。当時はなにも考えずに会社を辞めたものの、全然稼げてなくてやばいって感じだったんです。そんな時にスリランカに行って、背中を押されたので、いい機会だと思ったんですよね。
予想外の事態を超えて、唯一無二の存在に
――現在のお仕事を教えてください
スリランカの旅行者向け情報サイトの運営と、スリランカの日本語情報誌の制作販売、あとは海外研修などを行っています。
――どのように仕事を作っていかれたんですか?
今は紙よりウェブでの情報発信がメインですが、当初は日本人向けの日本語のフリーペーパーの発行をしていました。ただ、これが予想通りにはいかなかった。そもそも新興国のフリーペーパーのビジネスモデルって、現地の印刷費が安いことを前提にしているんです。インドやタイは印刷費が安いからうまくいきます。でも、スリランカはインクなどを全て輸入に頼っていて、もはや日本よりも印刷費が高くなることがわかったんです。「これ無理じゃね?」ってなりました。あと、そもそもスリランカに住む日本人が少ない。2016年時点で1000人くらいしかいなかったから、日本語のフリーペーパーは需要が少ないことも後から知りました。
――それは厳しい……でも、もう13冊も発行されていますよね?
厳しいけど、いったんはじめちゃったんで、なんとかするしかないって感じでがんばりました。在住者向けではなく旅行者向けの情報誌に切り替えて、広告の営業先も日系企業ではなくスリランカの大企業に変更したんです。スリランカは2009年に戦争が終わって、観光需要が急拡大して、その後10年間で日本人旅行者が5倍に増えました。年間5万人くらいの日本人旅行者が来ているなか、日本語のスリランカ情報誌はうちだけだった。スリランカの企業も「それなら広告費払うよ」って言ってくれて、ビジネスとして成立したんです。
――なるほど。ただ、そうなるとコロナ禍は大丈夫でしたか?
大変でした(笑)。もともとスリランカの情報を提供する日本語のサイトは5つくらいあったんですけど、コロナでうち以外はすべて撤退したんです。結果的に、うちだけがスリランカというマーケットで唯一定期的に日本語で発信をしています。耐え忍んだ結果、大きな強みがあるわけじゃないけど、競合がいない無敵の状態になったんです。
いまでは、ウェブ記事をベースに、観光情報やインタビュー記事などを載せた雑誌を定期販売しています。
一番大変なのは「小切手スタンプラリー」
――ビジネスカルチャーの違いはありますか?
スリランカの人と企業は、支払いをちゃんとしてくれないですね。普通に銀行に振り込んでくれたらいいのに、それをしてくれないので、小切手を使うことが多いです。ただ、その小切手もサインしてもらうためにアポが必要じゃないですか。アポも全然とれないんですよ。
――え、なぜですか?
スリランカでは、三日後以降の予定を決めたくない人が多いんです。だから、その日に電話して、「今日います? じゃあ、いまから行きます!」っていう感じ。ただ、小切手にサインしてくれるオーナーと、それを管理する財務担当の二人に会わないといけないので、両方に会うタイミングを見つけるのが本当に大変で面倒くさい。しかも、いざサインもらって小切手持ち帰っても、記載ミスがあると、もう一回それをやり直さないといけない。
――なんだか契約した後の方が大変ですね……
そうなんですよ。むしろ広告を売るところまでの前工程は楽勝なんです。なんというか、ノリと勢いでいける。みんな「やるよやるよ」って言ってくれます。でも、その後のほうが全然大変。だから、広告枠を売るにしても、広告をつくったりするよりも「お金をもらいにいく」ことが一番大変なんです。
すぐ消える皿、多様なカレー
――生活の中で感じた文化の違いはありますか?
スリランカはいろんなことがゆっくりなんですけど、皿を片付けるのだけはめっちゃ早いんですよね。スリランカ人はご飯を黙々と食べるんですけど、日本人含めて喋りながらゆっくり食べる人も多いじゃないですか。それで、飲みながら椅子にのけぞったりすると、店員が「もういらないんじゃないか」って思って、一生懸命片付け始めちゃう。
――隙を見計らってるんですね(笑)
そうそう。トイレに行った瞬間にお皿がなくなってるなんてザラにあります。ビュッフェとかだと、食べ物を取ってきた後に、飲み物を取りに行ったら、もうお皿がない(笑)
――それは大変だ。きっと親切心なんですね。
スリランカの人は「片付けてあげないと」っていう気持ちが強い気がします。外国人のお客さんが多いお店とか、海外の生活に慣れている人だと若干遅めだったりしますけどね。でも、お会計はいつまで経っても持ってきてくれない(笑)
――食文化についての違いはありますか?
よくカレーをみんなでシェアしますね。スリランカのカレーは一つの具だけを入れるので、みんな5種類くらいのカレーを会社に持ってきます。例えば、職場に5人いると、それだけでお昼に25種類のカレーがテーブルに並ぶんです。それをみんなでシェアします。
――いいですね!
こっちのカレーは日本で言うお惣菜みたいなものです。おかずが一つだと寂しいじゃないですか。だからこっちのカレー屋さんでは数十種類のカレーが並べられていて、そこから5つくらい選ぶ感じです。
「日々の生活を楽しもうぜ」
――今後についておしえてください
今やっているWEBメディアと雑誌をもっと盤石なものにしたいと思っています。スリランカについてはまだまだ沢山書くことがあるので、もっとこの国を深ぼりしていこうと思ってます。あとは、今やっている仕事をモルディブなどの周辺国にも広げていければなと思っています。
――最後に、スリランカはどんな人におすすめの国ですか?
なんというかフワ〜っと生きたい人にとっては、スリランカは楽しいと思います。実際に僕も勢いで起業して、戦略もなしに続けた結果、こうしてなんとかなったわけです。スリランカはわかりやすくビジネスチャンスがあるとか、めっちゃ儲かるとかそういう国ではありません。だから、僕もそうですが、「日々の生活を楽しもうぜ」っていうノリの人には良いんじゃないかなと思います。
取材:2023年2月
写真提供:神谷政志さん
※文中の事柄はすべてインタビュイーの発言に基づいたものです
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聞き手
おかけいじゅん
ライター、インタビュアー。
1993年東京生まれ。立命館アジア太平洋大学卒業。高校時代、初の海外渡航をきっかけに東南アジアに関心を持つ。高校卒業後、ミャンマーに住む日本人20人をひとりで探訪。大学在学中、海外在住邦人のネットワークを提供する株式会社ロコタビに入社。同社ではPR・広報を担当。世界中を旅しながら、500人以上の海外在住者と交流する。趣味は、旅先でダラダラ過ごすこと、雑多なテーマで人を探し訪ねること。