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伊賀越えチャレンジ!1日目は飯森山の麓から山城国へ【第3回】黒澤はゆま
■四條畷神社を出発遠足の前の晩の子供のように興奮して、あまり寝られず、ようやくうとうとしたところで目覚まし時計が鳴った。
いきなりだが天気予報が外れた。
カーテンを開くと、しとしと雨の降る嫌な天気である。
だが、もう宿の手配も済ませてあるので、今更変更は出来ない。午後には雨が上がり、後2日間は晴れということなので、強行することにした。
電車で四條畷駅に着くと、レインウェアを着て、四條畷神社に向かう
ところで、干し飯、芋がら縄とは?【第2.5回】担当編集者より
連載「戦国飯とともに”家康の伊賀越え”に挑む!」(黒澤はゆま)の第2回に出てきた干し飯、芋がら縄、いったいどんなもの?と思った読者の方もいらっしゃるかもしれません。
集英社インターナショナル公式YouTubeチャンネルで、作り方を公開しています。「作ってみよう!戦国、まずい飯!」と題して、『戦国、まずい飯!』に出てくる干し飯と芋がら縄の作り方を担当編集がレシピ動画風にまとめました。
ぜひ、ご覧
本能寺の変のスピンオフだった「家康の伊賀越え」【第2回】黒澤はゆま
「伊賀越え」これを知るためには、まずは「織田信長」と「本能寺の変」を紹介せねばなりません。
なぜ、家康は険しい山道を通って本拠地・三河岡崎に逃げ帰ったのか?
*画像は『絵本太閤記』の本能寺の変の場面(国立国会図書館蔵)。
■家康最大の危機、伊賀越えとは?長年、戦国の革新児と崇め奉られてきた織田信長だが、どうもこれは大陸的な、強烈な個性を持った英雄を欲しいという、日本人のないものねだりだったようだ
スピンオフ連載:戦国飯とともに「家康の伊賀越え」に挑む!
「資料をとことん漁り、再現して、実食する、その執念がスゴイ!」と話題の書『戦国、まずい飯!』。
その著者で歴史小説家の黒澤はゆまさんが、“家康の伊賀越え”に挑みます。
2泊3日、およそ200キロの道程に持っていくのは、もちろん「戦国のまずい飯」。
1粒食べれば3日元気な(はずの)兵糧丸(ひょうろうがん)に干飯(ほしいい)、梅干しなどを携えての珍紀行です。
果たしてこの試みは成功するのでしょ